「これが、叔父さんの《バーゴイル》ですか。立派ですね」
カイルの機体と自分の《バーゴイルシザー》が並んでいるのは素直に言って奇妙であった。
こちらは脱法の人機。比してカイルが搭乗するのは白い《バーゴイル》であった。式典仕様のものをそのまま持ってきたのか、と思ったが武装はしっかりと装備されている。
「これは式典用じゃなかったのか?」
「僕の専用機です。名前は《バーゴイルアルビノ》」
「アルビノ、ねぇ……」
黒カラス達の中にあって唯一の白いカラスというわけか。ガエルは《バーゴイルアルビノ》の赤い眼窩を睨み据えた。
「叔父さんの、近接戦闘特化なんですね。僕のとお揃いだ」
《バーゴイルアルビノ》に装備されていたのは時代錯誤な大剣であった。式典仕様かと誤認したのはそれもある。
「取り回しが悪くないか?」
「大剣と言っても、実験段階のリバウンド兵装が仕込まれているんです。見かけは古いですが、中身は最新ですよ」
そういうカラクリか。カイルの愛機は確かに古めかしく、どこか戦場には似合わないような気がしていた。
戦地に赴けば、家族ごっこも出来なくなるかもしれないな、とガエルはふと思い浮かべる。
敵の弾が当たりそうになれば一瞬の盾くらいにはなってくれるだろうか。
そんな考えも露知らず、カイルは拳を握り締めていた。
「それにしたって、僕は許せない。基地を占拠するなんて、人ならざる者達は何を考えているんでしょう」
「人ならざる者達?」
「だって、モリビトは惑星外から来たんでしょう? 宇宙人ですよ」
まさかブルブラッドキャリアをそう評している人間がいるとは思わなかった。いや、それが一般認識なのだろうか。その操主が女だとは言えないな、とガエルは感じていた。
「宇宙人、か。だがモリビトは現実的な脅威だ」
「非現実が現実に干渉なんてしないで欲しいです。連中、きっと足が八本生えた宇宙人に違いないんですから。成敗するべきその時に、叔父さんが近くにいてくれて心強いですよ」
この青年はどこまで騙されれば気が済むのだろう。いっその事打ち明けるか、と考えたが、それはレギオンの総意からは離れているだろう。
せいぜい、いい叔父を演じる事だ。裏切るのはいつでも出来る。カイルは装飾華美なパイロットスーツを身に纏っていた。黄金の操主服だ。
「それは、特注か?」
「ああ、これ。やめて欲しいって言っているんですけれど、家の名前の代表者だって、父上が」
カイルの父親という事は政治家だろう。何度か耳にした事はあるかもしれないがそれは星の裏側で展開される政治である。当然の事ながら戦争屋には無関係であった。
しかし今の自分はカイルの叔父。設定上はその父親の遠い血縁の人間なのだ。
「お父さんは、元気かな」
その言葉にカイルは沈痛に顔を伏せた。
「父上は……病に侵されています。ブルブラッド汚染症候群です」
ありふれた病であった。青く汚された大気は浄化されていると言っても人間の体内に色濃く残っている。そのブルブラッドが免疫細胞に反応して起こる病気であった。
なかなか死にはしないが慢性的な微熱と感染症を患う。ゆえに寝たきりになる事が多い。
「それはその……すまない事を」
「いえ、叔父さんは悪くありませんから。悪いのはこんな風に星を汚してしまった、僕達みんななんでしょう」
どうしてそこまで前向きになれるのか理解出来なかった。惑星を汚した自覚があるのならばブルブラッドキャリアに理解があるかと思いきや、相手はしっかりと敵だと思える。
ガエルのような戦争屋には一生かかってもその精神を真似しようとは思わないだろう。
「ブルブラッド大気汚染の元凶は人機だ。どうしてカイルは軍人に? だってそんな事をしなくとも、安泰のルートはあったはずだろう」
暗に自分のような闇とは会わずに済んだのに、と言ったつもりであったが、カイルは寂しげに微笑んだ。
「母が軍人だったのは……」
無論、聞いていない。ガエルは、すまないね、と言い置いた。
「なにぶん、久しぶりなもので現状を把握し切れていない」
「いえ、それも分かります。叔父さんだって、急に僕みたいなのが甥っ子だって分かったところで困るでしょう。母の話を、してもいいでしょうか」
戦場で一番に死ぬのは女の話をしている奴だ。そう警鐘を鳴らしてもよかったが、カイルの言う通りにさせてやろうと考えた。
「ああ、してもいい」
「母は、とても強い人でした。権力に屈せず、己の信念を貫き通す。そのために、父上との衝突も幾度となくあった……。母が別居を決めたのは、父上とのすれ違いもあったようです。何よりもまず、子宝に恵まれなかった母を父上は必要としていなかった」
その言葉の帰結する先にガエルは目を振り向けていた。カイルは口元に自嘲を浮かべる。
「叔父さんなら、知っていると思いますが、僕は最初の母の子じゃないんです。最初の母は、僕を産まずに出て行った。だから母の所在を知ったのは、ほんの二、三年前。偶然に軍のシステムチェックを行っていた友人からの提言でした。お前の母親に会ってみないか、と」
「カイルの、母親は……」
「子宝に恵まれなかった、と先に言った通り、生みの親でも育ての親でもありません。書類上の、母親だというだけです。僕のお母さんは……結局誰なのか父上は一度も明かしてくれませんでしたから」
ガエルはそのプロフィールを伏せていた将校に舌打ちする。それほどの重要な情報を掴ませておかないとは不利益になりかねないだろうに。
「すまなかった、辛い事を告白させて……」
「いえ、いいんです、むしろ叔父さんなら、聞いてくれそうな気がするから。父上には話していません。母と会った事を。その母がどのような人であったのかも」
「……詳しくは、こちらでも把握していない」
「僕の一存で止めましたから。母は、貧民街で暮らす一人の母親でした。まだ僕よりも小さい女の子と男の子の母親で、父上が継続して金銭を送っているはずですが、それでもつましい生活を続けていました。僕は、その時、士官学校に通っていましたから、面会と言っても形式上のもので。何よりも、父上の威光を汚してはいけないという名目上、母と会っても、それは密会のようなものでした」
「お母さんは、どのような?」
カイルは首を横に振る。
「あなたの事はよく知っているけれど、多分私の子ではない、と。そこまで言われてしまえば、僕には立つ瀬なんてなかった。じゃあ僕は誰に産んでもらったのか、誰にこの世に生を受ける事を許されたのか、って……。分からなくなった時期もありました。その頃ですかね。進路を決めろと言われて、政治家方面からこちら側に転属希望を出したのは」
軍人になる事を決意させたのはカイルの書類上の母親だったという事なのか。だがその母親にもカイルは拒否されていた。
「軍に、どうして?」
「父上と比べられたくないってのは、素直にありましたけれど、僕は守りたいと思ったんです。政治で守るのが父上の仕事なら、僕は剣を取ろうって。ペンを取った父上の事は尊敬しているけれど、でもあの人は大勢の人を幸せにした代わりに、一人の女性を幸せに出来なかった。誰しも、どこかで誰かを傷つけているのかもしれない。なら、僕は傷つけられてもいい。軍人として、誇り高くあろうとも」
父親と同じ道を歩みたくない事以上に、母親のような人間をもう生み出したくない、という事だろうか。
だとすれば酷く歪で、酷く傲慢だ。
人間一人が変わったところで、世界を変える事は出来ない。それは真理以上に、この世での鉄則だ。
人の善性が一つあったところで、では全ての人間の善を問い質す事は出来ない。
悪が一つでもあれば全てが黒だと決め付けられないように、白い存在が一つあれば、では全て白だと言う事も出来ない。
――ああ、そのためのアルビノか。
黒いカラスの中に一匹だけ混じった白カラス。そのような意味で取れば、白い《バーゴイル》は何の不可思議でもない。
彼の精神が形になったのだ。
同時に忌々しく感じる。
一つが白ければ、世界を白く染め上げられると本気で信じているのか。馬鹿な。
一つが黒ければ何もかもが黒く沈んでしまうのだと考えているのと同義だ。
結局は、どこまでも自分勝手なのだ。自分の正義一つで、人を導けるのだと信じ込んでいる。
正義一つ程度では救えるものなど塵芥にも存在しないというのに。この世が正義で満ちれば、人は幸せになれるのだと本当に思い込んでいる。どこまでもおめでたい人間だ。同時に、自分はこのような人間と戦うために生み出されたのだと思い知る。
このような人間を殺し尽くすために、戦争屋は存在するのだ。
白を白だろうと言い切りたいがために戦争は起きる。黒く染まればそれは黒だと言い切らせるために、戦争を起こす。
いつだって諍いの種になるのはたった一つの齟齬なのだ。
自分と相手は別のものを見ている、という些細な勘違い。
あるいはそのように思い込み、仕向けられた人々の蠢動。
馬鹿馬鹿しい。人が一方向を向けばそれが正義だと言うのか。他方を見ている相手は悪だと断じるのか。
「素晴らしいと思う。カイル。故郷で待っているのは、きっと君のような気高い精神を持つ人間を誇りに思う人民ばかりだ」
――嘘、欺瞞だ。今すぐにこの青年の額を貫きたい。
貴様の信じているものは全て偽りと自分の身勝手な正義感に糊塗されたただの張りぼてだ。一番に傲慢で醜悪なのは貴様なのだ――。
そう言い切れればどれほど楽だろうか。
ガエルはこの時、一番に汚らわしいものを見つけた。だが、今はその対象と手を結ぶ。
それこそが戦争屋、この世の掃除人に与えられた最悪の使命だからだ。
差し出された手にカイルは頬を赤らめる。
「何だか照れるな……父上にも話した事もないのに叔父さんには何でも話せてしまう」
ああ、貴様の笑顔を砕きたい。今すぐに、この場で地獄を味わわせてやりたいとも。
だが、それは後回しだ。
最後の最後でいい。絶望させるのにはまだ足りない。
こんなところで死なせて堪るか。この戦場ではせいぜい英雄を気取ってもらおう。
この世の正義を、その一身に浴びてもらおうではないか。その上で、本当に必要な時、最後の希望を見出した時に叩き落してやる。
自分へと奈落の底から助けを求めた時に、その手を離してやろう。最後の役目は自分が任されようではないか。
固く握手を交わしたガエルは偽りの笑みの中に、この世における最大の罪悪を見出していた。
女を犯すよりももっと罪深く、人をいたぶり殺すよりも、さらにおぞましい。
自分が正義だと疑わない、白だと思い込んでいる相手。それを潰した瞬間、戦争屋としての最大の義務が果たされる。
彼を黒く染められれば何よりも恍惚が勝るだろう。
きっと、自分はそのために送り込まれた。
「約束しよう。カイル。叔父さんは君だけの味方だ」
――そうだとも。正義の味方だ。