説得に最初から期待していたわけではない。
桃にこの基地を焼き尽くさせてもいいとまで思っていた。だからこそ、彩芽は存外に速く、彼らが結論を下した事に驚いていた。
「シーア分隊長、その決定で……」
「ああ。もう我々には先などない。《プライドトウジャ》を隠し立てした時点で、国家反逆罪だ。わたしが否定したとしてもデータが残っている。それらを洗いざらい調べられてはどうにも言い訳は出来ない。もう、道は閉ざされている」
項垂れたシーアに基地のスタッフが続けた。
「悔しいが、みんなそうなんだ。准尉を見送った時、覚悟はしていた。それが少しだけ長引いただけ感謝しないとな」
ここにいる人々は全て、死人の覚悟を背負っている。生きているのにもうそれさえも許されないのだ。
「分かりました。でも諦めないでください。わたくし達は一秒でも長く、この基地を防衛します」
「いくらこの星に宣戦布告したモリビトとは言え、本国の《バーゴイル》部隊では分が悪いだろう。集団自決の権利を与えて欲しい」
それは遺された最後の償いだろう。しかし彩芽は首を横に振った。
「いけません。諦めないでいただきたい」
「しかし、生き残ったところでどうせ……!」
拳を握り締めたスタッフの気持ちは分かる。生き残ってもモリビトの証拠を吸い上げるために利用されるのみ。彼らに未来などないのだ。
だが、彩芽はエゴでも、彼らに自分から諦めてしまう事だけはやめて欲しかった。まだ諦めるのには早いのだ。
「貴方達はわたくし達に基地を占拠された、被害者です。それを盾にすれば、ゾル国でも便宜くらいははかってもらえるでしょう」
「だがトウジャだけは隠せない」
「そのトウジャも、撃墜されたかもしれません。オラクル残党が乗り込み、勝手に出撃、撃墜されたという筋書きならば貴方達に害意はないはずです」
それでもシーアだけはこの基地の責任者として結論を迫られるだろう。他のスタッフは助けられてもシーアだけは別であった。
それを本人も分かっているのかスタッフ達に言葉を振り向ける。
「そう、だな。みんなにはその筋書き通りに動いてもらえれば、助かるかもしれない」
「分隊長……! しかし、それでは」
「わたしはいいんだ。もう大罪人だ。この先にはもう」
濁した先に悔恨が滲み出ているのが窺えた。スタッフ達が席を外していく中、シーアは彩芽と向かい合う。
「……モリビトは敵だと、分かり合えない存在だと思い込んでいたのは我々の落ち度かもしれない。どうして、対話の道を探れないのだろう。どうして、敵対するしかないのだろうな」
「それは、人間の深くに刻まれた業なのでしょうね」
彩芽はふと首から提げているロザリオを手に取っていた。
――信じるべき神様なんていないよ。
脳裏に閃いたその言葉と笑顔に彩芽はぐっと目を瞑る。
「ブルブラッドキャリアでも、信仰は生きているのか」
ロザリオを目に留めたシーアの質問に彩芽は応じていた。
「信じるべき神様なんていない、というのが彼女の口癖でした。それでも、神様も、信じる心も自分で描くのだ、って。あの時はその言葉の意味が一つも分からなかったけれど、今ならば少しは分かります」
「神はいない、か。リバウンドフィールドが天を覆い、青く汚染されたこの星など神は見離したのだろうな。全部、人類の作った功罪だ。それを今さら神に投げたところで、神も面倒を看切れないだろう」
「人は、人に似せてブリキの兵隊を作りました。その兵隊達で争い合い、炎の中で焼かれ続けている」
「人機の基礎設計理念に対する警鐘、か。古めかしい考えだ」
人機を製造した際、いくつもの宗教から激しい弾圧を受けたのだと伝え聞く。
しかしその信じるべき神を奪ったのもまた、人機という力であった。信仰を捨てざるを得なかった人々は鋼鉄の兵隊に天を覆われ、地に這い蹲ったのだ。
「人機は、強過ぎる力なのかもしれません。その力をどう扱うのかも、人次第」
「人の善性に全てを任せて時代を回せていたのは遠い過去の話だ。もう、この世界の人間には善も悪もないのかもしれない。だからこその君達か。惑星の外から舞い降りた、断罪の使者」
「そこまで傲慢に成り果てたつもりはありません。わたくし達もまた、煉獄の炎に焼かれる罪人には違いないのです」
そう、どこまで行っても人は罪に囚われる。この世界のどこに追われても、辺境の果てまで逃れても、罪からは絶対に逃げられない。
炎で裁き合うのは結局、同じ人間なのだ。
この大地が罅割れても、天が逆巻き砕けたとしても。
人は人同士で争いを続ける。それを醜いとも思わずに。
そうやって喰い合いを続けるのが人間の運命ならば。自分達はその運命のたがを外すためにこの地に降りてきたのだろうか。
分からずに彩芽は己の手にあるロザリオを眺めた。
神を殺し貶める兵器を持っている人間が十字架に願うのは間違いだろう。それでも、人がそこまで邪悪に成り果てているとは思いたくなかった。
シーアは静かに口にする。
「もし、本国が攻めてくれば、わたし一人の命で助けられるだろうか。皆を……」
「難しいでしょうね。モリビトに捕らわれたのは全員ですから全員が審問を受ける事になるかと」
「そう、か。そうだろうな」
諦観を浮かばせたシーアに彩芽は言いやる。
「それでも、諦めないでください。わたくし達は、絶対に守り抜きます」
「守り抜く、か。皮肉なものだ。彼もそう言って旅立ってしまった」
「トウジャの、操主ですか」
「彼の居場所になるつもりだった。本国が爪弾きにした者達に居場所を与えるのがわたしの役目だと。戦死したと言うリゼルグやタイニーもそうだ。彼らは優れた操主でありながら本国の下では輝けなかった。そんな彼らに、生きていく意味を見出して欲しかったんだ。……だが、それもわたしのエゴか」
「人は、そうせざるを得ない状況に駆られた時、自分で判断し動くものです。誰のせいでもない。それは最終的に自分の自己判断なのです」
「そう思えれば、どれほど楽だろうか」
シーアを残し彩芽は部屋を出ていた。外へと向かう途中で眼鏡の少女とかち合う。
向こうはばつが割るそうでありながらもどこか、こちらへと言葉を投げる機会を窺っているようであった。
「貴女が、トウジャのシステムを構築したんですってね」
シーアの証言からの情報に眼鏡の少女は困惑を浮かべる。
「あたし……最低ですよね。だって、准尉に死んで欲しくないのに、その手引きをしたようなもので」
「貴女は成すべき事をしたはず」
「そういう、大義名分に逃げたいだけなのかもしれません。あたし、とろいから……。だから准尉の気持ちを、最終的に踏み躙ったのかもしれない」
この少女も罪に囚われているのか。彩芽は優しく諭していた。
「そんな事はないわ。誰かの気持ちを踏み躙るなんて」
「でもっ! 准尉は信じてくれていたんです! あたし達を守るって、守り通すって! そんな真っ直ぐな人を、殺したのはあたし……!」
きっと自分では窺い知れないほどの闇を抱えていたのだろう。トウジャに関する情報の秘匿加減から鑑みて彼女もシーアと同等の罪に問われるかもしれない。
彩芽は肩に手を置こうとして振り払われていた。
「近づかないでっ!」
やはり彼らからしてみれば自分達は侵略者。どう足掻いてもその事実は消せないのだろう。
ハッとした少女に彩芽は返答していた。
「……わたくし達の事を信じられないのは、よく分かる。でもそれで自分の行動まで信じられなくなるのは、悲しい。せめて自分だけは信じてあげて。その行動に準じた自分自身を」
そうでなければ、後悔の中に一生囚われるだろう。
――自分と同じように。
歩み出て《インペルベイン》を眺める。自分の力。モリビトという世界に布告する能力。
たとえ咎を受けようとも、自分にはまだやるべき事がある。紺碧の中に沈んだ大地が、恐れの中に震えているのが伝わった。
自分達がいる事で苦しむ命があるのならばすぐに退去するべきだろう。彩芽の耳朶を打ったのは桃の通信であった。
『アヤ姉。作戦開始時刻まで六時間を切ったわ。敵はもう陸地まで攻め入っている。《ノエルカルテット》はこれより広域警戒に入る』
「頼んだわよ、桃。鉄菜。貴女の役目は」
『今まで通り、だろう。《インペルベイン》が基地を守る代わりに、私が斬り込む。《バーゴイル》部隊に対しての牽制にはなるだろう』
「敵が射程を掴む前に、何とか削り切れればいいんだけれどね。ゾル国の大部隊よ。C連合のナナツー新型と同じく、脅威判定はかなり高いと思われるわ」
『了解した。《シルヴァリンク》は敵部隊にフルスペックモードで突入。出来るだけ敵のメインの足を削ぐ』
「頼んだわよ、鉄菜」
その言葉の機微を感じ取ったのか、鉄菜が問い返す。
『彩芽・サギサカ。いつになく自信がないようだが』
「……ちょっと、ね。わたくし達は何のために降りてきたのか、ちょっとだけ分からなくなっちゃって」
『決まっているだろう。惑星への報復攻撃だ。それ以外にない』
本当に心に迷いのない鉄菜が羨ましいほどだ。自分はそこまで使命に忠実にはなれない。
「そう、よね。わたくし達はこの世界に今一度、問い質すために……」
そこから先はロザリオを握り締めた左手の熱が遮った。神を信じず、己だけを信じ抜く。貫ければどれほど楽だろう。
現実には自分はどっちつかずだ。惑星を裁く側なのに、裁かれる側の気持ちも分かってしまう。
『彩芽・サギサカ。迷いがあるのならば吐き出しておけ。そのために三機いるのだろう? モリビトは』
鉄菜らしからぬ発言であった。あるいは自分がそれほどまでに頼りなく見えたのだろうか。
「……大丈夫。今はまだ、弱音を吐いている場合じゃないもの」
『それならばいい。まだ戦える』
『クロ、敵部隊との会敵時間を合わせるわ。その時間内で敵の第一陣を防衛し切れなければモモ達の負けよ』
『負け、か。私の意見は変わっていない。基地を放棄し、破壊すれば何の問題もない』
『もう、クロったら。アヤ姉の身体を張った覚悟でも見習えば?』
『それも必要なかった。どうせ私達は殺すために送られてきた』
鉄菜の意見ももっともだ。どうして自分は看過出来なかったのだろう。
――きっと、どちらの痛みも分かるからだろう。
シーア達のような責任の追及のために存在する割を食う者達の気持ちも、どこかで理解出来てしまうのだ。
「……世界は、いつだって残酷ね」
青く染まった風が吹き抜け、そう遠くない戦場の息吹に染まろうとしていた。