桐哉は前回の起動実験を遂行出来なかった制裁を受けるのだと思っていた。
捕虜という身分上、当然の事ではある。何もこなせない人間を置いておくほど軍部は暇ではないのだ。
死人の証明に腕の一本くらいは落とされるか。
そう思っていただけに眼前に展開された光景には息を呑んだ。
視界一面には木目の道場が広がっている。
磨き上げられた光沢ある床がこの場所が軍の基地である事を忘れさせる。
「連れてきましたよ、少佐」
アイザワが声を投げた方向にはリックベイが鎮座していた。胴着に袖を通し、傍らには竹刀がある。
何かの間違いではないのか、と桐哉は目をしばたたく。
「拘束を」
リックベイの静かなる声にアイザワが桐哉の手錠を解く。何のつもりなのか、と窺う視線を向けているとリックベイが立ち上がった。
「ここは聖域。一礼しろ、アイザワ少尉。それに桐哉・クサカベ」
アイザワが一礼し桐哉も当惑しながらも一礼した。リックベイが目線で桐哉を連れて来るように促す。
桐哉はうろたえながらも自分への制裁を予感していた。
「《プライドトウジャ》を起動出来なかったからって、何をしようって言うんだ」
「刀はたしなむか?」
全くの見当違いの返答に桐哉は面食らう。
「……何だって?」
「刀は、あるいは体術でもいい。何らかの武術はたしなんでいるか、と聞いている」
相手の意図が読めない中、桐哉は応じていた。
「……マーシャルアーツを少し」
「結構。なれば打ち合いから始める。竹刀を彼に」
アイザワが自分へと竹刀を手渡す。桐哉は受け取りつつも困惑していた。リックベイは何をさせようというのか。何も出来ない体たらくにこのような形で八つ当たりでもしようという心積もりなのだろうか。
「剣道の経験は」
「ない。でも人機同士の格闘戦なら、一通り」
「よし。打って来い」
本気で言っているのだろうか。桐哉は竹刀を構え、リックベイへと打ち込んだ。狙いは胴である。横薙ぎの剣筋をしかし、リックベイは読み切って剣の腹でいなした。相手からしてみれば鍔迫り合いでもない。少し剣と剣が触れただけの戯れのようなものであった。
「この程度か?」
どういうつもりなのか分からないが、リックベイは自分の力を試している。ならば、ここで全力を出して強みを示す事は何も不利益ではない。
踏み込んだ桐哉にリックベイは摺り足で下がり突きを避ける。今度は満身を使っての面であったが、リックベイには読むまでもないのか、それも足払いだけで回避された。
リックベイは打ってこない。桐哉は問い質していた。
「……そっちも、打ってきたらどうなんだ」
「最初の太刀は譲ってやるつもりだ。わたしへと当てに来い」
ふざけているのか、と桐哉は怒りに握った手を震わせる。
吼え立てた面と胴を矢継ぎ早に放つもリックベイは適切な間合いを読んで当てさせてくれない。
桐哉にとってしてみれば一刻も早く基地に向かわなければならないのだ。それを邪魔立てする時間稼ぎか、と握った手に力を込めた。
呼気を詰めてリックベイへと下段からの切り上げを払う。リックベイは正眼で受け止め、返す刀で桐哉の肩口を叩いた。
痛みに桐哉が呻く中、リックベイは言いやる。
「《プライドトウジャ》の起動に足りないのは、覚悟と見受けた」
――覚悟。その言葉に身が固まる。
「俺の、覚悟が足りないって……」
「そうでなければ全ての数値の説明がつかないのだ。君を脅して起動を急がせてもよかったが、そちらはわたしらしくないと、そこの部下がね」
目線でアイザワを示す。リックベイは静かな論調で桐哉に語りかけていた。
「わたしらしい方法など多くは思い浮かばないがこれくらいしかない。わたしは武術をたしなんでいる。その中でも特に剣術には心得があってね。それを応用したのが、人機による白兵戦術。呼称を零式抜刀術という」
その名前はゾル国にいた頃から耳馴染みのあった言葉だ。リックベイが――銀狼が使う格闘戦術。
対人機において格闘戦など一番に避けるものだが、リックベイはその道を極め、格闘戦においては無双を誇るのだという。
その基礎となるのが零式。
話にのみの噂かとも思っていたがまさか本人まで武術の心得があるとは思っていなかった。
「だからって……実際に剣で打ち合っても何が」
「剣には心が映る。特に、剣客たるもの相手の構えを見れば、それのみで敵の心をも知れるというもの。桐哉・クサカベ。君は恐れと焦りの中にいる。基地を守らなければ、という焦燥。だがモリビトに勝利など出来るのか、という恐怖。あの太刀筋に畏怖を抱いている。青いモリビトはわたしも打ち合った。しかしながら結果は見ての通り」
リックベイは生き残り、自分は死者になっても敵わなかった。その現実に桐哉は歯噛みする。
「だからって……剣なんて学んでいる場合じゃ」
「逆だ。今だからこそ、剣を学べ。そして己の中にある刀を研ぎ澄ますのだ」
「……詭弁を」
立ち上がりつつ、桐哉はリックベイの構えを注視する。
どこからもつけ入る隙のない構えであった。それ自体は正眼に違いないのに、どこから打ち込んでも勝てるビジョンがない。
その現実によろめきさえも覚える。
「少佐、おれはどうすれば?」
「書類仕事を一任する。今は、彼と打ち合うほうが適格だと、上官には説明しておいた」
「了解でーす。にしてもおれ、生まれて初めて書類のほうがマシだと思えていますよ。少佐の零式とぶつかり合うなんて自分は御免ですからね」
リックベイが僅かに口元を綻ばせる。その隙に、と桐哉は打ち込もうとして、リックベイの剣に遮られた。
見えていた、のではない。事実、今リックベイの注意はアイザワに注がれていた。その中で自分の太刀筋を関知したのだ。
桐哉はリックベイを覆うように関知網の糸がこの道場に張り巡らされているのを想像する。
そのどこかに触れる事でリックベイは半自動的に反撃するのだ。
「剣道としてはなってはいないが、戦士としては上策だ。相手の隙に付け入るのは」
「でも、そちらに隙なんてなかった」
「なに、我慢勝負をするわけでもない。わたしにも隙くらいは出来るさ」
否、断じて否である。
リックベイにはこの道場にいる限り勝てないような気がしていた。
それはこの数分間で感じ取った流れでもある。道場内にはリックベイが沁み込ませた戦いの名残のようなものがある。その名残が彼を無敵にしているのだ。リックベイはその名残を戦場に持ち込める。
だからこそ強い。
己のホームではない場所で自分の力をほとんど百パーセント発揮させるのにその名残を利用している。
比して自分にはない感覚であった。
スカーレット隊にいた時にも、ましてや辺境基地の守りについていた時にも。リックベイのような武人の感覚を持ち合わせてはいない。
「……だから、あなたは強いんですか」
不意に出た言葉をリックベイは即座に理解する。
「これが強い、と一概には言えないがわたしはこの感覚を大事にしている」
「俺に、それを掴ませようと?」
「掴めれば君は変わるだろう。それこそ、《プライドトウジャ》などのハイアルファーに呑まれるような惰弱な精神ではなくなる」
それを構築するための剣道という事か。
桐哉はここで勝つしか、リックベイを納得させる方法がない事を知った。
自分が守るべき人々を守るためには小さな障害くらいは飛び越えなくてはならない。それがたとえC連合のエースであっても。
「俺は、超えます」
「心意気はよし。では、打って来い」
腹腔に力を込め、桐哉は剣を振りかぶった。