ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯72 武士の道

 思った通りにはいかないものであった。

 

 ハイアルファーの実地試験は今のところ数えるほどしか行っていない。だからか、稼動するかどうかも運任せ。

 

 桐哉は改良されたパイロットスーツを着込み、《プライドトウジャ》のコックピットで呼吸する。

 

「……動いてくれよ、《プライドトウジャ》」

 

『シークエンス8からスキップして起動にかかる。準備は』

 

「出来ています。いつでもどうぞ」

 

『では……ハイアルファー【ライフ・エラーズ】、起動』

 

 一面が赤く染まり神経接続デバイスが肩口に突き刺さった。走った激痛に視界が白む。やはり何度死んでいてもこの痛みだけには慣れないのか。

 

 引き絞られていく神経の中の一滴まで痛みが染み入ってくる。どこにも逃れようのない激痛に歯噛みしつつ、桐哉は意識だけは保とうとした。

 

『《プライドトウジャ》、完全覚醒まで残り三〇セコンド。操主からの返答を待つ』

 

「操主、了解……。残り時間をモニターに表示」

 

 たったの三十秒が永遠のように感じられる。これを乗り切ればトウジャは再び自分に力を貸す事だろう。

 

 ただしこの試練を乗り切れなければ《プライドトウジャ》は永遠に自分から機会を奪う。それだけは避けなければならなかった。

 

 しかし、一秒ごとに痛みで神経素子が塗り替えられ、身体が分断されるかのような感覚で四肢が繋がっているのかさえも危うく感じられる。

 

 バラバラに裁断されつつも必死に意識の手綱を握っているかの如く、この数十秒は危うい。

 

 少しでも均衡を崩せば人機の鋼鉄の虚無に呑まれてしまう。

 

 ――今はただ、考えろ。

 

 ――守るべき人々の顔を。

 

 リーザの笑顔。シーアの困惑したような微笑み。リゼルグの悪態の顔。整備スタッフ達の憔悴の横顔。

 

 彼らはまだ生きている。生きているのだ。

 

 ならば自分は勤めを果たさなければならない。果たさずして死ねるものか。

 

『残り一〇セコンド』

 

 あと十秒だ。たったの十秒なのに、とてつもない断絶のように感じられる。

 

 消え行く意識の中、桐哉は必死に手繰り寄せた。自分の原初の記憶を。守ると決めた最初の人の横顔を。

 

 手を伸ばしかけて、その像は儚く手の中を滑り落ちていった。

 

 ブザーが鳴り響く。

 

 ハイアルファーが起動臨界点を超えず、《プライドトウジャ》から意識が凪いでいった。

 

『……《プライドトウジャ》、起動失敗』

 

 肩で息をしつつ、桐哉は呻く。どうして、起動してくれないのだ。何が足りないのか。

 

 操縦桿へと拳を叩きつけて、ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の弾き出した表示に桐哉は瞠目する。

 

「〝何故、まだその域で留まっているのか〟だって?」

 

 これは《プライドトウジャ》が問いかけているのか? それを確かめる前にコックピットに入ってきた整備士達の気配に表示が消え失せる。

 

「やっぱり駄目か。ハイアルファーってのが起動を阻害している」

 

 それだけではないような気がしていた。ハイアルファーのせいだけではない。自分の覚悟不足を《プライドトウジャ》は見透かしている。だからこそ起動を渋るのか。

 

「でも……一刻も早く向かわなくっちゃいけないのに……」

 

 神経接続デバイスが引き剥がされ、桐哉は整備士達に収容される。

 

「操主の切り替えは出来ないのかよ」

 

「駄目だ。一度設定された操主からは切り替えられないらしい。……まったく、百五十年前のご先祖様は何て機体を造りやがったんだ」

 

 毒づいて整備士達はトウジャのコックピットの前で合掌した。

 

 彼らからしてみれば自分達では及びもつかないほどの技術の結晶だろう。信仰対象にでもなっているようである。

 

 自分からしてみれば他人を守り通すための機体。それ以外の何者でもない。だというのに起動さえも出来ないのであれば意味がなかった。

 

《プライドトウジャ》のコックピットを桐哉は蹴りつける。整備士達が目を見開いた。

 

「動けよっ! くそっ!」

 

 少しでも動いてくれればまだ望みはあるのに。モリビト相手に戦ってみせた実力はどこへ行ったのだ。

 

 睨み据えた桐哉の眼差しを、四つの複眼光学センサーは睥睨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、無理みたいっすねぇ」

 

 観測所に出向いていたタカフミの評価は軒並み他のスタッフと同じだ。《プライドトウジャ》の起動は不可能。だからと言って操主の切り替えが出来るほどの器用な人機でもない。

 

 リックベイはもたらしていた命令を口にする。

 

「本来の起動よりも時間をかけていても、か?」

 

「……聞こえるっすよ」

 

 声を潜ませたタカフミは桐哉に露見する事でも恐れているのだろうか。リックベイはそのような瑣末な事は考えずに言ってのける。

 

「《プライドトウジャ》の安定起動に必要な時間より一分も長く観測時間を置いている。これが何のためなのか分からぬわけでもあるまい」

 

「……後のトウジャ量産のための布石、でしょう? でも、酷くありませんか?」

 

「酷い? 何がだ」

 

 タカフミはどうしてそれが分からないのか、とでも言うように問い返す。

 

「だって、あいつの本来の目的のためなら、もう起動させていてもいいのに……」

 

 リックベイは資料を畳み、タカフミを見据える。それだけで彼は怯え切った。

 

「……アイザワ少尉。あれは鹵獲した機体だ。通常ならば解体し、解析してその技術の恩恵に与るはず。それが国家、それが軍隊だ。我々は慈善事業で彼の面倒を看ているわけではない。彼から引き出せるものは全て引き出しておく。その上で単騎での実戦投入などという危ない橋を渡らせている」

 

「そりゃ、捕虜ですからね。少佐の言う事は分かりますよ。ただ……」

 

「納得は出来ない、か」

 

 先読みするまでもないタカフミの懸念にリックベイは息をついた。

 

「……っす。だって、本国にも見捨てられて、意味も分からない機体に乗せられて敵国のど真ん中ですよ? そんなの常人が耐えられるわけが」

 

「彼は常人の神経を超えようとしている。そうでなければハイアルファーという未知の性能を引き出せるはずがない」

 

「人が、人間が人間らしく振る舞うのでさえも、条件がいるんでしょうか……」

 

 この得心の行っていない部下に報告係をさせるのは難しいだろう。リックベイは自らの手の甲に視線を落とした。

 

「……たとえ話をしようか。ある男がいた。その男は大義を抱き、敵国に捕らえられてもなお、情報の機密を守った。しかし守り通した彼の遺骸を、祖国は容易く裏切った。後々、情報はその信じた祖国の腐敗した上層部から漏れていたのだと分かったが、誰も彼に弁明の言葉も送らなかった。死者に謝罪したところで未来には進めんのだ。人間は、今だけを見ている。見続けている。だからこそ、現状を打破するべく動く。わたしは、その可能性にのみ信心を貫く事を決めた。遥か前に、な」

 

「その、死んだ男って……」

 

「話はここまでだ。アイザワ少尉。まだ意見があるのかな」

 

 打ち切ったリックベイにタカフミは返礼した。

 

「いえ……過ぎた言葉でした」

 

「分かっているのならばいい。して、トウジャは動くかどうか」

 

「あの、桐哉とか言う奴が本気なら動くんじゃないですかね」

 

 その言葉振りにリックベイは首を傾げる。

 

「彼が本気ではないとでも?」

 

「いや、多分本気だとは思います。本気で、トウジャを動かすつもりだとも。でも、何ていうのかな、本気度みたいなのが足りないと思うんです」

 

「……拝聴したいな」

 

「大した話じゃないんですよ。でも、新型機に乗る時ってのは、昂ったり異様に沈んだりするもんじゃないですか……まぁおれは昂る側ですけれど、あいつはそうじゃないと思うんです。だって、トウジャに乗ったじゃなく、乗せられたって感じですし、多分本意じゃない部分も多いはずです。その中で、前回に匹敵する精神的なパワーって簡単に出せないと思うんですよ。だって、あの時はおれらが攻めていて、モリビトも来ていたわけです。敵しかいない中、自分だけで単騎突破なんて正気じゃないですよ」

 

「その時と同じ感覚、死狂いにならなければ起動出来ない、というのか」

 

 首肯するタカフミにリックベイは顎に手を添えた。一理ある。この部下にしてはためになる事も言うものだ。

 

「その、異様なほどの集中力とか覚悟がいる状況って意図的には生み出せないんじゃ……」

 

「いや、方法論はある。しかしこれは……ちょっとばかし外法だな」

 

「当ててみましょうか? あの基地に爆撃するとでも脅す」

 

「近い……いや、正解だな。似たような手法だ。知人を殺す、あるいは親族に危害を与えると脅せばいい、と。まったく、わたしも濁ったものだよ。結局は力による強攻策か。スマートではない」

 

「でも、それが軍ってものでしょう?」

 

「分かった風な口を利く」

 

 タカフミは首を引っ込めた。

 

「スイマセン、だって少佐が教えてくださるんですもん」

 

 フッと笑みを浮かべ、リックベイは資料に目を通した。

 

「あの操主の親族は? 調べられるか?」

 

「し、少佐? 本当にやるんで?」

 

 うろたえたタカフミにリックベイは呆れ返る。

 

「何だ、君がその方法が手っ取り早いと同意したんじゃないか」

 

「おれは、同意していません。軍なら、って例え話でしょう?」

 

「ここは軍だぞ?」

 

 問い返してもタカフミは首を縦に振らなかった。

 

「駄目です。そんな事をしたら今度こそ、あいつは死人になりますよ」

 

「どうして言い切れる?」

 

「……似ているから、ですかね」

 

「誰と誰が?」

 

「あの……桐哉と少佐が」

 

「わたしが? 冗談を。アイザワ少尉、今は落語の宴席ではない」

 

「分かっていますよ! おれが言いたいのは、無意識の部分ですって! 少佐は、どこかで感情移入しています。奴に。そうじゃなければ、こんな分の悪い賭けしないはずです」

 

「先にも言ったが軍属ならば帰結する話だ」

 

「いーえ! おれの知っている少佐はこんな決断はしません! 絶対です! 何で意固地になってあいつを苦しめようとするのかと言えば、少佐自身が根っからのマゾヒストだからですよ!」

 

「わたしが、マゾだと?」

 

 そのように評されたのは初めてであった。タカフミは捲くし立てる。

 

「ええ! 自分に試練を課したり、モリビトなんかと打ち合ったりするところとかそっくりですよ! どうして似ている存在には冷たく当たろうとするかなぁ……」

 

 そこまで口にして上官への侮辱だと気づいたのだろう。タカフミは不意に姿勢を正した。

 

「す、スイマセン! おれ、またやっちゃいましたか……?」

 

 窺うタカフミにリックベイは、いや、と頭を振った。

 

「新鮮な意見だ。ありがたいほどに」

 

「えっと……お咎めは」

 

「今回はない。だが人と時を誤れば左遷どころではないな」

 

 タカフミは大きく息をつき、頭を下げた。

 

「本当に、スイマセン! アツくなっちゃうと駄目だな、おれ」

 

「いや、わたしは熱くもなれないからね。君の判断が素直に羨ましいよ」

 

 リックベイは胸のうちに問いかけていた。 

 

 自分と桐哉が似ている。だからこそ試練を課したくなっている。

 

 そう仮定した場合、今までの胸の靄が解けるようであった。自分の鏡だと思っている相手ならば、自分の状況を当て嵌めればいい。

 

 自分ならば何をもって、集中力と精神を削ぐと判断出来るか。

 

 結論はすぐさま出た。

 

「アイザワ少尉。感謝している」

 

「えっ……何がっすか?」

 

「わたしが軍属としての正答を歩まずに済んだ事だ。別の道がある」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ああ。こっちならばわたしらしいだろう」

 

 リックベイは書類を仕舞い、部屋を出ていた。

 

 


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