追悼の義を終えたからか、浮き足立った人々はようやく重責から逃れた、という顔をしていた。
ところどころで聞こえる立ち話にはやはりスカーレット隊の小言が目立つ。
「あの予算食いのスカーレット隊には困り果てていたものですが、これで何とか清算の見通しも立ったというもの」
「古代人機防衛は分かりやすい武力の誇示ですからな。あの赤い機体を見ずに済むと思うと……清々しますよ」
どうやら内外からスカーレット隊は嫌われていたようだ。スーツに袖を通したガエルは鼻を鳴らす。
「……英雄が持て囃される時代なんて、とうの昔に終わっていたのかもしれねぇな」
髭を剃り、長髪を切り揃えたガエルは自分のような硝煙と血の臭いが染み付いた戦争屋でも、このような場所には馴染めるのだな、と驚きを新たにしていた。
馬子にも衣装とはこの事か。仕立てのいいスーツと偽装IDだけでゾル国のお歴々と肩を並べる事が出来る。
もし自分が過激派で、ここにいる誰かの頭蓋を打ち抜きでもすればどうするのだ。
そのような事を言ってのけたところであの胡散臭い将校は笑みを浮かべるだけであろう。
――それも君の勝手だ、とも言いそうだ。
いざとなれば切り捨てられる身分でそこまでやろうとは思わない。むしろせいぜい利用してやろうではないか。
戦争屋くずれがこの世界を回す側になってやる。
その鍵は目の前でシャンパングラスを掲げていた。
「ちょっといいですか? 事前にお話していた……」
将官が自分を対象へと導く。金髪碧眼の、まるで戦争屋稼業とは一生かかっても出会えないような立ち振る舞い。
カイル、と呼ばれた青年は気安い笑みを浮かべてみせる。自分を操る将校とは違う。これは本心から、喜びを込めて笑っているのだ。
「あなたが例の。いやぁ、驚きだなぁ。僕に、こんな立派な叔父がいたなんて」
将校はどのような嘘八百を並べたのかは不明だが、自分は彼の叔父として位置しているらしい。
何とも皮肉めいた事だ。惑星の裏側で血と悲鳴を浴びていた男が、賞賛しか生まれてこの方浴びた事のないような人間の叔父であるなど。
「よろしく、カイル……と呼んでいいのかな?」
「もちろんですとも! 叔父さん、と僕からも呼んでいいですか?」
あまりに警戒心の欠片もなく手を握ってくるのでガエルは困惑したほどだ。こんな人間がいるなど目の前にしても信じられない。
誰かが裏から声でも当てているのではないか、と考えたほうがまだ説得力がある。
「その、カイル。場所を弁えようか……今は、一応」
そう言葉にするとカイルは周囲を見渡し、ああ、と頷いた。
「そうですね……。スカーレット隊は我が国の誉れであったのに。残念です」
今度は一転して暗い顔だ。しかもこれは建前ではない。本気でスカーレット隊の死を嘆いているようであった。
この場所で生真面目なのはお前だけだと教えてやりたいほどだ。
「スカーレット隊は……残念だった。彼らの戦歴は目を通していたよ。まさか全滅なんて」
自分でも精一杯の演技であったがカイルは鼻をすすり上げる。
「……隊長に会った事があるんです。人格者でした。こんな事で散って欲しくなかったほどに」
「話には聞いているよ。モリビト、であったようだね」
声を潜めるとカイルは涙を拭った。
「そう、そのようです。僕はこんな事で、彼らと会いたくなかった。セクションこそ違えど志は同じだと思っていたのに、こんな追悼式なんかで、彼ら全員と顔を合わせるなんて」
本気で言っているのか、とガエルは何度も笑い出しそうになったほどだ。演技にしてはくさ過ぎる。かといってこれを真顔で言えるなどどのような育ちを受けてきたのか、と逆に心配になるほどであった。
「カイル、スカーレット隊の事は後にしよう。今は、次の作戦への打ち合わせの段取りを」
「そう、でした。こんなめぐり合わせは続くんですね。叔父さんと出会えたと思えば、次に顔を合わせるのは戦場だなんて」
自分は戦場以外で顔を合わせるつもりはなかったが、カイル・シーザーという男を理解するのには戦場以外で会うのは重要だと含められていた。
その理由が今ならば分かる。ここまで隙だらけな人間も珍しい。悪意からずっと遠ざけられてきた人間とはこのように育つのか。
「テラスへ行こうか。騒がしい中で話す事でもない」
テラスへと誘導するとカイルを目にして令嬢達が黄色い歓声を送った。戦場を彩る人間、軍の広告塔という評価はあながち間違っていないらしい。こんな男の一ショットで数人の女性将校が生まれるのか、とガエルは物珍しさの視線を注いでいた。戦場で女が増えるのは大歓迎だが、その目的が金髪の優男目当てとは。
戦場で待っているのは紳士ではなく、暴力と銃弾の嵐だというのに。
歓声の中を掻き分けるようにテラスに出た二人は、息をついた。カイルも疲弊しているようであった。
「いつになっても……慣れないものです」
「ゾル国の希望の星だ。女性からの賛美は素直に喜べばいいだろう?」
「苦手なんですよ。若い女子は」
額の汗を拭ってみせたその一動作だけでもいくらかの価値にはなりそうだな、とガエルは横目にしていた。
「それで、本題なんだが」
「叔父さん、その……やっぱりやるしかないんでしょうか」
「あまり本意ではないか?」
「その、人機で戦うのはいいんです。その戦端のさきがけになるのも、何も不満はありません。ただ、今回の戦場が正しいのかそうではないのか、という意味です」
「カイル、お前は軍人だろう? 正しい正しくないではなく、命令にあるかどうかで判断するべきじゃないのか?」
諌めた声音にカイルは微笑んだ。
「……やっぱり、僕の叔父さんはすごいなぁ。歴戦の猛者って感じです。スカーレット隊の名簿にも挙がっていたそうじゃないですか。僕としてはそれだけで誉れ高い」
嘘の経歴はどんどんと膨張するばかりだ。自分がスカーレット隊に名を連ねていたなど、よくもまぁ吹けたものである。
「いや、断った経緯は褒められたものではないよ」
「地上警護の重要性を鑑みて、でしたっけ? 地上も確かに緊張状態が続いています。C連合とブルーガーデンが睨み合いをしている。こんな、青く染まった地上でも、手を取り合う事さえも出来ないなんて」
嘆かわしい、と結んだカイルにガエルは尋ねていた。
「戦争は嫌いかな?」
「好きな人間なんていませんよ」
目の前にいるが、と付け加えたかったが黙っておく。
「そうだな……争わずに済めばいいんだが……」
「無理でしょう。僕だって、ただおだてられてこの地位にいるわけでもありません。国家には国家の大義があり、軍人には守るべき責務がある。それを忘れれば、国家は暴走し、成すべき事を成せない帰結に至る」
「軍人には珍しいほどの主義者だ」
その謝辞にカイルは咳払いする。
「……失礼。叔父さんがあまりに話しやすいからか、つい。口さがないとはよく言われるんです。でも、黙っているよりかはずっといい」
「多数の中に埋もれて、意見を押し殺すよりかは、矢面に立ったほうが、という気持ちかな」
ガエルの評にカイルは後頭部を掻く。
「参ったな。叔父さんには僕の気持ちが手に取るように分かるんですか? 話したのもこの十分にも満たないのに、まるで子供の頃から僕の事を知っているみたいだ」
経歴には目を通しておいたからな、と考えつつガエルはグラスを傾けた。
この青年は読みやすい。明け透けな胸の内を誰かに語られればすぐさま相手が理解者だと信じ込む。
その隙にこそ、ガエルが付け込める。そう感じての采配だろう。
「なに、可愛い甥っ子の事となれば、開いていた時間の分だけ理解したくなるというだけさ」
「開いた時間は、でも元には戻りませんよ」
「これから作っていけばいいさ。その時間は充分にあるのだから」
嘘にしてもあまりに性質が悪い。自分はいざという時の弾避け程度にしか考えていないのに、彼は生涯で初めて自分の事を考えてくれる人間に出会ったような眼をしている。
「……叔父さんには僕の理想を話しても、何だか怒られなさそうだ」
「聞きたいな。理想も素晴らしい事だろう」
カイルは吹き込んだ風に金髪をなびかせ、フッと笑みを浮かべた。
「僕は、このゾル国をよくしたい」
「政治家になりたいのか?」
「まさか。僕よりももっと政に長けた人間はいます。そうじゃなくって、ただの一兵士程度で終わりたくないって言うのかな」
「今でも充分な逸材だ。ゾル国軍人の士気を上げてくれている」
「まだまだですよ。まだ、僕はお飾りだ。そうじゃない、本当に頼れる軍人になる事、その時、国家が傾かないように務められる人間になるのが、僕の理想です」
なるほど。今のなよっちい身なりでは確かに国家は任せられそうにない。ガエルはその肩に手を置いた。
「理想は、語るだけでは物にはならない。だが語った時、真にその理想を歩む権利が与えられる」
「それは、叔父さんの人生の警句ですか?」
「いや……随分と前に捨て去った、理想論だよ」
「だったら、叶えたいな。叔父さんの理想」
この青年はどこまでも真っ直ぐだ。愚直にさえも映るこの真摯さを今まで利用されなかったの事が奇跡のように。
いや、ゾル国は彼を広告塔に仕上げている。軍内部の士気を挙げるのも一つの方法論だろう。
だが自分にはもっと有効活用出来る自信があった。この青年将校の愚かなまでの誠実さを利用すればどこまででも登り詰められると。
「乾杯を、そういえばしていなかったね」
「ああっ、忘れていました。叔父さんと話すのが楽しいから」
その言葉にガエルは余所行きの笑みを浮かべる。
「こちらもだよ。新鮮な若者の息吹というのは素晴らしい輝きだ」
どれもこれも、平時の自分ならば口にするだけで反吐が出そうな単語ばかり。
カイルは頬を掻き、夜風の涼しさの中で赤面してみせた。
「叔父さんが、僕の思っていた通りの人でよかった」
「こちらも。甥っ子が理想通りで本当に」
――やり易い事だよ。確信の笑みを浮かべる。二人はシャンパングラスを突き合わせた。
カラン、と雅な音がなり、偽りに糊塗された理想と現実が交錯した。