話せるか、と最初に聞かれた時、何の事だか分からなかった。
だが自分の状況を鑑みれば何も不思議ではない。鴫葉率いるブルーガーデンのロンド隊が自分を見据えている。
全員が全員、同じように灰色の髪で背中にはその細身には似つかわしくない整備ユニットを背負っていた。
だが強化実験兵には必要不可欠な代物だ。整備ユニットが逐次投与する安定剤がなければ錯乱してもおかしくはない精神構造を持っているのが強化兵システムである。
全員が延髄に埋め込まれたチップとユニットの存在に疑問すら抱いていない。
機械の羽根をつけたしもべ達はまるで天の遣いのようであった。
天使と明確に異なるのは、彼らは人に造られたものでしかない事だ。
人機と大差ない。所詮は人に造られし、鋼鉄の塊かそうでないかだけの差でしかない。
並び立つ天使達のその向こうに、今回の作戦を指揮した量子演算コンピュータが鎮座している。人間らしい人間には、自分達を見捨てた上官と引き継いだ上官以外、ついぞ出会った事がなかった。ともすればこの国家はほとんどの人間がこの整備ユニットのような代物を担いで生きているのかもしれない。
つい先日まではそれが「最適」だと認識していたが、今の瑞葉の脳裏に浮かんでいるのは疑念ばかりだ。
量子演算コンピュータからもたらされる作戦も、純白の天使達も、全部が全部、虚構。張りぼてであった。
しかし瑞葉は虚構を演じ切らなければならない。そうでなければ自分はただ単にパーツとして排除されるのみだ。
『瑞葉小隊長、今一度問う。口は利けるか?』
コンピュータの電子音声に瑞葉は恭しく頭を垂れていた。
「喋れます。何の障害もございません」
『それならば結構。《ラーストウジャ》のダメージフィードバックを受け、脳に過負荷を生じさせた、とレポートが来ていたが』
「想定範囲内です。何のご心配も」
ふと、どうして自分は機械相手にこのような口調を用いているのか不思議になる。今までも顔の見えない相手とのやり取りで成り立ってきたのに、ここに来て皆が演じているこの役割に亀裂が生じていた。
『そうか。《ラーストウジャ》は我が国家に遺された唯一のトウジャタイプ。それを預けるのに、いささかの懸念もあったのだが』
「いえ。強化兵のプログラムは最適だと信じておりますゆえ、心的外傷も少なく、気分は良好です」
まるでプログラム化された会話だ。このような言葉振りで相手も信用するのが逆に不自然なほどであった。
『精神点滴の濃度を上げるように進言しておこう。《ラーストウジャ》を操る要たるハイアルファー【ベイルハルコン】のエネルギー源は憎悪。……無駄を省く強化兵に、この感情で左右されるシステムの存在は邪魔かもしれないが』
「《ラーストウジャ》はわたしの思う通りに動いてくれています。その指示に何秒の差があるかだけが重要でしょう」
初めて扱ったにしてはトウジャタイプの中でも特殊と言われている《ラーストウジャ》は馴染んでくれていた。
それは全て、あの時切り捨てられた時に芽生えた感情が発端であろう。
枯葉達は命を散らした。あの日、青い霧の向こうにあった抉られた空の光景を決して忘れはしない。どれほどに忘却剤が投与されてもそれだけは忘れられなかった。
無力感と、モリビトに対しての恐怖。畏怖が自分を衝き動かす。いずれ、モリビトへと届くであろう。だがそれに際して問題がいくつか山積していた。
『《ラーストウジャ》の戦闘データを照合したが、プラズマソードの発振速度のほうが機体制御に間に合わず、結果として発振されないという事実を加味した結果、次回より実体兵器の装備を提言した。恐らくは次の戦闘で実装されるであろう』
脳内に共有データとして《ラーストウジャ》に親和性の高い武器が羅列される。
その中の一つが両刃の斧であった。斧ならば確かに敵への強襲時に発振速度の遅れもない。重量の問題だけであったが、《ラーストウジャ》の改善案をピックアップするに装甲強度よりも荷重による速度制限のほうを重視している事からして、やはり操主の負荷はほとんど無視しているのが理解された。
――所詮、操主も代わりがいる。
この天使達誰もが自分の代替品だ。誰もが「最適」に設定され、設計されて第二の自分に成り代われるように構築されている。
それを枯葉達の死を目にするまで異常とも思わなかった自分に今は恥じ入るしかない。
命は等価なのだ。一つの命に対して、三つ四つの命で贖えるわけではない。
一つは一つ。
代替案で成り立つ命は存在しない。そのような簡単な事でさえも、精神点滴で磨耗されてしまう。
「《ラーストウジャ》の次の戦闘では、必ずやモリビトの首を」
『照合データ上ではモリビトであったが、前回の戦闘を外部モニターした結果、あれはモリビトではなかった。やはり《ラーストウジャ》には操主への認識障害を引き起こす副作用があるようだ』
「構いません。祖国の敵ならば同じ事です」
いずれは仇敵となる国家の事などどうでもいい。今は一つでも力を手離すのが惜しかった。
『その精神、鋼と言えよう。鋼鉄の巨神たる人機操主には相応しい概念だ。いいだろう。前回の戦闘データの齟齬は見逃す。次こそ、祖国の敵を討って欲しい』
「心得ております」
天使達が歌声を発した。凱歌だ。均一化された戦士達でも歌声だけは美しい。精神点滴なしでもそれだけは美徳と言えた。
――それがたとえ人の道に背く背徳の歌だとしても。
この光景そのものが異常だとしても、今は一つの勝ち星である。
瑞葉は踵を返した。メンテナンスに赴くと言えば《ラーストウジャ》に乗る事も許される。
今の瑞葉のバイタル、脳波でも《ラーストウジャ》への搭乗条件は満たしていた。前回の戦闘から何時間経ったのか、と脳内のネットワークに問い質そうとして実際の声が耳朶を打つ。
「三日にございます」
そう答えたのは鴫葉であった。自分の部下だと、そういえば教えられていた天使の一人だ。
同じ脱色したような灰の髪の色に、灰色の瞳。背中には整備モジュールが常に音を立てて稼動している。
それを異常とも思わないように育て上げられた、禁断の子の一人。
「鴫葉、発声は意味のない時には必要ないと教えられていなかったか」
「失礼。ですが困っている様子でしたので」
困っている、という概念を理解している。この強化兵は自分達より進んだ技術体系で造られたのだと以前教えられていた事を思い出す。
「感謝する。だが、三日も経っているのであれば、解析は進んでいるのだろう」
鴫葉がモジュールの稼動音に合わせてネットワークへと接続する。喉の奥から機械音が漏れ聞こえた。
「《ラーストウジャ》は未だに危険域です。問題は、実戦データに乏しい事、それに加え、戦闘した相手がモリビトではなかったにも関わらず、小隊長にはモリビトだと認識させられた事でしょう」
「エラーならばとっくに克服している。あれは機体のデータがバイアスを変えてわたしの認識をずらした結果だ。次からは目視戦闘に切り替えればいい」
「目視戦闘でも、あのエラーは引き起こされると仮定されます」
「その理由は? 理由なき上官への問題提起の発言は反逆に値する」
「理由は、操主である小隊長の感情でしょう」
簡潔に言い放った鴫葉に瑞葉は眉根を寄せた。
「何だと?」
「小隊長は、我々とは違います。それを隠し立てしておられるようですが、我々は常にネットワークを同期しているのですよ。感情の中に異常な閾値を弾き出す何かが存在します。それがエラーの原因でしょう」
「そこまで分かっているのならば告発すればいい。わたしを欠陥品だと」
むしろ臨むところであった。上官や自分達を開発している部門は戦々恐々とするであろう。ただの殺戮兵器に感情が宿ったなど。
躍起になって火消しに奔走するかもしれない。あるいは現状の製品を全て破棄するかのどちらかだ。
しかし、鴫葉はどちらの選択肢を取るわけでもなかった。
「いえ、小隊長を欠陥品だと判断するのは早計です。何よりも、小隊長は《ラーストウジャ》と第二の関節を内蔵した《ブルーロンド》の実践という成果を挙げていらっしゃいます。今、ここであなたを破棄するのは、国家にとっての利益を損ねる事でしょう」
鴫葉の判断は正しいようでどこか歪んでいるようにも思えた。国益と戦場での利益を同一線上に考えないのが正しい軍人――否、「パーツ」としての在り方だ。
「わたしを告発するほうが早いだろう」
「それは国益に背く、と考えているのです。わたしと同期している数十体の同朋も同じ判断を下しました。瑞葉小隊長、あなたに任せる、と」
それは奇妙な話であった。精神点滴で国家のための忠義は死んでも果たすように調整されている兵士の考えではない。
「……バージョンが繰り上がった事で、総体の考えが変わったのか?」
「お答え出来かねます。しかし、あなたを告発はしません。我々は《ブルーロンド》にて、《ラーストウジャ》を支援し、補助します。それは変わらぬ事象」
こちらのやり方に口は出さない、と言ってきているのだ。ならばそれに無理して反論を出す事はないだろう。
「……いいだろう。鴫葉。《ラーストウジャ》の場所まで案内しろ。わたしは再び戦場へと赴かなければならない」
「こちらへ」
鴫葉の背中に刺さっているモジュールに変化は見られない。ハッキングを疑ったがその痕跡もない。
本当に、総体の考えが変化しただけなのだろうか。それにしてはあまりに理に敵わぬ考えへと移行したものだ。
一つを切り捨てて全体が安定する、という自分の根底概念は最早古いのかもしれなかった。その概念も、今はもう切り捨てた代物ではあったが。
「《ラーストウジャ》のデータを参照。コード1087、鴫葉より同期願う」
「コード1087了解。鴫葉という個体は瑞葉小隊長へと現在の最新情報を同期する」
コードは生きている。命令伝達速度も許容範囲内だ。すぐさま脳内ネットワーク上に《ラーストウジャ》のステータスが呼び出された。
鴫葉が意図的に改ざんしている様子もない。《ラーストウジャ》は四肢関節部位を破損していた。あまりの機動力に機体が耐え切れなかったのだろう。
百五十年前より毎年、極秘にアップグレードがはかられてきたブルーガーデンの罪の遺産。機体の機動速度とその安定した血塊炉への供給速度を併せ持たせる、という矛盾した開発理念により、外部補助装甲という結論へと行き着いた。
通常機動時には、ロンドに偽装した外部装甲を纏い、血塊炉に制限を設けさせている。そのため、《ブルーロンド》以上の能力は引き出されない。代わりに偽装装甲は相手から全く気取られないという完全なる擬体を獲得した。敵が目視戦闘以外に頼っている場合、外皮の装甲の違和感には全く気づけない。《ブルーロンド》として機体登録されているはずであった。
機体の偽装を排除した形態――《ラーストウジャ》の真の姿を晒したその時には敵を葬れている計算である。
《バーゴイル》よりも素早く、ナナツーよりも策敵性能では秀でている。加えて強化兵のフィードバック性能は装甲のパージから次の行動までの逡巡をほぼゼロに等しくした。
考えれば動く機体の実現。思考したその瞬間には、機体は弾き上がっている。性能面では他の追随を許さないはずだ。
だが、モリビトだけは別である。
モリビトはこの機体であったとしても、勝率は五割を切ると試算されていた。《ラーストウジャ》のような特別な人機を用いても、勝てるかどうかは分の悪い賭け。それが対モリビト戦なのである。
国家の威信をかけた戦いにもなるであろう。一機でもモリビトを墜とせれば、それは各国のパワーバランスを根底から揺るがす。
勝てる機体が現れるだけでも惑星の人々の希望になり得るのだ。
それがどれほどの犠牲に塗れていようとも、罪悪の道であっても関係がない。
ようは結果を出せればいいのだ。そのための最短手段を各国コミューンは手ぐすねを引いて探している事だろう。
「《ラーストウジャ》の能力の秘匿は絶対だ。これを他の国に悟られればまずい」
「承知しています。前回の戦闘で交戦した敵にはマーキング弾を撃っておきました。ある程度までの位置は把握しています」
現状の位置が脳内に呼び起こされる。その現在地に瑞葉は立ち止まった。
「これは……ゾル国?」
「そこで途切れていますね。ゾル国に寄港する巡洋艦。その艦内で敵の行き先はぱったりと」
これは奇妙な符号である。ゾル国がブルブラッドキャリアと共謀しているとでも言うのか。
そうでなければ、モリビトの機体信号を発する《バーゴイル》などただの混乱の種でしかない。C連合に悟られれば終わりである。ブルブラッドキャリアとの共謀が事実であってもそうでなかったとしても国際社会からの非難は免れまい。
それだけ、モリビトという機体に各国が刺々しく警戒を放っているのだ。だというのに、モリビトの信号を発信するだけの機体の存在が公になれば……。
そこで、瑞葉ははた、と思考を止めた。次いで脳裏に呼び起こしたのはつい先日のテロ事件である。
「……先刻、ゾル国でコミューン襲撃テロがあったとされている。首謀者は機体の識別信号から不明人機――つまりブルブラッドキャリアの犯行だと」
「そう、各国のメディアが報じていますね。我が国でも話題に挙がったニュースです」
だが、誰もその肝心な人機を目にしていない。目撃情報はなく、機体識別信号のみでモリビトだと判断されたまで。
そうなってくると前回の戦闘で出現した機体の奇妙さが浮いて立つ。モリビトの機体信号を発する謎の人機。それがどこかの国によって製造されたのだとすれば――。
恐るべき想像に瑞葉は身体を硬直させた。もし、思っていた通りならば、モリビトだけではない。この星にはまだ見ぬ敵が存在する。
その敵は、モリビトに成りすまし、IDを偽装し、あたかもブルブラッドキャリアの犯行のように振る舞う事ができる。
そのような組織、あるいは個人が存在するとすれば、それは惑星を根幹から揺るがす大事ではないのか。
その思考パターンが同期されたのであろう。鴫葉が声にする。
「瑞葉小隊長、そのような存在はあり得ません」
「だが、荒唐無稽ではない。もし、その存在が実在すれば世界は混迷に陥る。他人を疑う魔女狩りの時代に……」
「ですから、そのような存在はいないのです」
言い含めるような声音に瑞葉は違和感を覚えた。どうしてそこまで意固地になって棄却する必要がある。ただの一兵士の戯れ言だと断じればいいものを。
――否、一末端兵でもそれを悟ってはならないのか。
そう考えた場合、この国が一番に怪しかった。ブルーガーデンは独裁制。他国の機密を内々で処理するくらいはわけない事。その組織と何らかの繋がりがあるとすれば、それはブルーガーデンが最も可能性として挙げられるのだ。
だからこそ、鴫葉は否定する。
それは政府転覆へのシナリオへと直結しかねない。
「……詮無い思考だ」
《ラーストウジャ》のステータスに移行させる。そうする事で考えを読むこの部下の追及からは逃れられるだろう。
だが自分はただの強化兵ではない。あの日芽生えた感情だけは他人と同期出来る代物ではないのだ。
その矜持が胸にあるからこそ、一兵士の戯れ言ではないのだと実感させられる。
《ラーストウジャ》は整備デッキにて、外骨格を剥がされた形でメンテナンスされていた。スパークの火花が時折視界の隅に焼きつく中、自分達と同じ、背中に整備モジュールを従えた整備兵達が白衣に身を包んで作業に当たっている。だが、青い血の機械油で皆がその衣服を青く染め上げていた。
そのうちの一人がこちらへと敬礼する。返礼してから瑞葉は《ラーストウジャ》を仰ぎ見た。
骨身ばかりの巨人は背筋を無数のケーブルで繋がれており、まるで胎児のように丸まっている。
「整備担当の菱葉です」
菱葉と名乗った整備兵は自分達をタラップの上へと誘導する。頭に包帯を巻いていたが、その姿は自分と鴫葉と寸分変わらぬ、白い毛髪に灰色の瞳であった。
この者もまた、ブルーガーデンの生み出した罪の証なのだ。
「しかし小隊長の操縦技術には舌を巻きます。初陣で《ラーストウジャ》の性能の、その半分まで引き出すとは」
賞賛の言葉に瑞葉は頭を振る。
「全出力を出しきるつもりだった。あれでは出し惜しみしたのと同じだ」
「しかし、結果的に敵兵に悟られずに済んだようです。この機体が如何に特別なのかを」
「悟られれば、この基地さえ無事では済んでいないでしょうからね」
結んだ鴫葉に瑞葉は、この場所の現在地を世界地図単位で呼び出そうとしてジャミングを受けている事に気づく。
ブルーガーデンの直上は衛星画像でも検閲が入っており、青い霧でぼかされている。
「……敵が追ってこない。それそのものがこの機体の偽装に一役買っていると」
推測した瑞葉に菱葉は首肯する。
「《ラーストウジャ》は二つとない機体です。それを予見されれば勝利は訪れない」
「……わたしは勝つつもりだが」
思わず憮然として言い返した声音に菱葉が、失礼、と謝罪する。
「小隊長を侮辱したつもりはありません。ただ、この機体は想定されればお終いなのです」
「偽装も含め、この機体には様々な技術の恩恵がある。ブルーガーデンがそれを独占していた、と勘繰られるだけでも毒なのです」
含ませた鴫葉に瑞葉はなるほどと納得する。この機体そのものがある種国家のアキレス腱なのだ。
「偽装は? どれくらいで回復出来る?」
「慌てたって目標はやって来ませんが、一応補足しておくと、偽装を一度解除した場合、再装備には最低でも十二時間かかります」
「そんなにか。だが、もう三日経っているはずだぞ」
「初陣ですからね。三日経っても難しいものは難しいんですよ」
整備兵が総出でも《ブルーロンド》の偽装に時間がかかっているのは窺えた。無駄にコストばかり食う機体なのは明らかだ。
「《ブルーロンド》の量産計画は?」
「つつがなく。ロンドに関しては我が国の専売特許ですからね。元々、換装によってあらゆる戦場を想定出来るロンドを数多く用いるだけでも我が国は強い」
そう信じるように整備モジュールに騙されているだけだ。言い聞かせてやりたかったが、瑞葉はあえて言わなかった。
「ロンドを無数に用いても、モリビトには敵わなかった。一太刀浴びせる事さえも……」
悔恨を握り締める。あの時、もっと強ければモリビトを倒せたかもしれないのに。菱葉はこちらの顔を覗き込んで謝辞を送る。
「その悔しさが次の戦場に結びつく事を祈っています。小隊長は我が国の要。あなたがやられればそれは国家としての終焉を意味します」
「重責を」
「それでも、小隊長に夢見ている国民は多いのですよ」
鴫葉の声が被さり瑞葉は思わず息を詰めた。
そうだ。自分も国民のためだと思って戦っていた時期はあった。だが、今はその国民の存在さえも疑わしい。精神の衛生全てが精神点滴と投薬で満たされている兵士が跳梁跋扈する戦場など、果たして国民は望んでいるのだろうか。
今際の際まで、国家の繁栄だけを祈って死ねる連中になど、誰も希望を見出していないのではないか。
「……国民のため、か。《ラーストウジャ》の整備状況を確認したい。《ブルーロンド》の偽装なしで、どれくらいやれる?」
「前回の戦闘データは当てになっていますよ。相手はモリビトの信号を発信する《バーゴイル》の新型機。しかし速度では遥かに勝っています。問題なのはやはり武装の面でしょう。標準であったプラズマソードですが、発振速度が間に合わず使い物にならない事が露呈しました」
「プラズマソードでは《ラーストウジャ》の強みを消してしまう。他の武装案は既に出ていたな」
「小隊長はどれをお望みですか? どの武装にしても、結局は関節部の改修が主な課題になりそうですが」
先ほどの謁見時にもう武装は決めていた。
「これにしよう」
同期した情報に菱葉は戸惑ったようであった。
「これ、ですか……。あまりにその……《ラーストウジャ》には合わない」
「操主であるわたしの判断だ」
その意見にはさすがに一整備兵が口を挟めるわけもない。菱葉は首肯し、そのデータを全員と同期させた。
「分かりました。《ラーストウジャ》は次の戦闘よりこの武装をメインに据えさせましょう。射撃武装は」
「必要ないと言いたいが、牽制のためにマシンガンを。これは外皮にだけで構わない。今のプランだけでもかさばるのは想像出来る」
「承知しました。しかし、毎回偽装を解除するかもしれないのに、ロンドの装甲にマシンガンを持たせるのですか」
「何か不満でも?」
「いえ……特には」
黙り込むしかないのだろう。菱葉は整備作業へと戻っていった。その背中へと瑞葉は問いかける。
「時に、この国家をどう思う? 今のままで、繁栄があると思うか?」
あまりに突拍子がないと思われたのだろう。呆然とした菱葉は少しの逡巡の後に応じていた。
「何を仰るのです。この国家の繁栄こそが、最適でしょう」
何度も出会ってきた言葉が今は違和感でしかない。その通りだ。軍人ならば誰しも浮かべる正解である。
しかし、もう瑞葉は知ってしまっている。それが最適ではないのだと。その言葉に振り回された結果、大切なものを失う事もあり得るのだと。
「そうだ、そうだったな。ブルーガーデンの、祖国のために働くのが我々軍人だ」
「軍籍だって空きがないほどなんですから。高望みするのは間違っています」
そう思い込まされていた。国民はこの軍人生活に憧れているのだと。
だが、どこに憧憬などあるものか。背筋に感情をコントロールするモジュールを備え付けられ、出来損ないの天使としてこの地に縛り付けられるなど。
「……《ラーストウジャ》を操るわたしは、どう思われているのだろうな」
「それこそ、英雄ですよ」
言い放った菱葉の声音に瑞葉は冷笑を浴びせるのみであった。