ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯57 傲慢の守り人

 いくつかの覚醒とまどろみの間を行き来した気がする。

 

 桐哉の視界に入ったのは滅菌されたかのような白い天井であった。

 

 ハッとして起き上がろうとすると、自分がベッドに拘束されている事に気づく。傍らの椅子にリーザが座っているのが目に入った。

 

 こくり、こくりと眠りこけている。桐哉は声を出そうとして警報のようなシグナルが邪魔をした。

 

 飛び起きたリーザは桐哉の覚醒に顔を明るくさせた。

 

「准尉っ! 起きられたんですね?」

 

 リーザは慌しく機器を設定し、桐哉の身体に纏いついているスーツに伝達させる。桐哉は自分がまだパイロットスーツを身に纏っている事に気づいた。

 

 しかも見た事もない形状のスーツである。

 

 左胸の部位に落ち窪んだ渦巻き状の部品があり、そこから血脈のように走った線が左半身と頭部ヘルメットパーツの前頭葉に延びている。これは、と桐哉は首を傾げようとして全身を貫く激痛に顔をしかめた。

 

「まだ動かないでください。ハイアルファーの作用は思っていたよりも強いようです」

 

「ハイアルファー……」

 

 その言葉に桐哉の脳裏に鮮烈なイメージが過ぎる。赤く明滅する信号と共に自分と《プライドトウジャ》を接続した未知のシステム。

 

 それが確かハイアルファーという名称であった。

 

「どこから、説明すればいいでしょうか?」

 

 桐哉は何もかもだ、と声にしていた。

 

「何が起こったんだ? 俺は、あの機体に乗った途端、肩に鋭い痛みを感じて……」

 

 肩の部位には専用のパーツが施されており接続用のコネクターが伸びている。

 

「強制的に《プライドトウジャ》のシステムに飲み込まれたんです。ハイアルファーはあの機体を駆動させる、一種のOSのようなものだと思っていただければ」

 

 妙に落ち着き払ったリーザに桐哉は胡乱なものを感じたが、それを口にする前に表示されているバイタルサインの示す数値に驚愕した。

 

 バイタル、脳波、何もかもがゼロの数値を示している。

 

「どういう……バイタルサインが、ない?」

 

 リーザは椅子に腰掛け、桐哉の顔を覗き込んでくる。

 

「混乱もあるでしょうが、一つずつ解きほぐすとすれば、オラクル残党軍は撤退……いえ、准尉の操る《プライドトウジャ》が一掃しました」

 

「一掃? 俺が……」

 

 感慨は薄い。この手が基地を守ったのだ、という確証もほとんどない。

 

 本能のままに動き、理性を封殺した自分がレミィの駆る《デミバーゴイル》を破壊した。そのイメージだけがおぼろげにある。

 

「《プライドトウジャ》は現在、整備デッキにて整備中です。あの機体に関してはシーア分隊長の預かっている文献資料によるものが大きく、現行兵器による強化が成されるかどうかまでは不明ですが、今、現状を包み隠さずに話すのならば、あの機体以外にこの基地を守れる人機は、オラクル残党軍のうち、一人が搭乗していた《バーゴイル》を鹵獲したものしかありません。それもリゼルグ曹長の操る一機のみ。急ピッチで頭部の挿げ替え作業が進んでいますが、それも怪しいでしょう」

 

 リーザは何をしたと言うのか。どこか懺悔するような言葉振りに桐哉は尋ねていた。

 

「先生は、何をなさったんですか」

 

 面を伏せたリーザは端的に話す。

 

「救命措置を。《プライドトウジャ》の仕様は聞かされていませんでしたが、それがハイアルファーによるものだと分かったので、機体との同調がマイナスの閾値に達したのを確認してから、准尉を降ろし、その後に《プライドトウジャ》専用のパイロットスーツを用意しました。百五十年以上前の素材からの作成でしたが、図面通りならばハイアルファーに対応出来ているはずです」

 

 その言葉には奇妙な感覚がついて回る。まるで、その言い草では――。

 

「先生は、《プライドトウジャ》の存在を、知っていたんですか?」

 

 その疑問に突き当たってしまった。リーザは眼鏡の奥の瞳に暗い光を湛える。

 

「……分隊長より知らされていました。ですがこれを実効する事はないだろう、とも。基地が占拠される事があっても、これを報せずして投降すればいい、と。ですが相手が知っていた場合、然るべき処置が必要になってくる、という事で、あたしに……ハイアルファー人機専用のパイロットスーツの開発を任せてくださいました」

 

 リーザは知っていたのか。知っていて黙っていたというのか。朦朧とする脳裏に呼び起こされたのは、どうして、という一事だった。

 

「どうして、話してくれなかったんですか」

 

 言ってはいけない事かもしれない。それでも問わずにはいられない。どうして、知っていてあのように振る舞えたのか。

 

 リーザは膝の上で拳を握り締める。

 

「だって……准尉には残酷なほど、この世界の不条理が降りかかっています。そんな人に、これ以上の不条理を、話せるわけがないじゃないですか」

 

 モリビトという栄光から追われた自分。本国からこの基地に左遷された自分。その時点で、もうこの世界の不条理を背負っている。その双肩に、さらなる闇を見せるのは残酷と判断したのだろう。

 

 間違いではない。ただ、ショックなだけであった。何でも話してくれていたと思っていた――妹に似た容貌の少女がこの世界の裏面を知らされていたなど。

 

 リーザには釈明する気もないようであった。

 

「あたしの判断で知らせなかっただけです。准尉が、まさか《プライドトウジャ》に選ばれるなんて、思いもしなかったから……」

 

 桐哉は身に纏っているパイロットスーツに視線を向ける。これが、《プライドトウジャ》に選ばれた証、という事なのだろうか。

 

「このスーツは……」

 

「《プライドトウジャ》のハイアルファーは【ライフ・エラーズ】。文献資料によると、その性能は搭載人機の血塊炉と、操主の脈動を同調させる力です。長い間眠りについていた《プライドトウジャ》の血塊炉は死んでいたも同然。ゆえに、准尉の鼓動は全て停止しているのです。《プライドトウジャ》との過度の同調のために」

 

「じゃあ、俺は死んでいる、っていう事なのか……?」

 

 しかし死んでいるにしては、あまりに感覚が生々しい。枯れているわけでも、朽ちているわけでもない。

 

「ハイアルファーによる擬似的な死の現象の再現です。つまりシグナル上の死。《プライドトウジャ》はそれしか知らないのです」

 

 あまりに考える事が膨大に上った。桐哉は深呼吸する。呼吸も出来る。というのに、自分は死んでいる、というのか。

 

「誤解しないでいただきたいのは、准尉は死んでいるとは言っても、これまでの記憶や何もかもが消えてしまったわけではない、という事です。それこそが【齟齬する生命】の意。身体は一時的な臨死体験を経ていますが、《プライドトウジャ》の解析が進めば」

 

「俺が、生き返れる、とでも?」

 

 リーザは言葉に自信を喪失させる。

 

「……可能性上は、の話ですが」

 

 自分は死んだのか。それだけで、桐哉の中にわだかまっていた全てが色をなくしていくような気がしていた。

 

 モリビトへの憎悪。英雄の座を追われた事への妄執。妹への感情。全てが、意味のない刹那の出来事だったと言われているようで、己の中に生きる価値の一片すら見出せそうになかった。

 

 それを悟ったのかリーザは口にする。

 

「でも、准尉はこの基地のみんなを、守ってくださいました。あたしにとってはずっと……准尉は英雄なんです。守り人、なんです」

 

 その名前がたとえ穢れていても、彼女はそれを信じているようであった。弱々しい小動物のような瞳に浮かんだ涙は誰のためであったのだろうか。

 

 ――愚かに死へと進んでいく自分への手向け? あるいは、この残酷な世界への悲しみ?

 

 否、と桐哉は拳を握り締めた。

 

「……先生。《プライドトウジャ》のところに、案内してもらえますか」

 

「でもっ、まだ治療が……」

 

「俺はもう死んでいるんでしょう? だったら治療なんて」

 

 自棄になったわけではない。それは眼差しで証明出来たようであった。自分は、最後の最後まで足掻きを止めてはならない。

 

 リーザは幾ばくかの逡巡の後に首肯する。

 

「……分かりました。シーア分隊長へと連絡します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この人機、どうにからならないのかよ。百五十年以上前の駆動系だからって、融通が利かないったら!」

 

 ぼやいた整備師に分隊長が声を振り向けていた。

 

「駆動系を、慣らせるのならば《バーゴイル》の予備部品に変えてやってくれ。元々は《バーゴイル》の遠い先祖だ。馴染むはず……」

 

 不意に振り向けた視線が自分を捉える。リーザに支えられた形の桐哉にシーアは言葉をなくしたようであった。

 

「分隊長……」

 

「クサカベ准尉……」

 

 お互いに言葉を持て余す。しかし迷っているような時間はないはずであった。

 

「分隊長は、正しい判断をされました」

 

 その言葉にシーアは出鼻をくじかれたように沈黙する。

 

「その正しい判断で、どうか導いてください。自分は、どうするべきですか? どうすれば、この基地のみんなを、守れますか」

 

 シーアは最も残酷な決断を任される事だろう。しかし、それすらも過ぎた事なのだ。過去はもう終わった。未来のために、命令が欲しかった。

 

 シーアは桐哉の目を真っ直ぐに見据える。

 

「クサカベ准尉。この基地に残された戦力は最早、君の《プライドトウジャ》と、修復中のバーゴイルもどきのみ。リゼルグは一人でもやると言っているが、この基地を……守り通すのには君の力が不可欠だ」

 

 桐哉はリーザの支えから離れる。もう、死んでいる身体だ。しかし出来るだけ真っ直ぐに立とうと思った。

 

 誇りを持って、自分にしか出来ない事を成し遂げるために。

 

「命令をください。自分に、この基地のみんなを守り通せるだけの命令を」

 

 シーアは一瞬だけ面を伏せたがすぐに持ち直した。

 

「桐哉・クサカベ准尉。命令を下す。これはしかし、上官としてではない。軍人としても失格だ。だからこれは、純粋にお願いである。君だけが頼みの綱だ。この基地へと、つい先刻、攻撃命令が出ている事が発覚した。C連合がオラクル残党を刈り取るために軍を派遣する。またしてもここが、陰惨な戦場となる。しかも今度は、守り通す術がない。C連合はこの期を逃さない。恐らくは盤面を覆す一手とするはずだ。ゾル国との緊張状態は表向きは解かれないだろう。オラクルの残党処理、という名目で上は黙認している。《プライドトウジャ》の事はわざと通していない。わたしは、本国に背いた。既に重罪人に等しい。本国はどうせ、この基地を切り捨てる。次いでに英雄と謳われた君も排斥出来ると一石二鳥のつもりだろう。だが、桐哉・クサカベ准尉。君と、君を選んだ《プライドトウジャ》ならば可能性はある。ただの、罪人として願う。――わたし達を助けて欲しい」

 

 ここにいるのは全員、罪を背負った者達だ。リーザでさえも禁忌に手を染めた。

 

 ならば、毒を食らわば皿まで。桐哉は整備デッキに佇む《プライドトウジャ》を仰ぐ。

 

 黒色の特殊ガラスの奥に赤いデュアルアイを隠している。この機体で今度こそ、皆を救うのだ。

 

 英雄として。

 

 たとえ誰にも褒められなくとも。誰にも尊ばれなくとも。この戦いは守るための戦いである。

 

 ならば、「モリビト」の名前を手離すわけにはいかない。

 

「桐哉・クサカベ。任務を遂行します。……俺も、この基地の一員として守りたい。みんなの命を」

 

 今度こそ、真の意味で「モリビト」になれるのならば。誰かに担がれるのではなく、己の意思で、守り通す。

 

「《プライドトウジャ》をいつでも出せるようにしておこう。それがわたしに出来る精一杯だ」

 

 シーアは整備班と共に《プライドトウジャ》の完成を急がせているようであった。桐哉は身を翻しかけて、デッキの奥に佇む影を視界に入れた。

 

「リゼルグ曹長……」

 

 彼は静かな面持ちのままくいっと顎をしゃくる。来い、という意味だろう。

 

 リーザが腕を引き、首を横に振る。しかし、今は請け負う必要があった。

 

「先生、いいんです。今は、男同士の話がしたい」

 

 松葉杖を片手に桐哉はリゼルグの待つ格納庫の裏手へと辿り着く。

 

「そんなんで、守り通せるってのかよ」

 

 相変わらず挑発的だが、今の彼に漂っているのは問い質す空気だ。桐哉は静かに首肯する。

 

「俺が、守る。守り通したい」

 

「傲慢だねぇ、英雄さんは。言っておくがよ、C連合は本気みたいだぜ。《ナナツー参式》を正式採用し、今回新型も出て来るって話だ。結局のところ、こんな辺ぴなところに追放された人間達はみんな、刈り取られる運命って寸法よ。本国からも見捨てられ、運命からも見離され、ここにあるのは何でもない、刈られるためだけの命だ。踏み潰されるだけの虫けらなんだよ」

 

「俺は、自分達を虫けらだとは思った事はない」

 

 リゼルグはその言葉に自嘲気味に返した。

 

「戦力はこちとら、バーゴイルもどきとどこの馬の骨とも知れない人機が一機! こんなので、何が守れるって言うんだ! 何が、この戦いの先に待っているって言うんだよ!」

 

 リゼルグの拳は震えていた。振るう先のない力が彼の中で燻っているのが分かった。

 

「俺を殴るので、気が済むのなら」

 

「それならもう殴っているさ。英雄さんよォ……ついぞ、分からなくなっちまった。相棒が死んで、この基地もどこからも見捨てられて、残されたのがあんただってのに……、分からないんだ。何を憎めばいいのかも。誰を恨めば、この戦いが終わるのかも、全く分からないんだよ……!」

 

 自分達はこのまま、刈り取られるだけの命で終わるのか。

 

 ――否、と桐哉は心の奥深くで感じていた。この世に刈り潰されるだけで終わる命などあって堪るか。たとえその価値を見出せなくとも、命は等価なのだ。理不尽な現実を前に、どのような命であっても、等しく輝く機会がある。

 

「リゼルグ曹長、俺は《プライドトウジャ》に乗る。乗って、みんなを守る」

 

「……出来るのかよ、英雄さんには」

 

「やらなければならない。俺がやらねば、誰がやる」

 

 その資格があるのならば、どこまでも悪魔に魂を売り渡そう。死者の足掻きであっても、最後の最後まで醜く足掻いて見せよう。

 

 リゼルグはフッと笑みを浮かべ桐哉を改めて見据えた。

 

「……桐哉・クサカベ。あんたを尊敬は出来ない」

 

「分かっている」

 

「むしろ、恨んでさえいる。相棒を死なせた、無能だとも」

 

「それも、分かっている」

 

「――だが、今はそれ以上に、頼っている。あんたがこの世界の最後の希望とさえも、思えてくるほどに」

 

 振るわれそうになった拳は、桐哉の胸元を叩いた。まるで覚悟を問い質すように。

 

「いいんだな?」

 

 その問いに全てが集約されていた。

 

「ああ。俺が勝つ」

 

 ちょっと前には諍いの道具でしかなかったその言葉に今は何よりも救われていた。リゼルグは笑みを浮かべ、桐哉の肩を叩く。

 

「だったら、見せてくれよ。俺達に、希望が輝く瞬間ってのを」

 

 立ち去っていくリゼルグの背中を見やり、桐哉は堅く決意した。もう、守り通すと決めた。これ以上、何も失って堪るか。

 

「もう、迷わない。俺は、全てを守る、守り人だ」

 

 この手に力が宿ったというのならば見せてみろ。最後の一滴になるまで命を吸い尽くし、世界に抗う事を証明してみせる。

 

 


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