たった二人の親衛隊は一晩でデッキの《バーゴイル》を全て破壊し、通信網を麻痺させた。これで本国との連絡は取れなくなった。
本国は自分達を見捨てたのだろうか。あるいはシーアが諦め調子なのはそれもあったのかもしれない。
桐哉は後ろ手に拘束されたまま、自傷防止用にマット素材が施された拘留室で朝を迎えた。
敵はたった二人。何も恐れる事はない、と進言したかったが、自身の《バーゴイルスカーレット》は大破し、他の機体の当てもない。敵がバーゴイルもどき一機だとしても、今は人機相手に取れる戦力が一つもないのだ。
大人しく拘留されていた桐哉は開いた扉の先に佇む人物に視線を据えた。
「案外に大人しいのだな。モリビトとやらは」
その名前を使うな、と声を荒らげたくなったが、今は我慢の時だ。ぐっと奥歯を噛み締め、桐哉は言い返す。
「何のつもりだ? 言っておくがゾル国が今は大人しくても、この事を知れば分からないぞ。本国の軍部は加減など知らないのだからな」
「忠言痛み入る。さすがは本国からエースの証を賜った人間、と言ったところか」
いちいち癇に障る物言いをする。レミィと呼ばれた親衛隊長は重々しい式典服に着替えていた。
「オラクルの矜持はどうした? オラクルは、C連合のただの小国だったはずだろう?」
「平和主義国家。それが我が国の矜持だ」
「だったら、どうしてこんな真似をする? 辺境地を襲って……それが国家の大義とでも言うのか」
責め立てる桐哉の声音にレミィは落ち着き払って返す。
「大義とは、常に勝利の上にあるものだ。勝者の高みに輝く大義を振り翳すのには、常に勝たなくてはならない。それがたとえ雑魚でも、全力を尽くすまで」
「オラクルは何がしたい? 何のためにゾル国に仕掛ける? この先に待つのは破滅だけだ」
その言葉振りにレミィは冷酷な笑みを浮かべる。
「モリビトと担がれた人間にしては小事にいちいち小言を並べ立てる。ゾル国に仕掛けたのではない。この地に仕掛けたまで」
「詭弁だ。辺境とは言え、ここはゾル国領地だぞ!」
声を荒らげた桐哉にレミィは、うむと首肯する。
「知っているとも。だが、我々は勝利のために行動するのみ。この地に眠る、と伝え聞いたのは、我が国家に《バーゴイル》をもたらした武器商人風情からであったが、その信憑性は調べれば調べるほどに確かなものとなっていった」
「……何の話を」
「これからの話をしているのだよ、英雄。我々がこの場所に、何の考えもなく貴様らの臭いの染み付いたカラスで仕掛けたとでも? 全ては、古の盟約と共にある」
レミィの口にする事柄の意味を、桐哉は一欠片も理解出来ていない。呆然とする桐哉にレミィは鼻を鳴らす。
「……まぁすぐに分かる。支度をさせている。もうすぐ出発だ」
「出発? どこへ行く?」
振り向いたレミィが顎をしゃくる。部下が桐哉の拘束具を留めて拘留室から出した。
「この基地の最深部へと」
どういう、と言いかけた桐哉の背筋を部下は蹴りつけた。
「静かにしな、坊ちゃん。親衛隊長の前だ」
「いい。もう一人の《バーゴイル》乗りは?」
「うるさいんで鎮静剤を飲ませておきました。今は大人しく眠っていますが」
リゼルグに危害が及んだのか。桐哉は改めてレミィを睨み据える。
「……基地のみんなを危険に晒すような真似は、許さない」
「さすがは名高いスカーレット隊の一員か。事ここに至っても、まだ勇気を振り絞れる」
ぐっと歯噛みする桐哉に部下が先に行くように促した。
「隊長殿を困らせるな!」
怒声と暴力に桐哉はレミィを睨む。
レミィは数人のゾル国の人員を連れていた。その中には分隊長、シーアの姿もある。
「分隊長……」
「すまない、クサカベ准尉。従うのが一番なんだ。これは、わたしがこの基地を預かった時より与えられていた使命の一つでもある」
「古の盟約に従うのならば、あの機体の重要性は一番に理解しているはずだからな。その機体の識別信号の事も」
レミィの言葉にシーアは面を伏せた。
「全て……承知の上か」
「当たり前だ。さぁ、案内してもらおう」
シーアが先頭に立ち、レミィと部下に挟まされる形で桐哉が同行する事になった。
整備班の人々は不安に顔を翳らせている。
十五人程度の人々が向かったのは整備デッキの地下格納庫であった。本来ならば余剰パーツの収納場所であるところの空間の一面へとシーアが顎をしゃくる。
「ここだ」
部下が歩み出て壁を叩いた。直後に仕掛けたのは爆弾である。全員が下がり、部下がスイッチを押し込んだ。
爆風は分散され、壁の向こう側に集約されたようであった。
部下が蹴りつけると壁はまるで張りぼてのように簡単に引き剥がされた。
その向こうに広がっていたのは黴臭い整備デッキだった。直上の格納庫とほぼ同じサイズの地下空間が広がっている。
階段を降りながら桐哉は周囲を見渡した。
まさかこのような秘匿された空間があったなど思いも寄らない。
「桐哉・クサカベ。お前はどこまで知っていてこの場所に飛ばされてきた?」
レミィの質問に桐哉はシーアへと目線を配る。彼はしっかりとこちらを見据えて頷いていた。
「……何も。ただの本国の辞令だけだ」
「そうか。その様子だと本当に何も知らなかったようだな。だが、モリビトの脅威から国家を守るための切り札として、自分が用意されたとは思っていないか」
――モリビトから国家を守る切り札?
そんなはずはない。むしろ、その逆のはずだ。モリビトと戦場から遠ざけられ、自分は未来永劫、前線に出る事は出来ないのだと思っていた。
「分隊長、貴様は知っていたのか?」
「……話にだけは聞いていたが、誰も動かせまい。あれはわたしの先代の分隊長が任せられたものだ。データの上でしか聞いていないし、実物を目にした事もない」
何を言っているのだ。レミィとシーアの間で降り立っている了承に桐哉は辟易する。
「オラクルが、何を知って……」
「元々、オラクルという国家にも伝説として伝わっていた代物だ。いや、どの国家でも知る人間はいた。ただその存在に確証を持てるものはなく、全ての資料は闇に葬られてきた。その存在を浮き彫りにした遠因は、ブルブラッドキャリアの脅威とモリビトにある」
階段を降りれば降りるほど、青い粒子が周囲に漂っているのが窺えた。まさか、と桐哉は息を詰める。
「これは、汚染大気じゃ……」
「安心するといい。外に繋がっているわけではない。ここに封印された機体から漂っているものだ」
次第に濃くなっていく濃紺の大気に桐哉は無意識的に息を止めようとしていたが、レミィも部下も、シーアを含めた整備班も誰もマスクをしようとはしない。
立ち止まったのは様々な認証キーで封じられた扉であった。カードキーに網膜認証、静脈認証だけではない。古くからあるパスワード認証に声紋認証まで備わっていた。
「こんなの、誰が開けられるって……」
その視界の中でシーアが前に歩み出た。全ての認証コードを一つずつ解いていき、最後にパスワードを打っていた。
「分隊長、何を……! 連中はテロリストですよ!」
「いや、わたしが任せられたのはこれを知る人間へと明け渡す事だ。そして、その答えを示す」
扉が重々しく開いていき、中から色濃い粒子が棚引いた。桐哉は呼吸を止めようとしたが、それに比してレミィは感嘆したように前に出る。
「これが……封印された技術の一つか」
扉の向こうは格納庫が広がっていた。だが、上にあった空の格納庫と違い、一機の機影が視界に入る。
その一機のためだけに据えられたデッキは侵入と同時に照明が点くように設計されていたようだ。
明かりに照らし出されたのは漆黒の人機であった。
特徴的な細身の機体は見違えるはずがない。
「《バーゴイル》、だって……?」
「そうか。お前らにはこれが《バーゴイル》に見えるか」
細身の機体ではロンド系列か《バーゴイル》しかない。だが、頭部形状が僅かに異なっている。内部にアイカメラを擁した凹凸のある頭部は《バーゴイル》ともロンドとも違う。
「分隊長。この機体の真の名前を」
歩み出たシーアは罪の告白のように機体の名前を紡いでいた。
「正式名称《プライドトウジャ》。百五十年前以前に製造された、禁断とされる三種の人機の一角だ」
《プライドトウジャ》と呼ばれた機体は各所が青く染まっていた。結晶化している部位はまるで傷痕の如く亀裂が走っている。
「これは、《バーゴイル》じゃないのか? トウジャ?」
「そうか、英雄殿は知らない様子だ。この惑星の原罪を」
振り向いたレミィはシーアへと先を促させた。シーアは《プライドトウジャ》と呼ばれた機体を仰ぎ見て呟く。
「……百五十年前だ」
その言葉に桐哉はブルブラッドキャリアの宣戦布告を思い出す。百五十年前の原罪。ブルブラッドキャリアが惑星圏へと報復攻撃する理由。
「テーブルダスト、ポイントゼロと呼ばれる領域で血塊の大噴火が起きた。その噴火が原因で、惑星は青く汚染され、今日のブルブラッド大気汚染が生じたとされている。だがこれは一面では嘘、虚偽である」
「虚偽、だと……」
「惑星を汚染したのはブルブラッド大気だけではない。それによって生み出された三機の禁断の人機が、惑星の土壌を冒し、水を穢し、空気を濁らせた。禁断の人機の名前を知る者は今、限られているが誰でもこの情報にはアクセス出来る。しかし、アクセスした者の行方はぷつんと途切れるのだ。それは我々より高次の存在が、この惑星を掌握しているからと考えられる」
「陰謀論だ。そんなの、あるわけがない」
言い返した桐哉にレミィは薄く笑う。
「果たしてそうかな。分隊長、真実を話してもらえるか?」
分隊長は震えながら顔を覆った。
「……先代分隊長より預かったこの基地の秘密はあまりに重々しいものであった。《プライドトウジャ》。トウジャタイプと呼ばれるこの機体は、百五十年前に惑星汚染の原因を作った三機の忌むべき人機の一つ。それぞれ、トウジャ、キリビト――そして、モリビト」
その名前に桐哉は慄く。今、シーアは何と言ったのか。
「モリビト、だって? でもその名前は」
「そう、つい最近までゾル国の英雄の名前であった。本来の意味からは外れていたが、それがこの惑星における栄誉ある名前であったのだ。しかし実際は違う。モリビトは禁断の兵器の名前だ。惑星汚染の原因となった三種の人機はそれぞれ封印され、残された人々には技術体系として失われた。人機建造に際して、必要な知識として、我々は三つの人機のみ製造を許された。それぞれ、《バーゴイル》、ロンド、《ナナツー》」
まさかそれさえも自分達よりも高次の存在の仕業だとでもいうのか。桐哉は叫んでいた。
「馬鹿な! そんなものオカルトだ! 人類が何者かにその技術を秘匿されてきたなんて」
「しかし事実として、この機体は全くの別種として存在している。英雄殿の拘束を解け」
その言葉に部下が桐哉の手錠を解除する。
「何を……」
「乗れ」
端的に告げられた命令に桐哉は硬直する。
「何だって?」
「この機体に搭乗し、その証を示してみせろ」
「……正気なのか? 俺は人機操主だ。これを使って、逃げおおせる事も」
「出来るのならばやってみるといい」
レミィの言葉はどこまでも自分を試している。桐哉は青く発光する結晶を抱いた《プライドトウジャ》を仰いだ。
「やめろ、オラクルの親衛隊の長よ。これがどのような代物なのか、君らは知っていて言っているのだろう」
レミィはしかし、いささかのてらいも見せない。
「だから何だ? 全ては彼が決める事。乗るか、乗らないのか」
「……最初からこのつもりだったのか」
口走ったシーアの言葉尻に苦々しいものが滲む。桐哉は内奥にデュアルアイの眼窩を持つ機体の頭部を睨み据えた。
掌の中で滲んだ汗に、桐哉はレミィへと視線を据える。
「乗れれば、いいだけなんだろう?」
「そうだ。乗れればいいだけの事。我々から逃げるも、我々を殺すも好きにすればいい」
桐哉の中に迷いはなかった。所詮は人機だ。操れぬわけがない。
しかしシーアは頭を振った。
「やめたほうがいい、クサカベ准尉。魂を売り渡す事になる」
「分隊長、しかし、ここで乗らなければ彼らが乗る算段でしょう」
「その通りだ。我々が接収し、オラクル再建の礎とする」
ならば、自分一人の犠牲で済むうちに。好機は逃すべきではなかった。ここで《プライドトウジャ》を乗りこなせばこの基地は生まれ変わる。新たな戦力を抱けば本国からも目をかけられるかもしれない。
「分隊長、自分は乗ります。乗らせてください」
シーアは、ああと呻く。
「こんなはずではなかったのに……」
「いずれはこの道を辿っていたはずだ。モリビトがこの星に宣戦布告をした時点でな」
桐哉はタラップを駆け上がっていた。誰も止めようとしない。不気味なほどに全員が固唾を呑んで見守っている。
頭部コックピットの造り自体はシンプルだ。ハッチのハンドルを引けばすぐにでも搭乗可能だろう。
桐哉がハンドルに手を伸ばした途端、青い苔のような侵食体が不意に手へと染み渡ってきた。
咄嗟に手を払ったが、手の甲にこびりついたそれを剥がす手段はない。
逡巡したが、レミィはこちらをじっと見ている。この程度で臆すのならば資格はない、とでも言いたげだ。
これも含めて試練なのだろう。桐哉はハンドルを握り締める。青い苔が指先から瞬時に肘まで侵食する。ハンドルを引いた瞬間、内部にわだかまっていた結晶体が弾け飛んだ。
コックピットは単座式のスタンダードなものだ。結晶がモニターを冒しているものの、起動させれば難なく引き剥がせるであろう。
単座コックピットに座り込んだ瞬間、背面に気配を感じた。直後に桐哉の肩口に襲いかかったのはプレート型の機具であった。
両肩に接着した瞬間、激痛が走る。全神経に無理やり針でも通されたかのような感覚であった。
研ぎ澄まされた神経の一つ一つの痛みが明瞭になるにつれてモニターにステータスが浮かび上がってくる。
OSの起動画面が表示され、桐哉はその中の一文を目にしていた。
「〝戦闘を続行しますか?〟だって……?」
起動準備画面にそのような表記がある人機など聞いた事がない。桐哉はタッチディスプレイの下部にある「YES」の表示を押し込んだ。
瞬間、機体の内奥が震える。オォン、と咆哮する声がどこかで耳朶を打った。
《プライドトウジャ》の機体名と製造年月日、さらにデータ照合画面が矢継ぎ早に点滅し、最後に桐哉のパーソナルデータへと直結する。
震撼したのは桐哉のバイタル、脳波、心拍数、血圧などが全て、リアルタイムで反映された点だ。
人機にそこまでの権限を許しているものは存在しない。
――これは人機ではないのではないか。
そのような疑問が脳裏を掠めたのも一瞬。直後に、桐哉は左胸へと鋭い痛みを感じた。
鼓動が早まっていき、爆発寸前まで高められる。
「心臓が……弾け飛ぶ……!」
息も絶え絶えに桐哉はパーソナルデータを見やった。「起動準備中」と表示されたサインは鼓動が限界に達するにつれて進行バーを伸ばしていく。
バーの進行速度は鼓動の速さと同じだ。百パーセントになる頃には心臓が砕けてしまう。
中断のポップアップに手を伸ばしかけて桐哉は既に四肢の自由を奪われてる事に気づいた。
神経が自分ではない何かに接続されていく。
心音が同調するのは人間ではない存在だ。
青く染まっていく視界の中、桐哉は前面に浮かび上がった悪鬼の笑みを目にしていた。
――この人機に、取り込まれる。
悪鬼が微笑んだ瞬間、桐哉は操縦桿を引いていた。せめて、レミィらオラクルの連中を巻き添えにしようとしたのだ。
だがその思考も虚しく《プライドトウジャ》を支配する何かに吸い尽くされていく。
同時進行で実行されている別のプログラムが四肢神経を奪っているのだと、桐哉は気づいた。
別のプログラムが桐哉の視神経にその名前を告げる。
「ハイアルファー……【ライフ・エラーズ】……何だ、これは」
聞いた事もないプログラム名に戦慄するよりも先に、桐哉は全身から力を凪いでいく存在に目を向けた。
肩に吸着した部品さえ剥がせば、と指先に力を込めようとするが、肩の機具は肉に深く食い込んでいて離れない。
まるで拷問機具だ。
身体の内側から別の存在に書き換えられていく。
助けを呼ぼうとして、頬を伝った涙が青く染まっている事に気がつく。
最後に桐哉が幻視したのは、燐華の後姿であった。
どこか遠くへと駆けていってしまう妹の後姿に手を伸ばそうとして、鼓動が爆発速度に達した。
パン、と軽い音がコックピットで弾ける。
桐哉は機械に抱かれながら首を項垂れさせた。