ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯47 生け贄の仔羊

 振る舞われたのは見た事のない赤い生物であった。部下達が苦言を漏らす。

 

「隊長、こいつは食い物なんですかね?」

 

 ガエルは爪を研ぎつつ、顎でしゃくった。

 

「そいつは〝サシミ〟ってヤツだ。覚えておけ。コミューンの一握りの連中だけが食える。昔、この真下でうようよいたサカナってヤツを掻っ捌いたもんだ」

 

 真下、と足で叩いた先には命の一欠片すらもない汚染された海が広がっているはずであった。

 

 部下達が目の色を変えてサシミにありつく。食いながらその感想を口にしていた。

 

「生臭いですね」

 

「まぁ、元は活きのいい生物を死ぬまでに切り刻んだもんだからな。生臭いとすりゃ、そいつは生物の証だ」

 

「でも、海中の生態系はブルブラッド大気で一番早く絶滅したって話じゃないですか。これも模造品でしょう?」

 

「さぁな。オレらにその判断は出来ねぇよ。だって本物なんて知らねぇんだもん」

 

「違いありませんね」

 

 部下達はサシミを口にする者。持て余して酒を呷る者とまちまちであった。酒だけはこの紺碧の空気の中でも裏切らない。

 

 酒と煙草と女だけが、生きている証拠のようなものであった。

 

 ガエルが煙草に火を点けようとして一人の将官が咳払いする。

 

「悪ぃ、禁煙か?」

 

「ガエル・ローレンツ様。こちらへ」

 

 煙草を折り曲げ足で踏みしだく。歩み出したガエルに部下達が声を振り向けた。

 

「隊長、どちらへ?」

 

「野暮用だ。てめぇらはサシミでも食ってろ、って話かもな」

 

「ああ、別に自分達はいいですよ。この待遇でも充分」

 

 元々戦場を練り歩くのが商売の無頼の輩ばかりだ。寝床も一人ずつきっちり用意されている待遇に一切文句を挟まない。

 

 将官の背中に続きながらガエルは質問を浴びせた。

 

「なぁ、軍人さんよ。あんたら、オレらをどうしたい? 餌付けして、いいように扱いたいんなら金を出しな。きっちりと報酬さえもらえればどんな戦場だって行くからよ。あんな……サシミみてぇな、ガキの駄賃にもなりゃしねぇ代物を食わせられるよりかぁ、マシだぜ」

 

「驚きましたね。戦争屋でもサシミは知っているのは」

 

 ガエルはフッと自嘲の笑みを浮かべた。

 

「昔、まだ軍属だった頃に食った事があるんだよ。その頃食ったサシミは不味かった。生き物から取った代物って聞いて吐くヤツもいたくれぇさ。でもよ、考えると変な話だ。オレ達は平気で略奪する。ガキでも何でも関係ねぇ。殺し、血の臭いなんて飽きるほど嗅いで来た連中がサシミで吐くんだぜ? 笑いものだろ?」

 

 将官には伝わらないジョークだったのか、相手は笑いもしない。ガエルは堅牢に固められた壁に手をついた。

 

「随分と厚待遇だよな。どこの国の船舶かは明かされないまま乗ったが、オレには分かるぜ。この駆動音、船内の造り……ゾル国か」

 

「あまり賢しいのはお勧めしません」

 

「賢しくあるつもりなんてねぇさ。てめぇらがマヌケなだけだよ」

 

「……戦争屋の分際で」

 

 吐き捨てた将官にガエルは言い返しもしなかった。その通りであったからだ。自分達は戦争屋、どこの国にでも尻尾を振る卑しい連中である。

 

 だが、そのような下賎な人間に高額を積んでまで投資したい人間の顔は、是非一度でも見てみたいとガエルは思っていた。

 

 鬼を飼う人間とはどういう面構えをしているのか。

 

 それを一目見るだけでも価値はある。そのためならばどれほどまでに窮屈な船内でも我慢くらいは出来た。

 

 しかし、思っていたよりも自分達に対して待遇は甘い。戦争屋だと分かっているのかいないのかガエルは首を鳴らした。

 

「なぁ、あんた。戦争をやった事はあるのか?」

 

「戦争? 野蛮人の戦場など」

 

「んだよ、戦場童貞か」

 

 その言葉に将官が立ち止まった。ガエルは口角を吊り上げてみせる。

 

「……戦争をした事があるのが、そんなに偉いのか」

 

「さぁな。ただ事実を言ったまでだろ?」

 

 掴みかかってくるか、と構えたが予想に反して将官は冷静であった。

 

「……ついて来い。まだ作戦概要も頭に入れていない」

 

「意外とアツくならねぇのか」

 

「ここで熱くなったところで……」

 

 そこから先は聞こえなかった。開けた場所に出たかと思うと、帽子を被ったもう一人の将校が将官を顎でしゃくる。

 

「ご苦労だった。それにガエル・ローレンツ。お初にお目にかかる」

 

 差し出された手にガエルは胡乱そうに返していた。

 

「名も名乗らないのかよ」

 

「我々は総体だからね」

 

「総体? 軍の事を今はそう呼ぶのか?」

 

「軍部、か。まぁ、今はそういう勘違いでも構わないだろう」

 

 帽子の将校はタラップを指し示す。道を譲った将校にガエルは毒づいた。

 

「落とし穴でもあるんじゃねぇのか?」

 

「安心するといい。君の待遇は保証する」

 

「どうかねぇ。オレらなんて戦争屋だぜ? いつ死んでも、殺されてもおかしくはねぇ身分だ」

 

「なに、買っているとも。君の実力は」

 

 将校が片手を上げる。途端、重々しい音と共に照明の光が網膜に焼き付いた。

 

 濃紺の機体が光を受けて照り輝く。赤いケーブルが全身に纏い付いていた。

 

「未完成のまま譲り受けたものだが、あと二日もあれば完成する」

 

 頭部には一本の角がある。異色の頭部形状と細身のシルエットから基になった機体を割り出すのは難しくなかった。

 

「《バーゴイル》か。するってぇと、てめぇらやっぱりゾル国の」

 

「鋭いな。だが《バーゴイル》なのは当たりだが、ゾル国の息のかかった軍人ではないよ。我々はね」

 

 含むところのある言い草にガエルは《バーゴイル》にしか見えない機体を指し示す。

 

「こいつに乗れってのか?」

 

 肩口には反り返った漆黒の巨大な刃があった。背筋からは刺々しいテールスラスターが伸びている。

 

「《バーゴイルシザー》だ。君の愛機となる」

 

「オレは別に機体の選り好みはしないけれどよ、愛機になるって言われたのは初めてだぜ」

 

 けっと毒づくと、将校は一枚のチップを手渡してきた。指先ほどもない小型の情報端末だ。

 

「何だ、これ?」

 

「このまま乗ってもらうのはいささか目立つのでね。それに記録されている機体にID上では偽装させてもらう」

 

 ガエルはチップを端末に埋め込みIDを読ませる。表示されたID機体に息を呑んだ。

 

「こりゃあ……」

 

「どうかな。その機体になったつもりでやってもらいたい任務がある」

 

「おいおい、てめぇら、オレを正義の味方にするとか抜かしてたからここまで来てやったが、このIDじゃ……」

 

「心配する必要はない。君は正義の味方になる。IDの切り替えはワンボタンだ。作戦実行後に君のIDは書き換わる。不安はないはずだ」

 

 やけに冷静な将校の言葉にガエルは睨み据えた。

 

「大ありだ。てめぇら、何を企んでやがる? 戦争屋を吹っかけるだけでもイカレなのに、こんなのどこから手に入れた?」

 

「少数派からだよ。彼らは多数派を黙殺しようとしている。我々は少数派に支配される世界をよしとしない者達だ。意見のある多数派と言ってもいい」

 

「その意見ある連中にしちゃ、随分とやり方が違法じみているぜ。このIDもそうだが、解せねぇのはこの機体の在り処も、だ。新型人機の無断開発は国際条約で違反のはずだろ?」

 

「おや、それは可笑しな事を言うな。君は国際条約など何のそのな無頼の輩のはずだ。だからこそ、この依頼を完遂出来ると思ったのだが」

 

 ガエルは舌打ち混じりにチップを投げ捨てた。そのまま足で踏み潰す。

 

「ふざけんな。割に合わない仕事はやらない主義なんでね。こんなもん、リスクがあまりに高い。オレらは撤退させてもらうぜ」

 

「外は有害大気と一面が海だ。どこに逃げる?」

 

「部下がてめぇらみたいな連中に備えて人機をいつでも呼べるようにしてある。しくじったな、てめぇら。一面何もない海上でどうやって逃げ延びる?」

 

「はて、その人機とは、これの事かな?」

 

 将校が端末を取り出してガエルへと転がした。投射画面に映し出されていたのは、もしもの時に備えていた人機部隊の駐在地点が黒煙を上げている映像であった。

 

「これは……!」

 

「我々は多数派であるがゆえに、手の打ちどころはきっちり備えていてね。用心深い君の事だ、部下には伝えているはずだと思っていたよ」

 

「だったら! 今すぐオレの部下がてめぇらを殺しに来るぜ! 十分もない距離だったからな。オレが端末でワンコールすれば……!」

 

「端末でワンコール、か。こっちもそうだ」

 

 将校が端末を取り出す。相手がコールした途端、端末から聞き慣れた部下達の呻き声が聞こえてきた。

 

『何だこれは……、まさかガス? 隊長! 隊長!』

 

「おい! 何やってんだ、てめぇ!」

 

「高額の前払い金があったはずだ」

 

「そうだ! 全員の頭数分――」

 

「勘違いはそこから、だな。あの金は君一人に全部積んだんだ。君の部下まで評価したわけではない」

 

 断末魔の叫びが迸り、数秒もしないうちに沈黙が訪れた。残してきた部下達は全員死んだ。茫然自失のガエルへと将校が口にする。

 

「さて、戦争屋、ガエル・ローレンツ。これで君の任務を邪魔する者は一人もいなくなった。君もこちら側だ。名前のない多数派になれる」

 

 覚えず掴みかかっていた。しかし将校は能面のような面持ちを崩す事はない。背筋にひりひりとした殺気を感じる。もう一人の将官が銃口を向けているのが振り向かずとも分かった。

 

「イカレが……! てめぇら何がしたい!」

 

「言った通りだ。正義の味方だよ、戦争屋君。もっとも、今まで正義の味方とは少数派を示してきたが、これから先は名前と顔のない多数派の事を示すようになる」

 

 銃口を顎に押し当てる。それでも相手は眉一つ動かさなかった。

 

「……死ぬ事が怖くねぇのか?」

 

「死? そりゃあ怖いとも。だがね、総体の概念において個体の死はそれほどに問題ではないんだよ」

 

 ガエルはこの将校が本当に死を恐れていない事を実感する。それどころか、自分の命でさえも勘定に入れているようだ。

 

 突き飛ばし、ガエルは眼前の人機を見やる。

 

「……こいつで何をすればいい?」

 

「考えが変わったのかな?」

 

「考え? んなもん、最初から変わっちゃいねぇ。オレは金を積まれれば何だってやる、戦争屋だ。部下が死んだからって感傷的になるような人間らしさは端からねぇのさ」

 

 立ち上がった将校が新たにチップを取り出す。先ほどのもののコピーだろう。

 

「それでこそ、正義の味方だ、ガエル・ローレンツ。君の勇気は賞賛に値する」

 

 チップを引っ手繰り、ガエルは《バーゴイルシザー》を睨んだ。

 

 これから先、自身の愛機になる、と宣言された機体は静かにガエルの眼光を睨み返していた。

 

 


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