ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯46 対立者

 情報は光の速度に等しい。

 

 そのホテルの一室に訪れた時、タチバナは相手の手持ちを熟知していた。ほとんど神業に等しいそれを可能にしたのはタチバナが複数持つ伝手である。

 

 今から会うユヤマという男の素性。彼が得意とする論法。持ち出されるであろう情報。全てが手の内にあったと言ってもいい。

 

 タチバナがホテルの扉をノックしたその時点から勝負は始まっていた。

 

 ユヤマという男を制する術。こちらの思惑通りに転がす戦いが。

 

 ユヤマは人のいい笑みを浮かべ、糸目でタチバナを見やった。

 

「ようこそ、プロフェッサータチバナ」

 

「仰々しい呼び方はよせ。ワシは所詮、ただの人機開発のオブザーバーに過ぎん」

 

「まぁそう仰らずに。こちらの席にどうぞ」

 

 ソファから望める景色は一等地だ。この部屋を借りたユヤマの判断は間違っていない。防弾、防音に優れた素材の壁とガラス。無論、盗聴の類も心配要らない部屋だろう。辺ぴな場所で交渉をするよりかはずっと信用出来る。

 

「それで? 何が望みだ?」

 

「いきなり切り込んできますね。それほどお忙しいので?」

 

「つまらぬ話題ならば、な。ワシは一応技術顧問だ。時間は有り余っているわけではない」

 

「人機開発は日進月歩です。人間が手に入れた数々の技術の中でも、群を抜いて素晴らしい技術でしょう。……しかし、妙ではありませんか? どうして人機だけこうも発達したのか」

 

 やはりこの男、百五十年前の災厄を知っていてこちらを試しているのだ。タチバナはあくまでも相手に言わせるつもりであった。

 

「それは歴史を紐解けば分かる。人機の開発はそもそも、人間の叡智の結晶であった」

 

「最初期の人機は人型特殊才能機と呼ばれ、人間の才覚、つまり純粋に工業用として造られたそうです。人間の手足となって動く機械。それがいつしか鋼鉄の巨神となり、ブリキ細工の巨人達が跳梁跋扈する戦場を生み出した。誰がこの地獄にしたのでしょうか? 誰が、地上をこんな風にしたのでしょうか?」

 

「それも、歴史を紐解けば分かる事」

 

「プロフェッサー。アタシはね、人機もそうだがこの世界、何かが隠されている気がしてならんのですよ」

 

 この男はどこまで知っているのか。秘匿された技術に封印された人機の事まで知っているとなれば各種諜報機関から追われても仕方のない身分。

 

 この一室にもいつ、諜報員が突入してこないとも限らない話題だ。

 

「それはとてつもなく不幸な身分だな。そんなもの気にしない人間ならばよかったのに」

 

「アタシもそう思います」

 

 笑ってみせたユヤマだったがその喜悦の笑みにはどこか闇が見え隠れする。

 

 暗黒だ。この男は暗黒を直視している。タチバナは試す言葉を放っていた。

 

「百五十年前、と言っていたな。何が起こったと推測する?」

 

 調べれば誰でも分かる事。だがこの世界では誰もが口を閉ざす事。

 

 それを恐れずに言えるのか。一種の賭けでもあった。

 

 ユヤマはしかし、恐怖心などまるでないかのように言ってのける。

 

「テーブルダスト、ポイントゼロの噴火現象でしょう? 子供用の百科事典でも載っています」

 

 肩を竦めたユヤマの言葉繰りにタチバナは目を見開いた。

 

 今の今までそれをハッキリと言ってのけた人間は拝んだ事がなかったからだ。

 

「……驚いたな。それを口にするという事は」

 

「ええ、承知です。この世界では異端である事。ですが、そうでなければ誰が、オガワラ博士に肉薄出来るのです? あるいはこうも言いましょうか? この世界の人間達を無知蒙昧に飾り立てた、一握りの特権層にも」

 

「口が軽過ぎればぼろを出す。長生きは出来ないぞ」

 

「構いません。アタシは長生きするためにこの仕事をやっているわけじゃないので」

 

 ユヤマは立ち上がり、コーヒーメーカーを抽出した。芳しいコーヒーの香りが、今は空々しいほどだ。

 

「百五十年前のテーブルダストポイントゼロの噴火……今日におけるブルブラッド大気汚染の大元の現象だ。子供でも調べれば出てくる歴史の大事件なのに、どの報道機関も示し合わせたかのように口にしない。ネット上でもその話題はタブー視だ。何が起こっている?」

 

「さぁ? さしずめ、特権層による握り潰しでしょうかね」

 

 ユヤマはコーヒーカップを片手に鼻歌交じりであった。おぞましい事を言ってのけているのに、その言葉尻にはいささかのてらいもない。

 

「特権層、とお前さんは言うが、ではその特権層とは?」

 

 ユヤマはリモコンを手にしてテレビのチャンネルを換えた。報道されるのは独立したオラクルがゾル国へと亡命した事、モリビトの脅威や現地の状況などほとんどがニュースなのに対し、バラエティ番組はしっかりと放送されている。

 

「たとえば、そう、こういうのが人間の配分なのだと思うんですよ」

 

「配分?」

 

「酷い事が起こった。目を覆いたくなるような事件が起こっている。だが、一方では娯楽を捨てたくはない。喜びを捨てたくはない。憂うばかりの人生は嫌だ。憂いを帯びるのは勝手だが、それは目の届かぬところでしてくれ、とね。身勝手に出来ておるんです、人間は。ですがアタシはそれが愛おしい。身勝手さは愛するべきなんですよ。しかし身勝手は過ぎれば不謹慎となる。どうにもその配分はいつの時代だって難しい」

 

「……今の情報統制はその配分だとでも?」

 

「そうは思いませんか? 百五十年前の出来事にアクセスすればオガワラ博士の発言の意味だって誰でも頷ける。だがそれは、人類が原罪を覗き込む瞬間です。そんな事をしなくとも、人間は生きていける。それがたとえ小国コミューンの独立という形であったり、モリビトという分かりやすい仮想敵の出現であったり、というのは」

 

「モリビトの存在ですら、人々にとっては罪から目を逸らす材料だとでも?」

 

 ユヤマは二人分のマグカップを手にテーブルへと戻ってくる。湯気の漂うコーヒーの表面を彼はじっと眺めていた。

 

「人間は罪を見据え続ける事は出来ません。出来ないように出来ているんです。だが、それが意図的に作り出された平和だとすれば? 意図的に操作された紛争だとすれば? それは悪ではないですかな?」

 

「陰謀論か。オラクルの独立も、込みで言っているのか?」

 

「オラクルは生贄の子羊です。ブルブラッドキャリアとやらへの興味を分散させるための、ある種の好機であった」

 

 マグカップにようやく口を運んだユヤマを目にして、タチバナは毒が盛られていない事を確認し、コーヒーで喉を潤す。

 

 思いのほか苦かった。

 

「だがオラクルが子羊だとして、ではモリビトの脅威が消え去ったわけではない。いや、むしろブルブラッドキャリアは喜んでその役目を買って出た。世界の憎悪を一身に背負う覚悟を。ここまで見せ付けられて我々は知らぬ存ぜぬを決め込めると思っているのか? 百五十年などあっという間だ。そんなもの、遡れば誰でも到達出来る」

 

「しかし、させたくない一派がおるのですよ。その一派こそ、この世界の、真の敵」

 

「ワシにどうさせたい? その一派を糾弾しろとでも?」

 

 睨む眼を据えたタチバナにユヤマはコーヒーをすすった。

 

「いえ、今はまだ無理でしょう。その一派を引きずり出すのには何もかもが足りない。ですが、アタシはこう思うんですよ。その一派をどうにか出来れば、もしかするとブルブラッドキャリアとの対等な交渉も成り立つのではないのか、とも」

 

「……敵の敵は味方、という論法か」

 

「ブルブラッドキャリアとモリビトを憎み、蔑むのは勝手です。ですが、それは一部の人々の望んだ世界だ。アタシはね、少数が多数を黙殺し弾圧するのは間違っている、と思うんですよ」

 

「黙する少数意見は無視される。世の常だが」

 

「少数意見がしかし、正しいわけでも決してない。少数意見に踊らされて多数意見がないがしろにされるのはそれこそ間違っている。たとえば……タチバナ博士、あなたは天才の側だ」

 

 天才と面と向かって言ってくる人間はそうそういない。タチバナは胡乱そうに眉をひそめる。

 

「ふざけているのか?」

 

「いいえ、ふざけちゃいません。事実でしょう? あなたは天才の側、世界を回す側のはずだ。反面、アタシはどうです? 天才じゃない。頭の出来もよくないし、ぶっちゃけた話、この世界を回す側とはとても思えない。ですが、世界って言うのはいつだって、回す側のほうが少なく、回される側が多いんです。あなたなら理解出来るでしょう? 衆愚と罵られようとも、人類の八割以上はその衆愚で出来上がっているんですよ。それを無視して少数が世界を回せば、それは少数のために都合のいいだけの世界だ。それが正しいと思いますか? 一パーセント未満の特権層のために九十パーセント以上の人々が汗水を流す。時には血も、ね。それが正しいのだと、本当に思えますか?」

 

「主義者か。お前さんのような人間はいつの時代だっておるよ」

 

「そう、アタシみたいなのはいつの時代だっている、ハエや虫けらみたいなもんです。ですが、虫けらのいない世界って何です? そんなもの想像出来ますか? 虫けら一ついない世界。それが成立するとすればそれは――」

 

「この空の向こうに実在する」

 

 タチバナは窓の外を顎でしゃくった。紺碧の大気に包まれた外の世界。生物の息吹さえも許さない絶対の無音世界が。

 

「……そうです。そういう世界は実在する。ですが、人類はその世界で生きられるように、出来ちゃいない」

 

「静謐に守られた世界には人類の生存圏さえも許されていない」

 

「碧い空の向こうにだって戦火が絶えないんです。だっていうのに、人間同士がいがみ合わない場所なんてあるとでも? アタシはないと断言出来ますね。この世は、どこに行ったところで同じです。きっと、誰もが同じように考えておりますよ。閉塞感とも、逼塞とも違う、人間の限界点という奴です。虫けらが単体で広大な星の園に出られないように、犬が人間になる事が出来ないように、人間にも限界があるんです。それを突破する方法を考え出した場合、それはもう、人間ではない」

 

「特権層は人間ではない、と言いたいのか?」

 

「少なくとも、こうして他人と面会して、コーヒーをすするようには、出来ちゃいませんよ」

 

 マグカップを掲げてみせたユヤマにタチバナは笑みを浮かべる。皮肉めいた言い草だが嫌いではない。

 

「ではお前さんは……人間ではないものにこの星を任せられんと?」

 

「そこまで出過ぎた事を言おうとは思っちゃいませんが、分かるのは人間ではない者達が、人間の命運を握っているという事実のみ」

 

 ブルブラッドキャリアか。あるいはその他の何かの事を言っているのか。追及せずにタチバナはユヤマの結論を待った。

 

「ワシに接触して何がしたい? ワシの一声で百五十年前を顧みろとでも?」

 

「無理でしょうね。いくらあなたが人機開発における第一人者でも」

 

 断じた声音に、タチバナは目線を上げた。ユヤマは窓の外を流れる青い対流を注視している。

 

「ではワシに何を求めて、タブーを言ってまでここに繋ぎ止める? お前さん、命が惜しくないのか?」

 

「まさか。惜しいですよ、命は。何よりも。ですがね、知らないままでいるのもまた罪ではないですか?」

 

「人は罪を直視し続けるようには出来ておらん」

 

「概ね同意ですが、罪を犯した事を、なかったようには出来ないんですよ」

 

 タチバナはマグカップを置き、ユヤマの面持ちを睨み据える。

 

「百五十年前……人機開発が一度、頭打ちになった。最高峰の技術と最上級の環境が整えられ、人機は一時、星を越える兵器として完成を見るかに思われた。人類の偉大なる発明、銀河さえも渡ってみせる神をも恐れぬ兵器。……だが、神からのしっぺ返しは予想以上のものだった」

 

「テーブルダストポイントゼロ。現在における古代人機の密集地。同時に、百五十年前、プラントが建設され、血塊炉の安定した供給を実現せしめた人類の究極の発明地点。ですがそれは、開けてはならぬパンドラの箱であった」

 

 心得たようなユヤマの言葉振りにタチバナは禁じていた言葉を発していた。

 

「百五十年前、テーブルダスト、ポイントゼロが噴火した。血塊炉を内蔵する兵器が原因であったとされるが、その辺りは定かではない。ハッキリしているのは、その噴火によって世界が青く染まった事。その噴火を契機としたように、一つの事業が発足した。青く汚染された地上の永久封印、そのための三つの楔」

 

「今我々の頭上を覆っている、これですな」

 

 ユヤマが天井を示す。虹色の天蓋は、その遥か向こうに存在する。

 

「プラネットシェル……。惑星の封印による、汚染領域の拡大を阻止する計画。詳細はワシにも分からんが、虹の裾野は惑星を覆うに至った。表向きは、ブルブラッド大気を宇宙に逃がさないため。汚染を宇宙にまで至らせてしまえば、それは人類の罪だけで大いなるフロンティアを冒す事になる。さしもの厚顔無恥な人類でもそれだけは許せなかった、とされている」

 

「地上はしかし、汚染大気の浄化も儘ならぬ状態。人々はコミューンと呼ばれる小さな庭で身を寄せ合い、こうして辛うじて生きられるレベルの大気浄化で生存し続けている。まぁ、それも詭弁のようなものですが」

 

 ユヤマがコーヒーを呷った。タチバナは大国コミューンの都市圏を血脈のように巡る道路を見据えている。

 

 車両のテールランプがまさしく本物の血潮のようにうねっていた。

 

「こんな場所で生きておる事、それそのものが罪だとでも?」

 

「そこまで傲慢にはなったつもりはありませんが、アタシはこう思います。少数者が世界を回す現状にだけは満足しちゃいかんのだと」

 

「少数者……お前さんの言う少数者とはどれの事を言っておる? ブルブラッドキャリアか? それとも、大国の頭脳の事か? ワシのような前時代的な意見を持つ人間の事か。それとも……」

 

 ――それとも、この世界を裏から回す、本物の特権層の事か?

 

 言葉にしなかったが、ユヤマには伝わったのだろう。首肯し、タチバナの眼を真っ直ぐに見据えてくる。

 

 好々爺のような糸目顔が真実に一番肉迫しているのは皮肉めいていた。

 

「さぁ? アタシには何とも。ただ、多数意見をないがしろにして、少数者が世界を回す事に是と言えないだけの……ただの天邪鬼の言い草と思ってもらっても構いません。しかし、ここから先の局面で生きてくるのは、多数者です。それをお忘れなく」

 

 ユヤマが立ち上がる。話は終わった、とでも言うようであった。

 

「いいのか? 何もハッキリした事は聞けておらんぞ?」

 

「構いませんよ。あなたは絶対にまた、アタシと会いたくなるはずですからね」

 

 食えない男だ。タチバナはその意見を否定する論拠を自分の中に見出せない事に気づいた。

 

「変わり者め」

 

「お互い様です。コーヒー、どうでした?」

 

「苦かったよ。ワシは、苦いのは飲めん」

 

 その証拠に一口しかコーヒーは飲んでいなかった。ユヤマは微笑みかける。

 

「博士、あなたは正直者だ」

 

「どうかな? 正直者はこの立場にはおらんよ」

 

 


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