整備デッキにいると不意に呼び止められた。
シーアが自分の《バーゴイル》を見やり、沈痛に面を伏せる。
「すまなかった……わたしの決定権では覆せなかった」
「いえ、スカーレット装甲は確かに地上では無用の長物です。むしろコストダウン出来て役に立てたほどですよ」
「……そう言ってもらえると助かるんだが」
桐哉はしかし、灰色にくすんだ愛機を直視出来ずにいた。赤い矜持は消え失せ、もうどこの《バーゴイル》ともつかない姿に成り下がってしまっている。
奪われたのだ。
何もかも、全て。
モリビトの称号も、英雄の証も、最後の最後、残っていた自分の意味も。
桐哉は拳を握り締める。何もかもモリビトとブルブラッドキャリアのせいだ。自分から大切なものを次々と奪っていく。
「准尉。《バーゴイルスカーレット》として機体登録はしておく。……わたしに出来る精一杯だ。申し訳ない」
データ上だけで残る矜持。今はそれだけでも満足するしかない。
「いえ、自分は別に」
気にしていないと言えば嘘になるが、分隊長を困らせるほどの事ではない。そう思っていた。
「……先刻だが、オラクルは最終的に我が方の国家となった。つまりC連合とのこう着状態もここまで、という事だ」
オラクルに関するニュースでここ数日は持ち切りだ。桐哉も軍人として無関係ではいられなかった。
「そう、ですか……。モリビトだけでも大変なのに、C連合と……戦いになるかも知れないんですね」
「本国は便宜を図ってくれている。僻地のこの場所まで戦火が広がる事はないと思うが、覚悟はしておいてくれ」
覚悟。それはいざという時、この《バーゴイル》で出ろ、という意味か。
英雄の名前もなく、ただの一兵士として。無論、耐えられないなどと泣き言は言えない。自分は耐えて耐え抜いて、戦い抜かなければならないのだ。
「自分は大丈夫です。軍属ですから。それくらいは」
「……すまないね。哨戒任務程度だと言っておきながら、戦場に赴く可能性があるなど矛盾する事を言ってしまっている」
「いいんです。それに戦場に行けばもしかしたら……」
もしかしたらモリビトと今一度合見えるか。もしそうなった場合、雪辱を晴らせるかも知れない。
今はその希望に賭けていたかった。
その時、整備デッキから囃し立てる声が漏れ聞こえた。
「あれ? 分隊長、何をしてるんですか? こそこそと准尉殿と」
仰ぎ見た先にリゼルグが笑みを浮かべている。シーアは手を払った。
「何でもない。放っておけ」
「何でもない事はないでしょう? オラクルの一件で今ピリついている。それくらい分かりますよ。どうです? ここいらで模擬戦なんてのは? 准尉殿の実力、モリビトと謳われたその無双の力、知りたいじゃないですか。どうせ遠からず戦場になるんです。お互いの実力は知っておくべきでしょう?」
提案された言葉にシーアは怒声を張り上げかけた。
「リゼルグ……! お前、准尉を馬鹿にするのも大概に――」
「いえ、やらせてください」
遮った桐哉にシーアは目を見開いた。
「だが、あまりに君に失礼だ」
「自分は、何とも思っておりません。それにリゼルグ曹長の言っている事にも一理あります。自分の《バーゴイル》はもう整備出来ているんですから、やらせてください」
だが、と渋るシーアにリゼルグが言いやる。
「准尉殿がそう言っておられるんですから、分隊長の許可をくださいよ」
リゼルグからしてみればここいらで上下関係を分からせるチャンスなのだろう。シーアは苦渋の末、とでも言うように声を搾り出した。
「……分かった。准尉とリゼルグの模擬戦を許可する」
リゼルグは口笛を吹いて自身の機体へと乗り込む。
「さすが分隊長! 話が分かる!」
それを見据えながらシーアはこちらに言葉を投げた。
「すまない。君に負担を強いている」
「いえ、自分も乗りたかったんです。《バーゴイルスカーレット》に」
その赤を剥がされても、実力だけは剥がされていないはずだ。
桐哉は整備デッキをタラップで上がり《バーゴイル》の頭部コックピットへと乗り込んだ。久方振りの愛器の操縦系統は少しだけ重く設定されている。
「重力下、プラス二十ってところか。それに、この基地自体の経度、緯度の感覚から逆算してこれでベストの調整のはず」
僅かに整備班の設定より重めに設定し直し、桐哉は操縦桿を握り締めた。
『言っておくが、手加減はしないぜ? 英雄よぉ』
リゼルグの通信が繋がる。桐哉はその言葉に一睨みで応じていた。
「ああ。俺もそのつもりはない」
『リゼルグ・レーヤー曹長! 《バーゴイル》、出る!』
リゼルグの《バーゴイル》が模擬戦用のプラズマライフルを装備し一足先に基地に躍り出た。
推進剤の閃光が焼きつく中、桐哉は《バーゴイルスカーレット》を前に進ませる。
『装備は曹長と同じ、プラズマライフルにさせてもらいます』
以前までの銃剣性能を持つライフルは取り上げられた形だが、自分は一通りの武器の使用方法は頭に入っている。
桐哉は首肯し、プラズマライフルを装備した《バーゴイル》を出撃機動にかけた。
「桐哉・クサカベ。《バーゴイルスカーレット》。出る」
躍り出た《バーゴイルスカーレット》は先んじて出撃していたリゼルグの《バーゴイル》と向かい合う形となった。
《バーゴイル》同士の戦局に興味が湧いたのか、整備班やスタッフが一同に会してこちらを観察しているのが分かる。
『言っておくが、手加減はしないからな。英雄の実力、拝ませてもらう!』
プラズマライフルの照準警告が鳴り響き、一射された弾道に桐哉は軽く息を吸い込み、腹腔に力を溜めた。
直後、《バーゴイル》がステップを踏んでプラズマライフルの弾丸を回避する。
その挙動にスタッフ達がどよめいた。
「おい、あの距離でプラズマライフルの弾丸を……」
『避けた、だって……』
リゼルグの《バーゴイル》と自分の《バーゴイルスカーレット》のとの距離はほとんど至近。この距離なら白兵戦のほうが割に合っていると思えるほどの距離にあって、桐哉はあえての回避を選択した。
リゼルグが調子を取り戻すように口にする。
『ま、まぐれだ! そう何度も避けられるもんかよ!』
連射されるプラズマの弾丸に桐哉は息をついてそれらの弾道を読み切った。どこまでも直進的な動きだ。古代人機のほうがまだ計算ずくの動きをする。
桐哉はプラズマライフルの下部に装着されたプラズマナイフを発振させていた。ナイフが風を切り、リゼルグの《バーゴイル》の喉元を狙い澄ます。
リゼルグの《バーゴイル》がおっとり刀でプラズマソードを引き抜いた。その一閃とナイフの一撃が交錯する。
瞬いたスパークの干渉波に数人のスタッフが目を瞑った。
それほどの眩惑。人機のコックピットには減殺用の特別な加工が施されていたが、人機操主はほとんど目視で相手の次の手を読まなければならない。
リゼルグが舌打ち混じりに《バーゴイル》を下がらせた。先ほどまで《バーゴイル》の喉元があった空間を桐哉のナイフが掻っ切る。
『おい、なかなかに嘗めた戦法を使ってくれるじゃねぇか。ナイフだと? プラズマソードを持っているはずだ。使え!』
「使うまでもない。ナイフで充分だ」
『白兵戦でナイフなんざ、嘗め切ってるって言ってんだよ!』
《バーゴイル》が飛翔しプラズマソードで切りかかってくる。桐哉は自身の機体を僅かに後退させてその一撃を受け止めた。プラズマソードの射程は明らかにナイフより上。だというのに、攻撃網はまるで狭い。
あまりにも当たり障りのない動きに桐哉は嫌気が差す。これが本当に、統率され、訓練された本国の軍人の戦い方か。
だとすればこれではとんだ――見込み違いである。
「古代人機のほうが、まだマシな動きをする」
『何だって? 今、なんつった!』
桐哉はわざとかしこまり、はっきりとした声音で言ってやった。
「古代人機のほうがまだ、マシな動きをするって言ったんだ」
『嘗め腐るな! 堕ちた英雄がよォ!』
プラズマソードが下段から《バーゴイルスカーレット》を切り裂かんとする。桐哉はナイフでいなしつつ、リゼルグの《バーゴイル》の懐に入った。
両機の間に入ったのはプラズマライフルの銃身である。桐哉はプラズマライフルを自ら切りつけ、内部から迸ったショートの火花で《バーゴイル》の動きを牽制した。
たたらを踏んだリゼルグの《バーゴイル》の背後を取るのは簡単だった。背面へと滑るように入り、《バーゴイル》の首筋へとナイフを突き立てる。
王手であった。
対人機戦など、そらんじるまでもない。これが定石だ。
通常ならば、桐哉の操縦テクニックに勝てるのはほんの一握りの操主だけのはずである。
シーアが判定を下した。
『勝者、クサカベ准尉。リゼルグ、矛を収めろ』
『冗談……! こんなところで引き下がれるわけが――』
『命令だ、リゼルグ曹長。ここで戦いは打ち止めにしなければ操主の座を追う事になる』
その言葉でようやくリゼルグは諦めたらしい。プラズマソードの刃から攻撃性能が凪いでいく。
スタッフは呆然と桐哉の勝利を眺めていた。桐哉は《バーゴイルスカーレット》にナイフを振らせ、刃を仕舞う。
『嘘だろ……何で、こんな奴に……』
「堕ちた英雄だと侮るのは勝手だ。貶められても俺は何も言わない。だが、結果は全てにおいて優先される。それくらい兵士なら分かるだろう?」
桐哉の挑発にリゼルグが乗りかけてシーアが制した。
『リゼルグ! よせと言っている!』
リゼルグは《バーゴイル》のコックピットから飛び出し、桐哉を睨みつけた。補正画面越しの睨みつけでも充分に敵意は伝わってくる。
『……覚えてろ』
三流の役者のような台詞を吐いてリゼルグが《バーゴイル》から降りていった。桐哉は整備班に呼びかける。
「誰か、リゼルグ曹長の《バーゴイル》の回収を」
まだ決着がついた事を理解していない人々はその言葉を飲み込むのに時間がかかっているようであった。
ハッと周囲を窺った整備班がようやく動き出す。
『……これが、英雄の実力かよ』
集音器に入ってきた囁き声に桐哉はわざわざ返そうとも思わなかった。《バーゴイルスカーレット》からエレベーター型タラップで降り、シーアと視線を合わせる。
「すまなかった。君のような人間に、こんな真似までさせて……」
「いえ、理解してもらったのならば結構です」
「リゼルグは……あれで繊細なんだ。勝負事で負けるのが何よりも嫌いでな。しばらくは君に絡んでくる事もないだろうが」
「自分は気にしていません」
「そう、か。そう言ってもらえると助かるが」
つかつかと桐哉はシーアの横を通り抜けて言った。結果がものを言うというのならば今の戦いで充分だろう。
現行機の《バーゴイル》とスカーレットの違いなど装甲面でしかない。飛行性能が僅かに勝っているが今の勝負では飛翔すら必要はなかった。
対地戦闘で勝ったのならば誰も文句は言えまい。そう思っていた桐哉の眼前に現れたのはリゼルグの相棒であるタイニーだ。痩せぎすの男は目元ばかり炯々として、桐哉を見据えている。
「何か?」
「相棒が負けたのは人機の性能のせいだ」
「スカーレットは耐熱装甲を剥がされている。何もハンデはない」
「……そういう口が利けるのも今のうちだけだぜ。どうせ戦場になったら真っ先に死ぬのはお前だ。せいぜい後ろには気をつけな」
「……心得ておこう」
タイニーが踵を返す。後ろにいるのは味方とは限らない、か。そう独りごちて桐哉が取って返そうとしたところでリーザが割って入ってきた。今の戦闘をみていたのか、どこか顔が紅潮している。
「すごいですっ! やっぱり准尉は英雄だったんですねっ!」
興奮したリーザに桐哉は、いやと謙遜する。
「今のはただの模擬戦で……」
「でもっ、リゼルグ曹長の態度が大きいのはここで一番の撃墜王だからなんですよ。その撃墜王を下したんだから、准尉が次からはエースですよねっ」
悪い気はしない言葉であったが、場所と時間を選ぶべきだった。
スタッフや整備班からの目線が首筋に突き刺さる。桐哉は咳払いして言いやった。
「リーザ先生、ここはその」
「あっ、あたし、またやっちゃいました……。すいません、准尉の戦い振りがすごくって、ついはしゃいじゃって」
「いえ、その、基地の中に戻りましょう」
整備デッキではどこからでも敵意の目がある。桐哉とリーザは歩きながら喋る事にした。
「……リゼルグ曹長もタイニー兵長も負けず嫌いだから。でも、あの二人が悪いんですよね。准尉に喧嘩を売って、負けたらへそを曲げるなんて子供の喧嘩ですっ」
「先生、気持ちは嬉しいんですけれどその……俺を褒めると、あなたの身が危うい。だからこの基地では俺の味方なんてしないほうがいいです」
ハッキリと言わなければこの少女にはいつまで経っても伝わらないだろう。どこか燐華に似たひたむきさを持っている。彼女はようやく理解したように口を噤んだが、でも、と言葉を継いだ。
「勝ったのは、准尉ですよ」
その気持ちだけで充分であった。本国にも居場所はない自分に心の拠り所をくれている。
「ありがとうございます。でも、俺はこの基地じゃ、いつまでも多分、敵か、あるいはそれ以上に性質の悪い人間でしょう」
「そんなのっおかしいじゃないですか! だって准尉はモリビトで、英雄なんですよっ!」
かつての話だ。もう英雄の居場所なんてどこにもないのだ。
勝って武勲を挙げても、誰にも称えられない。それが自分の立場である。
「リーザ先生。あなたが職を追われるところを見たくない」
「本当の事を言っちゃどうしてダメなんですか? だって、准尉はその実力面でも英雄の名に恥じないって、見せてくれたんじゃ……」
「リゼルグ曹長の挑発に乗ってしまっただけです。そんな、見せ付けるみたいな……」
桐哉が顔を翳らせたのが伝わったのか、リーザは言葉を飲み込んだ。
「……でも、勝ったのに居場所がないなんて」
「仕方ないんです。そう、仕方ない」
半分は自分に言い聞かせるためであった。仕方がないのだ。もう、居場所は消え失せてしまったのだから。
「……じゃあ、あたしじゃダメですか?」
口にされた意味が桐哉にはよく分からなかった。リーザは胸元に手をやって口にする。
「あたしが、准尉の帰る場所になっちゃダメですか?」
桐哉が言葉を継ぐ前にリーザが耳まで真っ赤になる。それでもこの少女は自分を曲げなかった。
「あたしっ、准尉に安心して欲しいんですっ。だって、帰る場所もないなんて辛過ぎます……」
帰る場所。今までそれは燐華のいる本国であった。だが本国から追放され、誰も頼れぬ僻地に異動になった手前、燐華に今一度再会出来るかも怪しい。
ならばこの場所に帰る居場所を作るのも何一つ悪くないのではないか。
そんなちょっとした、ささやかな居場所くらいあっても――。
甘えかけて、桐哉は拳を握り締めた。
「……いや、すいません。先生に、迷惑はかけられませんよ」
その言葉で全てが決してしまったのが分かった。リーザはしゅんと肩を落とす。
「そう、ですよね……迷惑ですよね、あたしなんて」
「いえ、先生が迷惑とかじゃなくって」
「いいんですっ。あたし、准尉の特別になれなくっても。准尉が英雄だって、あたしだけは信じていますからっ。こんなのですけれどねっ!」
無理やり笑ってみせたリーザは眼鏡のブリッジを上げる。このような少女に作り笑いまでさせてしまった。自分はどれほどまでに堕ちれば気が済むのだろう。
どれほどの人を不幸にさせれば、このモリビトという呪縛は解けるというのだろう。
「リーザ先生、俺は……」
言いかけて廊下が赤色光に塗り固められた。桐哉は基地全体を震わせる警告音に硬直する。
「この音……敵の接近警告じゃ……」
リーザがそう判ずる前にブザーの音が木霊した。桐哉は習い性の身体を動かす。
――敵が来たのだ。真っ先に脳裏に浮かんだのは青いモリビトの姿であったが、そうではない可能性もある。
駆け出そうとした桐哉の背中にリーザが声を投げていた。
「准尉っ! どうか、その……」
言葉が出ないのだろう。振り向いた桐哉は一声言い置いた。
「帰ってきます。必ず」
リーザが放心したように言葉を飲み込む。桐哉はこの基地に来て初めて笑う事が出来ていた。
「だって、先生が言い出したんですよ。言い出しっぺが逃げないでください」
冗談めかした声にリーザがようやく微笑んだ。
「……ご武運を」
桐哉は敬礼をせずに走り出していた。もう約束は出来た。だから、本当にこの言葉に返す事になるのは後でいい。
もう、言葉の上で約束は要らない。
心がこの場所に繋ぎ止められていた。