ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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第三章 悪の芽は囁く
♯42 悪徳の戦場


 

 一発の弾丸が男を射抜く。

 

 倒れ伏した男は額に風穴を開けられていた。動かぬ骸を盾に軍服姿の男達がアサルトライフルを構える。

 

 青く沈んだ景色の中、浄化マスクを着用した兵士が駆け抜けた。

 

「急げ! 狙い撃ちにされるぞ!」

 

 隊列が一瞬だけ乱れる。その刹那に高威力の銃撃が数人を叩きのめした。銃弾の前に倒れた兵士まで気遣うほど戦場は甘くない。

 

 舌打ち混じりに隊を取り仕切る男は塹壕へと身を隠した。

 

 銃弾が空気を引き裂く音が幾重にも聞こえてくる。耳朶を打つのは悲鳴と銃撃の狂想曲だ。

 

 人は戦うために生まれてきたのだ。

 

 そう思わなければ戦場という異空間において自らの生存を優先出来ない。全てにおいて人間が脳裏に思い浮かべるべきなのは自分の命である。

 

 他人の命などに頓着していればすぐに足元をすくわれる。男は手榴弾のピンを引き抜き、敵陣へと放り投げた。

 

 衝撃波と舞い上がった土くれで相手が混乱にるつぼに突き込まれたのが伝わる。

 

 すかさず塹壕から飛び出した男はライフルを掃射しつつ敵兵を薙ぎ払っていった。

 

 勝てる、はなくとも生き残れる。そう考えかけたその時、烈風が巻き起こった。

 

 強烈な風圧が身体をなぶる。重装備の男でさえもたたらを踏んだ。

 

 舞い降りてきたのは迷彩色に塗装された《ナナツー》である。しかし随分と旧式であった。

 

 こちらの歩兵部隊を潰す程度ならば充分だと判断したのだろう。

 

「……嘗めやがって」

 

 その判断が甘いと後悔させてやる。男は隊列を下がらせつつ、対人機装備へと切り替えた。

 

 人機は全身にブルブラッド循環炉のための細いチューブが伝っている。

 

 毛細血管ともあだ名されるそれは名前通り、人間においては末端のものだが、人機は精密機械だ。一つの異常が連鎖的に働き、人機という巨人を叩き潰す要因になる。

 

「地雷原に誘い込め! 人機は足元を崩せばやれる!」

 

 下がっていく兵士達にほとんど暴風のような人機の小銃が火を噴いた。数人は吹き飛ばされてしまうが、自分はまだ無事だ。

 

 まだ生きていると感慨を浮かばせる。

 

《ナナツー》は少しずつ砂礫を砕いて歩み寄ってくるがこちらは地雷原の位置を完全に把握している。

 

《ナナツー》が姿勢を崩すのを待って一気に仕掛ければ勝てる。

 

 そう感じた直後、《ナナツー》のキャノピー型のコックピットが開いた。

 

 何をするのかと窺っていると、コックピットから一人の男が飛び降りてきたのである。

 

 大写しになった男が空中でライフルを放つ。

 

 狙いなどまるで定まっていない一撃であったが降り立つなり男はライフルを捨て、ナイフへと持ち替えた。

 

 その動きの素早さ、状況判断能力に歩兵が翻弄される。

 

 一人、また一人と兵士の喉を掻っ切っていく男は喜悦の笑みを浮かべていた。

 

「笑ってやがる……」

 

 三人目の兵士の喉を引き裂いたところでナイフが殺傷能力を失ったのだろう。男はナイフを投擲し、次の武装として小型の銃に切り替えた。

 

 武器に頓着しない戦い方だ。

 

 小型の銃でこちらの勢いを削ぎつつ、男は倒れ伏した兵隊から武器を強奪し、アサルトライフルを構える。

 

 銃撃に負けないほどの哄笑が響き渡る。心の奥底から戦いを楽しんでいる笑い方であった。

 

 こちらの部隊はほとんど残存兵力ばかり。比して相手は人機を使わず、わざと操主のみで突っ込んできた。

 

 だが人機による戦術攻撃以上の被害を受けている。

 

 これ以上の戦闘は無意味だ。

 

 投降を示す白旗が揚げられる。戦闘の昂揚感に酔っていた男は舌打ちし、足元の死骸を蹴りつけた。

 

 死体の首が折れ曲がる。

 

「つまんねぇなぁ、てめぇら。もうお終いか」

 

 唾を吐きつつ、男が歩み寄ってくる。もうこちらは投降を示した。あとは交渉術でいくらか便宜を図ってもらうしかない。

 

 命のやり取りは終わったのだ。

 

《ナナツー》に乗っていた男を先頭に数人の男達が駆け寄ってくる。全員が肩口に同じ刺青を入れており、統率された兵士なのが窺えた。

 

「隊長、どうします? こいつらC連合の」

 

「弱小コミューンの歩兵戦力だ。どうせ奪えるものなんて武器くらいしかねぇ。女もいねぇだろ。少年兵を使っているでもねぇし、こいつは今回ハズレを引かされたかな」

 

「マジですか。じゃあ今回の報酬は」

 

「ないかもなぁ。雇い主にせめて大金をせしめるまでだな。こいつらを略奪しようとしたって、腰の腑抜けた男ばかりじゃ楽しくも何ともねぇ」

 

 隊員達が笑い合う。男達は猟犬のようにこちらの兵士を並べ立て、後ろ手に手を組ませて座らせた。

 

 何を、と口にする前に一人目が後頭部を銃弾で射抜かれていた。

 

「おい、投降したはずじゃ……」

 

「見せしめ、ってもんがある。白旗程度で戦場が終わると思ってんのか? てめぇ」

 

 刺青男は煙草に火をつけつつ部下達を顎でしゃくった。

 

「女がいねぇのか聞け。どこのコミューンに残してきたのか、とかな。後でそのコミューンに行って女狩りだ。せいぜい紳士を気取ってお前らの残してきた大切なものを紳士的に奪い取る。それが出来て初めて、この戦場が終わるんだよ」

 

「そんな……! 家族まで犠牲にする事は!」

 

「犠牲? 勘違いをするな、クソッタレが。てめぇ、兵士だろ? 兵士になったからには、全員が賭けのレートに上がってんだよ。女、子供、金、地位、全部だ。全部を奪い取るまでそいつとの戦場は終わらねぇ。そんな事も分からない甘ちゃんが兵士なんて笑えて来るぜ」

 

 部下達が笑い返しながらこちらの兵士を一人、また一人と殺していく。

 

 狂っている。これが人間のやる事か。

 

 睨み返すと刺青男が笑みを浮かべた。

 

「いいねぇ、反骨精神のあるヤツってのは奪い甲斐がある。そいつから全部奪っちまって、何もかもを台無しにした時、すげぇ気分がいいもんだ!」

 

「隊長、こいつら女の居所吐きませんぜ」

 

 困惑した部下に刺青男は煙い息を吐きつける。

 

「つまんねぇ戦場に来ちまったもんだ。女もいねぇのに戦ったって仕方ねぇ。だが命は奪っておけ」

 

「待て! こちらは降参した! 何も、本国からの物資もない。奪うものなんて何一つ……」

 

「何一つ?」

 

 銃口が額へと突きつけられた。冷たい感触に喉元がひりつく。

 

「んなわけねぇだろ。命か、もしくはそれと同じくれぇは大切なものがあるはずだ。そうじゃなきゃ兵士なんてやらねぇからな。C連合の女ってのは狩り甲斐がある。一番規模のでかいコミューンだからな。男は何を賭けるのか、てめぇ、分かるか?」

 

 突きつけられた銃口のあまりの冷たさに返事に窮した。刺青男は嘆息をつくように口にする。

 

「全部だ。全部、何もかも。そいつから奪い取る。そうじゃなきゃ採算が取れねぇ。少年兵もいねぇんじゃガス抜きにもならないからな。おい、てめぇら! こいつらの死体で遊ぶのは無理だが、殺す寸前までいたぶっておけ。悲鳴と嗚咽がオレらの糧だ」

 

 刺青男の顔には真の意味の愉悦が宿っていた。どこまでも他人の命に価値など見出していない。徹頭徹尾、この男にとって命とはコイン程度の価値しかないようであった。

 

 部下達が了承してナイフ片手に兵士へと脅迫する。

 

 確かに戦場では全ての道徳観念は捨て去れる。優先順位が何もかも狂ってしまうだろう。

 

 だが、この者達はそもそもの尺度が違う。戦場でこそ、命以上のものが手に入るのだと思っているのだ。

 

「お前らは、何なんだ……」

 

「戦争屋だよ。戦場を練り歩いて、殺し、殺され、陵辱し、何もかもを奪い取る。そういう人間だ」

 

「……正規軍じゃないのか?」

 

「正規軍? おい、湧いてんのか、てめぇ。正規軍なら何をされてもいいって? そいつはなかなかにぶっ飛んだ考えだ。正規軍だろうと非正規だろうと同じ事だ。人間は肉と血の塊。男は散々いたぶってから殺す。女はぶち込んでから殺す。それだけの差だろうが。そんなシンプルな事も分からないほどイカれた連中がC連合の軍隊かねぇ」

 

 刺青男がこちらの頭を押さえつける。銃口が後頭部に当てられた。

 

「……天罰が下るぞ。お前らに、絶対に」

 

「いいねぇ、天罰。罪も罰もひっくるめて楽しみだ」

 

 愉悦に歪んだ口元に憎悪の言葉を投げつけた。

 

「……頭おかしいのか。マスクも着けずに」

 

 部下達はマスクを付けているが、刺青男はマスクすら着用していなかった。ブルブラッド濃度は七十パーセント以上のはずだ。マスクをつけていなければたちどころに肺が侵され、死に至るというのに、この男には恐れなど一つもないかのようだ。

 

「マスクなんて邪魔だろうが。タバコが吸えない」

 

 本当にそれだけが理由のような言い草であった。

 

 地に這い蹲り、怨嗟の言葉を編み上げようとして刺青男は耳元で囁いてきた。

 

「女がいるんなら、早めに言いな。そいつを売るなら、ここで見逃してやってもいいぜ?」

 

「……悪魔が」

 

 刺青男はフッと笑みを刻み、ポケットからコインを取り出した。

 

「表か、裏か」

 

「何だって?」

 

「賭けをしようじゃねぇか。表なら殺さないでおいてやる。裏なら殺す」

 

「ふざけるな。もうこちらを占拠したのにそんな言い分が……」

 

「じゃあこうしようぜ。表なら、おいてめぇら。オレを撃て」

 

 何を言っているのか分からなかった。部下達を見やると全員が呆れたように笑っている。

 

「またですか、隊長」

 

「いいからよ。いつも通りだ。表ならオレを撃て。表が出たらオレが死んでやる」

 

 刺青男の発言に目を戦慄かせる。部下達は心得ているかのようにこちらに銃口を向けてきた。

 

 ――まさか本当に? 本当に自分の命を賭けているというのか。

 

「裏ならこのままてめぇのドタマ射抜く。何も問題はねぇだろ? 死ぬか生きるかの延長線上だ」

 

「嘘だ……そんなの。人間として、間違っている」

 

「間違ってねぇさ。人間として真っ当だ。この戦場じゃ、それくらいしか娯楽はねぇよ。さて、もう一度だけ確認するぞ? 表ならオレが、裏ならお前が死ぬ。異論はねぇな?」

 

 異論を差し挟む前に、刺青男はコインを放った。コインが軌跡を描いて再び男の手の甲に収まる。

 

 眼前にその手を持って来られた。

 

 唾を飲み下す。

 

 もし、表だったのなら――。

 

 しかし彼の目に飛び込んできたのはコインの裏であった。

 

「残念だったなぁ。オレを殺せたかもしれねぇのに。まぁ、ここまでがてめぇの運のツキってヤツだ。お前の命の価値はここまで。じゃあな」

 

 何か言葉を吐こうとした。この男を侮辱する言葉を。

 

 だがその前に放たれた銃声が最後の記憶となって闇に轟いた。

 

 


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