目を覚ますと、そこは知らない場所であった。滅菌されたような天井を眺め、瑞葉は呆然と口にする。
「ここは……」
「お目覚めですか」
その声に瑞葉は習い性の身体を起こそうとして、全身が引き千切られるように強く痛んだのを感じる。筋肉の繊維が全て末端から熱を持ったように力をなくしていった。
激痛に横たわる瑞葉へとその少女は口にする。
思えば人機から下ろされ、周囲がモニターではない状況など数年振りであった。少女は籠に入れられたフルーツからリンゴを手に取った。
「無理もありません。隊長は数日間、意識不明でした」
数日間、という言葉と隊長と呼ぶ声音に、瑞葉の記憶がようやくその人物の名前を紡ぐ。
「確か、わたしの指揮下にいた……」
「鴫葉です」
同じ強化兵か。瑞葉は鋭く睨み返す。手の届く場所にある武器は果物を切り分ける小型のナイフのみ。だがそれでも頚動脈くらいは狙えると姿勢を沈み込ませかけて、全身を貫く痛みに膝を折った。
「まだ本調子ではないと思います」
「お前は……何だ? どうして、あの……」
掌に視線を落として瑞葉はあの状況を思い返す。骨が浮くほど拳を握り締めた。
「勝てた……! だというのに」
「あれ以上の戦闘は瑞葉隊長の命と引き換えでした。それでも、勝利出来たかどうかは怪しいでしょう」
瑞葉は眼前の少女が自分と全く同じ姿である事に気づいた。違うのは自分は患者服を着ている事だけだ。
「お前は……」
「強化実験兵のプログラムは引き上げられたのです。ご存知なかったでしょうが」
「どういう……」
追及しようにも頭痛に苛まれる。鴫葉が自分の肩に手をやった。
「お静かにお願いします。隊長」
「だが……あの状況でわたしはモリビトを墜とせた! それは間違いない」
「精神点滴の量が間違っていたようですね。今の隊長は我を失っています」
ふと背筋から伸びた管が壁に繋がっているのを瑞葉は目にしていた。人機のコックピットの中ならば不快とも思わなかった精神点滴のパイプが無数に自分の脊髄に繋がっている。
改めて見れば何とおぞましい事か。
自分はまるでこの部屋に飼われているかのようだ。
悲鳴を発しかけて鴫葉が言葉を差し挟んだ。
「お静かにお願いします。起きられたばかりで申し訳ないのですが、これより元首様のお言葉を聞いてもらいます」
「元首……」
鴫葉が投射画面を瑞葉の前に差し出す。ブルーガーデンの国旗が映し出され、その向こう側から重々しい声が発せられた。
『大義であった。強化兵計画の実験体。……いや、瑞葉小隊長と呼んだほうがいいか』
この通信の向こう側にいるのが、自分達の製造を命令した元首。ブルーガーデンを束ねる長。瑞葉は眼前に迫った復讐の対象に困惑した。どうして自分のような雑兵にその声を晒す? そもそも使い捨ての駒である強化兵の一人に通信を握らせる理由が分からなかった。
「わたしは……」
『無理をして思い出さなくともいい。今は、その責務を果たそうとした事だけを褒め称えたい』
――褒め称えるだと?
瑞葉は身体の内奥から突き破りそうになる衝動に声を荒らげかける。
――枯葉達を見殺しにした国の長が。
しかし瑞葉は理性の一線を保った。ここで噛み付いたところで相手は通信の先だ。まだ手の届く場所ではない。
だがいずれはその首筋に牙を突き立ててみせよう。瑞葉は決意とは裏腹に忠義を示そうとする。
「いえ、元首様……。わたしのような兵には過ぎたるお言葉」
既に洗脳は切れている。精神点滴で自分の感情を揺さぶろうとしても無駄だ。あの日、目にした空の彼方が焼き付いたまなこにまやかしは通用しない。
元首は言葉を継いだ。
『貴君には引き続き、ブルーガーデンの切り込み隊長として、モリビト殲滅に務めてもらいたい。肉迫出来た、とデータは証明している。あとは反芻だけだろう』
自分のような犠牲を何回も続ければ勝利に繋がると思っているのだろう。その傲慢さが枯葉達を殺した。仲間の命を道具のように弄んだ。
瑞葉は奥歯を噛み締め、脳内の怒りを押し殺す。
「いえ、それならばいいのですが……」
「精神感応波に乱れがあります。精神点滴を行います」
鴫葉の行動を咎める前に身体の奥底から感情を落ち着かせる薬剤が投与された。確かに、脳内はフラットな感情に留まっている。だが瑞葉は決して、禍根を忘れ去ったわけではない。精神感応波を欺き、機械化された自分達の運命を呪う宿命からは逃れるつもりはないのだ。
「……感謝する。鴫葉上等兵」
いえ、と自分の似姿が無感情に返す。この人形も同じだ。
自分達は人機に乗って戦う事でしか己を発揮出来ない。それまでは名もない一兵士なのだ。運悪く自分のように自我に目覚めさえしなければ、それを「最適」だと信じて疑わない事だろう。
常に感情の振れ幅をコントロールされた姉妹達は同じように振る舞い、操作された幸福を幸福と思い込む事だろう。
『早速で申し訳ないが、瑞葉小隊長、上官の地位を追ってまでモリビト追撃にその身を捧げる覚悟を買って頼みがある』
こうやって少しずつでいい。自分は元首の喉元に近づいていく。今は少しの歩みでも貴重であった。
「いえ。この身は青き清浄なる地のために」
嘘、偽りの忠義。欺瞞の上に成り立つ言葉に、元首が満足そうに声を発する。
『瑞葉小隊長、モリビトを倒したいはずだな?』
その言葉にだけはてらいのない真実を瑞葉は返した。
「その通りでございます」
『ならば貴君が受け取るのが相応しいだろう。ブルーガーデンの新たなる機体の恩恵を』
戦場に送られるのが前提の機体はそのまま実験兵士である自分達の試験に繋がる。
だが、好都合であった。
新たな機体を真っ先に試せる。何よりも、モリビトを追える戦場で。
瑞葉は迷いのない双眸を元首の旗に返した。
――いつか必ず、復讐を果たすべき怨敵を前にして、瑞葉の脳内はフラットであった。
フラットな殺意を、瑞葉は投射画面の向こうに見据える。
「ありがたきお言葉」
欺瞞の言葉に瑞葉は静かに笑みを浮かべた。
感情点滴にない、新たなる感情の芽生えであった。
第二章 了