ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯401 砕けない絆

「ライブラ第一中隊、全滅! ラヴァーズの援護部隊もほぼ壊滅です!」

 

 ブリッジを走った悲鳴にニナイは声を張り上げる。

 

「持たせるのよ! 桃と蜜柑は?」

 

「モリビト二機、それぞれ人機編隊と交戦中! ですが、損耗率は既に四割を超えています!」

 

 明らかに気圧されている。その事実にニナイは奥歯を噛み締めていた。

 

 鉄菜が活路となって艦隊の向こうへと赴いたものの、こちら側の陣営はジリ貧のままだ。如何に最新型のモリビトとは言え、このまま戦力差を前に押し潰されるのか。その予感に、ニナイは艦長椅子の肘掛けを殴りつけていた。このどうしても退けない戦い、気持ち負けをすればそこまでだ。手を払い、アンチブルブラッドミサイルの発射を命じる。

 

「アンチブルブラッド爆雷で敵を出来るだけ退ける。その間に、友軍機は可能な限りの交戦を……」

 

 その言葉を遮ったのは甲板に直撃した敵艦の砲撃であった。黒煙を上げ、赤いステータスに艦橋が塗り固められる。

 

「第三艦橋被弾! 《ゴフェル》推力低下!」

 

「このままのステータスを維持するのは困難です! 一時撤退を!」

 

 その提言に言葉を返したのは茉莉花のほうであった。彼女は情報を手繰り、まだだと声にする。

 

「まだ、終わりじゃない……! こちらの戦力は残っている。吾達が退けば、自ずと桃達の士気も薄れてしまうだろう。今は、それだけはしてはならない! 美雨! 《ゴフェル》の艦砲射撃、狙えるな?」

 

 問いかけられた美雨が主砲の照準を敵艦に据える。

 

「敵新連邦艦、主砲照準!」

 

「放てーっ!」

 

 自分の指揮で放たれた光軸が敵艦に突き刺さり、爆炎をなびかせていた。炎と灼熱の燻る濃紺の空域で、クルー達は決死の攻防戦を繰り広げている。

 

 こんな状況、誰が予想出来ただろう。

 

 モリビトであっても消耗戦を余儀なくされ、ライブラ、ラヴァーズの援軍があったと言っても、それでも敵わぬはどこか見えている。

 

 ――ここまでなのか?

 

 差した疑念に一人のクルーが立ち上がっていた。

 

「……イリアス、さん?」

 

 候補生の少女がこちらを睨み上げ、掴んでいたのは拳銃であった。思わぬ事態にブリッジが震撼する。

 

「……何のつもりだ」

 

 その中で唯一、まともな受け答えをしたのは茉莉花であった。桔梗は銃口を自分に向けたまま応じる。

 

「……もう後がない。こんなの、間違っている」

 

「引き金一つで帳消しに出来る領域を超えている。ここで、艦長を殺しても一文の得にもならない」

 

 どこまでも冷静な茉莉花の声に痺れを切らしたのか、桔梗の銃口は彼女へと据えられていた。

 

「何で! ……何でそうも落ち着き払って! ……月で平穏に暮らしちゃ、駄目なの? ……こんな戦い、間違っている! そんなの分かり切っているはずでしょう! アンヘルと戦った、あなた達なら!」

 

 誰もが暗黙の内にそれを飲み込んでいた。無茶無策、それでいてこれ以上の継続戦闘はただ単に生き意地が汚いだけだ。分かっている。分かっていても、退けないのだ。

 

「……この空域で死んでいった者達に、顔向けが出来ないだろう。ここで撤退なんて」

 

「顔向け? ……知らない顔なんてどうでもいい。どうだっていいじゃない!」

 

 桔梗の堰を切ったかのような感情の声はそのまま、この消耗戦を絶望視しているクルー達の胸を打っていた。本音を言えば、桔梗の言う通りだ。

 

 月面に帰り、星がどのような運命を迎えようとも、無関心、無視を決め込めばいいだけ。そう、簡単な事であった。

 

 ――だが。

 

 ニナイは肘掛けを握り締める。ここで退いてはいけないと判断するのは、何も死んでいった者達への報いだけではない。

 

「……イリアスさん。銃を下ろして。まだ、戦いは終わっていないのよ」

 

「終わっているでしょう! リップバーンさんや、教官のモリビトだって押されている! こんな状況で、どうやったって勝ち目なんてない!」

 

「……でも鉄菜は行ってくれた」

 

「たった一人じゃないですか。一人で何が出来るって言うんです!」

 

 そう、鉄菜は「たった一人」だ。だが、自分達は知っている。鉄菜が「たった独り」ではない事を。彼女が紡いできたこれまでの戦いを。それを知っているからこそ、退けない無駄には出来ないのだ。

 

「……確かにまともな試算をするのならば、鉄菜と《ザルヴァートルシンス》だけで、何が出来るんだって思うだろう。《キリビトエデン》の性能もほとんど不明。負ければそこまでの話だ」

 

「……分かっているんなら……!」

 

「だがな、そんなのは知ったこっちゃないんだ」

 

 茉莉花からどこかやけっぱちな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。桔梗は困惑して銃口を彷徨わせる。

 

 茉莉花は情報コンソールより出て、桔梗と向かい合う。

 

「茉莉花おねーちゃん! 危ないよ!」

 

 美雨の声も無視して、茉莉花は桔梗と相対していた。桔梗は銃を持ち直し、茉莉花の額に照準する。

 

「……嘗めないで。私は撃てる……。ブルブラッドキャリアの、操主なんだからっ!」

 

「そうだな。お前はブルブラッドキャリアの操主。そうあるように教育され、そうあるように生まれてきた。……だが、鉄菜はそうじゃない」

 

「ただの人造血続でしょう! 替わりなんていくらでもあった!」

 

「そう、事実だけを反証すれば、鉄菜はただの人造血続。造られただけの、生態兵器と大差ない、撃ち抜くべき対象を見据える銃弾だ。今、吾に突きつけられているのと同じように。鉄菜は自分を兵器だと断じている」

 

「……鉄菜・ノヴァリスの、何が特別だって言いたいの……。性能なんて、大した事ないくせに」

 

「ああ、性能面だって、鉄菜は恐らく、今の候補生がちょっと訓練を積めば、なんて事はない、性能だけならば比肩出来るだろう」

 

 その言い回しが引っかかったのか、茉莉花へと桔梗は引き金に指をかける。

 

「……まるでそれだけじゃないみたいな言い草! 旧式の人造血続なんて、意味なんてない! あんなものに縋ったって、無駄なだけでしょうに!」

 

 一触即発の空気に誰もが固唾を呑んでいると、茉莉花はぽつり、と寂しげに呟いていた。

 

「……そうだな。客観的事象を鑑みれば、鉄菜は何でもないんだ。我々を今の今まで引っ張ってくれたのだと、勘違いをしているだけなのかもしれない。運命のいたずらと偶然の数々が、対外的に彼女をブルブラッドキャリアの希望なのだと、思わせているだけなのかもしれない……」

 

 茉莉花の声音に毒気を抜かれたのか、桔梗が銃を持つ手に力をなくす。

 

 だが、と茉莉花は直後、その拳銃を握り、自身の額に銃口を当てていた。

 

「これは……完全にそういう計算や打算じゃない。この調停者としての言葉でもない。こんなものは……戯れ言、そう、人間の言葉だ。今を生きる人間として、信じたいだけなんだ。鉄菜が行ってくれる事を、彼女の可能性を……。撃ちたければ撃て! 可能性を信じられず、それに弄ばれるだけだと言うのならばここで引き金を引けばいい! 決着は己でつけろ! ……だが、吾は何度も見せてもらった。可能性や計算式を完全に無視して、度外視してでも輝く……命一つを。心の在り処が分からないと喘ぎながらも、それでも前に進む懸命さを。……そんな今にも崩れ落ちそうな奴に、お前のやっている事は無駄だ、なんて……言えないじゃないか……」

 

 茉莉花も魅せられてきたのだ。鉄菜の行動と、そして実現してきた希望そのものに。電子の申し子たる彼女からしてみれば、計算外はなかった事になる。試算の外れは完全なる想定外であるはずなのだ。

 

 それをどれだけでも超越してきた鉄菜に、茉莉花も可能性を見ている。決して計算や打算だけが戦場を決定付けるのではない。

 

 人間としての命の在り方――心こそが、戦いの場のどん詰まりにおいても輝くのだと。

 

 桔梗は拳銃を握る腕を震えさせる。茉莉花が叫んでいた。

 

「撃ちたければ、撃て!」

 

「待ちなさ――!」

 

 声を挟みかけた刹那であった。

 

 銃声が轟き、ブリッジを震撼させる。桔梗の放った銃弾は壁に吸い込まれていた。硝煙を上げる拳銃を手にしたまま、桔梗はへたり込む。

 

 茉莉花より逸れた一撃に、当の彼女は声を振っていた。

 

「……狙えただろうに」

 

「……分かんない。分かんないんですよ! 何もかも! どうしたら正解なのか、誰も教えてくれないじゃないですか! こんなのが実戦だって言うんですか? こんな不確定なのが? ……みんな死んじゃうんですよ! 分かっているんですか! 《ゴフェル》が沈めばみんな……居なかったのと同じに……」

 

 泣きじゃくった桔梗が顔を伏せて涙する。ニナイは言葉を失っていた。他のクルーも同様だろう。

 

 桔梗の言い分もある一面では正しい。だから否定する材料は持たない。

 

 鉄菜一人に頼って、それで前回のように戦闘不能に陥れば皆が意気消沈する。そんな不確かなものを信じられないのは分かる。

 

 しかし、鉄菜は今までも絶望的な状況下で戦い抜いてきた。誰よりも苦難に塗れた戦場を生き抜き、そして希望を導いてきたのだ。

 

 その力強さに、自分達は頼り過ぎているのかもしれない。

 

 それでも、明日を信じてはいけないのだろうか。鉄菜の言う、明日を。未来を、信じてみたいではないか。

 

 茉莉花が静かに頭を振る。

 

「確かに絶望的だ。《ゴフェル》が沈めば、反抗勢力は一掃され、エデンの思うつぼだろう。……だがこれだけは言っておく。たとえ沈んだとしても、居なかった事にはならない」

 

 茉莉花が情報コンソールへと踵を返す。

 

 ――たとえ命が尽きても、居なかった事になるわけではない。

 

 その一語が重く沈殿する。自分の中の彩芽の死。それがあれほどの衝撃であったように、死んだからと言って意味がないわけでは決してないのだ。

 

 誰かの心にささくれとして残る場合もあれば、誰かの心を呼び覚ます事もある。死が終わりではないのはこの艦にいる誰もが知っている。

 

「……イリアスさん、持ち場に戻って。まだ、終わりじゃないのよ」

 

 艦長として、非情であろうともそう言葉を投げるしかなかった。そう、終わりではない。

 

 鉄菜が繋いでくれた。

 

 この繋がり――絆は決して折れてなるものか。

 

「……新連邦艦隊は衰えず……。進軍してきます。指示を」

 

 クルーの声にニナイは正面に向けた眼差しに力を込めていた。

 

「全速前進! モリビトを援護しつつ、このまま一気に気勢を削ぐ!」

 

 難しくとも、前に進むしかない。それが残された者達の務めだ。

 

 ――そうでしょう? 彩芽。

 

 




次回、12月30日、31日連続更新し最終回を迎えます。どうか最後までよろしくお願いします

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