ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯397 命の呼び声

 リードマンが緊急処置室にて、鉄菜の容体を確認する。無数のキーを打ち、彼もまた戦っているようであった。

 

「……やはり、無理なのか。鉄菜。もう、戻っては来てくれないのか……」

 

 その絶望的な宣告を鉄菜は遊離した神経で目にしていた。横たわった自分を、観察する自分がいる。

 

 ――死んだのか、私は。

 

 やけに醒めた精神で鉄菜は自身の身体を見やる。激痛に顔をしかめている己はまだ生きているのだろうか。それにしては、どこまでも続く累乗の宇宙が垣間見える。

 

 これは魂と現実の境目なのかもしれない。

 

 瑞葉が処置室の前で結里花と共に祈りを捧げていた。その瞳からは涙が伝い落ちている。

 

「クロナ……」

 

 ブリッジのニナイ達は必死に声を発していた。

 

「艦体砲撃を! 敵陣を突っ切る!」

 

「無茶です、艦長! 敵防衛網、止まりません!」

 

「スロウストウジャ編隊、依然として損耗率は一パーセント誤差未満! モリビトでもこれじゃ……」

 

「持ち堪えるのよ! 絶対に……取り戻すんだから」

 

 意地を張ったニナイの声に茉莉花が情報網を手繰らせる。

 

「月面からの計測で何とか《キリビトエデン》を打ち崩す方策を練れないかと思っているが……タイムラグが痛過ぎる……。相手はバベルをノータイムで使えるのが辛いな……」

 

「辛くっても前に進むしかないのよ。前方、新連邦艦隊に砲撃準備! 照準、てーっ!」

 

《ゴフェル》より放たれた砲撃が新連邦艦隊へと命中する。爆炎に包まれていく新連邦の艦の中で、人々は恍惚に包まれていた。

 

 エデンの編み出したバベルの詩篇による支配。それは人々から痛みさえも奪っていた。

 

 この戦いに、彼らは疑問符の一つも挟まない。エデンの意のままに操られ、ブルブラッドキャリア殲滅に際し、戦いを止めようともしないだろう。

 

 最後の一滴になるまで、相手も戦い抜く腹積もりだ。

 

 ――どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 鉄菜は空域を支配する悪意を睨む。

 

 フィフスエデン、悪意の象徴たる青いキリビトが四本腕を操り、リバウンドプレッシャーを編み上げる。

 

 その攻撃網を掻い潜るのは、桃の《ノクターンテスタメント》だ。

 

 猪のような鈍重そうな機体がリバウンド力場を得て飛翔し、高出力R兵装を絞る。敵陣を突き抜けるR兵装の瞬きを目に焼き付けつつ、桃はしゃくり上げていた。

 

「何で……何で……。クロぉ……っ」

 

 彼女は泣いていた。痛みに呻いているのだ。

 

 分かり合えない戦い。どうしたって、終焉の来ない醜い争い。

 

《イザナギオルフェウス》が太刀を返し、敵の胴を割る。さらに加速し、一刀両断の勢いを滾らせていた。しかし、彼も苦痛に表情を歪ませている。何も感じないと嘯いていた男でさえも、この戦場に苦悶を浮かべていた。

 

「俺は……傲慢なる罪を重ねてきた。これが報いだと言うのか……」

 

 蜜柑の《イウディカレ》がトマホークビットを駆り、ライフルで敵への精密狙撃を見舞う。敵艦のブリッジを焼いた一条の攻撃に彼女は目を背けていた。

 

 人殺しには違いない。稀代の殺戮者だ。

 

「……でも、ミィは……逃げたくない。逃げたら、だって……林檎に顔向け出来ないもの!」

 

 その一心で彼女は戦い続けている。本来、戦いとは最も縁遠い精神でありながら、戦場に身を置き続ける。

 

 ライブラのバーゴイル編隊が隊列を組んでプレッシャーガンを浴びせかけるが、スロウストウジャ編隊はそれを児戯のように回避し、一斉掃射を返していた。炎に包まれるバーゴイルから、懇願の声が迸る。

 

『嫌だ! 死にたくない! 死にたく――』

 

 祈りは淘汰され、希望は啄まれていく。ライブラ部隊を率いる《フェネクス》を駆るレジーナは声を迸らせていた。

 

「退けない……退くものか! ならば何のために、私は生き永らえた! そうだろう……エホバ!」

 

《フェネクス》の二刀流が敵機を掻っ切っていくが、それでも一機に出来る事はたかが知れている。すぐさま敵陣が密集陣形を取り、砲撃を浴びせかけてきた。その攻撃を止めたのは《イクシオンカイザ》の放ったRブリューナクである。残りカスのようなRブリューナクそのものを盾として、カグラが戦場を駆け抜ける。

 

「……血続であるのが罪と言うのか。戦うのが罪だと言うのか! ……それとも生きているのが……。ならば、私は生きていたい! 罪人でも、生きていていいはずだ!」

 

《イクシオンカイザ》が格闘兵装で敵機と打ち合う。そのすぐ脇を捉えようとしたスロウストウジャを、ヘイルの機体が押し返していた。

 

「負けられない……! 帰るんだ! 約束したんだよ! ……燐華、だから俺を……導いてくれ! 平和への道標に!」

 

 街頭スクリーンに映し出される戦いを目にする人々は、エデンを信じ切っているようであった。

 

 その戦いもまた日常の一つだとでも言うように消費していく。

 

 しかし、血続コミューンだけは違っていた。

 

 彼らは皆、願っていた。祈っていた。信じられる明日が来る事を。そのために、ブルブラッドキャリアは剣を取っているのだという事を。

 

「……死にたく……ないよ」

 

 かつての桃の姿の生き写したる少女が涙を頬に伝えさせる。

 

 涼やかな風が吹き抜ける白亜の家屋で、燐華は静かに祈りを捧げていた。

 

「お願い……ヘイル……鉄菜……みんなを、守って……」

 

 その祈りに自分は触れる事は出来ない。叶える事は、永劫出来ないのだろか。

 

 思惟が溶け合い、自然界に風となって流れていく。

 

 新連邦政府が新たな要請を得て新造艦を発進させた。次々に勢力を増す新連邦の兵士達がモリビトと打ち合い、その命を散らしていく。

 

「勝つのは我々だ! フィフスエデンを信奉する既存人類こそが、この星を生き抜くのに相応しい!」

 

 ――ああ、誰もが、と鉄菜は感じ入る。

 

 誰もが明日を生きていたいと願いながら、どうしてこうもすれ違ってしまうのだろう。皆の願いと祈りは等価なのに、どうしてこうも争い合うしかないのだろう。

 

 その中心軸で、悪意を流転させるフィフスエデンは《キリビトエデン》の中で哄笑を上げる。

 

『我々こそが法だ! 封じていた元老院とレギオン、それに万物に報復する権利を持っている! この星の中枢にアクセスが完了するのもそう遠くない。もうすぐだ! もうすぐ完全なる支配が訪れる!』

 

 鉄菜は流れるままに、涅槃宇宙を辿り、星の命の中心――命の河を目にしていた。プラネットコアを囲うように青い命の運河が重力を無視して流れている。

 

 それは人の血潮に似て、どこまでも静謐を湛えたまま、流れに任せているようであった。

 

 人の世もこのようなものであったのかもしれない。

 

 流れに任せ、そしてある時には流れに逆らい、生き永らえてきた。人機と言う禁断の果実を操り、星を罪の色に染めてでも、人類は生き残りたかったのだろう。

 

 その願いと祈りを、無為だと蔑む事は出来ない。生き意地が汚いと言うのは勝手だが、人類はそれでも、生存の方向を選び取ってきた。

 

 いつだって、生きていたかったはずなのだ。

 

《ゴフェル》格納デッキへと敵艦の砲撃が浴びせかけられる。

 

 タキザワが声を飛ばし、気密を確かめていた。操主服に袖を通して通信域に怒声を滲ませる。

 

『すぐに下がって! 消火急ぐんだ! 絶対に、これだけは……守り通さなくてはいけない……! 鉄菜の……モリビトを』

 

 最奥に佇むのは、自分の望んだ最後のモリビト。最後の絆の剣――《モリビトザルヴァートルシンス》。

 

 しかし、そこに至るまでの方法は永遠に失われてしまっていた。

 

 自分の身体より魂が遊離し、世界と溶け合っていく。

 

 これが星の息吹、これが世界という存在。そんな流転に比して人類の営みの如何に小さい事か。

 

 それでも争わざるを得ない。それでも勝ち取りたくって今日も戦うしかない。

 

 人類の功罪を乗せて、星は回る。虹色の罪を湛え、星の運命は両陣営に分かれてしまった。

 

 エデンが惑星中枢へとバベルを用いて介入しようとしている。

 

 だが、自分に何が出来ると言うのか。

 

 こうして、誰かの戦いを眺める事しか出来ない。そんな、何も出来ない身に、何が……。

 

 ――何をやっているんだ、旧式。

 

 その声に鉄菜は振り返る。林檎が強気な眼差しでこちらを見据えていた。

 

 ――蜜柑も必死に生きているんだ。みんなで、世界を変えようとしている。

 

 ――そうマジ。鉄菜、あの時お別れしたのは、鉄菜がきっといい未来を作ってくれるんだと、信じたからマジよ。

 

 ジロウがアルマジロの躯体を振るって声にする。

 

 言葉をなくした鉄菜へと、背後より声がかかっていた。

 

 ――約束したわよね、鉄菜。

 

 その声音に覚えず硬直する。

 

 彩芽がウインクして指鉄砲を向けていた。

 

 ――鉄菜、貴女は変わりなさい。変われなかったわたくし達の代わりに。それに、言ったでしょう? 心は、そこにあるのよ。こうしてわたくし達の事を思い出してくれる。そこにこそ、貴女の求めた、心の在り処が……。

 

 彩芽達が暗がりを超え、涅槃銀河の向こう側へと導かれていく。虹色の宇宙を漂う魂達に鉄菜は手を伸ばそうとして、不意に耳朶を打った声に足を止めていた。

 

 ――聞こえる。命の、呼び声が……。

 

 その声へと手を伸ばす。

 

 命の花は、追い求めていた、青い青い、一輪の花――。

 

 


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