ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯391 愛のカタチ

 ニナイが下さなければならないのは非情なる判断であった。それもそのはずだ。自分に課せられたのは、《ゴフェル》の艦長として再び皆の生存を預かるという使命。その使命をないがしろにして、いたずらに被害を増やすわけにはいかない。

 

 だから、桃と蜜柑、それにクルー達が並び立つ整備デッキに降り立たなければならなかった。茉莉花が声を促す。

 

「艦長。吾からは何も言わない。だが、言うべき事は分かっているはずだ」

 

 自分は今さら誰かに願われるような生き方をしていない。だから、ここから口にするのは自分のわがままに過ぎない。

 

「……みんな、鉄菜の事、知っての通りだと思うけれど、現状ではブルブラッドキャリアはソドムへの侵攻は不可能です。この状況で戦えと言うのは無茶無策に過ぎない。それに、命を散らせと言っているのと同じだと。……ここで降りても誰も止めないわ。私達は戻れない修羅になったつもりはない。ミスターサカグチやライブラ、それに新連邦の二人には……辛い仕打ちになるかもしれないけれど」

 

 一瞥を向ける。新連邦兵士であるはずのヘイルとカグラは静かに面を伏せている。彼らにも思うところがあるはずだ。

 

「私達は……二年前に世界に是非を問うた。その結果が、これならば甘んじて受け入れるしかない。今回ばかりは、私達でも対処し切れない、敵なのよ。だから、誰も責めないし、誰も恨まないわ。それはだって、皆がそうだもの。みんな、必死に戦ってきた。必死になって戦って、そして掴み取った結果がこれなのよ。なら、私達がこれから先戦うとすれば、それは結論のついた話に、さらなる結果を伴うという事。無論、痛みもあるわ。それでも、前に進んで……死んだように生きるのだけは嫌だという人だけが、残ってちょうだい」

 

「クルーの安全は保障する。《ゴフェル》の脱出ポッドを使えば月面までの片道切符はある。月面に至れば敵の支配もしばらく及ばないだろう。月に帰って、静かに余生を過ごす手もある。誰も責めやしない。むしろそれが……ブルブラッドキャリアとしては正しい判断なのかもしれない。月と星は、結局平行線のまま、そのままの歴史で……」

 

 そう交わる事のなかった交点。それがたまたま交わり、そして自分達の拠点になっているだけ。本来ならば、存在さえも知らなかった場所だ。最も安全なのは間違いないだろう。二年前の決意とは違う。これは逃げではない。何も責任は伴わないはずだ。

 

 平穏に生きるのに、この星では棲みづらかっただけの事。それだけの、ただの事実。

 

「三時間後、残る人間と月面に戻る人間は決めておいて」

 

「……艦長は、どうするんですか」

 

 ふと湧いた声にニナイは返答する。

 

「……私の答えであなた達の運命を縛りたくないの。だからあえて、これは個人的なものにしましょう」

 

 ニナイはその言葉を潮にして身を翻す。

 

 隔壁を超え、上部ブリッジに至ったその時に、後ろからついてくる茉莉花が声にしていた。

 

「……艦長としては逃げられない、か」

 

 見透かした声にニナイは正直に話す。

 

「……どうしたって、《ゴフェル》を進めるのは私個人の意見になってしまう。だから、二年前のようにお願いは出来ない。そう……出来ないのよ、茉莉花。もう、お願いなんて。だって、桃も、蜜柑も……鉄菜だって、充分に戦った。戦ってきたはずなの! それなのに、もっと過酷な道を進めって? そんな非情な事、私は……」

 

 濁した先に茉莉花が端末を手繰って声にする。

 

「鉄菜の意識は依然として戻らない。桃と蜜柑のモリビトは整備中。タカフミ・アイザワ、それにミスターサカグチも出てくれる。だが、戦力差は歴然。千対一という見立てがまだ生易しいほど。ソドムに惑星中の戦力が集まってきている。古代人機でさえ……。吾らを拒むみたいね」

 

 何と言う現実だ。自然界の現象でさえも自分達を惑星から追放しようとするのならば、もう対処など出来ないではないか。拳を骨が浮くほどに握り締めたニナイは、言葉を振っていた。

 

「……そんなでも、逃げたくない。でも、これを誰かに強いたくはない」

 

「艦長としての立場、か。だが、このままでは犬死にだ。《ゴフェル》は何のために建造されたのか、その理念を忘れたのか?」

 

「忘れてないわよ! ……忘れる、ものですか。ブルブラッドキャリアに、……本隊に弄ばれた運命から抗うために、この方舟はあった。でも、ここまで来てどうするって言うの? 本隊は消えた。でも星は、依然として私達を拒み続ける! こんな現実の中で生きろって? そんなの……酷よ」

 

 そう、残酷が過ぎるのだ。これ以上、何と戦えと言うのか。星そのものが自分達を拒絶し、エデンの率いる数千、数万の民が蜂起し、ブルブラッドキャリアと血続の排斥を訴えかける。

 

 無論、それはフィフスエデンによって作られた、偽りの敵、偽りの平穏を成り立たせるための犠牲だ。だが、こうも言える。星の人々は、一方的な生贄を望んでいるのだと。

 

 誰かが捧げられれば、それを皆がこぞって支持する。そのような基盤がもう出来上がってしまっているのだ。

 

 今の自分達では報復作戦どころではない。

 

 フィフスエデン相手に、対等に立ち向かえるかさえも怪しい。

 

 そんな状況下で、如何にして主張を捻じ曲げず、真っ直ぐに叩きつけると言うのか。八年前の報復作戦とはわけが違う。

 

 バベルを失い、そして民草全てが自分達を敵視する地獄――。拒絶しかない世界に何を見出そうと言うのか。

 

「……鉄菜なら、何か言ってくれたかもしれない。でも、私達はもう、鉄菜にこれ以上背負わせちゃいけないのよ。あまりにあの子は……長い間、過酷なものを背負い過ぎた……」

 

 背負い込む癖がついてしまっていたのかもしれない。鉄菜はしかし、指針であった。立ち向かうための、自分達が寄る辺とする戦いへの……。

 

 だが、鉄菜が倒れ、そして《ゴフェル》がどれほど抵抗しても無意味だと断じられた今、どうしろと言うのだ。

 

 戦っても無為ならば戦わないほうがいいではないか。

 

 そう、発しかけたニナイに茉莉花が言葉を投げかける。

 

「……ニナイ。吾は、調停者……ブルブラッドキャリアのために、世界のために投げられた存在だ」

 

 不意に発せられた茉莉花の独白にニナイは困惑する。彼女はそのまま続けていた。

 

「吾に出来る事は戦う事、それを支援する事のみだと……生まれた時より分かっていた。そうなるように、仕向けられていたんだ。その事実に何も疑いはなかったし、疑ったって仕方なかった。……そういう疑念がないから、ラヴァーズからブルブラッドキャリアに寝返る時も何も感じなかったんだ。……だが、《ゴフェル》のクルー達と、そして鉄菜達とこの二年、触れ合って分かった。……お前らは馬鹿だ。勝てない勝負に身を投じ、そして結果論だけで押し進もうとする。そんな無策、無茶無謀を見ていられない。ああ、そうさ。見ていられないんだ。……鉄菜の不在でこうも困惑する《ゴフェル》も……吾が家族と認めた者達が、意味もなく死んでいくのも」

 

 面を上げた茉莉花の頬を大粒の涙が伝い落ちる。茉莉花からしてみればこの世界で唯一の家族。唯一の信頼出来る存在。それを自分はもう戦えない、何も出来ないと投げようとしていた。

 

 その事実に胸が押し潰されるよりも先に身体が動いていた。

 

 茉莉花を抱き留め、強く体温を感じる。彼女はしゃくりあげていた。ここに来て初めて、少女の年齢に相応しい弱音が漏れる。

 

「……勝てないかもしれない。みんな、死んでしまうかもしれない。それが吾は、こんなにも怖い。何でなんだ、教えてくれ、ニナイ……! 何でこんなに失ってしまうのが怖いんだ? こんなのは、調停者身分からしてみれば欠陥ではないのか? こんな機能、誰がつけろって……」

 

「きっと! ……きっと、神様がつけてくれたのよ。茉莉花、あなたにも感じるだけの心を」

 

 そうだ、まだここには心一つがある。

 

 自分の中にも一つ、茉莉花の中にも一つ。それだけではない。《ゴフェル》クルー全員を合わせた、心そのものが。

 

 鉄菜はこれを探し求めていたのかもしれない。

 

 誰かに頼り、誰かに縋るのではない。

 

 自分で見出す、自分の帰る場所、心の帰還出来る――安息なる家族を。

 

 それだけをただ求め続けて、彼女は傷ついてきた。誰よりも深く、傷ついてきたのは間違いない。それはここにいる茉莉花や自分だってそうだ。

 

 前に出て、傷つき傷つけ合い、その果てに待っていたのが世界の拒絶。

 

 世界の悪意というそのものの膿が、エデンの指揮で一斉に牙を剥く。そんなものを見るために戦ってきたのか。そんなものの決着を見届けるために、今まで戦い抜いてきたと言うのか。

 

 彩芽を失い、林檎を失い、そして、数多の犠牲を払って得たのが、こんな未来だと言うのか。

 

 ――否、断じて否のはずだ。

 

「……鉄菜。あなたの信じた未来に、私達は恥じないように生きたい」

 

 茉莉花が首肯し、自分から手を離す。出来るだけ涙を拭おうとしていたが、鼻の頭が赤くなっていた。

 

「……そうだな。鉄菜が、ここまで押し上げてくれたんだ。だったら、こちらだけでも報いる。ニナイ艦長……いいや。無事に帰還出来たらでいいのだが……お母さん、って呼んでもいいだろうか」

 

 すぐに撤回しかけた茉莉花の言葉にニナイは頷いていた。

 

 そんなあたたかな名前で呼んでくれるのならば。自分のような罪人を、ほんの少しでも許してくれる名前があるのならば――。

 

「約束するわ、茉莉花。私達は、だから死ねない」

 

 そう、死ねない理由が出来た。無事に帰還し、茉莉花に安息の場所を与える。

 

 それが艦長の、いや、母親の務めならば。

 

「……私達は、最後の最後まで戦うわ。そして生き残る。鉄菜が残してくれた、未来を掴むために」

 

 


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