ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯390 君死にたもうことなかれ

『サカグチ。それは無理に近い』

 

 すぐさま応じたライブラ局長にサカグチは焦らずに応じていたが、内心では焦りどころか、衝撃を受けている。

 

 まさか、今まで果敢に戦い抜いたあの因縁のモリビトの操主がここに来て死に体など。笑えもしなければ、何も言葉さえ出ない。

 

 自分はただ能面を装って出来る事をやるだけであった。

 

「それでも。頼む。一機でもいい」

 

『一機でもと言うが、我々は所詮、自衛組織に近い。出せてもナナツーやバーゴイルになる。そうなった場合、《スロウストウジャ弐式》編隊と戦い抜いて、死者が一人も出ないと思うのか?』

 

 局長としてレジーナには慎重な判断が望まれるであろう。そうでなくとも、ライブラの立ち位置は危ういのに、ここでいたずらに兵士を死なせたとなれば後々の禍根は間違いあるまい。

 

 それでも、とサカグチは粘っていた。

 

「……俺は、あのモリビトの操主の戦いに報いなければならない。それ以外で応える方法を知らないんだ」

 

 詰めた声にレジーナは瞑目していた。

 

『……考えさせてくれ』

 

 通信が切られる。それも無理からぬ事。死ねと言って兵士を送り出す指導者がどこにいる。

 

《スロウストウジャ弐式》は平時であっても戦闘は避けるべき性能の機体。それをあれほどの数と規模で戦うとなれば、玉砕も覚悟せねばなるまい。

 

 ――玉砕、か。サカグチは内心、自嘲する。

 

 二年前にはあれほどモリビトとの決着にこだわり、自身の腕や足がもがれてもそれでも立ち向かう気概が湧いていたのに、今持っているのは何としてでも、あの少女を救わなければならないと言う思いだ。

 

 執念が、時が経てばこうも移り変わる。

 

 それはあの時、《モリビトシンス》との最終決戦で垣間見た涅槃宇宙が影響しているのかもしれない。

 

 星の行き着く果て――ある意味では答えを得たこの身が、行き着くべきもの、辿るべき鞘を見据え、そしてライブラの構成員として名前を改めて戦いに身を置くと決めた。

 

 だが、いざ戦ってみれば犠牲になるのはいつだって、心優しく弱き者達。

 

《ゴフェル》の内部を目にして思ったよりも少女や若いスタッフが多い事に驚いてしまった。

 

 彼らは若輩の身であっても、それでも世界へと抗いの声を上げる事を選び、こうして戦ってきたのだ。

 

 しかし、その求心力が急激に失われたのを実感する。

 

 全ては、あのモリビトの少女にこそあったのだろう。彼女さえ無事ならば、ブルブラッドキャリアはいくらでも戦い抜けただろうし、どれほど残酷でそして無謀な作戦でも呑んだのだろう。

 

 その均衡が崩れたのはひとえにあの少女が死に瀕したからに違いない。

 

 ブルブラッドキャリアはたった一つの希望のために、今まで贖い、そして星の罪と向き合い続けてきたのだ。

 

 その大いなる覚悟に圧倒される。

 

「……鉄菜・ノヴァリス。我が怨敵と決めた名前を、このような心地で呼ぶとはな……」

 

 自分でも想定していない形での言葉に、胸の奥に沈殿するものを感じる。UDとして全ての罪を背負ってでも戦いモリビトを駆逐すると決めていた時とはまるで違う感情だ。

 

 最早、失うものなどない。そう思い込んでいた朽ちたはずの身は、思ったよりも因縁に雁字搦めにされていた。

 

 それは鉄菜に、でもあり、この艦で居合わせたタカフミに、でもあった。

 

 身の不実はいつだって、不本意な形で突きつけられる。それが嫌と言うほど分かってしまった。

 

 サカグチは通信機から離れ様に、ずっと集中治療室から離れようとしない一人の女性の姿を目にしていた。

 

 データ上では閲覧した事があるものの、実際に邂逅するのは初めてであった。

 

 瑞葉――ブルーガーデンの強化実験兵。戦場で何度か交錯したとは思えないほどに、その瞳には慈愛が満ちている。

 

 抱えた娘と共に、まるで聖母のようにサカグチの澱んだ眼には映っていた。

 

 彼女も、今回の敵に因縁のある身。何かしら思うところがあるのかもしれない。

 

 歩み寄り、サカグチは静かに尋ねる。

 

「……俺の事は」

 

「アイザワより、少しだけ。本当の名前は……桐哉・クサカベだと窺っている」

 

 捨てた名前だ、と断じてもよかったが、彼女があやす幼い娘の相貌を垣間見て、そのような些末事にこだわっている己に恥じ入った。

 

「……アイザワとの?」

 

 問いかけると瑞葉は微笑んでいた。

 

「大切な……存在なんだ。不思議だと、そう思うかもしれない。サカグチ……」

 

「桐哉でいい」

 

 目線を振り向けずに応じた声には僅かながら強情さも含まれている。我ながら度し難い阿呆だ、と自嘲する。格好つけてもどうしようもないほどに、呪われていると言うのに。

 

 だが、その点では彼女も同じはずだ。呪いの上に成り立った生のはず。

 

 何度か耳にした。強化実験兵――そのおぞましき実態を。ブルーガーデンでは当たり前のように浪費されていく兵士の一つであったのだと。違法薬物、それに精神昂揚剤と人機との過度の同調、それによる機械との垣根の消滅。どれもこれも、考えるだけでも人間を冒涜する行為ばかり。

 

 しかし、その冒涜の青い園から、瑞葉は救い出されたのだ。

 

 たった一人の愛する男の手によって。

 

 こうも変われるのか、とサカグチは顧みる。彼女はこの八年余りで変わり、そして新たなる命さえも紡ぎ出した。その手は血濡れのまま人殺ししか知らないはずの強化兵が、ここまで来られたのだ。

 

 ならば、足踏みしているのは自分のほうではないのか。

 

「……俺は、常にモリビトを越えなければ、と研鑽の道を歩んできた」

 

 だからか、過去を喋る癖がまるでない自分が、どうしてだか瑞葉にだけは言い出せる気がしたのだ。

 

「モリビトによってかつての栄光を追われ、全てを俺は失った。名前も、家族も……何もかもだ。恨んださ。恨み、怨念を抱き、そして復讐心で身を焼いて、モリビトを倒す事だけを至上の望みに上げてきた。……だが、こうして対面すれば分かる。俺が超えるべきは、鋼鉄のモリビトではなく、こんなにも柔い……ただの一人の少女であったのだと」

 

 今にも崩れ落ちそうなたった一人の少女。鉄菜という一個人を越えられない時点で、己は敗北者であった。

 

 そんな簡単な事にさえも分からずに、今の今まで戦い抜いてきた。

 

「桐哉……」

 

「……我ながら阿呆だとは思う。俺はそれでもまだ……モリビトとの決着をどこか心の中では望んでいるんだ。今にも……鉄菜・ノヴァリスは起き出して、そして俺と戦ってくれるのを、どこかで望んでいる……。そんな愚かしい自分が今は最も憎い……。かつてモリビトに全ての怨嗟を置いた男の果てとは思えまい。笑えるだろう?」

 

 問いかけたが瑞葉は笑いもせず、馬鹿にもしなかった。首をゆっくりと横に振り、そして微笑む。

 

「クロナに、そっくりなんだな。お前も」

 

「俺が彼女に……?」

 

「クロナは、何度もわたしに問いかけた。心はどこにあるのか、と。心の在り処が分からない。何でみんな、心に誓える、心を感じられる、と……。何度も呻いていた。苦しみ続けて、戦場で心を求めるなんて、どう考えたっておかしいはずだ。だって、そう考える時点で、もう心は……。何度も、そう言おうとした。もう持っているじゃないか、と。だがクロナは、きっとまだ探しているんだ。自分の心を。誰のものでもない、作りかけかもしれない自分の、本当に信じるべき心の在り処を」

 

「心の在り処……か。似ていると言うよりも、対照的だな。俺は、その心はモリビトを討つ事でのみ報いられるのだと思っていた。ゆえに、心は常に我にある、と。……だが、考えてみれば驕りだ。俺の、傲慢の罪の一つだ。心は刃――そう規定して、線引きをして、だから何も考えなくっていい、だから何も感じなくっていいのだと。冷たく切り詰めたばかりの心で、相手を切り裂き、その心臓を貫く事でのみ、意義を持つのだと……そう、俺は思い込んでいた。そう決める事でのみ、俺は、俺であるのだと、そう信じたかったのかもしれない」

 

 自分はあの日――ハイアルファー【ライフ・エラーズ】を受けてから、もう人ではない人でなし。だからこそ、心の在り処だけは確固として持っていた。心だけが、修羅に堕ちかねない自分を繋ぎ止める、たった一つの確かなる寄る辺。

 

 その点でも、鉄菜と自分はまるで正反対。

 

 鉄菜は戦って戦って、その中で果てに向かっても、それでも分からなかったのだろう。

 

 心と言う、たった一つ。誰でも当たり前に持っているはずのそれを、彼女は生まれ持って分からない。分からないから問い続けるしかない。

 

 ――心はどこにあるのか、と。

 

「……救われないな。その在り処を、せめて俺だけでも、理解しておくべきであったのだろうか。モリビトを超えようとした愚者が、それだけでも分かってやれれば、そうするのならば少しでも……」

 

 救いであったかもしれない、と思いかけて、これ以上は言葉にするも野暮だ、と霧散させる。

 

 結果論、全てがこれまでの戦いの上に成り立つ経験則だ。

 

 だから、心の在り処なんて不確かなものも、きっと人間が誰かを思いやる過程で身につけた、ただ一つの良心であるのかもしれない。

 

 如何に人間が残酷に成り果てようとも、心を持っている人間とそうでない人間には明瞭なる差がある。

 

 心のない人間には、終わりがない。その怨嗟も、憎しみも、そして渇望でさえも。

 

 終わりのない乾きの中で、ずっと生き続けなければならない。銃弾は冷酷だ。冷酷に、そのような人間ばかりを生かしていく。優しい人間ばかりを殺し、心の在り処の分からない人でなしばかりを生かしていくのが世の常だ。

 

 だから、そんな雁字搦めの常識を覆したくって、少しでも引き千切りたくって、そのために足掻く。そのために抵抗する。

 

 それが生きていく、という事なのだと、自分は死んでからしか学べなかった。

 

 その愚かしさに我ながら情けなさが勝る。自分は、生きて生きて、その上で答えを出しかねている鉄菜の足元にも及ばない。

 

「……モリビトの操主。一言だけ言っておこう。――死ぬな。貴様を倒すのは、この俺だ」

 

 不器用にしか振る舞えない。それでも、そこに信念があるのならば。

 

 どうか死んでくれるな。

 

 それだけが自分に願える全てであろう。

 

 


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