「馬鹿者が――ッ!」
奔った剣閃はあまりにも遅い。それでも、届けと願った意思と共に黄金の力を引き出したサカグチは《イザナギオルフェウス》を駆け抜けさせていた。
《キリビトエデン》の攻撃が命中し、火達磨になった《モリビトシンス》を落下直前に拾い上げる。即座に刃を立てさせ、コックピットを救助していた。
それでも重症なのが窺える。サカグチは《ゴフェル》へと声を荒立てさせる。
「すぐに! このモリビトの操主を救援して欲しい! ここで彼女を死なせてはいけない!」
その言葉に砲撃特化のモリビトが援護射撃を見舞いつつ、《イザナギオルフェウス》に合流する。
『クロ……っ!』
「重装甲のそのモリビトならば艦まで後退出来るな? 一度戦局を立て直す。俺は出来るだけ敵を引き付ける。その間に急速離脱しろ」
刃を振るい、今もこちらへと襲い来る敵機を薙ぎ払う。重武装のモリビトは一拍の逡巡を挟んだ後に後退していた。
「……こんな場所で死なせて堪るか。我が好敵手よ。貴様はあの時、俺にこの残酷な世界で生きろと言った。その責は果たしてもらうぞ。そうでない死など、俺が拭い去る!」
射程にある敵を《イザナギオルフェウス》は急加速に達し、剣を掲げて斬りさばいていく。敵影一つ一つに頓着していては勝てるものも勝てない。
敵陣を一個の網として認識し、網を破るイメージを伴わせて剣を振るっていた。
その中枢にいるのは間違いなくあの肥大化した紺碧の人機――《キリビトエデン》。しかし、単騎では到達出来ない。
せめて、《モリビトシンス》が万全のうちにあの強大な一撃を振るえばまだ勝機はあったのだが……。
「いや……我ながら女々しいぞ。誰かに勝運を頼るなど」
しかし、とサカグチはまた襲ってくるスロウストウジャを斬り払って息をつく。
敵は数だけに物を言わせたわけでもない。一機一機が、八年前には相当なる戦力を誇ったスロウストウジャの改修機である。アンヘル時代においても重宝されていた汎用性と、そして強大なる連携を可能にするだけの性能。
嘗めれば即座に墜とされる。
ゆえに一瞬も気を抜けない戦局の中で、サカグチは牽制用のRバルカンを放っていた。格闘兵装のみに特化した《イザナギオルフェウス》が格闘を出し渋るという事は即ち、押されているという意味だ。
この状況下ではどのような人機でも本来の能力を発揮出来ないだろう。
何よりも、と視野に入れたのは間断のない砲撃を浴びせてくる古代人機であった。
古代人機が相手の戦力に寝返った――この衝撃は大きいだろう。新連邦の人々が洗脳されただけならばまだしも、星を守る存在である古代人機でさえも相手は掌握する。その事実に少なからず震撼している者もいるはずだ。
「……古代人機。これもまた因縁か。しかし、《イザナギオルフェウス》。勝てないのか、ここまで追い込んでも……俺では……。モリビトの操主の代わりにはなれないのか……」
上空より一斉にプレッシャーライフルが掃射される。サカグチはその砲撃網を小刻みに焚かせた推進剤で回避しつつ、応戦の刃を軋らせる。
襲いかかってきた敵を一機、また一機と撃墜し、真紅の機体がブルブラッドの血の青に染まった。
攻勢を浴びせてくる相手へと剣で応戦するが、不意に刃の耐久率が下がったのをサカグチは関知する。
即座に離脱し、一閃を回避してから舌打ちを混じらせていた。
「……刃こぼれか。あまりに敵を斬り過ぎたな。それに、プレッシャーソードとの打ち合いはそこまで加味されていない。耐久の限界か……」
《イザナギオルフェウス》は一撃離脱型の人機。長期耐久戦闘は想定されていない。サカグチは無線に声を吹き込んでいた。
「一度、艦に戻らせてもらう。補給を受けなければいずれにせよジリ貧だ」
だが、とサカグチは後退しながら歯噛みしていた。
「……敵を前にしてむざむざ撤退、か。苦いものを感じさせてくれる。世界というものは……」
その世界も既に闇に堕ちたか。《キリビトエデン》がまるで星を掴むかのように四つの腕を天に掲げる。
支配者だとでも言うのか、馬鹿な、と吐き捨てた胸中に、サカグチはここで退く己の恥を思い知っていた。
撃墜の報に瑞葉は廊下を走り込んでいた。
まさか、まさかと急いた気持ちに緊急医務室へと入っていく鉄菜を瑞葉は目にしていた。覚えず口元を押さえる。
Rスーツをいくつかの破片が貫いていた。傍目にも瀕死なのは明らかである。名前を呼ぼうとして、瑞葉は桃に遮られていた。
「……今は、何も……」
「クロナは……また、傷ついたのか……」
無言を是とする桃に瑞葉は固く瞼を閉じる。どうして、真っ先に傷つく道を選ぶのだろう。鉄菜にだけは傷ついて欲しくないのに。
その沈黙に桃は声を荒立たせていた。
「モモだって……泣けるものなら泣きたいですよ! でも泣いちゃいけないんだ……! だって、戦いはまだ終わっていないのに……」
自分だけ可哀想がるなんてどうかしていると言いたいのだろう。桃達執行者はそうでなくともこの戦線で深く傷ついているはずだ。何も鉄菜だけが犠牲者ではない。
それでも、瑞葉にはこの現実が耐えられなかった。
どうしていつも鉄菜が深く傷つかなければならない。どうして、と言う思いが胸を占める中で、一人声にする少女がいた。
確か候補生でありながら《ゴフェル》のブリッジに出入りが許されていた、桔梗という名前の少女であったか。
彼女はこの重く降り立った沈黙の中で受け入れられない現実に喘いでいた。
「……おかしいじゃないですか。教官、これが戦いだって言いたいんですか? 教えていただいたのと違う……! 《モリビトシンス》はあそこでエクステンドディバイダーを撃っていれば勝てていた。《イウディカレ》も、《ノクターンテスタメント》もそうです。もっと積極的に敵を墜とせば、勝てていた戦局だった。これが! こんな他愛ない戦闘が、ブルブラッドキャリアのやる事だって言うんですか! こんなの、違う!」
桃が桔梗の胸倉を掴み上げる。そのまま振るわれるかに思われた張り手を、彼女自身が必死に押し留めていた。
ここで誰かに八つ当たりした事で何になるのか、というのは桃が一番によく分かっているはずだ。
その手を握り締め、桃は痛みに呻く。
「……クロの容体が回復するまで、《ゴフェル》は後退しつつ敵の攻撃を極力受けないようにする。それが今出来る最善よ」
「……足手纏いの執行者一人、放っておけないんですか!」
分かっている。誰もが分かっているのだ。鉄菜に、たった一人に背負わせ過ぎた。鉄菜の判断さえあれば勝てるのだと無条件に思い込んでいた。
それは二年前のアンヘルとの苛烈なる戦闘があったからかもしれない。鉄菜は幾度となく不可能を可能にしてきた。だから希望を見出すのも仕方ないのだろう。
それがどれほどに身勝手なのだと、知っていてもなお。桃は自らの弱さに歯噛みしているようであった。蜜柑も同じだ。教官としての身でありながら候補生に何も言えない。何も言えないまま、彼女らは痛みに呻いている。
合流したのは茉莉花とニナイであった。
「……容体は?」
切り出した茉莉花の声に迷いはない。少しでも回復すればすぐにでも出すつもりなのが窺えた。
リードマンが代表して声にする。
「……芳しくない。人造血続の回復力を加味しても、それでも身体に深刻なダメージを受けている。それに、身体だけではない。心にも、だ。直前のログを観させてもらった。鉄菜は撃てない、と言ったんだね?」
その確認に茉莉花は首肯する。リードマンは面を伏せて言いやっていた。
「……ならば回復しても、戦力として期待するのは間違っているのかもしれない。それに《モリビトシンス》が大破した。今使えるのは、《モリビトザルヴァートルシンス》のみ。しかしあれは不確定要素が大きい。現状の仔細なる概要が明らかにならない限りは使っても無駄かもしれない」
『その言葉には僕も同意だ』
繋がれたタキザワが《ザルヴァートルシンス》のデータを全員に同期させる。
「……ザルヴァートルシステム……」
瑞葉も携行端末にそのデータを参照していた。
「……意識の統一を果たし、鉄菜の観測してみせたと言う概念宇宙……涅槃宇宙へとアクセスして人々の闘争心の芽を摘むシステム、か」
ならばこの戦局に打ってつけではないのか。その素人の疑問に桃が頭を振っていた。
「でもそんなの……不確かが過ぎる」
『それに鉄菜が本当に概念宇宙にアクセスしたのかの客観的証拠にも乏しい。これはただの……ロマンに過ぎない兵装なのだと言われてしまえばそこまでだ』
ならば勝機はないのか。この圧倒的不利な戦局に、光明は一つもないと言うのか。
そのような事実、あまりにも――残酷ではないか。
瑞葉は人機で出撃出来ない己の不実を呪っていた。
本当ならば真っ先に刃を突きつけたいのは自分だ。ブルーガーデン元首、エデン。あれに人生を狂わされ大切なものをいくつも失ってきた。もし、引き金を引けるのならば迷いなく引くと言うのに、自分に戦えと誰も言わない。
この腕に抱えた結里花が邪魔なのか。
結里花さえいなければ、自分はまた戦士として返り咲けるのだろうか。
そのような思いが脳裏を掠めたその時、肩を誰かの熱が伝っていた。
「……瑞葉」
「アイザワ……」
交わした言葉は少ない。しかし、その眼差しだけでお互いに何を考えているのか分かってしまった。当たり前だ。心を重ね合った仲である。今さら何を感じているかなど、探るまでもない。
「……茉莉花。次の戦場にはおれも出る。おれの新しい人機、あるんだろ?」
「……調整中なんだが、そうも言っていられないな。タカフミ・アイザワ。ブランクは?」
「んなもん、聞くも野暮ってもんだぜ」
いつものように笑って返すタカフミであったが、その胸中には先ほど瑞葉の胸の中を掠めた痛みがあるのに決まっていた。
結里花さえ、娘さえいなければと考えてしまった自分にタカフミは必要以上に叱責する事もない。ただ、その双眸を確認するだけで、お互いの心の内が分かってしまう。
瑞葉からしてみれば、親として失格の烙印を覗き込まれたも同義であった。羞恥よりも自らの過ちへの悲しみが増さっていた。
どうして、せっかく授かった命一つでさえも大切に出来ないのだ。そんなだから、まだ復讐心を捨てられない。
戦えるものならば戦いたいと言う思いは、ここでは仕舞っておかなければならないのだ。そうでなければ、何のために自分はこの小さな命を預かっていると言うのだろう。
結里花の無垢な指先を瑞葉は握っていた。
こんなにも小さく、生きようとしている意思を、今自分は身勝手に摘もうとしたのだ。決して許される事ではない。
「敵は大半が情報都市ソドム上空に位置したままだ。こちらへの送り狼はあるだろうが、俺が引き受けよう。モリビトの操主に関しては、出来るだけの休息を――」
合流してきた操主服の男にタカフミが唖然としていた。相手もまさかという面持ちである。
「……キリ――」
「それは捨てた名前だ。呼ばないで欲しい」
どうしてなのだろうか。ここでもまた、運命のいたずらが働いたのを瑞葉は目にしていた。会わなくてもいい二人が再会し、そして運命を捩れさせていく。こうも残酷な宿命に二人は抗おうとしているのが分かった。
「……俺の《イザナギオルフェウス》よりの直通通信でライブラの兵士をいくらか要請出来る。期待はしないで欲しいが、ないよりかはマシな戦力のはずだ」
「助かる、ミスターサカグチ。しかし……鉄菜が重態、そして《モリビトシンス》が大破、か。撤退戦に持ち込んでも相手は容易く逃がしてくれない。一度踏み込んだらどちらかが死ぬまで、か。……やり辛いな」
「それでも、前を向くしかないだろう。俺は少なくともそうなのだと、このモリビトの操主に教えられた」
緊急医務室で治療を受ける鉄菜をサカグチと呼ばれた男は一瞥する。その眼差しには特別なものがあるような気がしていた。
茉莉花が後頭部を掻き、情報ネットを手先で手繰る。
「……正直なところ、《キリビトエデン》より離れてしまった以上、最接近するのにはかなりの苦渋を伴う。あそこで討てていれば理想的であったんだが、そうもいかない。ならば勝てる算段を打つ。それだけだ」
茉莉花の割り切りについていけるのは何人だろう。蜜柑はその面持ちに影を差していた。桔梗もどこか承服していない様子である。
「……《モリビトシンス》でも勝てなかった。それなのに、モモ達だけで勝てって? 自殺行為よ」
自暴自棄になるのも分かる。鉄菜は今まで絶対に諦めなかった。後ろなんて振り返らなかった。そんな彼女が今、どこにも行けない状態にある。ならば誰が《ゴフェル》を、ブルブラッドキャリアを引っ張ると言うのだ。戦える誰かが引っ張るしかないのに、ここにいる皆が鉄菜を当てにしていた。鉄菜ならばこの暗澹とした戦いにも勝機を見出してくれると。そう思い込んだ果てがこれでは立つ瀬もない。
間違いようもなく、これは人類同士の最も醜悪な殺し合いになる。互いに理念も何もない。惑星の人々は縛られた傀儡状態。そんな彼らを無慈悲に撃つしかない。撃たずに済めばどれほど楽だろうか。
だが現実はそうもいかない。《スロウストウジャ弐式》編隊を相手に誰が手加減など出来るだろう。殺さずの理念など、あの戦地では真っ先に拭い去られてしまう。
ならば殺してもなお、最短距離で未来を掴み取る。その担い手は鉄菜と《モリビトシンス》だと思い込んでいただけに衝撃が大きい。重く沈殿した静寂に不意に通信が繋がっていた。茉莉花が直通を返す。
『《ゴフェル》か。今、惑星軌道上より情報都市ソドムの直上を確認したが……これをどうやって攻略する?』
映し出されたのはソドム上空を覆う新連邦艦隊と、そして天へとその腕を向ける《キリビトエデン》であった。支配の象徴のような光景に全員が言葉を失う。
「リアルタイム映像か。先ほどまでよりも密集陣形を取っているように見える」
サカグチの弁にタカフミもその言葉尻を引き継いでいた。
「ああ。こいつはやりにくいな。一機墜としても、他の機体がすぐさま補填する。守りに割いた戦いに比して、攻め入るしかないって言う一方的なのは厄介だ。それにこの隊列一つ一つが……」
問うまでもない。《スロウストウジャ弐式》の中隊相当であろう。桃はなんて事、と奥歯を噛み締める。
「こんな状況にまで、追い込まれるなんて……」
彼女らからしてみても想定外か。瑞葉はこのような大局と頭を振る。
「ブルーガーデン元首を討つ。それしか、勝つ方策はないと言うのに、相手は守りを手堅くするとは……」
「ある意味では間違いではないでしょう。エデンを墜とせば終わりだと考えていたこちらの甘さに付け込まれた形になる」
茉莉花の非情なる戦力分析に突きつけられたのは圧倒的戦力差であった。
元々、勝てる算段など少ないとは言え、鉄菜ならば押し返せると思い込んでいた。それだけに、現状が重く圧し掛かる。
どれほど逃れようとしても迫り来る因縁だ。戦いに赴く者達にはあまりにもその現実は厳しいものとして映るであろう。
「……こんな戦力差……」
「だが、戦い抜くしかあるまい。俺はライブラ本部に少し繋ぐ。せめてもの援護を願って……」
『ミスターサカグチ、その決定には感謝を……』
ニナイから繋がりかけた声にサカグチはいいや、と声を振る。
「俺なりの贖罪なのかもしれんな。死地を決めておきながら、まだ決定的になれぬとは。我ながら女々しい限りだ」
サカグチの断ずる声に桃が尋ねていた。
「それでも……勝算は……」
「蟻が象を潰すようなものだ」
茉莉花の評にはいささかの希望的観測もない。いや、いざ戦場に向かう彼女らからしてみれば、下手に感傷を持ち出されるよりかはマシか。
桃は拳を握り締めつつ、了解の声を搾り出していた。
「……モモ達は、最後まで戦う……。それしかないんでしょう」
こちらへと視線が振り向けられたのを察知して瑞葉は覚えず目線を伏せてしまう。自分を責めるだけの彼女らではないはずなのに、今は直視出来なかった。
モリビトを失い、戦力の要である鉄菜が出られない状態。
これがどれほどまでにブルブラッドキャリアの士気を落とすのかは言うまでもないだろう。それでも、戦うしか道がないのだ。戦う以外の道は全て閉ざされている。
モリビトの執行者達は、戦い抜くしか道がない。
自分は、と言えば、結里花をあやすばかりの身。何も出来ないのが今ほど歯がゆい事はなかった。
「……クロナ……。わたしは……どうすればいい……」