ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯385 宣戦と誓い

「《ゴフェル》……。それがブルブラッドキャリアの舟の名前か……」

 

「言っておくが、今のタカフミ・アイザワの弁じゃないが、敵意を少しでも発した場合はすぐにでも射殺する。その覚悟だけは胸に抱いてくれよ」

 

 後ろからでも撃つ、という宣言にヘイルは辟易しつつも承服していた。

 

「……今は、この艦に身を寄せるしかない、か」

 

「私は賛成しますよ、中尉。どうせ、追われる身です。ブルブラッドキャリアになろうがなるまいが、変わりはしないでしょう? 別段、軍への帰属主義もありませんし、私はここで構いません。捕虜への人道的配慮くらいはあるのでしょう?」

 

「悪いが今の《ゴフェル》は部屋数を最大まで使っている。寝るのならば人機のコックピットにして欲しい」

 

「構いませんよ。監視されるのは慣れている」

 

 カグラは《イクシオンカイザ》のコックピットへと身を翻す。どこか諦観を浮かべた背中には推し量れない何かがあるように桃は感じていた。

 

「……でも、洗脳が通用しないって……。だから血続を抹殺? そんな事を、相手はやろうとしている……」

 

 ブリッジに戻る茉莉花の背中に続く。彼女は手を払っていた。

 

「元々、ブルーガーデンの元首だ。やる事が少しばかり過激でもおかしくはないさ」

 

「でも……、そんな行動の果てに待っているのは、人類の全滅なんじゃ……」

 

「案外、それでもいいと思っているのかもな。機械からしてみれば人が滅びようが知った事ではないとでも」

 

 エデンの思考回路に改めて恐れが走る。相手はブルーガーデンを率い、そして長らくバベルに封印されていた身。復讐心だけで人を滅ぼす事さえも出来ると言うのか。

 

 今までの敵は何だかんだ言っても、利権と野心があった。しかしエデンには何もない。何もない虚無の敵だ。どこまでも突き詰められるし、どこまでも冷徹になれる。

 

 そんな相手に勝てるのか、という疑念が脳裏を掠めたのも一瞬、茉莉花が立ち止まり、声を発していた。

 

「……勝てる勝てないの議論に達しているな。分からなくもない。鉄菜と合流も取れず、なおかつ不確定要素を二つも抱え込んだ。少しばかり不安なのはお前だけでもない」

 

《ゴフェル》のクルー全員が不安に駆られているだろう。自分だけではないのだと諭されて、桃は反省していた。

 

「……せめて、クロと合流出来れば……」

 

「次の手は打ってある。鉄菜と合流するとすれば、それは次なる戦地で、だ。《ゴフェル》は航路を取っている。敵の中枢、情報都市、ソドムへと」

 

 まさか、すぐに中枢に仕掛けると言うのか。思わぬ言葉に桃は抗弁を発しようとしていた。

 

「いきなり仕掛けるの? 短慮なんじゃ……」

 

「いや、これは時間との勝負だ。もし、相手の洗脳が連邦勢力全てに及び、血続抹殺に成功したとすれば、世界そのものとの戦闘になる。数でただでさえも不利に立たされているのに、思想の面でもどうしようもないとなれば、我々に勝算は少ない。さらに言わせてもらうと、相手はバベルネットを使っている。月面にその浸食が及ばないとも限らない」

 

 相手の手が月面に及べばそれまでの勝負。時間がないのはお互い様であろう。

 

「エデンの思惑が、少しでも分かれば……」

 

 その時であった。緊急招集の声が艦内に響き渡る。

 

『茉莉花おねーちゃん! ブリッジに来て! エデンからの……宣戦布告が……』

 

 美雨の急いた声に茉莉花と桃が廊下を駆け抜ける。ブリッジではスクリーン上に三つの禿頭の男性が背中合わせに向き合っていた。

 

 重々しい声が放たれる。

 

『ブルブラッドキャリアに告ぐ。この声明を受信しているのならば、貴様らに勝機はない。既に星は我らの手に落ちた。改めて、名乗ろう。我々はフィフスエデン。新たなる秩序と共に星を覆う存在だ』

 

「フィフスエデン……」

 

「何が、星を覆う、だ。ただの支配者だろうに」

 

 茉莉花の悪態に相手は予期していたのか、言葉を継いでいた。

 

『これまでの既存の支配特権とは違う。我々の思想は星の秩序の回復にある。元老院は百五十年、人々を無知蒙昧に迷わせ、争いを是としてきた。観てきたヒトの醜さに対してあえての静観を貫き、そしてブルブラッドキャリアの報復作戦を生んでしまった。その功罪の結果がレギオンだ。彼らは元老院の静寂の支配とは違い、積極的に星を掃除してきた。自分達の都合のいい人々だけの生存を結果論として掲げてきた彼らもしかし、滅びてしまった。そして、エホバ。彼奴は自らが旗印となって戦ったが、無残に時代の前に敗れた敗北者だ。決して、何一つ成せはしなかった。この三者は全て愚かであったと言えよう。その根源はヒトを支配しようとするからいけない。人間は、支配するのではなく、管理するのだ。精神の方向性を示し、その優位不利を植え付け、そして戦いを誘発する。ヒトは、愚かしくも争いを忘れる事が出来ず、そして罪を直視する事は不可能だと、我々は理解した。だからこそ、裁く。必要のない人間は抹殺し、生き残るべき価値のある人類だけは生存させ、管理下に置く。それこそが人類の安寧を確約するであろう』

 

 その思想の傲慢さ、そして残忍さに桃は拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

 ここまで残酷になれるのか。他者を否定し、可能性を閉ざし、何もかもなかった事にして、人間を管理する。

 

 そんな果てにあるのは虚無ではないのか。そこに生きている存在は人間とは呼べるのだろうか。

 

 桃は言葉を発しようとして、茉莉花に制されていた。

 

「フィフスエデン、だったな。貴様ら、勘違いをしているぞ。人間は、罪を直視出来ない……それは確かにその通りかもしれない。そこまで人間、出来てもいないのだろうさ。だが、管理、そして思想の方向性を決めるだと? ……ふざけるな。吾らの意思は自分達だけのものだ。人間が何かに隷属し、そして牙を奪われて生き永らえるなど、それは人間の生とは言わない。家畜以下の生存だ」

 

 静かな声音に滲んだ怒気に、桃は閉口する。まさかここまでの言葉を茉莉花が吐くとは思わなかった。相手もそれは同じようで、僅かな沈黙の後、言葉を返す。

 

『……ラヴァーズの造りし人間細工が偉そうな口を利く。知っているぞ。機械と人間との垣根を越えた、調停者。それがどのような存在なのか。なんて事はない、貴様も同じだ。人間が自らの好奇心で生み出した、怪物の一つだ。それなのに、何故人間を信じられる? どうして手打ちにしない?』

 

「そのような問答は無駄だ。手打ちにしてはならない事がこの世にはあるのでね」

 

『……馬鹿馬鹿しい。愚かしくも降りてきた貴様らは我々の指揮する人間達の前に屈服する。見よ、情報都市ソドムを覆う、人々の悪意を』

 

 映し出されたのは数時間前よりもなお、戦闘の気配を濃くした情報都市ソドム上空であった。連邦艦隊が守りを固め、無数の人機が出撃している。

 

 その数はまるで無限。世界中の悪意が、自分達を否定するために銃を取ったかのようであった。

 

『宣言する。ブルブラッドキャリアは滅びの道を辿っていると。ただ静観して月面で静かなる滅びの時を待っていればよかったものを、最も残酷な死を選んだ』

 

「どうかな。これが生存の最低条件かもしれない」

 

 舌戦に持ち込む気はないのだろう。エデンは最後の言葉を口にする。

 

『情報都市ソドムにいつでも仕掛けるがいい。我々を殺す事は出来ない』

 

 通信が切られる。ニナイは息を呑んでいた。

 

「……なんて事。あそこまで戦力を備蓄しているなんて……」

 

「嘆いても仕方ない。艦長、ソドムへの決戦を提言する」

 

 茉莉花が再びリニアシートを擁する球体に入った。情報を手繰る彼女にタキザワの通信が接続される。

 

『無茶だ! あそこまで相手が戦力を蓄えているのは想定外が過ぎる! 一度戦局を建て直し、少しでも勝ちの芽が見えてから……』

 

「そんな事をしていればまた、相手は血続のコミューンに仕掛けるだろう。それをいちいちさばいていれば、あった戦力も枯渇する。《ゴフェル》はこのままソドムに突入、敵戦力を完全に駆逐する」

 

『茉莉花! 君は頭に血が上っている! 今、無秩序に攻めれば決定的な何かを失うくらいは分かるだろう!』

 

 タキザワの言う通りなのも一面ではあるのだが、桃は茉莉花の中で燻る静かなる怒りを目にして言葉を失っていた。

 

 茉莉花は示そうとしている。

 

 この星には未来があるのだと。決して過去に縋る虚栄の者達が君臨していい場所ではないのだと。

 

 だからこそ、無茶に思えても戦い抜く。その覚悟を持っている。

 

 桃は進言していた。

 

「……艦長。モモからもお願い。このままソドムに仕掛ける。そうじゃなければ、何のためのブルブラッドキャリアなの? モモ達は常に、抗いの刃を掲げてきた。全ての理不尽に対して怒るのがモモ達の役目……」

 

 ニナイは逡巡の間を置いてから、それでもと応じる。

 

「……死にに行けと言っているような戦力差なのよ……」

 

 艦長としてそのような命令は下せないのだろう。重く降り立った沈黙を破ったのはルイであった。

 

『通信を関知』

 

「またフィフスエデンが?」

 

『いいえ、これは……どうやら放った策が一つ、有効になったみたいね。ランデブーポイントの指定が暗号化通信で来ている。《バーゴイルリンク》の直通よ』

 

「……クロが……?」

 

 そうだ。まだ鉄菜がいる。彼女が立ち上がる限り、自分達は決して敗北を認めてはならない。

 

「好都合だな。ランデブーポイントに向けて《モリビトシンス》の射出を準備しつつ、航路を取れ。相手はどこで合流のつもりだ?」

 

『この航路だと……こちらの目標地点とかち合うわ。ソドム上空で、鉄菜はモリビトを受領するつもりね』

 

 その事実に茉莉花はフッと笑みを浮かべる。

 

「……どこまでも徹底抗戦、か。艦長、鉄菜がその気だ。ならば応えるのが我々の使命じゃないのか?」

 

 鉄菜がやるのならば、自分達は応じなければならない。それがたった一人でも星に降りた彼女へ報いる事になる。

 

 熟考の末に、ニナイは決断していた。

 

「……分かったわ。ソドムへと航路を取る。ただし、これは私達だけじゃない。捕らえた連邦の二人にも協力してもらうわ」

 

「出せる戦力は全て、か。通達しよう」

 

 茉莉花が情報を手繰り寄せ、鹵獲した二機の情報を呼び起こす。桃はしかし、容易く容認出来なかった。

 

「……でも、戦力差は歴然。戦うと言っても、まだ何の策もないも同然なのよ」

 

「無策や賭けはブルブラッドキャリアの十八番かと思っていたが?」

 

「そりゃ! 今まではそうだった! でも見たでしょう? あの戦力を。これまでの戦いなんて比じゃないのよ! そんなところに……むざむざ向かえなんて、言えない……」

 

「弱気になるのならば出撃はしないでいい。桃・リップバーン。少しばかり考える時間はある。出ないのならば、その前提で編成を練ろう」

 

「どうして……。どうしてっ!」

 

 桃は身を翻していた。どうしても、このまま進んでいいのかの踏ん切りがつかないのだ。それは鉄菜がいないせいかもしれない。しかし、それだけではないはずであった。

 

 この戦いの如何で、未来が変わる。無論、それは二年前にも経験してきた。しかし、どうしても躊躇するのだ。

 

 エデンの目的は人間の意識の統合と、そして管理。まるで栽培するかのように、人類を完全な監視下に置く。看過出来ない悪ではある。だが、得心も、ある一面では行っていた。

 

 ――だって今までどれほど戦ったって、人類は一つになれやしなかったじゃないか。

 

 八年前の報復作戦でも、二年前のアンヘルとの熾烈なる戦いでもそうだ。

 

 結局、また振り出し。また争い合うしか道がない。

 

 そんな世界に未来なんてあるのか。平和は訪れるのか。いつまでも戦って、争って、その醜い先に本当の描いた世界はあるのか。

 

 堂々巡りの思考に、桃は壁を殴りつけていた。

 

 弱気になっているのかもしれない。いや、そうじゃなくても、争いからは一線を退き、人機にさえもさほど乗らず、人を殺さないで済んだこの二年。どれほどの安息なる二年であったか。

 

 情報戦を引き継いで戦ってきたとはいえ、鉄菜のように介入行動に出る事もなければ、蜜柑のように教官として常に戦いを意識せずに済んだ。

 

 自分はもう、戦う事に疲れてしまっているのだ。

 

「……モモは、クロみたいになれない。蜜柑みたいにも……。どうして、まだ未来を描けるの? 二年前に精一杯やったじゃない。精一杯やってこの結果なら、もう何も打つ手なんてないんじゃ……」

 

 その時、桃の耳に届いたのは笑い声であった。部屋から出てきたのは瑞葉である。結里花を抱いてあやしつつ、こちらの存在に気付いたらしい。

 

「あっ……桃……。すまないな、どうしても外に出たいと結里花が……」

 

「……何で、来たんですか。月面で待っていても、誰も文句なんて言わなかった」

 

 瑞葉の処遇は彼女自身の意思によるものが大きい。別段、月面で静かに待っていてもよかったのに、彼女は娘を伴って戦場に訪れていた。

 

 その在り方が、今は純粋に皮肉のようで桃は苛立ちを募らせる。瑞葉はそれを感じ取ったのか、ぽつぽつと語り始めていた。

 

「……今回の敵に関して、聞いた。エデン……かつてわたし達を操っていた、ブルーガーデン元首だと」

 

 ハッと桃は気づく。そうだ、瑞葉はかつてのブルーガーデン強化実験兵。エデンへの憎しみ、そして因果は人一倍のはず。だが、ならば余計に戦場にも出られない身分でこの艦にいるべきではないはずだ。《ゴフェル》が轟沈する恐れだってある戦いに、どうして幼い命を伴わせて乗艦しているのか理解出来ない。

 

「……何なんですか。一番に辛いのは自分だって言いたいんですか……」

 

 こんな事を言うつもりはない。彼女に突きつけてどうすると言うのだ。彼女は完全な被害者だ。ブルーガーデンに命を弄ばれ、その存在さえも捧げてきた。

 

 そんな相手が再び復活したとなれば心中穏やかではないのは分かるのに、どうしても瑞葉の現状が分からない。戦えるわけでもないくせに、という醜悪なる考えが鎌首をもたげる。

 

 一触即発の空気に泣きじゃくりかけた結里花をあやしつつ、瑞葉はそっと言葉を結んでいた。

 

「……そうだな。戦えもしないくせに、どうしてここにいるのか。自分でもそれは不思議だ。だが……愛すべき人達が前を行くのに、わたしだけ安全地帯で待っている事は、やはり出来ないんだ。クロナは、わたしを救ってくれた。それにアイザワも。だから、わたしは少しでも報いたいんだ。傍に居られたら、どれほどいいか、わたしは知っているから。大切な時に誰かの傍に居られることが、何よりも……」

 

 濁したのはその大切な者を欠いているからか。鉄菜はまだ戻ってこない。瑞葉からしてみれば鉄菜の不在だけで心が削れるかのような思いだろう。

 

「……でも、だからってっ! 今回ばっかりはモモ達だって戦い抜けるかどうか分からないんですよ! 勝てないかもしれない! 月面よりもなお色濃い敗北の感覚がする……。そんなところに向かうのに、モモは……」

 

 分かっている。これも逃げの抗弁だ。本当のところはこの戦いを生き抜いたとしても、人類が一つになる可能性のほうが低い事をどこかで理解している。死すべき戦地で死ぬのならば本望だが、ここが本当にそうなのかが不明で仕方ない。

 

 分からないから、怖い。

 

 ぎゅっと握り締めた拳に結里花が手を伸ばしていた。まだ幼い手。誰かを頼る事でしか生き永らえられない手が自分の手に触れる。

 

 こんなにも汚れてきた手で、純粋なる生の結晶に触れている。

 

 結里花はこの先、どう生きるのだろう。ブルブラッドキャリアの戦闘兵としての生き方だろうか。それとも、違う道を模索出来るとすれば。それは自分達の戦い如何にかかっている。

 

 ここで人類に対して、エデンに対して覚悟を持って抗わなければ、未来は暗いままだ。そんな未来に、彼女を生きさせていいのか。

 

 未来を変えるのは己の力。未来を切り拓くのは自分の信念。

 

 それを、分かったつもりであった。分かり切っていて、戦っていると思っていた。

 

 だからこそ、この当惑に自分自身が戸惑っている。こんなところで足踏みをするほど手ぬるい戦い方をしてきたつもりはないのに、フィフスエデン相手に自分を出し切るのがこれほどまでに恐ろしいなんて。

 

「……桃。こんな事をわたしが言うのはお門違いかもしれないが……逃げてもいいと思っている」

 

「……何ですって?」

 

 侮辱されたと感じた神経が問い返したが、瑞葉は目線を伏せたまま口にする。

 

「アイザワは、わたしに、運命に抗うだけが生きている事ではないのだと教えてくれた。だからここに結里花と共にいる。もし……わたしが抗いの刃だけを手にして、その力の赴く先だけを信じて生きていれば、今頃ここに結里花はいないはずだ。そうだ……未来はただ闇雲に戦った先にあるだけじゃない。何か……もっと柔らかいものの先にあると、そう思うんだ……」

 

「柔らかいものの、先……」

 

 分からない。茫漠とした未来が広がるばかりだ。それでも、柔らかなものを勝ち取るための手段が、戦い。瑞葉もその点では同じのはずだ。結里花がその未来と言う名の答えなのだとすれば、彼女のために全てを捧げるのもまた戦い。

 

 瑞葉もまた、戦っている。

 

 それなのに、自分は逃げの方便に影を落としていた。恥辱――いや、これは単純に自らの愚鈍さに気付いただけの話か。

 

 今まで戦ってきたのは割り切れるのに、ここ本番で戦いを受容出来ない、半端者の理屈。そうだ、自分は六年間、鉄菜を探し続けたではないか。アンヘルの統治がどれほどに完成されようとも、鉄菜は生きている、それを信じて戦い抜いただけの覚悟は持っていたはずだ。

 

 ならば今だって同じはず。

 

 明日を信じ、この手が汚れようとも戦い抜く。

 

 それがブルブラッドキャリアの、モリビトの執行者だ。

 

「……クロがいたら、怒られちゃうね。モモは、また逃げようとしていた」

 

「誰も責めない。モリビトの執行者は、あまりにも傷付き過ぎた。だから今、何を考えようとも……」

 

「ううん、瑞葉さん。それはモモが、過去の自分を裏切る事になっちゃう。モモは、過去の自分に誇りある未来を見せたい。勝ち取った先にある、本物の未来を。だから……だから……」

 

 戦える。その一言を口にするのに、どうしてだか憚られていた。

 

 やはり、割り切れないのか。戦えばいい。戦って、壊して、その果てに掴み取ればいいのに、どうしてここで疑問が鎌首をもたげるのだ。

 

 ここに来るまで数多の犠牲があった。数多の死と争いの上に自分達は成り立っている。

 

 分かっているはずだ。理解もしている。感覚でも、自分は承服しているはず。それでも、どこで呑めないと言うのだ? どこで、線を引けないと言うのか。

 

 桃は迷いの胸中のまま、結里花の手を握り返していた。

 

 分かりやすい答えなんて出てくれない。それでも、ここにある命一つ、守れなくて何がモリビトの執行者か。

 

「……瑞葉さん。身勝手かもしれないけれど、モモに、結里花ちゃんを守らせて。その誓いだけが、今、桃を戦いに向かわせてくれる……」

 

 無論、身勝手だ。誰かの命に担保して、己の信念を貫こうとするなど。しかし、瑞葉は否定しなかった。

 

「構わない。しかし、桃。想っているのは、何もわたしだけではない」

 

 その一言で、桃は自分が漂っている迷いがどれほどに御し難いのか察知していた。

 

 そうだ、これは分かりやすい答えなんてない。堂々巡りの思考の先にある、誰にでも陥る争いの問いかけなのだ。

 

 その問いかけを、問い続けるのが戦い。

 

 守るべき何かがあれば、迷いは振り切れるのか。

 

 ――否、断じて否であろう。そんなに簡単ならば最初から誰も迷いはしない。

 

 戦うのは一つの答えで成り立つ代物ではない。不思議と過去よりも因縁に雁字搦めになっていくのは、大人になった証左だろうか。

 

「守るために、戦う。……守り人として」

 

 こんな理由、所詮は仮初めかもしれない。それでも、今戦う理由がここにあるのならば。それで、自分は前に進もう。

 


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