ブルブラッドキャリアの宣戦布告に誰もが呆然とする中で、レジーナは声にしていた。
「……馬鹿な。再び戦乱の世に時を戻すと言うのか、ブルブラッドキャリア……」
しかし、その報復作戦を観察していた部下は違う見解を示していた。
「いえ、これは何かが変です。まず一つ。オガワラ博士の声と唇が全く一致していません。これは新しい宣告でしょう」
思わぬ分析にレジーナは声を荒らげる。
「だとすれば……偽装だと言うのか! ブルブラッドキャリアを騙る……!」
「いえ、送信場所は間違いなく、この惑星の外です。ですからこれはブルブラッドキャリアのものでしょう。しかし、報復作戦はどこか隠れ蓑の言葉のように思えるのです。まるで、真意は別にあるとでも……」
「真意……。こんな時、お前が生きていてくれれば……林檎……」
拳をぎゅっと握りしめる。もういなくなってしまった人間に思いを馳せても仕方あるまい。それでも縋らずにはいられなかった。
その時通信ウィンドウが開く。部下がパスを繋いでスクリーンに投影した。
『こちら、ミスターサカグチ。コミューン攻撃を阻止した。加えて、来客がある。出迎えを許可していただきたい』
「任務ご苦労。来客……? この状況で何者だ?」
その問いかけに《イザナギオルフェウス》を介した通信が成されていた。相手の面持ちにこの場にいる全員が息を呑む。
青い操主服に袖を通した少女はその紫色の瞳孔をこちらに据えていた。
破壊者の眼差しだ、と察知した習い性の身体が背筋を粟立たせる。
「……貴様は……」
『私はブルブラッドキャリアの執行者。かつて青いモリビトに搭乗していた』
まさか、ここで怨敵を見出すとは思いも寄らない。レジーナはしかし、冷静さを欠こうとする自身を顧みるよりもサカグチがどうして彼女を看過しているのかを疑問に思っていた。
何故ならば、ブルブラッドキャリアの青いモリビトと因縁があるのは一番に彼であるはずだからだ。その彼がどうして許せているのか、その事実を問い質すべきであろう。
「……本物なのか」
『間違いようがない。本物だ。俺と幾度となく刃を交わしてきた相手なのは保証する』
だとすれば余計に何故という疑念が突き立つ。しかし戦士としての自分だけならばまだしも、今はライブラを束ねる長。客観的な判断が求められるであろう。レジーナは呼吸を一つ挟み、慎重な声を発していた。
「……一つ聞かせて欲しい。ブルブラッドキャリアはまた、戦争を起こすつもりなのか」
その問いかけに少女操主は、いやと応じる。
『戦いを起こす気はない。私達は最小限の介入行動のみで終わらせるつもりだったのだが……前回の連邦の動きが気にかかる。何かが狂い始めているような気が……』
相手も同じ感覚であったか。ならば手を結ぶのも今は必要かもしれない。
部下がこちらに窺う眼を寄越す。
「どうします? 局長。相手はしかし、破壊工作のスペシャリストです。もしかしたら、ミスターサカグチでさえも……」
裏切り。だがそれはあり得ないとレジーナは知っている。サカグチだけは裏切りなど絶対にしない。その確証めいた一事が次なる手を打つのを瞬時に判断させた。
「……ライブラ整備デッキへの出迎えを許可する」
『感謝する、局長』
その言葉と共に通話が切られる。レジーナは部下の声を聞いていた。
「局長、みすみす……!」
「分かっている! ……ああ、分かっているさ。だが、サカグチは裏切らない。その確固たる一がある限り、私達が裏切るわけにはいかない。たとえそれが怨敵であろうとも、サカグチは是とした。ならば信じたいではないか……」
そう、信じたい。その一個だ。それだけで今、ブルブラッドキャリアの工作員を迎え入れた。これが鬼と出るか邪と出るか、それはまるで分からない。
「……格納デッキの映像、出します」
言葉少なな部下がスクリーンに映し出したのは帰投する《イザナギオルフェウス》と、それに牽引される形のバーゴイルの改造機だ。
青いバーゴイルはほとんどシステムダウンしている状態である。レジーナは観測室を後にしていた。
「継続調査を頼む。私は……見極めなけばならない」
この状況を。そして、ブルブラッドキャリアの戦士の真意を。廊下を折れ曲がり、格納デッキへと向かう途中で胸を占めたのは憎しみでもましてや怨嗟でもない。
これは純粋に、疑念だ。
どうしてモリビトの操主が今、ここにいるのか。彼らはまた戦争を起こそうとしているのか。その疑問だけを氷解しなければ前に進めないだろう。
レジーナはかつて共に戦った戦友の名を思い描く。
「……林檎。お前ならばここでどうしていた? あのモリビトの操主を、裁いていたのか?」
答えなんてどこにもない。保留の一事だ。レジーナは格納デッキにて《イザナギオルフェウス》に伴われる形で搬入された青いバーゴイルを睨んでいた。
整備班が困惑の声を上げている。
「ガワはバーゴイルだが……中身はまるで別物だ。これが……モリビト……」
彼らからしても未知なる遭遇。レジーナは長として、整備班に声を振り向けていた。
「通達。私が直に見る」
「局長? しかし、誅殺の恐れも……」
「なればこそだ。私が見ておかなければならない」
その強情なる声音に整備スタッフが諦めて道を譲る。屹立した青いバーゴイルのコックピットが開き、その内側より長髪をなびかせた少女操主が現れていた。
年の頃は林檎とさして変わらない。だが、見た目に惑わされてはいけないのだろう。記録に正しいのならば、この少女操主は八年もの間、惑星と戦い続けてきた猛者のはず。
ならば戦士に相応しい礼儀を。
レジーナは自ら名乗っていた。
「自治組織ライブラ局長! レジーナ・シーアだ。この声と名前、覚えているか」
少女操主はこちらを見据え、そして目を瞠っていた。
「まさか……エホバ陣営についていた操主か……。《フェネクス》の……」
相手がまさか覚えているとは思いも寄らない。しかしながら、これで余計に分からなくなったな、とレジーナは胸中に自嘲する。
「サカグチ! 分かっていて、か」
その詰問にコックピットから出てきたサカグチがヘルメットを外して応じる。
「必要だと判断しての行動だ。咎められるとすれば俺だけだろう」
「破壊工作の恐れもあった」
「ライブラを危険には晒さない。そのつもりだ。もしもの時には禊は俺がする。問題なのは、モリビトの少女から得られる情報があるという事だ」
そう、今しがた発信されたブルブラッドキャリアよりの宣戦布告。彼女はその先兵なのだろうか。見極めなければならない。
「尋ねたい。いくつか……重要な事を。降りてきてもらえれば助かる」
この要求を跳ねのける権利もあるはずだが、少女操主は案外、素直に降りてきた。軽い身のこなしでバーゴイルより飛び降りる。
ただの人間ではないのは明らかであった。
「私も、反芻しなければならない事があるはずだ。事情を聞きたい。いいだろうか?」
存外、殊勝なものだ。いや、相手もこの世界のうねりを理解しかねているのか。だとすれば先ほどの宣戦布告と彼女の行動は矛盾する。この戦闘の発端で、いきなり身内が拿捕されたなど冗談にもならないはずだ。
レジーナはサカグチにも要求していた。
「ミスターサカグチ。貴公も降りてきて欲しい。情報をすり合わせたい」
「……了解した」
サカグチが昇降用エレベーターを使用し、ゆっくりと降りてくる。それをモリビトの操主は黙って見つめていた。その紫色の瞳孔が何を思っているのか、推し量る事しか出来ない。
レジーナは二人を伴い、足を進める。二人とも歴戦の戦士の足音を響かせ、自分に続いていた。
並み居る構成員が避けていく。ここにあるのは戦士三人。そう容易く道を塞ぐのも不可能だと思っての事だろう。
「まず聞くが……モリビトはまたしても惑星に牙を剥くと言うのか」
その質問に少女は小首を傾げた。
「……どういう意味だ。私達は最小限の介入しかしていない」
「では、つい数十分前の情報開示と矛盾する。どうしてまたしても星への報復を宣言した?」
それに関して少女は目を見開いていた。思わぬ、と言った具合だ。
「……意味が分からない」
「そうか。ならばあれは、偽物の可能性もあるのか」
先の声明とここにいるモリビトの操主、どちらの言葉を信じるかは問うまでもないだろう。サカグチが確証を持っている。ならばモリビトの操主の言葉を疑う余地はない。
だが尋問しているほどの時間もなし。ここは最小限の問いかけと、そして言葉振りだけで判断するしかなかった。
「管制室に案内する。一刻の猶予もない」
「局長。それは彼女をライブラの戦力として認めるという事か」
サカグチの声音には責め立てるようなものはない。何よりも確認の意味合いが強かった。ともすれば彼の中では納得の末の行動なのかもしれない。
「……場合によってはライブラの身分で戦ってもらわなければならない。それでいいのならば」
「断る。私はブルブラッドキャリアの執行者だ。他の組織に与するつもりはない」
断言されてしまえばにべもない。レジーナはこの操主に対して言葉繰りは無意味だな、と嘆息をつく。
「……一つの条件付けだ。聞いてみないよりかは聞いてみたほうがいい局面もある」
「《バーゴイルリンク》を修復して欲しい。この男は出来ると言った」
その提言にレジーナはサカグチへと一瞥を投げる。彼は言葉少なに応じていた。
「交換条件は必要だろう。それに、教えなければならなかった。地上でバベルは使用出来ない。《バーゴイルリンク》はバベルへとアクセスした結果、システムダウンした」
その情報が確かならば、こちらの意見を補強出来る。レジーナは現状をどこから説明すべきか、と思案したところで管制室へと辿り着いていた。
「……一つ言っておくが、我々はバベルネットワークを一切使用していない。旧態然としたシステムを使っているが、それでもロスは少ない。その理由を説明しよう」
管制室に入るなり、部下から声が飛ぶ。
「局長、ブルブラッドキャリアの宣戦布告は全域に発布されています。それに、これは妙なんですが、月面からわざわざ発信していると分からせているかのような……。どうしてこんな事を……?」
「それは、当人に聞いてみるか」
顎でしゃくると、部下は驚愕して椅子から転げ落ちていた。少女操主の姿に全員が息を呑む。
「……これが、モリビトの、操主……」
「何かおかしな事をしたか」
「そちらの存在自体が惑星の者からすれば奇妙なのだよ。みんな、うろたえないで欲しい。破壊工作の線は薄くなった」
消えた、とは言わないのはやはり警戒心があったからか。いずれにせよ、名前すら聞いていない少女操主に対して、自分でも意固地になっているのが窺える。
林檎を死なせた相手、と線を引くのは勝手だが、今の自分は組織を束ねる存在。手前勝手な線引きは交渉を厄介にさせるだけだ。
ここは客観的に、自分を排除しての答弁が必要だろう。
「聞くとして、まずは名前から明らかにさせてもらいたい。まさかこの期に及んで守秘義務とは言わないな?」
問い詰めた自分に対して、少女操主は静かに声にする。
「鉄菜、だ。鉄菜・ノヴァリス。言う必要があるかどうかは分からないが、血続でもある」
鉄菜、と名乗った相手にレジーナは冷静な判断を下そうとする。
「クロナ……ね。まぁ、名前が明らかになったとしても、そこまで腹を割って話せないのはお互い様だろう。しかし、情報の共有は促したい。出来るな?」
「出来る出来ないではない。しなければならないだろう。私の《バーゴイルリンク》は何故、バベルへと繋いだ途端に行動不能に陥ったのか」
「あっ……それって多分、今惑星内で多発している……」
口を滑らせかけた部下へとレジーナは睨みを利かす。部下が口を噤んだ。
「……惑星内で? 何が起こっている。私はつい二日前の、新連邦軍の友軍機撃破の報がどうしてだか各国諜報機関に嗅ぎ回られている事態を重く見て、星に降りてきた。あれに何を見出そうとしている? 地上で何が起こっているんだ」
「答える義務、あると思っているのか」
「義務はない。しかし答えないのならば、長居はしない」
どこまでも断じた冷たい声音。きっとここまでの人物だから生き残れたのだろう。エホバもとんだ置き土産をしたものだ。
「……分かった。参ったよ、クロナ。あまり意地を張っても仕方なさそうなのでね。情報を共有しよう。つい五十七時間前の映像がどうしてだか民間レベルまで落ち、その結果としてコミューンへの攻撃を強行させた。あの映像一つで血続が危険だ、という思想に至ったらしい」
だがそこまでのプロセスは一切不明のまま。どうしてそんな偏見が一気に世界を満たしたのか。そして民間まで降りたと言うのに、どうして誰も疑いを発しないのか。誰も反抗しないこの状況が不気味でさえもある。
鉄菜の疑問もそこに集約されたらしい。
「……だからと言って民間コミューンに襲いかかるのはお門違いのはずだ。そこまで血の気の多い連中が新連邦を構成しているとも思えない。何かが……おかしい。どこかで、欠落している。冷静な判断というものが」
「それに関しては同意だ」
答えたのは腕を組んで背を扉に預けるサカグチであった。傷痕の残る相貌がこの世の悪とも言える相手を睨んでいる。
それはスクリーンに映し出された新連邦政府の軍備増強政策であった。
「新連邦はここに来て……まるで頭が挿げ替わったかのように一気に思想が染まった。それ自体も不自然ならば、民衆もそうだ。誰も文句を言わない政策などあるものか。今までだって反抗はあったのに、これだけは誰も反対意見を差し挟まない。何かが、狂っているとしか思えない」
サカグチの評にレジーナは意見を統合していた。
「いずれにしたところで、我々ライブラにしてみれば、現状の世界政府の動きはずさんであり、そして対抗策を練らざるを得ない。血続排除の動きも、そして軍備増強政策も何もかも間違っているとしか思えないんだ」
「……だが、抗うにしては少しばかり粗雑に映るが」
旧態然としたモニター類を目にしたからだろう。レジーナは端末の一つを撫でていた。
「古めかしく思えるか? ……まぁ、仕方ない。こればかりは、ジャンク品に見えても。だが、中身はバベルネットに接続した機器とさほど変わらない。バベルと競合する、もう一つネットワークがこの世界には存在する。それへのアクセスコードを、私を含めここにいる構成員達は持っている。コード名をグリフィス。この名に覚えはあるだろう?」
その名前を突きつけた途端、鉄菜の表情が変わった。どこか得心したように頷き、そして問い質す。
「……ユヤマと面識が?」
「いや、正しくはエホバが、彼と繋がっていたらしい。繋がっていたと言うのも変か。どうやらあの二人はどちらが生き残っても、この世界にとって有益となるように計算していたようだからな。まったく恐れ入る。世界をたばかった男と、神を騙った男も見ていたものは同じだったんだな」
「……ライブラがグリフィスの情報システムを利用しているのはよく分かった。確かにユヤマの用意した情報網ならばバベルネットに頼らずに済む。しかし、それでも限界はあるはずだ。バベルに何が起こっているのか、その計測までは難しいだろう」
「その通りでね。バベルネットに繋がっている端末に何が起こっており、そしてどうすれば我々はその関知から逃れ、抗う事が出来るのかの芽が見えない。つまるところ、手詰まりになっているところだったのだが、突破口が二つ、見つかった」
「私と……そしてブルブラッドキャリアの宣戦布告か」
首肯してからレジーナはスクリーンにブルブラッドキャリアの声明を流す。鉄菜は感じ入ったように眺めてから、やがてぽつりと口にした。
「……茉莉花。仕組んだな」
「どういう意味だ」
鉄菜はこちらへと振り向き、説明を始める。
「この声明にはただの宣戦布告とは別の意味が隠されている。恐らく地上にいる私へのメッセージのつもりだったのだろう。オガワラ博士の唇の動きと声が一致していないのは意図的だ。オガワラ博士の口の動きのほうで私への作戦指示が出されている」
あっ、とその言葉で部下は気が付いたのか、解析を始める。レジーナはしかし、手を掲げてそれを制していた。
「もし……その作戦指示が破壊工作だとすれば、ここで私達を殺すか?」
一触即発の空気が流れたが、それも一瞬であった。鉄菜は諦観したように頭を振る。
「……それはない。どうやら倒さなければならないのは、お前達ではないからだ」
部下達が安堵の息をつく。レジーナはしかし、信じられなかった。
「裏切りはいつでも出来る。クロナ・ノヴァリス。私達にお前を信じるに足る確証をくれ。そうでなければライブラでの保護も容認出来ない」
「俺の意見だけでは不服か」
サカグチの皮肉にレジーナは肩を竦める。
「悪いな。組織を束ねる責任がある」
鉄菜は一考した末に、すぐさま声にしていた。
「《バーゴイルリンク》の中に入っている戦闘AI、サブロウはブルブラッドキャリアの情報の集積点だ。奴を解析すればいい」
思わぬ提言であった。それはブルブラッドキャリアの理念に反するのではないのか。今まで秘密主義を守ってきた組織の構成員の言葉とは思えない。
それが顔に出ていたのだろう。鉄菜は言葉を継ぐ。
「サブロウを解読して、出る埃ならばもう処理している。私は有益だからこの判断に落ち着いたまでだ」
「……冷静なのだな」
「冷静でなければ読み負ける。それが執行者だ」
今まで世界を敵に回してきたモリビトの操主らしい答えだ。レジーナは顎をしゃくっていた。
「整備班に、《バーゴイルリンク》とやらの解析を」
了解した部下が命令の声を張るのを他所に鉄菜はサカグチへと言葉を振る。
「お前らは、ただここで静観しているだけのつもりか。敵は既に動き出している。あれだけで終わるとも思えない。必ず第二波が存在する」
「それには同意見だ。俺の《イザナギオルフェウス》をいつでも出せるようにしておいてくれ。連邦の第二波こそ恐るべきだろう。相手は数では圧倒している。我々が出端を挫けるとすれば最初のほうだけだ。後手になればなるほどに押し負ける」
サカグチの意見にレジーナは首肯していた。
「そうだな……。勝利すべき最短距離を追い求めるのに、連邦の攻撃の手は緩まない、か。これでは損耗戦だ」
「実際、そうだろう。格納デッキを見た。あの戦力で戦い抜くつもりか」
鉄菜の厳しい声音にレジーナは頭を振る。
「我々は連邦にも認められていない……独立愚連隊のようなものだ。辛うじて一個小隊レベルの戦力はあっても数による圧倒には完全に負ける。《イザナギオルフェウス》だけでは無理が生じるだろう」
このままではいずれにせよ、頭打ちが来る。どうするべきか、と思案するレジーナは鉄菜の不意打ち気味な声を聞いていた。
「私は協力してもいい」
「……何だと?」
「借りは返す。助けられた命だ。それに、お前達とて知りたい事は多いはず。出来得る限りの情報は共有しよう。その代わり、私を前線部隊に推して欲しい。それが条件だ」
思わぬ、とでも言うべきだろうか。願ってもない提案であったが、旨味のある条件には大概デメリットが付き纏う。組織を束ねる責任としてそれを見極めなければならない。
「……こちらとしてはモリビトの操主レベルの戦力は正直なところ欲しい。だが、保証がない。貴君が裏切らないと言う、保証が」
その言葉繰りに鉄菜は操主服の手首に巻きつけられた端末を引っぺがし、台の上に置いてみせる。
「こいつを解析すれば私の戦闘ログを探れる。ブルブラッドキャリアの操主の戦闘経験は貴重ではないのか」
どうしてそこまで譲歩するのか。レジーナはこの局面、読み負ければ後々禍根が残ると判断していた。
「……破格の条件だ。何かの含みを感じる」
「含みも何も。現状、我々は何も分かっていないに等しい。バベルを利用する敵の存在、それだけだ。その連中を上回るのに、いちいち出し渋っていれば互いの足を引っ張るだけ。相手は世界規模の情報ネットを既に手に入れている。こんなどん詰まりから逆転するのには、利用出来るものは利用する、という胆力が必要になってくる」
胆力、か。レジーナはその言葉の持つ重みを実感する。彼らは、アンヘルとの戦いの中でグリフィス頭目と結託し、アンヘルの情報作戦を上回り、エホバとラヴァーズの戦闘を掻い潜って月面まで辿り着いてみせた実力の持ち主だ。その実績を軽んじる事は出来ない。ゆえに、ここは鉄菜の提案をある程度呑むべきだろう。問題なのは、鉄菜をどう扱うかの一事だ。このまま腐らせるのには惜しい。
「……いいだろう。前線にて戦う権利を保障する」
「局長……! でも相手はブルブラッドキャリアで……!」
「皆の言いたい事は分かる。だが、ここは共通の敵を睨む事で現状の打開策を優先する。相手はバベルネットワークを完全に物にした存在だ。そんな相手と戦うのに、今さら敵だの味方だの言っていても仕方ない。戦う意思のあるものは立て。それが全てだ」
これが現状、ライブラを束ねる自分の決断。間違っているかもしれない、という危惧はある。しかし、誰も反論の口を挟まなかった。
サカグチが歩み寄ってくる。
「局長、俺は《イザナギオルフェウス》の整備に戻る。モリビトの操主は貴君の監視下に置くといい」
立ち去りかけた背中にレジーナは問い返していた。
「いいのか? だって、貴公のほうがよっぽど……」
そう、よっぽどモリビトに因縁があるはずだ。一言二言では割り切れない恨みや怨嗟が。しかし、サカグチは囚われる事はなかった。
「……既に勝敗は決した。ゆえにこだわらない。モリビトの操主、しかしながら、問いかけたい。あの時に見た、あの美しい宇宙に、誰しも行けると思うか? 今回の敵でさえも」
その問いは恐らく二人にしか分からぬ認識であったのだろう。鉄菜は熟考の末に言葉を紡ぎ出していた。
「……分からない。本当に分からないんだ。それでも、私は戦うべきだと感じる。戦わなければ、抗わなければ、それには意味がないのだと。あの美しい宇宙に至るのは、その後で充分だ。この世の戦いを終えてから、誰もが導かれるのだろう」
その答えにサカグチは口元にフッと笑みを浮かべる。
「……俺と同じ答えか。いいだろう。対人機戦において背中は任せた」
サカグチがそこまで信を置く人間は珍しい。自分でさえもサカグチは信用していない節があるからだ。レジーナは鉄菜を仔細に観察していたがやがて彼女が声にしていた。
「私には与えられた任がある。そのために、情報の送信を許可していただきたい」
「それはブルブラッドキャリアの……」
応じかけた声に鉄菜は、いや、と首を横に振っていた。
「そうじゃない。個人的な……この世でただ一人の、信じるべき親友のための言葉だ」