作戦伝達書に不備があったと申告しようとして、ヘイルは相手の意見に言葉を彷徨わせていた。
『だが、血続排除はすぐにでも実行されるべき急務だ。何を迷う必要性がある?』
「おかしいでしょう! あの命令は虐殺と同じだった! ライブラとか言う傭兵部隊が介入しなかったら、今頃……」
今頃コミューンは焼け野原だ。それを滲ませた通信の声に上官は嘆息をついていた。
『……ヘイル中尉。君の意見は充分に聞いた。しかしね、これは国家が決めた大事業なのだ。血続を排斥する事によって、真の恒久平和が訪れる。その時にこそ、新連邦の威信が輝く』
「物事の順序が違うって言っているんです! アンヘルは間違っていた、そりゃそうでしょう。ブルブラッドキャリアだってそうです。でも今回のはおかしい! ただ血続であると言うだけで殺されるなんて……!」
『感情的になるな、ヘイル中尉。合理的に、人類は二種類も要らないだろう?』
その言葉の持つおぞましさにヘイルは目を戦慄かせていた。相手は正気で言っているのか。
「……それが軍部の司令官の席に座る人間の言葉ですか」
『何か不都合な事でも? 血続なんて必要ないではないか』
「では、その論法ならば自分も必要ありません」
自分とて血続反応がある。相手は、そうか、と何かに納得したかのように手を打っていた。
『君も血続であったな。しかし、優秀な軍籍でもある。我々の考えに下るのであれば、別段排除には掲げない』
「そういうのじゃないでしょう! もう戦いは終わったはずなんです!」
ヘイルの言葉に上官は肩を竦めていた。
『戦いは終わった? いや、何も終わっちゃいないよ、中尉。君達はまだ分かっていないんだ。本当に素晴らしいものが何なのかを。それを尊重する上で血続がいては不都合なんだ。だから排除する。何かこの論法に不都合でも?』
相手は自己矛盾に気づいていないのか。血続の排斥、その向こうに発生するのは間違いなく虐殺であると言うのに。
「……承服出来ません」
『では、いい。納得しろと言っているんじゃない。これは命令だよ、中尉。新連邦とその軍部は血続をまずは排除し、その上で恒久平和を成り立たせようとしている。その方針に異を唱えるか』
「血続を殺す理由がない」
『理由、か。理由さえ納得出来れば、君は剣を取れるかね?』
問われて燐華の事が脳裏を過る。本当に大切な人を守るため、自分はまだ軍籍でいるのだ。アンヘルで働いた悪事を贖うために。罪を直視するために。
だと言うのに、罪に罪を上塗りする行為は断じて。そう、断じて許されるものではない。
「……軍属である以上、決定は覆せないのはよく理解しています。しかし、兵士には常に問い続ける姿勢が必要なもの。この命令には、自分は従えません」
『では、処分を与える』
その言葉が紡がれた直後、肌を粟立たせた殺気にヘイルは咄嗟に飛び退っていた。通信機を銃弾が射抜く。
後ろから撃たれた、という感覚に目線をやったヘイルは一人の兵士が拳銃を構えているのを視野に入れていた。
「……騙し討ちか」
「ヘイル中尉。納得出来ないなら死んでいただくしかありません」
「どうしてだ。どうして血続だけがその生存権を脅かされなければならない!」
「新たなる秩序のために、異分子は排除すべきなのです。それこそが調和を生み出す」
「調和? 何かを犠牲にした調和なんて、そんなもの、調和とは呼ばない。ただの支配だ!」
「それでも、必要なのは人類の方向性を一つにする事。あなたは邪魔なのです」
一射された銃撃を回避し、ヘイルは飛びかかっていた。銃弾が天井を撃ち抜き、ヘイルは組み付くなり格闘術を叩き込む。締め上げた兵士の眼差しに問いかけていた。
「何が調和だ。それで本当に平和になるってのかよ」
「それは、あなたが決める事ではない……」
不意に、兵士から戦意が凪いでいく。あまりに呆気なく戦闘を放棄した相手に、ヘイルは面食らっていた。連邦兵ならば、全うすると決めた任務を前にしてこのような、そうまるで機械のように戦意をスイッチング出来るわけがない。
「何かが……何かが起こっている?」
明確な像を結ばないそれに焦燥感に駆られながら、ヘイルは拳銃を手に駆け抜けていた。
この巡洋艦で最も血続反応の高いのは、間違いなく――。
間に合うか、と問いかけた胸中にヘイルは断じていた。
「……間に合わせてみせる」
隔壁を超え、ヘイルは一室へと飛び込んでいた。
「動くな!」
そう叫んだのと、研究員達が拳銃を突きつけたのは同時であった。
「お早いお着きでしたね、中尉」
この状況をまるで児戯のように、カグラは声にする。その余裕とは裏腹に周囲を取り囲む研究員の眼差しには迷いがない。突きつけられた殺意は本物だ。
「どうやら、血続は邪魔な様子。私もお払い箱というわけですか。研究するだけ研究しておいて、このような有り様は少しばかり笑えてしまう」
「笑い話じゃない。銃を置け」
詰めたヘイルの声にも研究員達は反応しない。
「無駄ですよ。彼らはどうしてだか血続排除に全く迷いがない。まぁ、私もミスしましたから止む無しと思っていますが」
「そんな理屈があるかよ。銃を置け!」
吼えたヘイルに研究員達がめいめいに声にする。
「血続は邪魔な存在」
「調和を乱す、あってはならない人種」
「ゆえに破壊する。必要のないものを片付ける」
「あんたら……本当に血続は必要ないと思っているのか」
絶句したヘイルに対して研究員達は銃を下ろす気配はない。やはりここは武力で制するか、と心に決めようとしたその時であった。
不意に彼らから戦意が消失し、全員が虚脱したように銃を下ろす。何が、と茫然としたヘイルは投射画面に映し出された禿頭の男性を目にしていた。
リアルタイムでの介入通信にヘイルは息を詰めさせる。
「……あれは、確かオガワラ博士……」
どうしてブルブラッドキャリアの頭目と目されていた存在が、と勘繰った直後、オガワラ博士は宣言する。
『星に棲まう全ての人類に告げる。我々はブルブラッドキャリア。惑星を追放された忌むべき存在である。今ここに、ブルブラッドキャリアは復活を宣言し、諸君らへの報復作戦を実行する』
何を言っているのだ、とヘイルは目を戦慄かせていた。そのような場合ではない時にどうしてブルブラッドキャリアが動き出すと言うのか。そのような感情も意に介せず、オガワラ博士は続ける。
『我々は、二年間、静観を続けていた。しかし、星は一向に変わる気配がない。ならば我々の手で、時を進めるしかないのだ。それだけしか、星の罪を断罪する方法はない。再び告げる、我らブルブラッドキャリアはモリビトによる介入行動を行い、惑星に罪を自覚させる』
「どうして……何で、今……」
放心しているのは自分だけではない。研究員達もその映像に見入っている。隙を見出したのはカグラであった。
拳銃を一射し、一人の研究員の手にあった銃を撃ち抜く。
「いけませんね、皆さん。よそ見など」
「メビウス准尉……」
「正当防衛ですよ。何でもない」
研究員達が一斉に銃を向ける。ヘイルは一瞬の隙にカグラの手を取っていた。
「走れ!」
研究員らが銃撃した時には既に部屋から走り去っている。カグラは心底理解出来ないとでも言うように声にしていた。
「……私を殺すのは恐らく上意ですよ」
「上意だろうが何だろうが、こんな無茶苦茶がまかり通って堪るか! みんな、おかしくなっちまっている……。人機で出るぞ。何かが……狂い始めている」
確信はない。だが、ブルブラッドキャリアが再び宣戦し、そして自分の周りの考えが急に変異した。それだけでも充分にこの状況の異様さを物語っている。
「……上意に逆らえば待っているのは死です。それでもですか」
「……上に逆らうだとか、そうじゃないとかはアンヘルの時代にいくらでも経験したさ」
言いやって、ヘイルは格納デッキへと赴く。タラップを駆け上がり、自身の《スロウストウジャ肆式》へと飛び乗っていた。
「中尉? まだメンテナンスの途中で……」
「これでいい!」
急速発進をかけさせ、ヘイルはマニピュレーターをカグラに向ける。カグラを狙っていくつかの銃撃が咲いたが、鋼鉄の腕がそれを阻んでいた。
《スロウストウジャ肆式》はそのままカグラの愛機である《イクシオンカイザ》への専用リニアボルテージへと踏み込む。コックピットへと誘導し、カグラを降ろしていた。
『……いいんですか、中尉。ここまですれば、あなたも反逆者だ』
「何かに反逆した覚えはない。強いて言えば、この状況に反逆しただけだ。信じるものを見失ったわけじゃない」
『物は言いよう、ですね。ですが私はこの機体に乗って血続ではない者達が狙ってくるのならば始末しますよ。それが、私の生存権だ』
それも彼女の中の正義だろう。ヘイルはあえて口を差し挟まなかった。
「……お前の信じる事をやれ」
『後悔しないでくださいね』
コックピットへと入ったカグラは《イクシオンカイザ》を起動させる。リニアボルテージの加護を受けず、推進剤の加速度だけで《イクシオンカイザ》が急速発進する。
ヘイルはその背を追って《スロウストウジャ肆式》を稼働させていた。
巡洋艦より砲撃が浴びせられ、空域は完全なる戦闘領域へと入っている。
《イクシオンカイザ》が自律兵器をコンテナより射出し、狙ってきた送り狼を次々と迎撃している。
『行け! Rブリューナク!』
全方位兵装がスロウストウジャ編隊を砕き、そして撃墜する。まさか彼らもこのような形での敵対は思いも寄らなかったのだろう。
一機の《スロウストウジャ弐式》がこちらへと銃撃を見舞ったのに対して、ヘイルは応戦の光条を浴びせていた。
銃撃が友軍機の肩口を射抜く。
『甘いですよ、中尉。やらなければ、やられる!』
《イクシオンカイザ》の支持アームが仕留め損なった《スロウストウジャ弐式》を掴み上げ、R兵装の雨が機体をぐずぐずに融かしていた。覚えずヘイルは目を背ける。
「……そこまでする事はないのに」
『今さらいい子ちゃんぶったって遅いじゃないですか。上意なんでしょう? だったら、追われるも止む無しですよ!』
それは、と言葉を彷徨わせたヘイルは飛びかかってきた《スロウストウジャ弐式》へとプレッシャーソードで押し返していた。何て事はない。自分だって自分勝手な理由で反抗した。カグラの事を言える身分ではないのだ。
だからこそ、今は最低限の戦いだけでこの空域を脱する。
ヘイルは長年軍にいた経験則から、巡洋艦がどこを狙えば人機は一斉に守りに入るかを熟知していた。ブリッジを狙い澄ました銃口に人機部隊が動く。
「メビウス准尉。今のうちに離脱しろ。いたずらに被害を増やす事はない」
『何故です? やらねばやられる。分からないのですか』
「分かっている。分かっているが……いたずらに味方を撃てるものか」
苦渋を滲ませた声音が伝わったのか、《イクシオンカイザ》が離脱挙動を取る。ヘイルはそれを見届けてから、その後ろ姿に続いていた。
離れていく巡洋艦を視界に入れ、ヘイルは言葉を継ぐ。
「……これで、よかったのだろうか」
『何がです? 選択肢なんてなかった』
「だが……致し方ないとは言え、世界に弓を引いたのも同じだ」
ヘイルの言葉にカグラはふんと鼻を鳴らす。
『今さらでしょう。我々が生きているのが罪だと言うのならば、せいぜい反逆してみせますよ。それが、罪人の抗いです』
カグラはどこかでこの状況を予測出来ていたのだろうか。彼女はそうかもしれない。研究材料として拘束され、非人道的な扱いを受けてきた。今の世の中に対する憎悪のほうが強いはずだ。そんな彼女に何を言えるのか。
どれほどの地獄が続いているとも知れない世界に連れ出したのも同義だ。《イクシオンカイザ》で誰かを救えとは言えない。むしろ自分の命一つ守るので精一杯だろう。
「……俺は、また間違えたのか」
その問いの答えは出なかった。