ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯378 バベルの詩篇

 

 その姿に反した老練の声に緊張が走る。相手は自分達の知るAIではない。何者かがこの通信域を乗っ取った、という最悪の想定に美雨の腕より銀糸が舞い上がる。

 

「おねーちゃん! いつでも回路を焼き切れる!」

 

 強硬手段に移ろうとした美雨に、相手はどこか冷静に応じていた。

 

『まぁ、待ってくれ。怪しいのは重々承知しているが、この回線を使うしかなかった。ブルブラッドキャリアのもう使用されていないはずのローカル通信……そう、調停者の脳内同期ネットワークに近い通信域を』

 

 調停者の事を知っている。それだけで重要警戒レベルだ。

 

 殺気立った一同に相手は困惑したような声を出していた。

 

『……すまない。このような形での君達との面会を残念には思う。しかし、惑星の惨状を伝えるのには、この方法しかなかった。……名乗らずにおくのは失礼に当たるな。ワシの名前はタチバナ。知っているかどうかはともかくとして、人機開発に携わった大罪人だ』

 

 まさか、と桃が息を呑んだのが伝わる。ニナイは信じられない、と首を横に振っていた。

 

「タチバナ……その名前で人機開発者は一人しかいないわ。惑星での人機開発を一手に担った存在……タチバナ博士」

 

『周知していただいて光栄、と思うべきなのだろうかな』

 

 しかし、まさか、と蜜柑が先走った声を発する。

 

「どうして……? タチバナ博士は生きているはず……! どうしてブルブラッドキャリアの、戦闘AIの躯体に……?」

 

『遠大な話……あるいは荒唐無稽かもしれないが、ワシは二年前、既に死んでいるのだ。君らも知っておるだろう。アムニスの頭目、渡良瀬』

 

 幾度となく自分達の道を阻んできたイクシオンフレームの使い手、アムニス。天使を名乗った彼らは今でも生々しく思い返す事が出来る。あれほどの脅威もなかった。

 

 だが、どうしてそのトップである渡良瀬が関係あるのか。

 

『渡良瀬は長らくワシの右腕であった。恐らくは君達の本隊より、ワシを見張っておくように命じられていたのだろう。だが、彼奴は尊大にも己こそが最も優れているのだと考え、アムニスを発足させた。そして人造血続の術を操り、天使達を造り上げた。これは、ワシよりも君らのほうが詳しいかもしれない』

 

「アムニス……。何度も煮え湯を呑まされたクチだ。だが、それとどうしてタチバナ博士が繋がってくる? 渡良瀬が調停者としての責務で監視していたとしても、何故二年も前に死んだと名乗るあなたが、こうして強制回線を繋いだ?」

 

『……今、ワシのこの躯体は宇宙駐在軍のかつての防衛基地に存在している。つまり、惑星のネットから一時的に離れた位置に在るという事だ。その上で、言っておきたい。ワシは二年前に死んだが、渡良瀬の……悪意によってこの躯体に意識パターンを統合させられた。それだけならばまだいいのだが、ワシはこの躯体が持つ介入領域を使って、レギオンの義体ネットにアクセスし、つい三日前まで、自分が生きているのだと偽装していた』

 

 その証言を裏付けるかのように別窓で開いた映像には十日前のタチバナ博士の研究会見の映像があった。

 

 本当に、死んでもなお生き永らえてきたのだ。

 

 その事実に震撼すると共に、ニナイは疑問を呈していた。

 

「……どうして、今のタイミングで、私達に?」

 

『知ったからだ。惑星を覆う未知なる敵の存在を。ワシはその素性から、抑えられかけた。ワシの身柄はイコール人類における人機産業の頭と言ってもいい。ワシがやれと命じれば、星の隅々にあるプラントは動き出し、新型人機の製造が始まるであろう。そのためにワシを拉致した者達がいた。いや……この言い方は正しくないな。正確にはその未知なる敵の操り人形であった者達に、か』

 

「繰り言を重ねている暇はない。あなたが本物のタチバナ博士であれ、その躯体に宿った仮初めであれ、いずれにしたところで時間はない。我々ブルブラッドキャリアに、何をさせたい?」

 

 その問いにタチバナはゆっくりと応じていた。

 

『望む事は、一つ。そう、たった一つだ。――世界を覆う悪意に、再び報復の剣を向けて欲しい。君達がやってきた事を支持するわけではないが、星の内側からではほとんど不可能なのだ。今回の敵ばかりは、自浄作用ではどうしようもない。ワシでさえも、この場所にいるから察知を免れているだけだ。星の中に入れば瞬く間に無力化されるであろう』

 

 タチバナの論調の深刻さに桃は言葉を失っているようであった。

 

「……それほどまでの敵なんて……。何者なの? 新連邦政府へのレジスタンス勢力?」

 

「確かにまだ紛争は起こり続けている……。ラヴァーズの残党だっているし、グリフィスだってあの戦いの後、どこに併合されたんだか分かったもんじゃない。まさか、連中が徒党を組んで?」

 

 桃とニナイの推測にタチバナは棄却する。

 

『そうではない。それならばまだよかった。人間同士で争うだけならば、まだ。これは宇宙よりバベルネットワークのログを観測し直した結果だ。だから結果でしかないし、君達が負い目を感じる必要も、ましてや仕損じたと思う事もない。これは、本当に……罪の残滓、残りカスなのだ。我々人類が贖い切れなかった、罪の……』

 

「御託はいい。ハッキリと言え。何が、どういう目的で仕掛けている? さっさと明らかにしないと回路を焼き切ってもいい」

 

 明確な脅し文句にタチバナはようやく口にする。

 

『敵は――惑星に棲む、六億の命そのものだ』

 

 口にされた意味が分からず、蜜柑が問い返していた。

 

「どういう意味? まさか、また惑星報復を成させるために誘導しているんじゃ……」

 

『言い方が悪かったな。正確には、六億の命の生殺与奪権を握っている存在、人間は操っていると思い込んでいた。そう思うしかなかった、技術という名の叡智。世界のシェア率は九割に近いシステムOS、バベルの詩篇』

 

「まさか、バベルの詩篇にウイルスでも仕込んだ過激派が?」

 

 確かにそれならば六億の命を人質にしたに等しい。だがその可能性さえもタチバナは否定する。

 

『君達は前提条件を間違っている。ワシは一回も、人物とも団体とも言っていない。六億の命を牛耳っているのは、バベルの詩篇に強力な洗脳プログラムを仕込んだのは――たった一つのシステムだ』

 

「システム、だと? 星にそのようなシステムは存在し得ない」

 

『公式には、ね。だが非公式ならば存在していたはずだ』

 

「非公認のシステムだと……? まさか……!」

 

 茉莉花が覚えずと言った様子で立ち上がっていた。その狼狽にニナイは歩み寄って肩に手をやる。

 

「何なの? 茉莉花。そんなもの、あるわけ……」

 

「いや、あるんだ。たった一つだけ。この惑星を、三つに分断させた、かつての星の遺物。人間同士の争いを、俯瞰してみせた神の座に位置する、支配者が」

 

「まさか、レギオンの生き残り?」

 

 問いかけた桃に茉莉花は項垂れて、いや、と声を搾っていた。

 

「それならば、まだ立ち向かえる可能性があった。だがこればかりは……どうしようもない。人間は自ら滅びの道を選んだと言いたいのか。そんな残酷な未来だったと……! 貴様は言うのか! タチバナ!」

 

 拳をぎゅっと握りしめ、平時の落ち着きを忘れた茉莉花の怒声に美雨がびくつく。ニナイはその急いた心を落ち着かせようとした。

 

「待って、茉莉花。何が何だか……」

 

「……隠し立てはするな。これが合っていると言うのなら、星の人々が見ないようにした原罪が、生き残っていたと言うのか」

 

 睨み上げた茉莉花の瞳を、タチバナは受け止める。

 

『……そうだと、答えるしかないのだろうね』

 

「何だって言うの……。タチバナ博士! あなたには何が見えているの!」

 

 ニナイの張り上げた声にタチバナは微塵も声音を上げずに応じていた。

 

『かつて……人類は争い合っていた。三大禁忌……モリビト、トウジャ、キリビトの製造と開発をタブーとされ、それぞれのダウングレードした人機である、バーゴイル、ロンド、ナナツーを編成する国家に分かれて。檻の中での睨み合いを続けていた。そのこう着状態に風穴を開けたのは君達ブルブラッドキャリアだ。そしてそのうねりの中で、ゾル国が失墜し、C連合が発言権を強め、君らのミッションで破壊された独裁国家があった』

 

 そこまで言われて、ニナイはハッと気づく。ブルーガーデンの独裁者。青い花園を支配していた、最大の毒を。

 

 ブルブラッドキャリア本隊にいた頃、自分はミッション概要をバベルで確認していた。

 

 相手が何者なのかも知って、執行者の任務を俯瞰していた。

 

 鉄菜が断じた罪の一つ。独裁国家ブルーガーデンで秘密裏に開発され、発展していた人格システム。

 

「ブルーガーデンの元首……システム名、エデン」

 

 紡ぎ出した名前にタチバナは是とする。

 

『そう、それこそが我々の罪の形だ』

 


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