招集がかけられ、蜜柑はうろたえ気味に月面プラントへと訪れていた。伴っている桔梗が尋ねてくる。
「教官……、突然の呼び出しって、何なんでしょうか?」
「分からない。でも、いい報せでは、なさそうね……」
余裕のない茉莉花の声を思い返す。それに、と蜜柑は嫌な予感が胸を占めていくのを感じていた。これは今までの操主としての第六感だ。ブルブラッドキャリアの執行者として戦ってきた頃の経験則が今になって疼いてくる。
しかし、どうして、今、という疑念を滑り落ちたのは廊下の折れたところで合流したタカフミであった。
「おう、先生殿。そっちは生徒か?」
「……アイザワさん」
「タカフミでいいって。訓練生のブロックには行かないからな。おれの事を知らないみたいだ。怯えてるぜ」
誰なのか分からないのか桔梗は自分の陰に隠れる。
「操主よ。しかも腕利きの」
「二年前の決戦で戦い抜いた、って教えてくれてないのか?」
「……出来るだけぼやかしていますから」
「つれないねぇ。あんだけ頑張ったってのに」
「あの……教官。どなたなんですか?」
「紹介するわ。タカフミ・アイザワさん。居住ブロックに瑞葉・アイザワさんがいるでしょう? あの人の夫よ」
「そしてエースでもある」
笑ってみせたタカフミに桔梗は警戒心を解けない様子だ。無理もない。自分も未だにタカフミは苦手な人種であった。
「……あれ? おれ、またやっちゃった?」
「知りませんよ。そこのところは自分で説明してください」
「何だよ、先生だろう?」
「教えるべきものと教えなくてもいいものがあります」
つんと澄ましたこちらにタカフミは取りつく島がないと感じたのか、へいへいと応じる。
「せいぜい、適当さを演じますか。……でも、ここで合流したって事は」
「ええ、非常招集でしたね。何だと思いますか?」
タカフミは無重力ブロックで天井を仰ぎつつ漂う。
「やっぱりあれか? モリビトがもう要らないから廃棄するとかか?」
「モリビトは抑止力です。廃棄なんてあり得ない」
「だったら、紛争地への介入とか」
「それは桃さんが行っているでしょう」
その返事にタカフミはにやついた。
「桃さん、ねぇ。教え子の前じゃ、お姉ちゃんって呼べないのか?」
「……怒りますよ」
睨み上げると、タカフミは肩を竦めた。
「はいはい、冗談はここまでにするよ。にしたって、あの蜜柑・ミキタカがこの二年で先生になるってのは驚きだよな。あんだけ怯えていたのに」
「候補生の前です。妙な事を吹き込まないでいただきたい」
強めの論調で返すと、タカフミは快活に笑った。
「冗談も通用しなくなった。堅物になったもんだ。でもま、いい事じゃないか? 肩肘張らずに済むってのは」
「……でも、そうじゃないからの非常招集ですよね」
「まぁな。嫌な予感はマジにするが、それでもおれらがビビれば下々もビビる。下手でも虚勢を張っておけ」
こういう時、やはり歴戦の猛者なのだな、と実感する。自分の恐れはそのまま桔梗の恐れとなる。タカフミは理解して、わざと冗談を振っているのだ。そのメンタリティには感嘆するしかない。
「……イリアスさん。怖がらなくってもいいけれど、でもある程度驚かないようにはしておいてね。これから《ゴフェル》の予備クルーになるんだから、教えた人達が出てくるけれど……びっくりはしないように」
これが自分の精一杯。桔梗は頷きつつ、どこか不安げな眼差しを隠せないようであった。
無重力ブロックを潜り、格納ブロックに出る。眼下に収まる《ゴフェル》の船体ではなく、茉莉花の研究区画へと足を運ぶように言いつけられていた。
「あの……教官。もし……戦闘になった場合、私は《アサルトハシャ》の搭乗経験しかありません。それに、宇宙での無重力戦闘の訓練時間は、60時間未満です。これでは実戦は……」
「いきなり出ろとは言われないはず。茉莉花さんも考えがあると思うから」
「まぁ、出るとしてもおれや先生が出るさ。何も心配する事はない」
桔梗はまだタカフミの事を信用出来ない様子だ。蜜柑は言葉を振っていた。
「アイザワさん。候補生をからかわないでください。彼女らだって一応は執行者の資格を持っているんです」
「でも、モリビトには乗せられない。そういう決まりだろ?」
「決まりと言うか、まだ時間が足りないだけで……」
「でも、乗せないって決めたはずだ。……過去の過ちに学ぶのなら、な」
月面での戦闘を思い返す。訓練生も少年兵も関係ない、《アサルトハシャ》による玉砕覚悟の戦いぶり。あれを繰り返すわけにはいかない。ゆえに、モリビトには候補生は実質的には乗せられない。人機だって自衛のために訓練はさせているが、こちらから攻め入る事は実質的には存在し得ない。それは自分達、泥を被る世代が決定した、次世代に繋げるための覚悟だ。
桔梗にそれを説いても、何故必要な時に出られるだけの力もないのか、という疑念のほうが正しいのは分かる。当然、自衛手段としても《アサルトハシャ》の操縦経験だけでは浅い。
だが、出来得る事ならば、蜜柑は争いを忘れて欲しかった。
争いを忘れ、星の人々への憎悪も過去のものにして欲しい。それがモリビトの執行者であった自分達の切なる願いだ。
タカフミはその苦難を理解しているのか、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。自分も教官身分。下手な事は言えない。
「揃ったか」
情報統制室に入るなり、茉莉花はこちらに振り向きもせずに尋ねる。美雨と茉莉花は地上の情報を高速処理しており、言葉をかける事さえも憚られた。
しかし、そのような間を関せず、タカフミは声を上げる。
「おい、ガキンチョ。おれらを呼んだって事は、異常事態って事だろ? まさか、地上からの敵襲か?」
構えたタカフミに茉莉花はキーを打つ手を休めずに応じる。
「相変わらず、血の気が多いな。だが、それも込みで呼んだつもりだ。これがつい数十分前に観測された、地上における命令書の一つ。新連邦軍部で下された作戦内容だ。いちいち話すのは面倒なので、美雨、端末に送れ」
「うん。蜜柑おねーちゃんと、タカフミおじさんはすぐに読んで。一応は重要事項」
「おじさんって言うんじゃねぇよ。お兄さんだろ」
言い返しながら、タカフミは端末にポップアップされた情報を同期していた。蜜柑もそれを読み込んで戦慄する。
「これ、は……、特定コミューンへの、攻撃指令?」
あり得ないはずだ、という声音が出ていたのだろう。茉莉花は淡白に言い返す。
「事実だ。受け止めろ」
「アンヘルは解散したはず! 二年も前に!」
「いきり立つな。アンヘルの手の者じゃない」
「じゃあ誰が……。まさか、レギオンかアムニスの生き残りが……!」
最悪の想定を浮かべたのだが、それさえも茉莉花は否定する。
「いや、それでもない。我々が想定し得る、最悪の想定がそれであったが、どうやら完全にその線は消えているらしい。アムニスの残党がいたわけでも、ましてやレギオンの生き残りが牙を剥いたわけでもない。これは、新連邦政府を通した正式かつ、冷静な命令書だ」
「……コミューンへの無差別攻撃なんて、そんなのは現政権の人道的配慮を無視している」
そうでなくとも、アンヘルの跳梁跋扈した時代の遺物は排斥された。ハイアルファー人機、それにブルブラッド重量子爆弾、ゴルゴダは新たなる禁忌として、星の人々の記憶に焼きついたはずだ。
それを取り払い、コミューンへの強襲作戦など、あり得てはならない。自分達のこれまでの戦いをまるで無駄だったと言うかのような慈悲のない作戦だ。
それを察したのか、美雨が振り返る。銀色の瞳が憂いを帯びたのを感じ、自分だけが傷ついているわけではないのを蜜柑は悟っていた。
ハッと言葉を仕舞おうとした矢先、茉莉花は声にする。
「……二年前に、ブルブラッドキャリアは月面でアンヘル最終部隊と、そしてアムニスの連中と戦い、そして勝利した。ブルブラッドキャリア本隊の掲げた最後の敵である梨朱・アイアスを鉄菜が倒し、平和の第一歩を刻んだはずだ。……そうであるだけに、この命令書は融和政策からかけ離れている。こちらからの問いかけと、そして圧力はもちろんかけたさ。しかし、ことごとくこれだ」
モニターに映し出されたのは「全ての送信、及び命令を拒否する」という地上の新連邦政府の宣言であった。思わぬ宣誓に蜜柑はうろたえ気味に後ずさる。
「そんな……。どうして? ブルブラッドキャリアは融和政策に手を貸していた」
「その原因は今のところ不明だが、もちろん、新連邦の蛮行をここで静観するわけにもいかない。鉄菜は既に《バーゴイルリンク》で出撃し、地上への介入行動を命じさせた。桃は《ナインライヴス》で探りを入れていた矢先だったからな。一応は地上の情報をこちらに持ち帰ってもらう。鉄菜とは入れ替わりの形になってしまうが、仕方あるまい。地上と月面は思っているよりも遠いんだ」
茉莉花とて苦渋の判断なのは窺える。しかし、蜜柑は納得出来なかった。
「……何者かの陰謀なら、ブルブラッドキャリアは介入する」
自分の言葉が思いのほか冷たかったせいか、桔梗がうろたえているのが分かった。平時の教官である自分とはかけ離れていたのだろう。再び執行者として戦う覚悟に、茉莉花は、いやと返す。
「そうとも断言出来ないんだ。だからこそ、鉄菜のみで行かせた。ここは最小限の介入行動で相手の思惑を探る。読み負けるかそうでないかは吾と美雨にかかっているからな。今最新の情報を同期し続けているが……どうにもきな臭い部分が大きい」
「どういう事?」
「首謀者が見つからないの。もし、新連邦をそそのかしたのなら、多かれ少なかれその痕跡が残るはず。でも、今呼び出している情報コンソール上にはまるで異常がない。不気味なほどに。まるで、この作戦指示書は至るべき過程を経て、きっちり受諾されたかのようにさえも映る」
美雨の返答に蜜柑は絶句していた。大量虐殺が容認されたと言うのか。民主主義を取り戻しかけた地上の市民の間で。
「……でも、コミューンへの攻撃はアンヘル時代でさえもタブーで、バベルの情報統制があってようやく、と言ったものだった。でもこのずさんさは何? この作戦指示書、暗号化のステータスも薄ければ、まるで民間に出回っても痛くもかゆくもないって言う閲覧レベル。これじゃ、市民はまるで納得した上でこれを支持したみたいに……」
「そういう次元になっている、というのが、現状の地上の光景なんだ。おかしな事に、過程が存在しない。一足飛びにこの命令書が受諾された。上層部が吟味した様子も、ましてや下の兵士が反発した痕跡もない。これはまるで……地上の全ての思想が、一夜にして塗り替わってしまったかのようなんだ」
「思想の塗り替え……まさかバベルが」
「いや、バベルでも市民の意識の扇動は出来ても、こんな短時間に人間の無意識レベルへの介入は出来ない。そういう洗脳行為には遠大な時間がかかるはずなんだ。それに、市民一人一人を納得させられるものか。だと言うのに、市民からの反政府デモの反応もなく、不自然なほどに全メディアが沈黙している……。地上の意識下の統一は既に完了した、とでも言うような静寂だな」
蜜柑は覚えず拳をぎゅっと握りしめ、踵を返していた。その背中に茉莉花の声がかかる。
「どこへ行く?」
「……《イドラオルガノン》で介入する。そうじゃないと、また無益な戦いが始まるのよ! ……二年間。二年間、平和を勝ち取ってきた。地上も宇宙も、平穏だったじゃない」
「だがこの反応を見るに、偽りの平和であったのは疑いようがない。ミキタカ教官の出撃は許可出来ない。無論、モリビトの私的使用も」
「でも! ここで動かないと何のために……! 何のために二年前の戦いがあったの。何のために……」
――何のために半身である林檎は死んだと言うのか。
その無言の主張が伝わったのだろう。茉莉花は冷静な声を寄越していた。
「落ち着け、とも言っている。今の惑星はいきなり破滅へのステージに身を乗り出したに等しい。このような事はあり得ないはずなんだ。吾らが、今までモニターしてきた地上の政策が、その通りであるのならば。だからこそ、余計に慎重を期さなければならない。鉄菜は地上に降りた。今のところ、ブルブラッドキャリアの出来る最大限だ」
茉莉花は手は打った、と言う事を伝えるためにここに呼んだのだろう。同時に、いつでも出撃出来るように備えておけと言外に教えるために。
「……一つ、いいか?」
「何だ。言っておくが議論の余地はなさそうだぞ」
タカフミは茉莉花へと一拍置いて尋ねていた。
「地上と戦争になる可能性は、ゼロじゃないんだな?」
これは軍人であったタカフミならではの質問だったのだろう。彼はアンヘルの蛮行を身をもって経験している。C連邦政府の失策も。何もかも知った上での質問に誤魔化せないと感じたのか、茉莉花は息をついていた。
「……その可能性も視野に入れておいてくれ。無論、そうはさせない、と自信を持って言いたいが、いつそうなってもおかしくないのだと、こちらでは思っている。何よりも、この命令書に記された内容がその通りならば、戦争は思ったよりも早く起こるかもな」
命令書の内容に目を通した桔梗は声を上ずらせる。
「血続反応が最も多く見られたコミューンへの殲滅指令……。これって、やっぱり、血続を滅ぼすべきって……そう地上が判断したって事なんじゃ……」
「そんな事はさせない」
語気を強めた蜜柑に桔梗はその発言の迂闊さを意識したようであった。
「タカフミ・アイザワとミキタカ教官にはこれより数時間の待機命令を下させてもらう。戦闘待機だ」
それは二年ぶりに下された、戦闘警戒であった。二年前には常に張られていた緊張がいやでも思い出される。
アンヘルとの絶え間のない戦い。そして、憎み憎まれ合う、あの怨嗟の戦場――。
「……終わったと、思っていたのに」
自分でも思いも寄らぬ悔恨であった。それを茉莉花は、そうだな、と残念そうに返事する。
「終わったと……そう思っていたのはこちらの認識不足だったのかもしれない。もう、モリビトも必要ないのだと、そう断じられればどれほど楽だったか」
茉莉花はモリビトのサードステージ案を提言しただけに、苦味が勝るのだろう。使わないほうがいいに決まっていた力に再び縋らなければならないのか。
地上に蔓延る罪を裁くために。
だがそれは悲しみを生むだけなのだと、自分達は実感したはずだ。憎しみの果てにあるのは虚無だけなのだと。
それでも、この手が再び引き金を引くのならば、早くに決断したほうがいい。
タカフミが自分の肩に手を置いていた。
「行こうぜ。邪魔しちゃ悪い」
「でも……戦闘待機なんて」
「間違っちゃいないだろ。この命令書に対して静観出来ないのは同じだ。だからこそ、クロナは行った。今は、それだけで承諾するしかないだろうが」
それは感情で走れば下策なのだと思い知らせているようであった。蜜柑は情報統制室を去り際に、茉莉花へと言葉を振る。
「……茉莉花。あなたはこの状態を、予期していたの?」
残酷ながら尋ねずにはいられない。茉莉花は一拍の逡巡の後に応じる。
「……想定はしていた。そのためのモリビトでもあった。だが……忘れられれば、どれほどに楽だっただろうな」
皆、あの過ちを繰り返さないように動いていたはずだった。だが実情はどうだ。
世界はまた間違いへと転がり、そしてそのうねりを前に、自分達はこうも無力。
やり切れない思いを噛み締め、蜜柑は立ち去っていた。
「……あいつらだって、苦々しいだろうさ。おれ達はおれ達に出来る備えがある」
「分かっていますよ。でも、そういうのって……」
「ああ、悲しいな。もう、この手が血に濡れないのだと、おれも日和見になっていた部分もある。……だからよ、これで争いは手打ちにする。そういう、覚悟を持とうぜ」
タカフミは元々地上勢力の側。止めようのない悪意がある事を彼は経験則で知っている。そして悪意を振り撒いたのは自分達ブルブラッドキャリアほうが先だと、誰よりも理解しているはずなのだ。
そんな彼が感情に走らずに冷静になろうとしている。
蜜柑は己を叱責したい気分だった。何よりも教官として、候補生の前で見せる姿ではなかっただろう。
「……イリアスさん。あなたも予備クルーに選ばれている。戦闘待機命令はあなたにも下された事になるわ」
非情なる宣告に彼女は意想外の言葉を返していた。
「ようやく……戦えるんですね」
答えを得たかのような口調である。――ああ、と蜜柑は瞼を閉じる。
彼女らは戦うためにブルブラッドキャリアが弄んだ命そのもの。争いの因子を止める事は出来ないのだ。かつての自分達が地上への執行に何の疑問も挟まなかったように、彼女もまた、争う事に自らの存在価値があるのだと信じ込んでいる。
それは偏狭なる道だ、と諭そうとしても、普段の自分の行いが邪魔をしていた。
訓練生を束ねる教官という身分は、彼ら彼女らに「戦うな」と命令は出来ない。むしろ、このような時のために蓄えていた戦力だろうと言われてしまえばそこまでなのだ。
なんて、自分は卑怯――。
戦って欲しくないのに、候補生に教えてきたのは争いを呼び水にして己の力を発揮させる道。そのような事に命を使って欲しくない。だが、それを間違っていると断ずる道理もなし。
黙り込んだ自分に、タカフミが口火を切っていた。
「……桔梗・イリアスって言ったか。お前は、戦う事が怖くないのか?」
「恐怖なんて。《アサルトハシャ》の搭乗経験が足りなくてもやります」
「違う」
断言したタカフミの論調は平時のものとはまるで異なっていた。問い質すのは戦場を闊歩してきた戦士としての信念だろう。
「命を捨てるようなもんだ。怖くないのかって聞いたのはそれだぜ? 死ぬのが怖くないのか」
その論調に桔梗は返事を窮する。分かっている。タカフミの言葉の重みに。彼の言うのは正論だ。そして、覆しようのない「まともさ」なのだ。それに対して、桔梗が返せるものなど高が知れている。まだ、ブルブラッドキャリアの領域である部分から抜け出せていない、戦闘機械である彼女にこれ以上を突きつけるのは酷というもの。
蜜柑は覚えず割って入っていた。
「もう、やめてください、アイザワさん。私が、言いますから。だから、正論で彼女を、追い込まないでください。だって、私は彼女らに……」
何も教えられていないのだ。結局のところ、本当に必要な事は何も。タカフミはそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。
「無理を言うつもりはないぜ。そこは教官であるあんたがやってくれよ」
離れていくタカフミに桔梗が悪態をつく。
「……何なんですか。そんなに偉いって言うんですか、前に戦った事が」
「イリアスさん。偉いとかそうじゃないとか関係ないの。また……過ちを繰り返したくないだけなのよ。みんな、きっとそう。誰ももう戦いたくない。必要以上の血は見たくないの」
「でも、戦わないと何も得られないじゃないですか! それを教えてくださったのは教官でしょう?」
そう、その通りだ。彼女らには生き残る術を教え抜いてきた。それが正しいのだと自己欺瞞の中で信じ込んで。自分はただ教えるだけだと、いつの間にか胡坐さえも掻いていた。
彼女らの勝手だ。それにもう、二年前のような悲劇は起きない――一番に日和見だったのは自分だろう。もう戦わないでいいから、教えても問題ないと、勝手に思い込んでいたのだ。
それがどこまでも度し難いほどの無理解だとは思いもしないで。
「……鉄菜さんが行ってくれている。私達は、ここで待つしかないのよ」
「待つって……、でももしもの時は戦闘でしょう? あのアイザワさん、死ぬ事が怖くないのかって……何でそんな事を歴戦の猛者が言うんですか。おかしいでしょう」
違うのだ。おかしいのは、死を身勝手に超越したと思い込んでいる自分達。
奪われる事なんてもうないのだと、そんな風に戦いから逃げている自分達でしかない。
――戦いはこんなにも近い。
そこから目を逸らしていた不実がここに来て突きつけられるとは思いも寄らなかった。
「……地上は、遥かに遠い場所でもないのよ」
確かに月面からの距離は遠い。だが、地上で戦火が散ればすぐさま月までも影響が出る。
戦いの脈動はすぐそこにあるのだ。
見ない振りをするのは勝手だが、もう逃れられない。逃れてはいけない。
「……教官の言う事が分かりませんよ。戦っていいんでしょう?」
その質問に素直な肯定を返せないのが、畢竟、自分であった。