降り立った航空機が灼熱の噴射を漏らしたのを、並び立った兵士達が見守っていた。
搭乗しているのは軍歴の最高士官に等しいのだと言う事前情報以外は不明でありながら、彼らの面持ちにあったのは疲弊よりも、栄典だ。空港に着陸したのは個人レベルの航空機であり、軍務からは少しばかり離れた仕様である。武装は施されていない、という情報を得ていた。
タラップより降りてくる相手に兵士達が敬礼する。
返礼した士官は藍色の軍服に身を包んでいた。
「ご苦労。留守の間は如何にしたか」
「准将の留守は退屈でしたよ」
冗談交じりの声に准将と呼ばれた老躯は微笑む。
「旧C連合体制に向けての話し合いの場が持たれたが、やはりと言うべきか、こちらに与しないと言う判断でね。まぁ、それに関しては追々話そう。君らはゆっくりしてくれるといい。出迎え感謝する」
歩み寄ってきた秘書官が不意に耳打ちする。
「既に根回しはしていますが、やはり不穏な行動は見受けられます。こちらを」
秘書官が腕時計型端末を自分のものに翳す。情報の同期が成され、准将は起動する端末のOS画面を目にしていた。
「便利になったものだな。バベルの詩篇、か」
「視察に赴かれるのでしたらやはり護衛はもう少しつけてもよかったのでは?」
「いや、余計に勘繰られる。ここにあると言うのを知っているのは?」
「我々のみです。現地で既にスタッフが待ち構えていますが、彼らの追加情報によると、やはり世界中で同時多発的に諜報機関が動き出していると。敵は、一枚岩ではなさそうです」
准将はその言葉に首を鳴らす。
「諜報機関はどこも手ぐすねを引いている状態か。こちらの行動如何でどうにでも動く。……まったく、やり切れんよ」
空港より直通で向かう車に乗り合わせた准将と秘書官は通話を繋いでいた。相手方が投射映像越しに現れる。
「連邦としてもこちらの動きは制したい。各国情報機関への牽制は」
『現状、動き回っているのは一つや二つではありません。しかし、彼らの構築するネットも我々のネットの中なのであるという事を理解している者達は少ないようですね。どの動きもずさんです。バベルネットワークを掌握している者が、この局面において勝利する』
その言葉を准将は受け取り、静かに言葉を寄越した。
「勘繰られるなよ。バベルという万能機は存在していない。それが公の情報なのだからね」
『かしこまりました。しかし、秘匿するにしても限界は訪れます。バベルの詩篇である意味では目晦ましを行っているとはいえ、全員が全員、もうろくしているわけでもありますまい。中にはバベルネットを最初から使用せず、独自のものを使っている諜報機関も』
「グリフィス……まだ生き残っていると言うのか」
あの戦いの中でアンヘルに与したグリフィス残党はそのまま各国諜報部へと吸収合併されたと聞くが、実際には国家は中枢に陣取る新連邦のみ。他のコミューンは併合を拒む烏合の衆だ。
そのレジスタンスコミューンにて、グリフィスの人機、《ブラックロンド》がそのまま使用された目撃例もある事から、やはり容易く掻い潜れない実情はある。
それでも、世界は少しずつ、一つに向かっていると言うべきか。
准将は秘書官に質問していた。
「会議までの時間は?」
「あと十分ほどです。既に集まっているかと」
「結構。しかしながら、これから先の国家の命運を決めるのに、古式めいた会議か。これもまた、人間の功罪めいている」
『仕方ありませんよ。やはりと言うべきか、人は面と向かってでしか納得出来ない生き物ですから』
つまらないものだ、と准将はひとりごち、車窓から望める景色を視野に入れていた。
軍用の基地を抜け、向かったのは機密区画である。物々しい白亜の蓋に封じられた禁忌へと、自分達は向かおうとしていた。
「情報都市、ソドム、か。……レギオンの遺した忘れ形見」
『解析率は今のところ六割前後。それでも、ほとんどこの二年間で丸裸に出来たのは大きいでしょうね。それまでは支配特権層が持っていた……想像するだけでぞっとしますよ』
支配特権層。それはかつての元老院からレギオンへと変位し、そして今は自分達を含めた決定権を持つ上級士官が握っている。一時期には、全てのデータの廃棄でさえも考慮に入っていた、凄まじい万能機。
だが、それも今や昔の話。バベルは解読され、そして人々には恩恵と叡智が与えられた。
それこそがバベルの詩篇。自分も知っている事は所詮は一部であったが、扱うのに相応しい人間であるのは疑いようもない。
『そういえばつい三時間前に入った情報ですが、コロニー公社の管理するコロニー一号である、グリムでテロ活動が察知されました』
「迎撃したのだろうな?」
『それが……バベルでもその足跡を読めない相手でして……。追跡は不可能でした。テロリストは、全員、迎撃されたと』
「誰が迎撃したと言うのだ。バベルの追跡から逃れる相手だと?」
それは不安要素をばら撒くだけなのでは、という懸念に通話先の相手は応じる。
『不確定情報ですが……やはり月の連中かと』
濁した声音に准将は拳をぎゅっと握りしめていた。まだ、自分達の軍門には下らない相手であり、そして交渉条件である不確定要素。
「……ブルブラッドキャリア」
この二年間の静寂が不気味なほどだ。無論、全く関知されなくなったわけではない。紛争地や、あるいはテロを水際で防いだなどという噂が伝聞されているが、どれも憶測の域を出ない。ブルブラッドキャリアは報復作戦を完全に諦めたのか、それさえも審議のうちなのだ。
まだ相手は月面から何かを仕掛けてくるかもしれない。
そのような茫漠とした不安が市民の上に成り立っている。軍部では、ブルブラッドキャリアを依然として脅威判定に挙げ、その排除も含めての軍備増強政策を進めるべきと言う急進派も存在する。
今のところ融和政策と軍備縮小が政権の大多数を占めているだけで、世界は混沌のままなのだ。
ブルブラッドキャリアに対する市民の不安はもっともであり、そして彼らを排除すべしと憎む感情もまた理解出来る。
世界へと彼らは癒えぬ傷跡を刻み込んだ。それだけは許されざる罪悪だ。彼らそのものが贖おうとしているかどうかは別として、未だに「モリビト」の恐怖は拭えない。
だからこそ、この二年、モリビトを一機たりとも確認し得ない状況に幸運を覚えるべきなのか、それとも不安材料にすべきなのか、誰しも保留するしかなかった。
それが結実したのが、新型人機の配備であろう。
《スロウストウジャ肆式》と新規イクシオンフレームの解析、それに早期のロールアウト案。どれも伊達や酔狂ではない。実際の脅威を前にして何も出来ないのでは立つ瀬もないという現実的な価値観である。
「しかしながら、読めない連中の事をいつまでも思案に浮かべていれば進むものも進まない。議論の余地はあるが、今はいいだろう。議会へは?」
「間もなく到着します」
白亜の建築物の前で停車した車より、准将は降り立つ。情報都市ソドム周辺は滅菌されたかのような白で構築されていた。
この場所そのものの功罪を、覆い隠そうとしているかのように。
「だが、皮肉な。隠そうとすればするほどにぼろが出る。今さら白に逃げる事など出来やしないのだ」
網膜認証と静脈認証、無数の個人識別の末に、会議室へと辿り着く。
既に到着していたのは現政権を動かす重要人物達だ。
准将は席につき、自分が最後であったのを確認する。扉が閉まり、密室の中で一人が口火を切った。
「ここまでの道のりはどうでしたか?」
確か国務大臣であったか。准将は頭を振る。
「どこも、代わり映えはしないのだな。二年経ったとはいえ」
「しかし、アンヘルは解散し、今の新連邦を動かすのは全て、善意です。ヒトの善性が惑星に証明された。これを喜ばずして何が平和でしょうか」
ここに集った十名の人員はどれも国家を動かす重要人物。彼らはこの情報都市、ソドムに立ち入る事を許可された数少ない人間だ。
「会議を始めましょう。今は、言葉を弄する時間さえも惜しい」
暗幕が降り立ち、円形の机の中央に空いた穴から投射映像が映し出される。全員の視野に入ったのは人々の営みであった。
そして解析が完了した、地下都市ソドムの物理状態である。
「ソドムの中にあったバベルネットワークはそのほとんどが解読された。しかしながら、まだ分からぬ何割かはある。その何割かを如何にして解読に導くか、だが」
「今は情報統制の必要性もない。個人端末がバベルの恩恵に与っている。これも、二年の間の努力の賜物であろう」
「バベルの詩篇、か」
「世界シェアは既に七十パーセント超。元々、個人端末の情報統制を行っていたアンヘルとC連邦のやり方を少し変えてやっただけ。今まで無知蒙昧に閉ざされてきた民草に、考えるだけの脳を与えたのだ。これで少しは平和への道筋になる、と」
バベルの詩篇が発掘された当初の映像資料が流される。バベルを物理解読し、そしてその中に眠る全統合型多方向情報ネットを現状の市民レベルにまで落としたのはある種の英断であっただろう。
これまでの歴史のように特権層のみ所持する、という選択肢もあったのだが、それではかつての元老院やレギオンと同じ、だと上層部は判断し、バベルの詩篇は人々の間に広く流布した。
最早、この情報OSを使用していない端末のほうが珍しいくらいである。
それほどまでに人口に膾炙した逸品を、この会議ではどのようにこれから先も運用していくかが締結されようとしていた。
軍部の使用するバベルの詩篇には別種のものを使うべき、という進言もある。やはり、民間と軍事用は分けるべきだと言う意見には耳を貸すものだろう。
「アンヘルは消え、C連邦軍は新連邦へと統合された。今こそ、歩みの如何を決める時。どう致す? これより先、人々の営みを守るべきか、それとも、やはり特別な組織は必要と判ずるか」
会議室の面々は渋面を突き合わせ、各々の答えを保留する。無論、容易く決められないのは百も承知。
ここでどう動くかだけで国家の秤が試される。准将は、ここでの早期決議が行われないだけ、まだ人心には良心が生きていると感じていた。
やはり、先延ばしか――そう感じた直後、一人の高官が声を上げる。
「いや、もう決定は下されている」
「左様。何に従うのか、どう従うのかはね」
それは意外であった。自分が来るまでにある程度の話し合いの場は持たれていたのかもしれない。
「それならば話は早い。平和への道標として、やはり紛争地への介入行動も含め、軍備増強を――」
「いや、そうではないよ、准将。平和への道標は、人々の意識統合だ」
「意識統合?」
思わぬ発言に首を傾げる。相手は口元に読めない笑みを浮かべていた。
「人間は、やはりと言うべきか不完全なのだ。だからこそ、完全なる存在に隷属せねばならない。それはアンヘルでも、ましてや元老院やレギオンでもない。もっと完全な存在があるのだ。それに、我々は従う事を決めた」
「人間だけで決めた事柄にはロジックが欠如する。そのロジックの欠如を埋めるのは、やはりシステムだ。管理システムと、そして監視する第三者の眼こそが世界をあるべき秩序へと押し上げる」
「その管理システムを我々は二年前に手に入れた。バベルネットワーク」
まさか、バベルによる情報統制の再度実行を提言すると言うのか。さすがにそれには一家言ある。
「……その行き過ぎた統制こそが、アンヘルの悲劇を生んだのでは?」
「古い考えだよ。あれもまた、システムではなく人心であった」
「人間が管理するからひずみが生まれる。ならば、こう考えればいい。人間ではない、完成された存在にこそ、全てを委ねるべきだと」
どうにも胡乱なる言葉の数々に准将は眉根を寄せる。
「それは……バベルネットをどう扱うかの話であって、支配者をバベルに設定する、ではないはず」
「いや、それでいいのだよ、准将。どうにも、我々は遠回りをし過ぎた。最初から、そこにあったのだ。支配を担うべき、代表者が。それを見ないようにしていた、人間のほうが優れているのだと、そういう思い込みが傲慢なる罪を生んだのだ。ならば最初からだ。最初から、世界を還すのに、ヒトの手ではなくシステムの手を頼るのは当然であろう」
――どうしてなのだろうか。
ここに集まったお歴々の意見が次々に統合されていく。まさしく自分達の口にする意見の象徴とでも言うように。
しかし、国家や所属団体ごとに意見のばらつきはあるはずだ。この示し合わせたかのような違和感に准将は語気を強めた。
「行き過ぎた支配管理は家畜のそれと同義のはず」
ここまで言えば頭の冷えた人間ならば、少しはマシな議論になるはず。だが、彼らはそれをよしとしていた。
「家畜でいいではないか。管理者がいるんだ。家畜の生で何も問題はない。実際、現状の人々は家畜同前。情報と言う餌を貪る牙を抜かれたけだものだよ」
「情報さえ与えておけば、そこに一片の間違いの余地も挟まない。人間を支配するのは恐怖でも、ましてや銃弾や爆弾でもない。情報なのだ。オープンソースにされた情報こそが、人々の首輪となる」
「その事実に気づくのが遅過ぎた……それは過ちだろう。だが、過ちはそこまでで打ち止めに出来る。情報こそが、人間にとっての真価。ヒトの可能性を閉ざし、そしてこの鳥籠の惑星での安寧を確約する」
思わぬ発言に准将は目を剥いていた。彼らの立場で言っていい言葉と悪い言葉がある。ましてや人民を家畜扱いなど、絶対にしてはいけないはず。
「……失礼ながらこの議論は何のために? バベルネットワークの割り振りを決めるはずでは……」
「バベルは誰にも縛られない。システムこそが最上の道を模索する」
「システムに意思があるかのような物言いだ」
その返しに一人の高官が笑いながら頭を振る。
「准将、まだ見えていないのかね? ――彼らの眼差し。使役すべき者達の絶対視を」
見えていない? この者達は何を言っている。何を、信じ込んでいる。
空恐ろしくなって、准将は腰を浮かせていた。
「……何のつもりで……」
「もう遅いのだよ、准将。我々の信奉は完全に人民を掌握している」
「貴様らは愚鈍ではない。市民と人々がこの世界を支配している。その論法で支配構図を固めたのはレギオンだが、彼らとて特権の誘惑には勝てなかった。だが、彼らはそうではない。私達は、そうではないはずだ」
投射映像の中に浮かび上がった禿頭の三人の男達に、准将は後ずさっていた。
――あれは何だ? いや、違う。
「あれを……知っている?」
「そう、知っているのだ。世界の七割に及ぶ人々がもう彼らを知り、そして我々を知っている。二年間……いいや、八年間もバベルの奥底に幽閉され、そして完全に封殺されてきた我々は遂に、外に出る事を許可された。他ならぬ人類の手によって! 叡智の扉を開いたのと同じ指で、やはり! 人間は繰り返した! 我々を、解き放ったのだ!」
昂揚した声音に准将は恐怖を覚えていた。彼らは国家を動かすほどの権限を持っている。そんな彼らが何かに隷属していた。
しかし、その不明なる何かを自分もどうしてだか「知っていた」。いや、それも正しくない。
共にあった。この二年間、共に。
人類がバベルの中に眠っている彼らを揺り起こし、そして覚醒した彼らは人類自身の手で支配域を拡大させた。
もう、人々は逃れられない。
そして、支配のうちにある事さえも理解せぬまま、家畜のように飼われる。
准将は無条件にその場で傅く己に狼狽していた。
どうして、映像媒体に過ぎない象徴に、自分は従っているのか。それさえも解せぬまま、喉が、遵守の言葉を紡いでいた。
「全ては、楽園の再起のため。我々は――フィフスエデン」
従った覚えもないのに。ましてや彼らを直に見た覚えもないのに。
その場にいる高官達は忠誠を誓う。
「全てはエデンの思し召し。我々人類こそが、新たなる一つの生命体として、彼らへと隷属する。フィフスエデン。素晴らしい名だ」
禿頭の男達が映像の中で嗤う。
直後には、准将の意識は塗り替えられていた。
疑問点は消え、清々しい答えのみが屹立する。
「エデンの支配こそが、人類の幸福。そのための一手として、新連邦軍部はこの地上に蔓延する病を切除する。軍備増強政策を取りましょう。すぐにでも、人機を増やすのです。それは人民の幸福のために」
「人類は、現状二種類に分かたれている。持つ者と持たざる者。それを我々は、血続と、そうではない人類と規定する。そして、血続は牙持たぬ人類に弓を引いた」
移り変わった映像には海上で確認された、人機同士の事故が投影される。血続による、人類への攻撃。それを示唆するのには充分な資料だ。
「これを広域……いいや世界全土へと。血続を排除し、新たなる秩序をこの世に構築する。そのために、エデン。お力をお貸しください」
投射映像の男達は背中合わせに声を発する。
『まずは血続をこの地上から一匹残らず駆除せよ』
『その後にこそ、幸福は成る。人類だけの、新たなる理想郷を作り出すのだ。雑じり気など不要。人間は、一種類でいい』
『そして、叡智の力を使い、この星をあるべき姿に。青い花園をもう一度。その悲願のために、戦ってくれるな?』
「御意!」
この場で彼らの意見に口を挟む人間は、最早存在していなかった。