「口ほどにもない」
言葉にしたカグラは特殊ヘルメットを被り、戦闘領域を見据える。やはり、この地上において《イクシオンカイザ》を凌駕する人機など存在しないのか。
無論、全ての人機を超えるために造られた機体だ。そう容易く沈んでは困る。カグラは機体バランサーを調節し、敵影の失せた海域のレポートを書き上げようとしていた。
「せめてブルブラッドキャリアでもいればまだ見物だと言うのに」
そのブルブラッドキャリアは月に拠点を構えたまま攻めてくる事はない。
――つまらない。
カグラの感情はそれに集約される。どうして二年前に軍籍と、そして血続としての能力が開花していなかったのか。二年前ならばブルブラッドキャリアを壊滅させる事だって出来たはずなのに。
行き場のない力はただただ己の中で燻るのみ。嘆息をついたカグラは、その時、艦より出撃シークエンスを無視して数機の《スロウストウジャ弐式》が飛び出したのを関知していた。
援軍だろうか、と訝しげに見ていると、不意の照準警告にカグラは乗機を跳ね上がらせる。プレッシャーライフルの光条に、ヘイルより声が迸った。
『何をしている! 友軍機だぞ!』
その通りだ。《イクシオンカイザ》は友軍機のはず。だと言うのに、《スロウストウジャ弐式》編隊はその味方機を追い込もうと陣を張る。
「……私の事が気に入らないから、戦場で墜とそうって?」
それならばいい根性だ、と照準器を向けようとしたカグラをヘイルが制していた。
『システムトラブルかもしれない。俺が前に出るから、《イクシオンカイザ》は後退しろ! いいか? 手を出すんじゃないぞ』
ヘイルの慎重な声音にカグラはため息をついていた。《スロウストウジャ弐式》部隊がヘイルの新型トウジャを囲い込み、攻撃を見舞う。
『何をやっているんだ! 敵味方識別がうまく機能していないのか!』
上官であるはずのヘイルの怒声にも相手は攻撃を浴びせかける。一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードを引き抜き、ヘイルの機体と鍔迫り合いを繰り広げた。
しかしヘイルのほうが剣術は上だ。すぐさま斬り返し相手の腕を落とす。それで下がるのならばまだよかったのだろうが、友軍部隊は諦めずに攻撃を繰り返す。
ヘイルは出来るだけ撃墜を重ねないようにするが、それではジリ貧だと言うのは見れば分かった。
「ヘイル中尉。墜とさないようにすればこちらがやられますよ」
『友軍機だ。簡単に撃墜なんて出来るものか』
どこまでも意固地なヘイルに少し手伝ってやろうという気持ちで、カグラは《イクシオンカイザ》の武装を解放させる。
「Rブリューナク!」
放たれたRブリューナクが真っ直ぐに敵機へと飛びかかり、その胴体を生き別れにさせた。それだけではない。分散したRブリューナクの子機が光条を放ち、他の機体から距離を稼ぐ。思わぬ援護であったのだろう、ヘイルが声を張り上げていた。
『……手出しはするなと……!』
「すいませんね、中尉。ですがやられそうな味方を前にして、何もしないのも違うんじゃないんでしょうか」
言葉もないのか、ヘイルは組みついてきた友軍機へと呼びかける。
『何をしている! 何があった! 人機側にウイルスでも……』
「いえ、ウイルスの類は検出されていません。ここは搭乗者の命を守るために、《スロウストウジャ弐式》を撃墜しましょう」
Rブリューナクに攻撃の意思が宿り、《スロウストウジャ弐式》を薙ぎ払っていく。狙いさえつければ後は殲滅も難しくはない。
ものの五分も経たないうちに、襲いかかってきた友軍機は全滅していた。煤けた風に青い濃霧が混じり合い、戦場の硝煙を棚引かせる。
『……状況を』
苦味を噛み締めたヘイルの論調に巡洋艦から声が放たれる。
『それが……待機命令にあった人機が出撃したんです。こちらの命令を無視して……』
『何があった?』
『分かりません……。依然不明で……。一度帰投してもらえますか。状況を整理しなければ次の任務に差し障ります』
艦のクルーの声にヘイルは《スロウストウジャ肆式》を着艦させていた。カグラも《イクシオンカイザ》を艦の横に据え付ける。
ヘルメットにモニターされた生態信号が艦へと送信されてからようやく、自分は艦内部へと戻っていた。
途端、ヘイルの怒声が遮る。
「何があったって言うんだ!」
カグラはその様子を研究者達に取り付けられたまま聞いていた。再び拘束椅子に縛り付けられ、実験部屋へと進めさせられる。
「……何か、機体のトラブルでも?」
「君は知る必要はない」
冷たく切り詰めた研究者の言葉に、ああ、その通りなのだろうな、とカグラは感じる。
自分は所詮実験動物。ならば、軍のいざこざも関係がないのだろう。赴くべき時が来れば、その時に戦えればいいだけの話。
状況を問い返すヘイルに、カグラはどこか醒めた目線でそれを観察していた。
黴臭いコンソールのメンテナンス路でいくつかの情報を精査する。
新連邦によって少しばかり情報の開示レベルは上がったとはいえ、やはりまだ機密度の高い情報は介される場所が限られている。
元C連邦コミューンにおけるライブラリ機械へと接続された、大型メンテナンス路がその一つだ。
新連邦へと供給される情報は一度、ここを通る。この滅菌されたような、銀色の筒の中を。
端末を手にいくつかの情報セキュリティ防壁を掻い潜り、そして到達した機密に息を呑んでいた。
「……海上で事故? 人機の暴走なんて……。でも、新型機が二機も出ている。《スロウストウジャ肆式》と、イクシオンフレームの一機、か。操主は……」
そこまで調べようとして、不意に端末情報が赤い警告色に上塗りされた。気づかれた、と立ち上がり、拳銃を構える。
この情報の筒の中で誰が襲ってくるとも限らない。しかし、数拍しても敵の襲来はなかった。息をつき、結った桃色の髪を払う。
「……緊張だけはするわね。でも、ダミー情報を走らせるだけの余裕もないなんて。あるいは……ダミーをわざと上塗りさせていない?」
再び端末へと視線を走らせる。どの情報も機密権限は存在するものの、どうしてなのか防壁迷路は安直なものばかり。
軍のアキレス腱になり得る情報だと言う認識が足りないのだろうか。あるいは新連邦政府の情報管理のずさんさがあるのだろうか。
これならば少しでも情報管理に精通した人間ならば誰でもアクセス出来てしまう。現状の政府のスタンスを鑑みて、これではまずいのでは、と思案を浮かべたその時、一つのピックアップされた情報に視線が注がれる。
「……純正血続の実験……。血続の可能性? こんな論文があるなんて……」
血続に関する情報網は地上ではそれなりに発達している。しかし、その認識がブルブラッドキャリアと地上では明らかに異なるのだ。
血続に関して特別な意識を持っていたアンヘルも解体され、地上の血続認識は一度ゼロにまで戻ったと言えよう。それでも、生まれ続ける血続因子をどう処理するべきかの議案は新連邦も頭を抱えており、その情報の一端であった。
「血続をどうこうするって話は……アンヘルが手打ちにしたと思っていたけれど」
それでも人命を弄ぶような非人道的な行為にまで手を染めているわけではない。あくまでも血続の可能性と、そして人類を真に導くのは純正血続か、あるいは既存人類か、という論点である。
「……それなりに過激な内容よね。こんな考え方ばかりじゃ暴動が起きかねない――」
「そうでもないさ」
不意に発せられた声に硬直する。背中に向けられた殺意に静かに応じていた。
「何者?」
「こちらの台詞だな。ここは最重要情報拠点のはずだが。いつからネズミが潜り込めるほどの隙間になったのか」
息を詰める。相手との距離は三メートルほど。
「ずさんなのよ、何もかもが。それに、もう少し情報管理もしておいたほうがいいわ。これじゃ盗めって言っているようなものだし」
「盗人猛々しいな。それよりも所在を明らかにしなければならない。どこの手の者だ?」
「古い言い回しね。どこだっていいじゃない」
「そうもいかなくってね。我々の行動に少しでも勘付かれると面倒なのだよ。血続研究の論文に目を通されるとそれだけでも不都合でね」
「あら? 不都合という割にはパスワード三つと抗生防壁七個なんて少し弱くない?」
「……何者だ、本当に。いや、問うまでもないか。ここで、死ね……」
引き金が絞られるその一瞬、姿勢を沈め身体を躍り上がらせていた。身をひねり、手にした拳銃を一射する。
相手の銃を叩き落した銃弾が跳ね、筒の中で身じろぎする相手へと壁を蹴って肉薄していた。武器を拾い上げようとした相手の頭部にすかさず銃口を当てる。
「……貴様は」
「今度はこっちが質問させてもらうわ。何のつもり? 血続の情報が開示されるとまずいのは何故? アンヘルが解体されてそれらの情報はほとんど意味をなくしたはず」
相手の男は面を上げた。その眼差しに絶句する。
瞳孔はどこかこちらを見据えていない。まるで深い催眠状態にあるかのようであった。
男はこちらが攻勢に移る前に倒れ伏した。まるでどこかから遠隔操作でもされていたかのように。
懐を探り、手が触れたのは端末であった。何て事はない、一般仕様の通信端末だ。他にも何かあるのか、と確認したが、大したものは見つからない。
「……どこかのエージェントでもない。この男は何者なの?」
財布に同封されていた身分証も、ただの一般人である。このメンテナンス路を任されていたわけでもない。ただの人間が、どうしてだか政府直属のこの情報網を関知し、そこにいる自分を見つけて始末しようとした――。
「出来過ぎ……というよりは不気味よね。理由のない敵意なんて」
その時、端末が不意に起動する。まさか、大元からの通信か、と身構えた瞬間、OSの起動画面へと移行していた。
瞬間、起動画面の向こうよりこちらを見据える影を幻視する。
禿頭の男のビジョンが浮かび上がったのを目にした途端、まずいという反射神経が走り、銃撃で端末を破砕していた。
息を荒立たせ、壁に体重を預ける。
「……今のは……」
何が起ころうとしていたのか、分からぬまま秘匿通信を開き、彼女は声にしていた。
「……こちら地上班。ちょっと気になる情報を得たから送っておくわ。もしかすると……とんでもない事が始まろうとしているのかもしれない」
予感でしかない。しかし、この八年間、戦い抜いていた予感は当たる。
『……血続の情報と有用性? これが何に抵触するって?』
問い返されて彼女は頭を振っていた。
「まだ、分からない。でも、嫌な予感だけはする」
襲いかかってきた男の正体も看破せねばならないだろう。何かが闇の中で蠢いている。今はそれを判ずるだけの材料も少ない。
『……了解した。こちらでその情報は持っておく。無理はするなよ。――桃・リップバーン』
呼びかけた名前に桃は応じていた。一本に結った髪を払う。
「無理なんて、今さらでしょ。何とか脱出出来るようにルートを作って。待ち伏せの可能性もある」
『分かった。五分間の猶予を作ろう』
桃は呼気を詰めて駆け出す。筒状のメンテナンス路を抜け、機械の群れであるシステムルートに入ったその時、無数の警備員が重武装で走り抜けていた。
「侵入者だと聞いていたが……ここは最重要レベルA以上だぞ。他を回れ! ここにいる可能性は薄い!」
警備兵が一人になるのを見計らってから、桃は飛び出し、拳銃を手に組み付いていた。屈強な警備兵が桃を振るい落とそうとするが、その時には相手の武器を奪い、腕をひねり上げている。
細腕から放たれる力とは思えなかったのだろう。相手が呻いたその時、インカムより声が発せられた。
『あと三分だ。相手をしていないで早く行くといい』
「了解。ゆっくりもしていられないのね」
頸椎に手刀を見舞い、相手を昏倒させて桃は隔壁の外に向けて走り込んでいた。警戒色に塗り固められた赤い廊下を抜け、無数の隔壁の防衛する通路に辿り着く。
端末に待機信号を打ってから、桃はようやく息をついていた。
追いついてきた警備兵達がアサルトライフルを向けて声にする。
「止まれ! 侵入者を発見! これより射殺する」
「射殺、ね……。まぁ、ここが重要拠点なのは理解しているし、見つけ次第、ってのは分かるわ。でも、おかしいのは、さっきの男よね。あの男は何者でもなかった。ここの管理者が、違うとでも言うの?」
「両手を頭の上に置いて投降しろ! 今ならば連邦法により、処罰される!」
「連邦法、ね。人道的配慮を期待すべきなのかしら」
減らず口が過ぎたのか、銃口が一斉に向けられる。桃は端末を翳していた。
『刻限通りだ』
発せられた声と共に激震が情報局を見舞う。よろめいた警備兵の隙をついて、桃はこの場に降り立った桃色の機体へと導かれていた。
円筒型の頭部に、四枚羽根の人機が警備兵達を睨み据える。
「……モリビト、だと……」
警備兵達が慌ててアサルトライフルを掃射するが、この人機には傷一つつかない。
アームレイカーに手を入れ、桃は機体名称を紡いでいた。
「《モリビトナインライヴス》。これより離脱する」
《ナインライヴス》が四枚羽根より推進剤を焚いて上空へと逃れる。桃はコックピット内部で得た情報を精査していた。
「……どうして、血続の情報が今さら必要なの? それを誰かが狙っていると言う構図なのかしら……。いずれにしたって何かが動いている。それを看過出来るほど――」
そこまで口にして銃撃がいくつも《ナインライヴス》を狙い澄ます。桃は《ナインライヴス》を飛翔させ、距離を稼ごうとするが相手はそれなりに追撃を心得ているらしい。襲ってきたのは《スロウストウジャ参式》部隊であった。
「……そりゃ、情報局に忍び込んだ相手を、逃しはしない、か」
『そこの不明人機! 我々連邦軍にはその人機の破壊が許可されている! ただちに投降し、情報を引き渡せ!』
「嫌よ。せっかく苦労して得た情報を、手離すわけないでしょうが」
先陣を切った《スロウストウジャ参式》がプレッシャーソードを抜刀する。桃はマウントさせていたRランチャーの砲塔でその一閃を受け流していた。
相手が二の太刀に移る前に重量のある砲身による一打が敵を打ち据える。よろめいた相手にRランチャーを照準させていた。
一撃の予感に相手が硬直した隙をつき、《ナインライヴス》が離脱挙動に入る。
追い立てる《スロウストウジャ参式》部隊を桃は完全に射程の外に置いていた。
「……現政権の融和政策には協力する構えだからね。モリビトで余計な死人は出さないわよ。……それにしたって、情報局に何で血続の情報が……」
再びポップアップに呼び出した情報はそれ自体は大した事はない。むしろ、これで何をやろうとしているのかが分からないのが不気味なのだ。
「……優先事項としてこれが高い位置にある。それと、海域での連邦軍巡洋艦の不手際……。純正血続の操主……。どれも繋がっているとは思えないのだけれど……」
それでも、これらの情報が一直線に繋がる時、何かが起こる予感だけは依然としてあった。