新連邦の軍人としての役割はある程度理解しているつもりであったが、ヘイルは今回の任務だけは、と苦言を呈していた。
それに対して上官が渋い顔をする。
「受けてはもらえない、と思っていいのかね」
「自分は軍属です。もちろん、命令には従いますが……」
「人道にもとる事は出来ない、か」
無言の肯定に上官はデータベースを寄越す。映し出された女性の相貌に、ヘイルはこれが、と声にしていた。
「ああ。今回の護衛対象……と言えば聞こえのいい任務かな」
「実際には、彼女の腰巾着でしょう?」
問い返すと、上官は仕方がないのだよ、と頭を振っていた。
「少しばかり戦いに精通した人間でなければ、彼女の真価を発揮出来ない。そのために《スロウストウジャ肆式》の実用化を彼女の実戦と合わせた。分かるだろう? これは一応、戦力の拡充の意味を持っている」
実質的に《スロウストウジャ肆式》を出撃させるための任務でありながら、同時に彼女の能力も見たい。上のわがままは今に始まった話ではないが、これは融和政策を取る新連邦の法案に反している。
「コミューンを襲え、と言っているのですよ」
「反政府コミューンを、だ。間違えないようにしたまえ」
どれだけ言葉を弄しても、やはりこの作戦だけは押し通したいのだろう。ヘイルはこれ以上の問答に意味がないのだと判断していた。
「……自分が呑めば?」
「作戦立案には三時間もない。君は連邦艦へと移動し、そこで作戦実行を」
最早、織り込み済みというわけか。ヘイルは反抗するのも馬鹿馬鹿しいと挙手敬礼を送っていた。
「了解しました。……これも、アンヘルという汚れを請け負っていた禊ですか」
「ヘイル中尉。君をあの組織の階級のまま、新連邦で使っているのは何も伊達や酔狂ではないのだと分かってもらいたい。実力は買っているのだ」
よくも舌が回る、とヘイルは呆れて物も言えなくなる。
「どれも詭弁でしょうに」
「詭弁でも、平和のための詭弁ならば許されるのだよ」
立ち去り際、ヘイルはやり切れない思いに拳を握り締めていた。どれだけ言い繕っても、結局はまだ世界は平和へと歩み出していない。
虚飾に糊塗された偽りの平和。
それでも人々には平和が訪れたのだと錯覚させるのには、やはり率先して泥を被る人間が必要だ。その役目が自分ならば、負う覚悟は持っている。
道すがら、ヘイルは何名かの連邦軍人を視界に入れていた。赤い詰襟は完全に廃され、アンヘルという組織があった、という痕跡さえも消し去ったクリーンな軍部。
しかし、どこかで見知った顔を見つけると、どこかばつが悪くなるのだ。
生き残るべきではなかった命の不実が生き残っているようで、自分を含めてこの新連邦の軍部には相応しくないのでは、と問い返してしまう。
だが、新連邦軍部において、徴用されているのはアンヘルの軍籍経験者がほとんどである。それはやはり、あの戦いを生き延びた結果と、そして実力が加味されているのだろう。
如何に暴力と殺戮に手を汚した者達とは言え、コミューン殲滅戦に長けている戦略的優位は覆らない。
あの部隊で使われていたジュークボックスの技術も、今は完全なる禁忌であった。
抹消された場所はまるで最初からなかったかのような違和感を伴わせて、自分達のような経歴持ちを追い込む。
それでも軍部で生き抜くしかない、このような形でしか生き延びられない己に恥ずべきところはない。
恥じれば、それは散っていった者達に報いる事が出来ないからだ。
ヘイルは辞令を受け取るなり、高速艇に搭乗していた。
操舵手が尋ね返す。
「どうですか、新連邦の指示は」
「平和の前に、ちょっとばかしの不満は封殺されるべき、という考え方だよ」
高速艇が飛び出すなり、同乗していた者達が笑いかけていた。
「中尉殿は真面目なんですよ。新連邦に挿げ替わったところで今までC連邦やC連合のやっていた事が正当化されるわけでもないですし」
アンヘルという組織を作ってしまった功罪を受けるべきは、上であろうにその責任を放棄しているのもまた上なのだ。
「誰も、不都合な事実からは目を背けたいものなのかもしれないな」
「アンヘルですか? ほとんど壊滅したって聞きましたけれど。生き残りがいたとしても、それってどうなんですかね。新連邦政府が雇い直したとか?」
まさかそのアンヘル兵士の一人が自分だとは思っていないのだろう。そういう点では上層部は軍内部のクリーン化に成功していると言える。
アンヘルという悪逆非道の組織は壊滅した――そう他の人々には思わせたほうが都合もいいのだろう。実際、ブルブラッドキャリア、ラヴァーズ、そしてエホバとの最終決戦でほとんどのアンヘル構成員は命を落とした。生き残っている人間だって軍部を辞めた者が多いと聞く。
誰も、戦いの後まで耐えられるようには出来ていない。あの戦いで多くを失い、そして多くのものが平和のための礎となった。
ハイアルファー人機を含め、現行の連邦法案では廃止された禁断の発明も数多い。
「まぁ、それでも、やっぱり便利な兵士って必要なんですね。経歴を見れば分かりますけれど、例の被験者、アンヘルの軍歴があるって……」
まことしやかに語られる噂であろう。ヘイルは、噂だよと制していた。
「あまり踊らされると厄介だぞ。情報なんてものは」
「でもですよ。二年前に発掘されたバベルの詩篇によって、軍部の蛮行が暴かれて以来、市民の眼が気になるってんで、ほとんど秘密裏な行動なんて出来なくなって……。監視社会ですよ」
本物の監視社会を生き抜いた自分からしてみれば随分とぬるい認識もあったものだ。アンヘルによるコミューンの弾圧。そして虐殺を目にすれば、この兵士はきっと驚愕するに違いない。
実情は、しかし誰にも明かされないまま。そういった組織が「在った」事は反芻されても、その歴史に学ぶ事はまずあり得ない。新しいやり方に焼き直された世の中で、人々は新しいルールの上で生きていくしかない。
高速艇が艦へと到着する。新連邦、最新式巡洋艦で連邦兵士が挙手敬礼を寄越した。返礼し、ヘイルは前を行く。
「被験者は?」
「第三隔離室に。現在、実験中です」
実験中か。ヘイルは人間としての扱いは受けていないのだな、と実感する。
「……事前に情報は受けた。乗機も」
「格納デッキに固定してあります。そちらから先にご覧になりますか?」
「いや……どうせ同行する。その時でいい」
「着きました。ここです」
第三隔離室、と配された部屋にヘイルは歩み入っていた。部屋の中央部で巨大な機械を頭に被せられた人影が椅子に縛り付けられている。
服装は士官のものだ。一応は軍籍に従っての事なのだろうが、どう見ても実験動物のそれ。ヘイルは目線だけで問い返す。
「実験中止。ご苦労様です、中尉殿」
返礼し、先を促していた。
「被験者は」
「こちらに。カグラ・メビウス准尉」
呼ばれると頭部ヘッドセットが外され、赤い髪を持つ女性の相貌が露になった。カグラ、という名前にヘイルは問い返す。
「本名か」
「ええ。母親に名づけてもらいました。辺境コミューンの出でしてね。珍しいですか? 中央の出の方々からしてみれば」
「姓のメビウスは?」
「引き取ってくださった孤児院の名前です。メビウス孤児院と言ったもので」
彼女の言葉振りは淡々としていて、まるで自分の事を語っているようには思えない。しかし、ヘイルは彼女こそがこの新連邦の軍部における重要なポジションにある事を再確認する。
「メビウス准尉。貴官には我々新連邦への協力要請が出ている」
「存じていますよ。これも、また血続の特殊な第六感なのかもしれませんが、実は中尉殿が現れる事は数時間前には分かっていたんです。いや、語弊がありますね。中尉殿だって、血続のはず」
その言い振りに士官が声を荒らげていた。
「失礼だぞ」
「すいません、あまりにも可笑しくって……。だって、血続なんて別段、珍しくはないでしょう?」
わざともったいぶった言い回しを選んでいるのか。ヘイルは努めて冷静に声を搾っていた。
「貴官は我々とは違う、純粋血続だと聞いた」
「何にでも付与価値をつけるのが、人々のやってきた事です。自分など大したものではありません」
ヘイルは実験兵へと目線を配る。相手は首肯していた。
「純粋血続は今のところ、軍部では彼女しか確認されていません。確かに、世界ではモデルケースがそれほど少ないわけでもありませんが、それでも新連邦の擁する純正は彼女だけです」
「やめませんか。純正だの、純正じゃないだの。どうだっていいでしょう? 性能だけを知りたいはずなんですから」
どこか言葉を弄する事に疲れているような赤髪の女性に、ヘイルは問い返す。
「純正血続は特別だと聞いた。自分達のように、ただの血続とは違うと」
「反応速度、そして人機追従性において、純正血続は桁違いの性能を見せます。それだけではありません。純正血続はブルブラッドの濃霧が八割以上の土地でもマスクなしで活動出来、浄化大気を必要としません。まさしく新人類ですよ」
そう評した研究者にヘイルは視線を送る。彼は実験データを寄越していた。そこに記された専用機における撃墜スコアは連邦内ならば充分にエースの領域である。
もっとも、それは仮想空間による戦闘シミュレートであり、実戦ではないのだが。
「血続という可能性、見せてもらえると思っていいのだろうか」
「中尉だって血続ではないですか」
「俺とは違うんだろう?」
「……そうですね。純正血続はハイアルファーの毒素も通用し辛い。運用には、打ってつけでしょう」
どこか皮肉めいた物言いのカグラにヘイルは辟易していた。彼女は全てを投げ打ったかのような論調で続ける。
「ハイアルファーの実験も請け負いましょう。それくらいはやりますよ」
「ハイアルファーは非人道兵器だ。新連邦はその運用を禁止している」
「それは、存じていませんでした。失礼を」
わざとらしい物言いだ。ヘイルは追及の声を出そうとして、不意に放たれたアラートに眉根を寄せていた。
「失礼。どうした?」
「敵が来ますよ」
まだハッキリしていないのに、カグラは妙に確信めいた口調で告げる。直後、巡洋艦が警戒態勢に移り変わった。
「中尉、どうやら敵襲のようです」
「敵襲? 新連邦巡洋艦にか?」
信じられぬ様子で尋ね返すと、研究兵がマップを手渡す。向かってくる兵力の分布にヘイルは苦味を噛み締める。
「ラヴァーズ残党兵……!」
「どうします? 中尉の《スロウストウジャ肆式》を出す予定ではありましたが、相手がラヴァーズならば下手な新型機は……」
濁すのも分かる。ラヴァーズに新型機を晒せば、それだけリスクは高まるはずだ。しかし、カグラは落ち着き払っていた。手元に寄せたのはナッツの入った袋である。いくつかを頬張り、彼女は告げる。
「行っても構いませんよ。純正血続の性能、知りたいんでしょう?」
確かに上からしてみれば新連邦の軍規の中で純正血続の性能をはかるチャンス。しかしながらヘイルは慎重であった。
「貴官を容易く出させるわけにはいかない」
「それは相手へと寝返る恐れでもあるからですか」
「兵士には違いないからだ。貴官がどのような扱いを受けていようとも、兵力としては一として扱う」
「お優しいんですね。ですが、この研究者達は私を出したがっていますよ」
周囲を見やり、その気配を感じ取る。ヘイルはここで妙な言い争いをしても無駄か、と巡洋艦の責任者に声を振っていた。
「俺も出る。出す予定だった《スロウストウジャ肆式》を用意してくれ」
「了解しました。カグラ・メビウス准尉は実験機に」
椅子に縛り付けられたまま、移動をするカグラをヘイルは見送る。彼女は別れ際、手を振っていた。
直視出来なかったのは、あの拘束椅子に縛り付けられているのが、燐華であった可能性もあるからだろう。
どこか彼女の境遇を他人事とは思えなかった。
歩み寄ってきた士官が声にする。
「ヘイル中尉。最新機を出すデメリットは……」
「理解しているさ。だがラヴァーズにこの艦を押さえられるのもまずいのだろう? 俺と准尉で掻き乱す。敵の兵力は」
分析された敵機の識別信号はスロウストウジャ壱式のものだ。型落ち機とは言え、トウジャか、とヘイルは舌打ちする。機動力と性能では馬鹿に出来ない。ヘイルはアームレイカーに手を入れ、加速器を確かめていた。
「よし。ヘイル、《スロウストウジャ肆式》、いつでも出られるぞ」
紫色のカラーリングを持つ新型機は緩やかに出撃カタパルトへと移動される。その途上で、ヘイルは新型人機を目の当たりにしていた。
流線型の巨大人機。武装コンテナを上下一対ずつ、四つも背負った機体は重力下試験を加味しているとは思えない。
大推進マニューバが備え付けられ、この巨躯の人機の機動性能を支えているようであった。必死に重力へと抗うような、それそのものが叛骨の人機。
「あれが……新しい……」
口にしたヘイルはカタパルトデッキに接続される。信号が全て青に染まり、発進準備完了の伝達が成された。
「《スロウストウジャ肆式》、先に出る!」
出撃した《スロウストウジャ肆式》には大出力加速バーニアが追加装甲として備え付けられており、肩口と脇へとX字に伸びている。重力下でも充分に急加速を可能にする新型の鼓動にヘイルは息をついていた。
「相手は型落ちの壱式だ。少しの牽制で逃れてくれれば……」
こちらも困る事はない。言外に付け加えた事実に、直後、艦載された新型機が飛び出していた。
青い推進剤の尾を引いて重力の投網を振り払った巨大人機の識別信号が割り振られる。
「……新型人機、《イクシオンカイザ》。純正血続の力、見せてもらおう」
《イクシオンカイザ》が赤い光を棚引かせる。特殊機構の一つらしい。推進システムが既存のものとはまるで異なると言う。
赤い推力で飛翔した《イクシオンカイザ》の威容に敵陣営が驚愕したのが伝わる。それも当然だろう。
あのような自然界の法則にもとる人機、見れば誰だってうろたえる。
それでも、引き金を絞ったのは相手の矜持か、放たれた火線に最早、この戦域においての正当防衛という大義名分が塗り固められていた。
《スロウストウジャ肆式》で先行し、プレッシャーライフルを一射する。狙い通り、敵の推進器を貫いた一撃にカグラより通信が飛ぶ。
『やりますね、中尉殿』
「……これでもそれなりに実戦経験はあってな」
アンヘルの、とは言わないが。カグラは首肯していた。
『私も実戦経験はそれなりにあるんですよ。だから、こういう事だって出来る。さぁ、踊れ! 《イクシオンカイザ》! ハイブレインマニューバ!』
《イクシオンカイザ》各部に備えられた推進器より赤い光が放出され、巨大人機とは思えない速度と幾何学の軌道を描く。その迫力に相手がたじろぎ、弾幕を張ったが、それらの豆鉄砲のようなプレッシャーガンの攻撃は全て弾かれていた。
R装甲、それもとてつもなく強力な代物だ。
相手の攻撃を意に介せず、《イクシオンカイザ》が波間を突っ切る。加速度に敵機が銃撃するが、それらを弾き落として《イクシオンカイザ》が機体に張り付かせていたアームを展開していた。
「……四本腕……」
異形の四本腕が顕現し、スロウストウジャ壱式を絡め取る。加速の中で振り回される形になった相手が銃口を押し当てようとした瞬間には、掌より発振したプレッシャーソードが血塊炉を引き裂いていた。
『一つ!』
カグラが声にし、背後より敵人機が狙い澄ます。その攻撃を大きく円弧を描いて回避し、《イクシオンカイザ》の腕が敵人機を捉えていた。
掴みかかった部位は頭部。膂力のままに押し潰された相手が海に没する。
『二つ! 大した事のない相手ならば、ここで撃墜する! 行け! Rブリューナク!』
四層のコンテナが解放され、一斉に放たれたのは扁平な形の自律機動兵器であった。刃を思わせる形状の兵装が一機に接触した途端、分散し、小型の刃を拡散させる。
まさに終わりのない武装。親機より放たれた子機がさらに親機となり、子機を分散させる。
敵部隊が壊滅し、何もかもが終わってから、コンテナにRブリューナクが収容されていく。時間にして五分もない。制圧用の《イクシオンカイザ》の戦闘力にヘイルは絶句していた。
「あれが……純正血続……」
自分達とは違う存在――。そう口にして、ヘイルは唾を飲み下していた。