ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯367 絆の剣士

『何だ……アンチブルブラッドミサイル検知! 《スロウストウジャ弐式》、動けません!』

 

『こちらB班! 完全に取り押さえられました。……旧型の壱式だぞ!』

 

 その声を聞きつけ、ご破算か、と静かにこぼす。可変シークエンスを取らせ、宙域へと飛び込んでいた。

 

 相手の本命がコロニー、グリムを押さえようとする。

 

 反対側の《スロウストウジャ壱式》編隊は完全に囮。絡め取られた形のPMCの人機部隊はこの戦場で意味をなくしていた。

 

 せっかくの護衛でもこれでは素人同然。

 

 太陽光を取り込む巨大な黄金のパネルを四枚展開したコロニーへと、テロリストの人機部隊が入っていた。

 

 総数は四。それほどの脅威判定でもない。

 

「……第三国に流れた《スロウストウジャ弐式》が三機。うち一機はカスタム型の上官機。あれは……アンヘルの払い下げ機か」

 

 アンヘル解体のあおりがこのようなところで降って湧いてくる。嘆息をついた瞬間、丸まっていたコンソール上のAIが声にしていた。

 

『まったく、やるせないマジねぇ。これだけ払っても湧いてくるなんて。意味がないって言われているみたいマジ』

 

「うるさいぞ、アルマジロ型AI……サブロウ。小言を言っている暇があれば、情報を収集しろ」

 

『はいはい。真面目マジね。現状、バベルの送ってきた座標通りに、相手は陣取っているマジ。壱式に捕虜でも乗せて、強制させているのが見え見えマジよ。弐式部隊に乗っているのがテロリスト本体だと思うのが筋マジ』

 

「では戦場へと介入する。サブロウ、変形シークエンスの邪魔だけはするな。私のタイミングでやる」

 

『勝手にするマジ。こっちは歴戦のエース様のお目付け役マジからねぇ』

 

「皮肉だけは立派だな」

 

 言いやって、フットペダルを踏み込み、白銀の戦闘機で宙域へと割って入る。一機の《スロウストウジャ弐式》が反応し、こちらへとプレッシャーガンを照準した時には全てが遅い。

 

 銀翼の機体が機首を上げ、反転し、その時には変形を果たしていた。

 

『青と銀の……バーゴイルだと』

 

 相手がおっとり刀で対応した瞬間、距離を詰めた機体がプレッシャーソードを引き抜いていた。

 

 出力を抑えたプレッシャーソードが相手の機体の胴を割る。思わぬ斬撃であったのだろう。完全に虚を突かれた形の敵機が宙域を無様に流れる。

 

「血塊炉を断ち割った。爆発はしないが、暗礁宙域を漂う事になる」

 

『正確無比。機械よりも、マジ』

 

 小言を漏らすサブロウの声を他所に相手の指揮官機がこちらに勘付いたのを第六感で察知する。即座に機体の腕を払い、その瞬発力で敵の銃撃を回避する。

 

 推進剤さえも焚かず、慣性機動のみで攻撃を予期してみせたこちらに危機感を募らせた相手はプレッシャーガンを速射モードに設定し、照準補正をかけさせる。

 

『何者だ! 登録認証のない……人機だと……』

 

「貴様らに言われる筋合いはない」

 

 相手とて連邦の登録認証からは違反している。乗機の名前を紡ぎ出し、操縦桿を握り締める。

 

「《バーゴイルリンク》。敵性人機の排除行動に移る。敵の脅威判定……F」

 

『相手は単騎だ! 押し返せば勝てる!』

 

 プレッシャーガンの弾道が一斉に向けられ、殺到した銃撃にサブロウが困惑する。

 

『あわわわ……! 狙われているマジよ!』

 

「慣れろ。相手から銃口を向けられた時には敵を愚か者と思え。そして、こちらが銃口を向けた時には、相手をもう屠っていると」

 

 マウントされたレールガンを保持し、《バーゴイルリンク》は引き金を絞っていた。電磁誘導の弾丸が敵人機の肩口を抉り取る。

 

 第三国に流れたトウジャのセンサー類は肩に集中しており、こうして狙い澄ませば簡単に無力化出来る。

 

 その証左に命中した人機はうろたえたように機動力を下げていた。

 

『何をされた……? 肩を撃たれただけなのに……!』

 

「それさえ分からないのならば、貴様らは愚か者だと言っている」

 

 肉薄した《バーゴイルリンク》がプレッシャーソードを抜き放ち、最小出力で敵の両肩を断絶させる。突きつけられた切っ先に相手が息を呑んだのが伝わった。

 

『何で……相手はただの、バーゴイルのはずだ』

 

「そうとしか見えていないのならば、そこまでだ」

 

 血塊炉へとプレッシャーソードを発振させる。切っ先が血塊炉を貫き、爆発を拡散させずに人機を機能停止まで追い込む。

 

 その刹那、残り二機から銃撃が放たれていた。その時には《バーゴイルリンク》は飛び退り、相手の射程から逃れている。

 

『何なんだ! あの人機は!』

 

『撃て! 撃てば当たるはず! バーゴイルだぞ、嘗めやがって!』

 

 プレッシャーガンの弾道はどれも当てずっぽうで、命中するためにわざわざ軌跡に入らない限りは当たらない。ため息一つを噛み締め、《バーゴイルリンク》を直上に逃れさせた。

 

 これで敵は諦めがつくか、と思ったが、《スロウストウジャ弐式》が追いすがってくる。

 

 操縦桿を引き、フットペダルを踏み込んで急降下する。その機動性に相手が困惑したのが伝わった。

 

『あんな急加速……! 野郎、生意気な!』

 

 敵もプレッシャーソードを引き抜く。出力を上げたプレッシャーソードに、打ち合うのは危険か、と判断を下した。

 

 レールガンを携え、何発か青い弾道を放つ。敵はこちらの射撃を回避し、上昇機動に入っていた。

 

『バーゴイル風情が! 墜とす!』

 

「口だけは達者だな。舌を噛む」

 

 推進剤をカットし、慣性機動に移った《バーゴイルリンク》がすれ違う瞬間、最小限のプレッシャーソードの軌道だけで《スロウストウジャ弐式》の駆動系へと刃を放つ。

 

 今の攻撃で相手の駆動軸にガタがついたはずだ。それでも敵はプレッシャーソードを大きく振りかぶる。

 

 その瞬間、相手の機体から青い血潮が迸っていた。血塊炉の循環系に亀裂が走っているのだ。過負荷をかければそれだけで毛細血管が弾け飛ぶ。

 

 敵はプレッシャーソードを振りかぶった姿勢のまま硬直する。そのまま稼働停止した敵機を《バーゴイルリンク》は蹴り飛ばしていた。

 

「あとは、残り一機……」

 

 しかし指揮官機らしい《スロウストウジャ弐式》は簡単に射程に入る愚は冒さない。それなりに訓練は積んでいるというわけか、と承服する。

 

『……貴様は一体、何だ? どうして我々の邪魔をする』

 

「サブロウ、合成音声に。……コロニー公社への襲撃を関知した。それを看過出来ないために、介入行動に出ている」

 

『どこの軍事組織だ。連邦の機密部隊か!』

 

『今さら新連邦がそんな面倒事を引き受けるはずないマジ。この程度の連中の頭なんて知れているマジよ』

 

 やれやれと頭を振ったサブロウに敵操主は声を荒らげていた。

 

『名乗れ! 斬り合いだ!』

 

 プレッシャーソードを引き抜いた敵機がコロニーへと接地する。その挙動にため息しか漏れない。

 

「……下らないプライドで戦ったところで、意味のない敗北を繰り広げるだけだ」

 

『言っていろ! 連邦の狗が!』

 

《スロウストウジャ弐式》がコロニーの一部を足掛かりにしてこちらへと猪突する。《バーゴイルリンク》は射程に入った相手へと最小出力の斬撃を浴びせかける。

 

 斬りさばく瞬間のみ、刀身の発生する刃は誘爆を生みにくい。イレギュラーの爆発は出来るだけ発生させないのが鉄則だ。

 

 左腕を根元より断ち切られた敵機はしかし、すぐさま姿勢を制御し、振り返り様の一撃を見舞おうとする。

 

『危ないマジよ!』

 

「そうでもないさ」

 

《バーゴイルリンク》がレールガンの砲身で受ける。レールガンの銃身には対R兵装加工が施されており、出力の低いR兵装ならば受け流す事が出来る。

 

『銃で受けるだと!』

 

「慣れた手間だ」

 

 そのまま機体をロールさせ、振り返った刹那には一閃を浴びせかけていた。相手が咄嗟に血塊炉を防御する。しかし今の一打で戦力差は窺えたはず。

 

「これ以上の継続戦闘はおすすめしない」

 

『貴様は……貴様はァッ!』

 

《スロウストウジャ弐式》の操主がいきり立ち、プレッシャーガンの銃口をコロニーへと向ける。

 

 その瞬間、システムの名前を紡ぎ出していた。

 

 黄金に染まった《バーゴイルリンク》が光の速度を超え、敵の武装を落とす。相手は反応さえも出来なかったのだろう。

 

 分解されたプレッシャーガンに遅れた認識で引き金を引いてから、敵機が振り返る。

 

『まさか……今のは……』

 

《バーゴイルリンク》がプレッシャーソードを払い、敵人機の首を刈る。さらに奔った剣戟が《スロウストウジャ弐式》の胴体を生き別れにさせていた。

 

 漂う敵機より、声が通信網に焼きつく。

 

『……貴様、ブルブラッドキャリア……』

 

 プレッシャーソードを仕舞い、《バーゴイルリンク》が武装をマウントする。

 

『もうすぐ、護衛人機部隊が合流するマジ。ほんの……五分間の出来事だったマジね』

 

「それでも先手を打たなければコロニーに穴でも空いていたかもしれない。バベルが機能してくれている証明だ」

 

『優秀なAIのお陰マジ』

 

 サブロウの厚顔無恥さに言葉もなく、操縦桿を引いていた。

 

「ファイター形態へと変形する。せいぜい、その優秀なAIで最後までサポートしてくれ」

 

 その時、不意に照準警告が発せられた。思ったより早く護衛の人機がこちらの手に気づいたらしい。プレッシャーガンの警告に対して、静かにコロニーより離脱機動に入る。

 

 護衛機より通信が入電された。サブロウが接続させる。

 

『……不明人機……? そちらのバーゴイルは何者か!』

 

「……名乗るほどの名前はない」

 

 飛び立った《バーゴイルリンク》が可変し、翼を仕舞い白銀の戦闘機へと収容される。その機動力には護衛機は追いつけないらしい。茫然と見守る無遠慮な眼差しにふぅと嘆息をついていた。

 

『お疲れ様マジ、――鉄菜』

 

 名前を呼ばれ、ようやくヘルメットのバイザーを上げる。ロックを外し、黒髪が無重力になびいた。

 

「対処療法だな。こうやって要らぬ戦いの種を排除する」

 

『それでも、必要な措置の一つなのよ』

 

 繋がれた通信の先の相手に鉄菜は応じていた。

 

「鉄菜・ノヴァリス。《バーゴイルリンク》は任務を達成。無事に帰投する」

 

『了解。ダメージがなくって何よりだわ』

 

「ニナイ。あんな相手に後れを取るなんてあり得ない。どれだけモリビトで介入していないと思っている」

 

『減らず口が叩けるだけマシね。リードマンが診断をしたいって言っているわ』

 

「その予定はもう入っている。何も心配する事はない」

 

 その言葉振りにニナイは表情を翳らせる。

 

『でも……やっぱり心配になるのよ。鉄菜、あなたは……』

 

「何も言わなくっていい。私はブルブラッドキャリアの執行者。その時が来ればその時までの存在だ」

 

 会話を打ち切り、鉄菜は戦闘機形態の《バーゴイルリンク》で暗礁宙域を駆け抜けていた。

 

『……素直じゃないマジね、二人とも。心配事は口にしたほうがいいマジよ?』

 

「システムの小言は受けない。それぐらいの自由はあってもいいはずだ」

 

《バーゴイルリンク》が月面へと入りかける。ガイドビーコンがこちらの機影をリードし、戦闘機形態の《バーゴイルリンク》は格納デッキへと入っていた。

 

「すぐに整備取り付け!」

 

 声が弾け、鉄菜は無重力ブロックを行き交う。その途上でタキザワが遮っていた。

 

「どうだい? 《バーゴイルリンク》での介入行動は」

 

「それなりに慣れた。トウジャとは言え、敵は素人集団だ。モリビトでの介入でわざわざ余計な手間を増やすまでもない」

 

「元々、モリビトだと目立つからって言うんで《バーゴイルリンク》を開発したんだからね。それなりに使ってもらって助かるよ」

 

 タキザワの言葉に鉄菜はコックピットから外されたサブロウが漂うのを視界に入れていた。

 

「あれは、どうにかならないのか」

 

「お気に召さないかな」

 

 肩を竦めたタキザワに鉄菜は言いやる。

 

「小言が多過ぎる。システムAIとしてはまぁまぁだが、あまりにうるさいと必要ないと思えるが」

 

「そうは言ってやらないでくれ。ジロウとゴロウ……二人の意思を受け継ぐ第三世代機としての名前でサブロウだ。彼らの持っているデータを引き継いでいる。もしもの時には役立つはずだ」

 

「もしもの時、か。そんなもの、訪れないほうがいいに決まっているが」

 

 今のところAIバックアップが必要な状況はない。鉄菜は整備班に声を振っていた。

 

「《バーゴイルリンク》の反応は悪くない。今のままで頼む」

 

「了解しました! ですが、言っても型落ち品のバーゴイル。やはりトウジャ相手には難しい部分もあるのでは?」

 

「いや、これで充分だ。武装もちょうどいい。省エネ状態のプレッシャーソードで立ち回れる」

 

 そう言い残して鉄菜は去ろうとするのをタキザワが止めていた。

 

「鉄菜。もうすぐロールアウトする君の新型がある。それへの搭乗を頼みたい」

 

「……話にあったモリビトの新型か」

 

「《ザルヴァートルシンス》だ。あれを試したいと思っている」

 

 鉄菜は振り返り、問い返していた。

 

「試す……? どうやって」

 

「まぁ言われてしまえばその通りなんだが、実戦経験のないモリビトをそのまま出すわけにはいかないだろう」

 

「……介入行動にはモリビトは出さない。この二年の取り決めだ」

 

「それもどうかな、って話になっているんだよ。世界情勢は確かに、僕らの思っているよりもずっとよくなっている。現政権への融和政策も取ってあるし、人々の意識も改革されつつある。でも、やっぱり本当のところでは、どこかに闘争の種はあると思ったほうがいい」

 

「油断するなと言いたいのか」

 

「それもあるが、備えはしておくべきだ」

 

 備え。その一語でモリビトの武装強化をほのめかされるのか。鉄菜はRスーツに備え付けのタイマーを視野に入れる。

 

「リードマンの診察が先だ。そちらに行かせてもらう」

 

「ああ、それは構わないが……。鉄菜、どのような事を言われようとも、君は最後までブルブラッドキャリアの一員だ」

 

 その言葉で送り届けたタキザワに鉄菜は重力ブロックに入るなり、ひとりごちる。

 

「どのような事を言われようとも、か……」

 

 何を宣告されるのか、タキザワはある程度分かっているのだろう。彼も研究者だ。リードマンの導く結論をどこかで予見していてもおかしくはない。

 

 自分も何を言われるのかはある程度察しがついている。それでも、と鉄菜はリードマンの部屋を訪れると、先に問診していた瑞葉が振り返っていた。

 

「ああ、クロナ。戦いは……」

 

「大した事はない。コロニー公社への襲撃は最低限だった」

 

 その言葉を発すると、瑞葉はその腕に抱いている小さな命へと目を向ける。瑞葉の腕から、幼い命が手を差し伸べていた。

 

 鉄菜は困惑気味に後ずさる。

 

「すまない。まだ結里花の問診が終わっていなくって……」

 

「いや、それは構わないんだが……」

 

 お互いに言葉を濁す。結里花、と名付けられた命一つの息遣いに、鉄菜はどこか困惑していた。

 

 瑞葉とタカフミの命の結晶。

 

 二人が紡いだ愛の軌跡。しかしながら、結里花は通常の母体から産まれたわけではないため安定するまで日に三回もリードマンが問診しなくてはいけない。

 

 それでも、結里花はそのような事を露知らず、笑顔を自分に向けてくるのだ。

 

 鉄菜はあえて視線を外し、リードマンに詰め寄っていた。

 

「私の事は後でもいい。結里花は……」

 

「鉄菜、ちょっと待ってくれ。今、カルテを整理していてね」

 

 電子カルテを整頓するリードマンの手は皺が入っている。彼もまた、そう長くはないのだろう。

 

 ブルブラッドキャリアの報復作戦の頃から参加していたメンバーは誰もが身体にガタを感じ始めているはずだ。

 

 その中でもリードマンはどこか達観していて、鉄菜は瑞葉へと視線を振り向けていた。

 

「結里花、クロナに挨拶出来るか?」

 

 まさか瑞葉が赤ん坊をあやす姿を見るとは思いも寄らない。結里花は無邪気に手を伸ばし、鉄菜の顔を見て笑いかける。当の自分はどう対応していいか分からず、硬い表情を返していた。

 

「瑞葉君、結里花ちゃんの診察は終わったから、鉄菜に譲ってもらえるかい? 鉄菜、そこで横になってくれ」

 

 ベッドに横たわり、鉄菜は立ち去っていく瑞葉を視界に入れる。結里花の手を振らせ、瑞葉は満ち足りた笑顔で去っていった。

 

「すまないね。ちょっと時間が押してしまっていて」

 

「構わない。……結里花は大丈夫なのか」

 

 その問いかけは自分らしくなかったかもしれない。いや、瑞葉も気にかけているのならば充分に自分か。

 

「今のところ健康上の問題はない。ただ、瑞葉君は特殊だからね。ブルーガーデンの強化兵の娘が、普通の環境下で育つとは思えないし、実例がない。だから、こうしてちょっとばかし肩肘を張っている」

 

「よくはないのか?」

 

「いや、問題はないさ。問題があるとすれば君のほうだ、鉄菜」

 

 解析機が自分の身体を上下に分析する。リードマンの端末にリアルタイムで自分のステータスが更新されていった。

 

 鉄菜は不意に言葉を漏らす。

 

「世界は……変わったようで変わらないな」

 

 先のコロニー公社の襲撃に思うところがあったのだろうか。あるいは、その襲撃を何の問題もなくさばいた自分自身が。

 

「アンヘルは解体。C連邦は新連邦と名前を変え、融和政策に移りつつある。他国の弱小コミューンも今の連邦法案ならばそれほど割を食わない。世界は着実にいい方向に回ろうとしているだろうさ。ただ宇宙だとそれは感じづらいだけだろう」

 

 本当に、それだけなのだろうか。自分達が惑星より遠く離れた月面に位置しているから、平和を甘受出来ないだけならそれでいい。

 

 しかし、争いの種を宇宙に持ち出そうとしているのは惑星の人々だ。コロニーという未来の建造物に、因縁を持ち込もうとしている。古い因習で縛り上げ、星の運命を共にさせるのは残酷なだけだというのに。

 

「惑星も、少しずつよくなっていると思うべきなのだろうか。だが、私は……」

 

「容易く平和を標榜出来るのならばこの八年の苦渋はなかっただろうさ。一つずつだろう。それを理解しているのならば何も問題はない」

 

 一つずつ前に進む。それが確かに分かってはいる。それでも、簡単ではないのだとこの身は理解してもいるのだ。

 

「……《バーゴイルリンク》による介入でさえも下策だ。本当なら介入行動なんて要らないはず」

 

「それも、我々が泥を被って、だろう。ブルブラッドキャリアは世界の敵であっても構わない。彼らの理想の道筋を辿るのに、ちょっとばかし我々は協力をしているだけだ」

 

 理想の道筋。平和への最短距離。それを人類は誰もが理解しているようで理解はやはり遠い。

 

 解析が終わり、機械がベッドから離れた。鉄菜は上体を起こして尋ねる。

 

「終わったのか」

 

「ああ。身体状況はまったく問題はない。ただ……」

 

 覚悟は出来ている。鉄菜は問い返していた。

 

「リードマン。あと、どれくらいだ?」

 

 問い詰めた声にリードマンは面を伏せていた。

 

「あと一年、持てばいいほうだろう。鉄菜、君は人造血続として製造された。僕はもちろん、君を一年でも長く存続させたい。しかし、限界が近いんだ。ブルブラッドキャリア本隊は君を、永続性のある人間として扱おうとは思っていなかった。それが……この結果だろうね」

 

 やはり、一年。言われて来た事とはいえ、苦味が勝る。

 

「そう、か。……ミズハの娘が大きくなるまで、居てやる事も出来ないのか」

 

「鉄菜。だが君はみんなの未来を救ったんだ。《トガビトザイ》を倒し、ブルブラッドキャリアの野望を砕いた。それだけでも随分と功績がある。だから、何も悲観しないで欲しい。君は、希望になったんだ」

 

 それでも、と鉄菜は手首を眺めていた。日に日に弱っていく事はない。ただ純粋に、この肉体には寿命があり、そしてその期限を全うすれば、突然に糸が切れたかのように死にゆく。

 

 それだけの、些末な話だ。

 

「鉄菜。僕も全力を尽くして出来るだけ延命措置を取りたい。だから諦めないで欲しい。君は、ブルブラッドキャリアにとって特別なんだ。君がいなければ、今日の平和は訪れなかっただろう」

 

「そのような事は結果論だ。私がいなくても誰かが遂行したかもしれない。《トガビトザイ》を倒したのは私だけの力ではない」

 

「鉄菜……だが君は……」

 

「すまなかったな、リードマン。世話をかけさせる」

 

 ベッドから起き上がり、鉄菜は診察室から出ようとする。リードマンは心底申し訳ないかのように頭を振っていた。

 

「すまない、鉄菜……。僕の頭脳では君を助け出せるだけの最短距離を見いだせない。分かりやすい希望を振り翳す事も」

 

「出来ないものは出来ないでいい。私は、別にそれで……」

 

 ――違う、と鉄菜は内奥で声がしたのを感じる。

 

 こうして偽って、自分の望みを抑圧する。そうして全員の平和のために己を犠牲にしようとする精神性に、鉄菜は狼狽していた。

 

 このような考え方、以前まではなかった。

 

 命が今尽きようとも惜しくはなかったはずなのに、どうしてなのだろう。瑞葉の娘である結里花の笑顔を思い返す度に、胸の奥がキュッと痛む。

 

 ささくれのような痛みに、鉄菜は冷徹な判断を下していた。

 

「……私はブルブラッドキャリアの執行者。それだけだ」

 

 そう口にする事で、自分を封殺する事が出来る。リードマンが何か言葉を投げようとしたのは分かったが、鉄菜はあえて無視していた。

 

「蜜柑と桃は?」

 

「……彼女らも出来る事がしたいと任務を継続中だ。桃は地上で介入行動が必要ならば出向けるようにしてある。蜜柑は執行者として、データの演算中だ」

 

「そう、か。……地上は遠いな」

 

「鉄菜、寂しさを感じるのならば呼び戻してもいい」

 

「寂しさ? そんなものを感じるようには、設計されていないはずだ」

 

 断じて、鉄菜は部屋を出ていた。しかし、胸の奥の痛みだけは消せずに、ぐっと奥歯を噛み締める。

 

「何なんだ、私は……。死にゆくのが恐ろしいのか」

 

 そんなはずはない。自分は、かつて涅槃宇宙へとアクセスした。死ねばあの場所に皆が赴くのだ。あのあたたかな場所に。そこには彩芽もいるはず。

 

 散って行った者達が待っているはずなのだ。

 

 それを分かっているというのに――。

 

「醜いな。私は……死にたくないのか。何で……」

 

 問い返しても答えは出なかった。

 


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