ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

374 / 413
♯366 平穏の刹那

 見慣れない人機が空域を飛んでいるのを目にして、燐華は窓辺で今朝のメールの一文句を考えあぐねていた。

 

「やっぱり……まだ戦いは続くのかな……」

 

 あの戦い以降、コミューン上空を横切っていく戦艦や人機は度々見かけるようにはなったが、それでも数は減ったほうだと思っていた。

 

 アンヘルの正義の鉄槌が意味を成した時代は過去の遺物となり、もう忌まわしき時代も、そして過ちも繰り返さないで済むのだと。

 

 だから、今日もコーヒーを淹れ、片割れの帰りを待っていたのだが、届いたボイスメッセージに燐華は嘆息をつく。

 

『すまん。今日は帰れない』

 

 またか、と燐華は呆れ返ってしまう。

 

「仕事もそこまで熱心だと、大切なものを失っちゃうよ。ヘイル中尉」

 

『だからって帰れないんだから仕方ないだろ。今だって実は話しているのはまずいんだ』

 

「おいしいコーヒーは要らないのね」

 

『帰ったら振る舞ってくれよ』

 

「知らないっ」

 

 ぷいと燐華は顔を背ける。ヘイルは端末越しに困惑の笑みを浮かべていた。

 

『もうすぐ、その……式を挙げるんだからさ。ちょっとは機嫌直してくれって』

 

「直してもらいたかったらそれなりの行動をすれば? あたしはどっちもでいいんだから」

 

『参ったな……。あ! それと、もうすぐ大尉だからな! 間違えるなよ』

 

「昇級おめでとうって言わせたいの?」

 

『いや、その……悪かったよ。ケーキを買って帰る』

 

「ショートケーキね」

 

 言いつけると、ヘイルは微笑んでいた。

 

『いつものケーキ屋で。それで機嫌を直してくれるか?』

 

「さぁ? それはどうか」

 

 ヘイルは平謝りしかけて、不意に発せられた声にびくつく。

 

『ヘイル中尉、またですかー! 奥さんも大変ですねぇ』

 

『てめぇっ! うっせぇよ! ゴメン、燐華。そろそろ出撃なんだ。通信は三日ほど遅れそうになる』

 

「どうぞ、ご自由に」

 

 つんと澄ました燐華に相手は申し訳なさそうな顔をして通話を切った。燐華はため息交じりにコーヒーを口に運ぶ。

 

 窓辺に風が吹きつけ、今日もこのコミューンの内側で形成された人工河川のせせらぎを伝えていた。

 

 まだ、この星で他の生物が住めるような河も水もほとんど存在しない。生命の息吹のない河を燐華は見下ろしていた。

 

 河川沿いの白い家屋。それが自分とヘイルの見つけ出した、終の棲家である。ある意味ではあの戦いの後、ようやく見出した安息の地だとも言えた。

 

 熾烈なる戦いが、何度も何度も人類を襲った。その度に、罪の上塗りを続けていた人類はようやく、ブルブラッドキャリアの戦いを経て、一つになろうとしている。

 

 その足並みを燐華は電源を点けたテレビのビジョンの流すニュースに見ていた。C連邦はアンヘルの解体を正式に宣言したのが去年。そして、新連邦としてC連合勢力と足並みを揃え、ようやくゾル国との融和政策に踏み出したのがつい半年前である。

 

 この二年間、ブルブラッドキャリアは表立って現れていない。

 

 それでも、燐華にはどこか遠くに行ってしまった親友へと宛てたメールを欠かさなかった。今日もまた、書き出しの一文目を思い描く。

 

 どう切り込めば、彼女は驚くだろうか。

 

 今まで一度として、彼女を驚かせた事はない。きっと、何があったところで「そうか」と冷静に返してくるだろう。

 

 しかし、式を挙げるとなれば来てくれるだろうか、と燐華は思い描いて、そしてふふっと含み笑いを漏らしてしまう。

 

「何だか、とっても平和……」

 

 二年前にアンヘルに所属し、最前線で戦っていたなどまるで悪い夢のようだ。それでも消えない過去はある。燐華はタイマーが定時を告げたのを聞き、抑制剤を取り出していた。

 

 ハイアルファー人機の功罪だ。まだ僅かに認識障害が残っている。それでも、抑制剤のお陰でこの平穏を掻き乱される心配はない。たとえこの楔が一生ついて回ろうとも、あの地獄のような戦場から生き延びられただけでも大きな進歩なのだ。

 

 そして、ヒトとしてまた一人前に歩み進む事の出来る権利を得られた。

 

 あの日――鉄菜が白銀の風を戦場に吹き流してくれてから、自分の中に巣食っていた魔は思ったよりもあっさりと消えてなくなっていた。

 

 不思議なものだ。一生、あの暗黒に支配されるのだと思い込んでいたというのに、今は人機に搭乗していたという過去さえも遊離している。

 

 あの一期間だけ、嘘であったかのようだ。

 

 ともすれば少しの間だけ悪夢を見ていただけなのではないかとさえ疑ってしまう。しかし、消えて行ったものも確かに存在する。

 

 兄――桐哉は戻ってこないし、あの戦場で散っていった隊長や他の構成員の事を燐華は決して忘れないだろう。

 

 それでも憎しみに囚われるのは違うのだと、今は思える。そして、今日の一文が脳裏に描かれた。

 

「そうだ。鉄菜の好きな食べ物を聞いていなかった。鉄菜はケーキ、何が好きかな」

 

 メールを書き出して、分かっていると自分でも納得する。

 

 きっと、鉄菜は戦っている。戦い続けている。それでも、メールの返信を遅らせた事はないし、この世界のどこかで今も終わらない戦いに身を浸しているのは分かるのに、この繋がりを絶つ気にはなれない。

 

 一度消えた繋がりだ。大事にしたいという思いがあった。

 

「鉄菜。あなたの好きなケーキって、何かな。もし……本当にもしもの話なんだけれど、平和が訪れたら、一緒にケーキを食べよう。あたしが作ってあげる。もちろん、鉄菜が作ったのも食べてみたいけれど、鉄菜は何だか勝手なイメージだけれど、料理は苦手そう。不器用なイメージを持っているのはあたしだけかな? ……鉄菜」

 

 そこまで綴ってから、燐華は窓の外を眺める。

 

 呟いた言葉は文字にはしなかった。

 

「会いたいよ、鉄菜。あなたはきっと、まだ戦っているんだよね。平和を、勝ち取るために……。どこかで、この星のために……」

 

 その眼差しは、虹の空に閉ざされた向こうへと注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コロニー公社の人員はゾル国の人間が多いというのは偏見だ、と一人の記者が声を荒らげていた。

 

 その言葉に公的なデータです、と返答した公社の人間は身振り手振りで応じる。

 

 重力地点――ラグランジュポイントにて催された式典に参列したのは、無数の有識者と権力者達だ。彼らは一号コロニー、グリムの開発に出資した名のある人々である。無論、そのような人々の前で記者は何も無鉄砲に言葉を発したわけではない。

 

「コロニー開発にゾル国の人員を強制労働に参加させている、という悪質なデマがネット上に散見されますが!」

 

 カメラマンを携えた記者の不躾な言葉に公社の人間は冷静に返す。

 

「それは悪質なデマですな。まったく、ちょっと前に民間にオープンソースになったバベルの詩篇とやらはデマの拡散器と見える」

 

「ですが、事実としてはあるのですね? 後で公的データと偽っていたとなれば、その濫用は……!」

 

「静かに。せっかくの式典だ。どうして君達マスメディアにかけずらわなければならないのか」

 

 マスコミの人々は追い出され、しめやかに式典が執り行われる。

 

「この度、一号コロニー、グリムの完成を祝ってくださる皆様におきましては、心より感謝と共に……」

 

 追い出されたマスコミの人々は公社の人間へと悪態をついていた。

 

「偉そうに! 我々の情報を馬鹿にしている!」

 

「しかし、どうします? こればっかりはもう追及のしようがないですよ」

 

 肩をしょげさせたカメラマンに記者は宙域を眺めていた。

 

「どこかに報道の種でも落ちていないものかねぇ……」

 

「宇宙の常闇にですか? 偶然撮影出来れば、そりゃ儲け者ですけれど……」

 

 そのような都合のいい話もあるまい。諦めて撤退しかけたその時、カメラマンが宙域を指差していた。

 

「あ、あれ。連邦の機体じゃないですか?」

 

「今時、珍しくもないでしょう? トウジャなんて」

 

「いえ、トウジャですけれど……色が違います。連邦の正式採用の参式以降は水色のカラーリングのはず」

 

「だったら極秘機でしょう。映したらもみ消されるだけですよ」

 

 新連邦に対しての過度なヘイトスピーチはタブーだ。そうでなくとも、情報網は二年前のアンヘルの偏向報道においてその一翼を担ったとされ、かなり委縮しているというのに。今さら、現政権の批判や、それに伴うスキャンダルを追いかけるのは二流三流もいいところ。

 

 だからこそ、コロニー公社と言う新しい標的を見据えたのだが、その標的もぼろを出さないのでは話にならない。

 

「コロニー公社は思ったよりもよく出来た組織ですよ。埃も出ないなんて」

 

「大方、ご立派な上が統括しているんでしょう。そのお上が何をやっているのかの報道権限はないって言うのに」

 

 記者は端末を弄り出す。OSはほとんどの人間が使っているスタンダードタイプだ。

 

 映し出されたOSの起動画面に、記者は不意に三人の男の残像を見た気がして、目を擦っていた。

 

 その残像が消え失せた瞬間、カメラマンが声を張り上げる。

 

「おい! あれ! トウジャが真っ直ぐに向かってくる!」

 

「式典の護衛機でしょう。騒ぐほどの事じゃ……」

 

「識別信号を発していないんですよ! 第三国のトウジャです!」

 

 物々しい空気にカメラマンがトウジャへとカメラを振る。これは撮れ高があるかもしれない、と記者は咄嗟に端末へと声を吹き込んでいた。

 

「ご覧ください。コロニー、グリムの式典に、連邦の仕様を無視した人機が接近しています。あ! 今、まさに、コロニーの真横を通り抜けようとして……」

 

 瞬間、拡散した威嚇射撃に応対したのは、コロニー公社の護衛人機であった。民間軍事会社の藍色のトウジャが武装を固め、警告を発する。

 

『そこの人機! 止まれ! 登録されていない人機のコロニーへの接近は禁じられている!』

 

「PMCの人機が銃を向けました! 一触即発の……戦闘になりそうです! カメラ、しっかり向けておいて!」

 

 カメラマンが慌ててピントを絞る。その途中で不意に相手方のトウジャが武装を一射させた。

 

 実体弾が掠めPMCの人機が慌てふためく。

 

『う、撃ってきただと……。全機、構え! 《スロウストウジャ弐式》編隊は予定されていた防衛陣を敷いて前進! 再三の通知勧告を無視したとして、相手を迎撃する!』

 

 隊長機らしい、《スロウストウジャ弐式》が前を行く。それに対して相手の人機編隊は冷静であった。

 

 掃射されたのは実体弾による射撃だ。《スロウストウジャ弐式》の装甲には標準装備である程度の実体攻撃に対する耐性がもたらされている。

 

 ゆえに実体弾による牽制は意味を成さない。それでも、PMCの側は過剰反応し、相手方へとプレッシャーガンを照準する。

 

『隊長! こいつ、撃ってきて! 正当防衛ですよね?』

 

『先走るな! コロニー公社の防衛行為は正当化されるべきだ! あまりに立ち回ると余計な事で勘繰られるぞ!』

 

 まさに余計な事で勘繰ろうとしている自分達を尻目に、広域通信チャンネルのPMC人機が敵方を包囲しようとする。

 

「敵は三機……。でも、妙ですよね。PMCのほうにはきっちり武装が支給されているって分かっているのに、わざわざあんな真正面から……」

 

 そこで、記者は違和感に気づき、ハッと格納デッキに居座るテレビ局のシャトルへと繋いでいた。

 

「何かがおかしい……。シャトルへ! もしかして渡航禁止命令が出ているのでは?」 

 

 端末越しに相手が出て困惑を浮かべる。

 

『そうなんですよ。絶対出すなってお達しで……。まぁ、コロニー公社の命令なんで聞かざるを得ないんですけれど』

 

 その直後、ジャミングに通信域が閉ざされていた。不意に走ったノイズに記者はやられた、と声にする。

 

「これは見せかけ、張りぼてだ! 本命はこちらからは見えない位置より襲撃する!」

 

「何でそんな事が分かるんですか?」

 

 記者は自分の経験則に従っていた。

 

「私はこれでもアンヘルの支配時代に一線でカメラを構えていた! だから分かる。これは……反政府テロリストの手口と同じ!」

 

 テロリストという言葉にカメラマンがうろたえる。

 

「まさか! コロニーの式典ですよ」

 

「だからだろうに。コロニー公社のイメージを下げるためなら、連中は命なんて厭わないはずだ」

 

 大変な事に巻き込まれたのだと皆が理解したその時には、既に囮に誘い込まれたPMCの人機へと青い弾頭のミサイルが叩き込まれていた。

 

 濃霧が発生し、PMCのトウジャを絡め取る。

 

「やられた! アンチブルブラッド弾頭!」

 

 アンチブルブラッドの霧は通信域を塞ぐ。さらに言えば、現状の人機でさえもアンチブルブラッドの前では無力だ。

 

 幾度となく見てきた戦地と同じ光景に、記者は端末に声を吹き込む。

 

「我々からは見えない位置で、本命が狙ってくる……!」

 

 首裏に滲んだ焦りに彼は振り返っていた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。