ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯365 星の護り手よ

 便利になった、と言われる。確実に人類は前に進んでいるのだと。

 

 そう発言した某コミューンの当事者は、この間暗殺されたな、とタチバナは思索の上に浮かべていた。

 

「ドクトル。やはり、世界は変位した。そう思われますか」

 

 下手な番組MCの問いかけにこの場所も虚飾の張りぼてか、と内心毒づく。

 

「そうですな。……しかし人間と言うのは得てして、その技術の恩恵、そして意義というのを後になってから理解するもの。人機産業も然りです。人機の意義を分からずして、ヒトは百五十年前に功罪をもたらした。やはり、確信を持って言えるのは、人間は、着実に、そうやって前に進めている事実だけなのです。間違いながらでも、前に……」

 

 そこまででカットが切られる。休憩入ります、とスタッフ達が声をかけ合い、やがてMCが席を立って握手を求めてきた。

 

「人機産業の立役者であるタチバナ博士のご高言は常より。著書も拝読しております」

 

「そうですか。しかしながら、人機に関しては門外漢なのでは?」

 

 その問いかけに相手はにこやかに応じて先を促していた。タチバナは歩み出す。

 

 何か、自分にだけ見せたいものでもあるのだろうか。

 

 こういう特別感に悦に浸りたい輩はこれだから困るのだ。自分など、死の商人だと言われてしまったほうが楽であるのに。

 

「いくつかの文献資料に目を通させていただきました。その中に興味深いものが。モリビトに関してのレポートを、一枚書かれておりますね」

 

「アンヘル時代に将校に書かされたものでしょう。モリビトへの追跡は必要ないという、ある種の文言です。あれがなければ、ブルブラッドキャリアを必要以上に追い込み、戦火を拡大させる可能性があった」

 

 これもまた言い訳がましいな、と自分でも思ったが、タチバナはあえて口にはしない。男は、なるほど、と得心した様子だ。

 

「あれはドクトルの真意ではなかった、と。面白い話を聞かせていただきました。しかし、あの時にもしも、ブルブラッドキャリアを追い込んでいれば、この平穏は訪れなかったかもしれませんね」

 

 平穏。そう形容するか、とタチバナは言外に感じ取る。確かに大きな戦乱は起こっていない。コミューンの代表者で何人かの死人が出はする。内乱は起きてはいるものの二年前のアンヘルの横暴に比べればかわいいものだ。情報統制もある一点を超えてから意味を成さなくなった。

 

 男は携行端末を取り出す。起動すると、OS認証画面が呼び起こされていた。

 

 OS名「バベルの詩篇」。二年前に、レギオンが陥落してから、何者かがバベルを精査し、そして手に入れた。

 

 だが、支配特権層は現れず、ユヤマのような野心家も存在しなかった。

 

 彼らは少しばかり歴史の過ちに学んだのか。バベルはそのままオープンソース化され、人々はこのバベルの詩篇を持ち歩き、自らの端末にダウンロードしている。そのシェアはほとんど七割を超え、辺境コミューン以外では通信環境も整っている。

 

 この状態で誰かがクーデターなど企てたところで、かつてのように世界が混迷に落ちるという事もあるまい。

 

「平和は、こういうところで甘受されるものですか」

 

「バベルの詩篇、便利だと思いますよね、ドクトルも」

 

「ワシには到底。今を生きる若者の特権でしょう」

 

 自分が使いこなしたところで仕方のないものだ。そう断じたタチバナに男は微笑みかける。

 

「しかし、バベルの詩篇によって人々には等しいステータスが振られた。アンヘルの蛮行を世に知らしめたのもこの技術が大きいと聞きます。バベルの詩篇がなければ今でも、人間同士で争っていたかもしれない」

 

「その言葉には語弊がありますな。今でも内紛は尽きない。平和など、まだ完全に訪れてはいないのです」

 

 新連邦傘下のコミューンでようやく、人々が安息出来る環境が整ってきたところだろう。

 

 自分達は、その足場作りを固めなければならないはずだ。

 

 男はにこやかにタチバナを通す。打ち合わせ部屋の前で、物々しい装備の兵士が佇んでいた。

 

「ここは任せる」

 

 男がそう言いやり、兵隊が敬礼する。

 

 広く取られた室内にてタチバナは男と対面していた。彼はにこやかなコメンテーターの面持ちのまま、続ける。

 

「しかし、タチバナ博士。便利な上に、そして平和利用される。これほどまでに高度に発達した技術情報社会において、それでもしかし、一線は存在すると思いませんか?」

 

「一線とは。それは情報弱者の事ですかな」

 

 そのたとえに彼は手を払う。

 

「古い観念です。今の世の中、端末一つで子供が大人顔負けの情報量を持つ時代だ。そういう時代の寵児に、やはりなりたいものでしょう」

 

 男の言葉振りが胡乱なものになった時点で、タチバナはこの話し合いの場に降り立った奇妙さを感じ取っていた。

 

 相手はただのテレビマンにしてはあまりにも――浮き彫りになるのは奇妙さだ。警戒心を走らせ、タチバナは問いかけていた。

 

「主義者ですかな。……流行りませんが」

 

「主義者ではありません。これは、純粋に興味がおありではないか、という提案なのです。存じていますよ、タチバナ博士。あなたはかつて、権力者側に呼ばれた人間であった。あなたに何度か、密通を交わした相手がいる事を。名前を――ユヤマ」

 

 その名前を知る者は一握りだけのはず。タチバナが警戒して後ずさったその時には、兵士が拳銃を構えている。

 

「……何のつもりか」

 

「これから先の時代を動かすのは、何だと思います? タチバナ博士」

 

「言葉繰りに付き合う気はない」

 

「博士。私はね、感激しているんです。こうやってあなたと話せる事に。これも時代の恩恵、バベルの詩篇の導きだと」

 

「導き? あなたは誤解している。我々は別に、誰かに導かれてここにいるわけでは――」

 

「いえ、導きですよ。……これはご存知なかった? 私は、バベルの詩篇の最初期ユーザーでしてね。彼らに会った人間の中では初期ロットと呼んでもいい」

 

 携行端末に浮かび上がった投射画面に引き写されたのは、禿頭の三人であった。男達のビジョンが互いに背を向けあっている。その像にタチバナは声を荒らげていた。

 

「まさか……バベルの詩篇の中に……」

 

「これはね、平和のためのシステムなんですよ。だから、タチバナ博士。あなたのような方にジャッジしていただきたい。我々が相応しいのだと。そう思わせていただければ」

 

「……貴様ッ、何者だ!」

 

「何者でもありませんよ。ですがこうは言っておきましょう。レギオンや元老院、そしてアンヘルのような失態は冒しません。その必要性がないからです。戦いは、もう既に始まっている事を、誰も関知していない。関知していないながらに誰もが兵士の資格を持つ。素晴らしい、まさに次世代の闘争だ」

 

「次世代の……闘争だと。ふざけるな! 闘争に次世代も何もあるものか! ようやく勝ち取った平和を、貴様らが……」

 

 端末に手を伸ばそうとしたタチバナを兵士が制する。老人一人だ。兵士が本気を出すまでもなかった。

 

「博士……ご老体なのですから、少しは大人しくしていただきたい。我々がまるで野蛮人のようだ」

 

 タチバナは男を睨み上げる。丸眼鏡をかけた猿のような面持ちが嗤っていた。

 

「……何が不満だ。貴様ら、何故このような強硬策に出る」

 

「嫌ですねぇ、博士。あなたは根っこまで戦争に染まっているのですか? 強硬策? まだまだですよ、こんなもの。ただ……いざ戦い始めてから羽ばたかれると面倒でしょう? 羽虫というものには」

 

 タチバナが見据えたのは彼の端末だ。まさか、端末から催眠電波でも発せられているのか。

 

 その疑いが出ていたのだろう。彼は端末を振り翳す。

 

「操られているわけではありません。むしろ、見せてもらっている。この世界の真実を。そういう点では感謝してもし切れない。バベルの詩篇、素晴らしい発明だ」

 

「悦に浸って何とする! そのような事のために、開発されたものではあるまい!」

 

 猿顔の男は、どこまでも度し難いとでも言うように肩を竦めた。

 

「博士、ちょっとは無理があったかもしれない。しかし、あなたの宣言は思っているよりも重い。ちょっとだけ、羽虫の些事というものを見せていただきたくってですね。少しでいいんです。現政権にプレッシャーでも与えてもらえますか? 人機開発を遅らせろとでも。その一言をいただければ」

 

 投射画面にSNSが表示される。タチバナは舌打ちし、声を搾らせていた。

 

「貴様らは……何がしたい」

 

「平和です。真の意味での平和を。そのために、人間は自覚的であるべきだ。そう、自覚的でね。それなのに、無自覚な人間の多い事、多い事。……なので、少々泥を被ってもいいので、自分が動きました。幸いにして人脈もある。この人間が適任だと、判断したのです。こうしてあなたにもアポなしで会える」

 

 歩み寄ってきた猿顔の男の眼差しがどこか遊離している。操られていないと彼は言ったが、もう既に手遅れなのは見るも明らかだった。

 

 兵士が後頭部に銃口を突きつける。

 

 睨み上げると、兵士の瞳孔も何者かの洗脳を受けているのか、とろんと蕩けていた。

 

「……何者なのか、ここで言えば……」

 

「博士、それが言える立場ですか? あなたはこの男と、そして兵士に取り押さえられている。加えて、この打ち合わせ室には誰も来ませんよ。それに、あなたの腹心であった……渡良瀬とやらは死んだ。二年前に、ブルブラッドキャリアに無謀にも立ち向かって。ああ、このログは……。とても面白い、敗残兵の記憶だ」

 

 まさか、とタチバナは絶句する。機密文書の記録へと一個人がアクセスしているのか。その異常事態に声を荒らげていた。

 

「貴様! どういう事をしているのか、分かっているのか!」

 

「ええ、分かっています。人間の躯体と言うのは面倒でね。こうして、OS越しに半年間。そう。この男で半年。その兵士で一年ほど。語りかけないとどうにも言う事を聞いてくれなくって困るのですよ。やはり、かつての故郷が恋しい……。あの青の花園で、静謐のうちに存在した機械天使達が、今は愛おしいのです。彼女らは完璧であった。それを、後から来たC連合の蛮族達が奪っていった。我々の開発を野蛮だと……あの阿呆共が!」

 

 男がタチバナの肩へと蹴りを浴びせる。兵士の突きつけた銃口がさらに強く押し付けられた。

 

「あなたも、あっちの側でしたねぇ! タチバナ博士! 蛮族共に塗れて、我々の研究を盗んだ、許されざる罪人だ! さぁ、ここで終わりましょうか!」

 

 喜悦を張り付かせた男は哄笑を上げる。まさしく悪鬼。その威容にタチバナは咄嗟に白衣のポケットに入れた端末を投げ出しかけて、兵士の銃撃が脳天を貫いていた。

 

 迷いのない殺意はこの時確かに、「タチバナ」を殺害せしめていたが、その違和感に相手が気づくのはそう遅くなかった。

 

「……おかしい。この躯体は……機械人形だ」

 

 死体を転がした男が頭蓋より滴った人造血液に対して奥歯を噛み締める。

 

 自分は、と言えば、この事実を俯瞰しながらネット空間へと逃れていた。男の持つバベルの詩篇を有する端末が好条件に接続されていたお陰で「タチバナ」の精神はネットの海へと逃れ果てていた。

 

 否、元よりこの精神は既に地上のバベルと共にある。ネットの網を介し、タチバナは逃げ延びた精神の一部をホストコンピュータであるアルマジロ型の躯体へと二年ぶりに帰していた。

 

 四つ足で立ち上がり、静寂の只中にある軌道衛星上の宇宙外延システムに介在したままの自身を顧みる。

 

『……このような形で、この肉体に還るとは思っても見なかったな』

 

 かつて渡良瀬に生身を殺され、その後、精神と経験をこの小さなアルマジロ型AIに移されたのは不幸中の幸いであったか。レギオンの有する義体の一つを用いて人間社会に隠れ潜んでいたが、まさか二年の静寂を破る相手が現れるなど想定していない。タチバナは宇宙駐在軍の去ったこの外延軌道でシステムへの再潜入を試みようとしていた。

 

『まさか、相手もタチバナと言う個体が既に死んでいるとは想定外であったようだな。しかし……相手の所在も分からぬ今、下手に仕掛けるのも危険……。ワシがアクセス出来るのは、所詮は彼らだけか』

 

 地上のバベルが接続されているアクセス域の一つへと、タチバナは一瞬の逡巡を浮かべた後にルートを作っていた。

 

 グリフィス亡き今、情報の護り手は彼らしかいない。

 

 彼らは追放者、ブルブラッドキャリア――。

 

 


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