ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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完結編 Star Songs of an Old Primate
♯364 静謐の合間に


 月面の静謐は、他者と己を垣間見るのに適切な距離感だ。

 

 構築されるイメージパターンを何度か往復し、そして辿り着いた形成情報に短く切り揃えた髪を払っていた。キー端末を何度か打っていると、不意に声が弾ける。

 

「茉莉花おねーちゃん! 三十五タスクから先、やっておいたよ!」

 

 その言葉に茉莉花は振り返らずに近づいてきた少女の頭を撫でていた。ディスプレイに映し出された機体を見据え、そして、ここまでか、と声にする。

 

「茉莉花おねーちゃん。完成したのね!」

 

「ああ。まぁ、人機の完成をフレーム構造による完成だけで見るのならばだがな」

 

「完成していないの?」

 

「ようやく六割と言ったところだろう。操主が乗って初めて、その残り四割が満たされると言ってもいい」

 

 格納庫に収まる本体へと、茉莉花はマイクを介していた。

 

「格納庫に通達。データ上は、これにてロールアウト間際まで行った。お疲れ様」

 

 格納デッキから拍手が飛ぶ。茉莉花は、しかし、と返答する。

 

「全くの計算外を、計算内に収める、という矛盾をはらんだ機体だ。ゆえに、吾はこれを完成とは呼べない。操主が乗って初めて、その性能を発揮するかどうかは分かるだろう」

 

 直後、通信ウィンドウが繋がれ、タキザワが笑顔を寄越す。

 

『でも、これでほぼ完成だ。鉄菜の望んだモリビト……』

 

 感じ入ったかのような声に茉莉花は過ぎ去った時間を顧みる。

 

 ――あの時の最終決戦より、二年。

 

 自分も背が伸びた。それに、と書類を渡してきた優秀なる人材に目をやる。笑顔を咲かせた二つ結びの少女はブルブラッドキャリア本隊にて育てられていた操主候補の一人だ。

 

 彼女らは元々、ブルブラッドキャリアのために育てられ、そして時が満ちれば操主として、組織のために命を散らす運命にあった。

 

 だが、あの戦いで本隊が壊滅し、そしてブルブラッドキャリアを牛耳っていた悪意の象徴たる梨朱・アイアスは鉄菜の前に敗れた。

 

 平定された世界は月面との干渉を拒み、今のところ平穏なる静謐が流れているが、これがいつ打ち壊されるのかも分からない。

 

 そのような不均衡な上にまだ世界のレートは乗っている。そう、まだ世界は不安定なままなのだ。

 

 だが、希望はある。

 

 茉莉花はツインテールの少女の頭を撫でてやった。

 

 よく出来る助手はもっと撫でて欲しそうに首を伸ばす。茉莉花はフッと笑みを浮かべていた。二年前に比べれば随分と、表情も温和になった事だろう。

 

 それはこのブルブラッドキャリア月面拠点――月面都市ゴモラにてすれ違う人々の言葉振りからも窺える。

 

 何度も、変わったかと問いかけられるクチだ。変わったところなんてない、と憮然として応じると何故だか微笑まれてしまう。茉莉花からしてみれば困った応対が増えただけの話でもあった。

 

「……しかし、変わったのかもしれないな。鉄菜がそうだったのと、同じように……」

 

「茉莉花おねーちゃん?」

 

「……いや、何でもない。吾らしくもない感傷だ。美雨、この人機の戦闘能率の洗い出しを頼む」

 

 美雨と呼ばれた少女は端末に腕を伸ばすと、瞬時にその手の甲が銀色の血脈に波打っていた。

 

 美雨は瞼を閉じた後に、即座に応じる。

 

「新たなモリビト……モリビトのサードステージ案は滞りなく開発が進んでいるよ。三人の執行者の状態も今のところステータス誤差範囲内。もしもの時に備えて《ゴフェル》も常にアイドリングモードに固定。発艦準備は大丈夫」

 

「百点満点の答えだ」

 

 言ってやると、美雨は嬉しそうにはにかむ。しかし、彼女の技術は恐るべき禁忌である。

 

 人間型端末、あるいは調停者、と呼ばれた者達と同じ、脳内にローカル通信領域を持ち、機械との格差を掻き消した禁断なる人種。

 

 自分と同じ技術を、ブルブラッドキャリアがまだ操っていたなど笑えない。茉莉花はこれも一つの不実か、と素直には喜べないのだった。

 

「それぞれのモリビトの情報を開示」

 

「了解」

 

 美雨の腕を数多の情報が伝い、白銀の瞳孔が細められる。

 

「桃・リップバーンの専用機、《モリビトノクターンテスタメント》は出撃準備が完了。半年前にはロールアウトし、いつでも実戦に入れるよ。介入行動も問題なし。今のところ、惑星側から察知された恐れもない」

 

 投射画面に映し出されたのは黒と白の色彩を持つモリビトだ。巨大機には二基の積載コンテナが三角錐型に固定されており、その部位には自律兵装が積み込まれている。

 

 それだけに留まらない。桃の愛機という事で高出力R兵装も積んでおり、攻防両方の面において隙のない構成のモリビトだ。

 

 まるで重火器の獣、武装庫のハリネズミ。異形なる四つ足のモリビトは白兵戦闘を度外視し、完全なる制圧戦――即ち殲滅の心得をもって発揮されるべき力である。

 

 開発コード「純潔なる制裁」。桃の新たなるモリビトは胎動の時を待ち望んでいるが、彼女の場合、もっと平常時に使用しやすいモリビトのオーダーがある。

 

 そちらに沿った形で用意されているのは《モリビトナインライヴスリレイズ》の改修機だ。

 

 やはり、どこかしら慣れ親しんだものがあるのだろう。あえて出力配分を抑えた《ナインライヴス》を扱うと決めたのは、彼女なりの矜持が窺える。

 

「続いて、蜜柑・ミキタカの乗機。《モリビトイウディカレ》。こちらは砲撃と近接攻撃、両面に対応したモリビトになっているよ」

 

 蜜柑の新たなモリビトは紫色のパーソナルカラーを持つモリビトであった。

 

 蜜柑はあの後、モリビトの執行者としての継続任務を希望し、その結果として蜜柑の適性を最も鑑みたモリビトとしての設計が求められた。

 

 彼女の適性は砲撃と射撃精度。あらゆる遠隔武装と中距離武装の洗練が行われており、蜜柑の操主としての能力を最大限まで引き上げるモリビトであった。

 

 加えて近接距離における高機動も加味されており、疾駆に鎧を身に纏ったかのような外観となっている。

 

 それは古代において使用された騎兵によく似ている。リバウンドブーツを両足に装備し、両脇を挟むように甲羅型の武装ビットを有していた。

 

 名をRシェルビット。甲羅型の武装はそのまま盾となり、リバウンドフォールをこれまでにない強度で展開可能である。

 

 そして、最後――。青と銀のパーソナルカラーが眩しい、鉄菜のモリビトである。

 

 コックピットブロックを再び中央に配し、頭部形状は彼女の最初のモリビトである《シルヴァリンク》に近い。

 

 近接格闘兵装を全身に纏い、両肩より盾が翼のように伸びているのは《モリビトシンス》を想起させる。

 

 まるで龍のような鱗じみた装甲に覆われたモリビトは他とは一線を画していた。

 

「鉄菜・ノヴァリスのモリビト。《モリビトザルヴァートルシンス》。《モリビトシンス》において発現が確認されたエクステンドチャージの上位現象を意図的に引き起こし、それによって鉄菜・ノヴァリスの持つ意識圏の拡大システムであるザルヴァートルシステムを採用し、彼女の意識で戦場を同調させ、そして終結させるための、戦いを終わらせるためのモリビト……」

 

 そらんじてもやはりどこか浮世離れした機体コンセプトに思えるのだろう。美雨からしてみれば夢物語のように感じられたに違いない。

 

「美雨。そんなに信じられないか?」

 

「だって……戦わないモリビトなんて、変だよ」

 

 それはかつての価値観ならばそうかもしれない。だが、と茉莉花は椅子より立ち上がり、美雨の頬にそっと頬ずりしていた。

 

 くすぐったそうに美雨が目を細める。

 

「どうしたの? 茉莉花おねーちゃん」

 

「いや……夢物語でも、鉄菜は成し遂げようとしているんだ。平和のために、か。……どこまでも陳腐で、嘘くさいかもしれない。それでも、あいつが言うのならば、それはきっと……」

 

 濁した茉莉花に美雨が首を傾げる。

 

「戦わないコンセプトなのに、一番武力では秀でているよね。何で?」

 

「美雨は、戦場に出た事がないから分からないか。有り体に言えば、このコンセプトを実現するのに降り立っただけで撃墜されれば立つ瀬もないからだ、という事かな」

 

 戦場に出た事がない、ブルブラッドキャリアの操主候補。それだけで随分と、様変わりしたと思わされる。

 

 鉄菜達の話を統合すれば、ブルブラッドキャリアにおいて戦わないと言う選択肢は存在せず、戦闘適性が低くても整備班に充てられていたはずなのだ。

 

 だが美雨は戦場を知らない。本物の戦場を知らない世代が生まれてくるのは、いい流れだと茉莉花は感じている。

 

 あんな場所、追いやられないほうがいいに決まっている。

 

 硝煙と血潮のにおいなんて知らないほうが幸福に違いないのだ。

 

「えっと……《ザルヴァートルシンス》の能力はほとんど格闘がメイン。それもRザルヴァートルソードによる近接格闘……。ねぇ、不満じゃないけれど、やっぱり変なんじゃないかなぁ? 今の対人機戦闘において剣術なんて」

 

 それは美雨がきっと鉄菜の戦いを間近で見た事がないからこそ出る言葉なのだろう。ある意味では本人に聞かせてやりたいと茉莉花は思ってしまう。

 

「……当の本人に言ってやるといい。射撃が当たらないからって剣戟に頼り過ぎだ、と。まぁ、これが鉄菜・ノヴァリスと言う操主のスペックを最大に活かす射程なんだ」

 

 ふぅんと、美雨は分かっているのか分かっていないのか不明な声を出す。だが鉄菜の戦いを見ていなければ、彼女には全く分からないままであろう。実際、鉄菜がモリビトに乗って戦うのを、彼女は実際に目にした事はないはずだ。

 

 それはこの二年間、モリビトによる戦時介入の必要性がなかった、という一事に集約される。

 

 モリビトを使った報復作戦も、ましてや大きな戦争も起きず、この二年間、平穏が訪れた。

 

 世界は安定を取り戻し、モリビトによる判定を必要としなくなった。ある意味では混沌に投げ入れられた、と言えなくもないが、その自浄作用を期待し、ブルブラッドキャリアは静観を貫いている。

 

「新連邦法案も立ち上がって半年だ。すぐにでも、新連邦軍が組織され、そしてこちらへの対応策を決めようとするだろうな。我々は、目の上のたんこぶのようなものだから、いずれにしたって決着はつけたいはずだ」

 

「でもでも……それなら二年前の決戦である程度到達したんじゃないの? 月面まで押し入ってきて、怖い人機で戦って……」

 

 どこか言葉に自信がないのはその時にはまだ、美雨は放たれていなかったためだ。

 

 人造血続の培養液に入り、目覚めたのが二年前の決戦直後。ブルブラッドキャリアの新型調停者はそうやって、生まれる時期まで調整されていたのだ。

 

 美雨には予めある程度の知識はあったが、目覚めた時にはブルブラッドキャリアは存在せず、忠誠を誓うべき本隊は駆逐されていたのだから相当な混乱があったらしい。

 

 それは彼女にしか分からない領域だ。

 

 この二年で、少しは年相応の子供らしさを獲得出来たと言うべきだろうか。いや、これも目線としては自分らしくないか。

 

「……まるで子供を見る親の目線だな」

 

 自分も一線から退いて二年。この二年間の隔絶は大きいはずだ。

 

 元々、ラヴァーズにて、サンゾウと共に世界を巡り、この星の原罪を思い知った身となれば老いもする。

 

 世間ずれしていた、と言えばまだ聞こえがいいだろう。ラヴァーズの意識を統合するために用意された、イレギュラーの人間型端末――戦う事でしか価値を見いだせない、戦闘機械。

 

 畢竟、鉄菜達を笑えもしない。

 

 自分も同じ穴のムジナに等しい。

 

「美雨は人機を知らないからな。怖いって言ってもイメージだろう」

 

 その言葉に美雨が頬をむくれさせて抗議する。

 

「美雨だって! 人機くらいわかるもん! こういうのでしょ?」

 

 美雨が投射画面に映し出したのは惑星側の用意した戦闘用人機のデータ閲覧図だ。茉莉花は手を払う。

 

「頼むから、今の相手の最新人機までハッキングしてくれるなよ。それでこっちの情報がばれたらシャレにならないんだからな」

 

「惑星側にそんなに大きな反応はないよ。だって相手はバベルを持っていないって聞いたもん」

 

「それでも、だ。惑星側は八年前にはバベルなんてなしにモリビトの操主三人を追い込んだ。その事実はある」

 

 そもそも八年前と今とでは情勢が大きく違うが。茉莉花は美雨のハッキング技術で編み出されていく人機の情報を見やる。

 

 やはりトウジャの封印が解かれたのが大きいのか、惑星側の人機市場は完全に塗り替わったと言っても過言ではない。

 

 ナナツー、バーゴイル、ロンド系列の三すくみは失われ、今や末端企業でもトウジャを使う民間軍事会社が見られるほどだ。

 

 それだけ八年で進歩もしたが、人々は開けてはならぬパンドラの箱へと手を伸ばしているのも事実。

 

 そのパンドラの箱の名を、バベルと呼ぶのであるが。

 

 かつての混乱の塔の名をいただいたネットワークシステムは、現状、惑星内では完全に破壊され、今やバベルネットワークは惑星を覆う民衆のためのオープンソースと化していた。

 

 たった二年、されど二年だと言うのはそれも大きい。

 

 バベルの恩恵に人々が与れるようになったのだ。これだけで民衆は今までの意図的な政治発言や、情報統制から脱し、自分達で考えるだけの頭を獲得し得る状態にまで至ったと言える。

 

 元老院、そしてレギオンの支配する時代は終わりを告げていた。一握りの特権層は消え失せ、何もかもが混迷の時代に逆戻りしたと言われてもおかしくはない。

 

「それでも、前には進んだ、か」

 

 茉莉花は水分を補給する。美雨が持ってきた経口保水液を飲み干し、ふぅと息をつく。

 

 たった二年でも人間は禁断を操る事が出来る。それはラヴァーズにいた頃よりもより色濃く理解出来た。

 

 こうしてデスクワークにばかりかまけていると、人々の悪意が惑星と言う熟れた果実の中で育っているのがありありと窺えるのだ。人間は原罪を扱えるようには出来ていない。しかし、人々は常に罪と隣り合わせ。その現状はどことなく滑稽にも映る。

 

「人間は、愚かしいのかあるいは賢しく育ったのか……」

 

 答えは出ないまま、モリビトだけを用意する。それはある意味では退屈でもあったが、ある意味ではこうして使い道のないモリビトが無用の長物と化するのをどこかで望んでいるのが自分でも矛盾だ。

 

 ――モリビトがこのまま一生使用する事のないまま朽ちればいいのに。

 

 そう考える自分もいて、やはり分からないな、と茉莉花はこぼす。

 

「心なんてものは。いや、ともすればお前はこの感覚を何度も味わって、そしてまだ分からないと言うのか。心の在り処を。……鉄菜・ノヴァリス……」

 

 茉莉花は天窓より星を仰ぐ。虹色の罪の果実が、その時を待ち望んでいるように思われた。

 

 


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