ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯355 涙する理由

『……嫌な感じだ。そして敗れたか、わたし。だが白波瀬、わたしは貴様のようにはならない。わたしは大天使だ。貴様とは違う』

 

《イクシオンオメガ》の支持アームが大出力のプレッシャーソードを払う。その一閃に、タカフミは荒い呼吸をついていた。如何に相手の狙いが粗野でも、それでも攻撃一つ一つの重さは必殺の域。純粋な出力で押し負けている自分と瑞葉の《カエルムロンド》。そしてリックベイの《ナナツーゼクウ》はこの宙域では勝利は難しい。

 

『……アイザワ少尉。敵の出力の押し負けを待っている場合ではなさそうだ』

 

「……です、ね。その前にこっちの血塊炉が貧血を起こしちまいます。瑞葉だってさっきから《トガビトコア》相手に立ち回ってきた。それなのに、こいつは……」

 

 言葉を失ったのは、武装コンテナを一つ失ったとは言え、ほとんど戦局に影響のないレベルでの戦闘を行う、眼前の巨大人機の圧倒であろう。

 

 ――《イクシオンオメガ》。最強にして最後のイクシオンフレームが自分達の道を阻む。タカフミは掴んだ剣を確かめていた。

 

 数度目の鍔迫り合いで、既に実体剣には刃毀れが見受けられる。恐らく、あの強度装甲を貫くのには、一撃では足りない。

 

 それなのに、この剣が持つのはせいぜい、一発の必殺の刃のみ。それも、逃せば手痛い一手となるのは必定。逃せないチャンスを見極めるのに、タカフミの集中力のほとんどは費やされていた。

 

 ――だからなのか、その時不意に瑞葉の《カエルムロンド》を襲った《イクシオンオメガ》の隠し腕を関知出来なかった。

 

 斬り落とす前に、瑞葉の《カエルムロンド》を《イクシオンオメガ》が掴み、そのまま電磁を纏わせひねり上げる。《カエルムロンド》の体躯が震え、内蔵血塊炉から青い血潮が舞った。

 

「瑞葉!」

 

 叫んだタカフミが《イクシオンオメガ》の射程へと潜り込む。しかしながら、敵のRブリューナクの暴風圏は健在。壁に阻まれるように、《ジーク》は後退していた。

 

「これでは……どうしようも……」

 

 歯噛みしたタカフミは直後のリックベイの声を聞いていた。

 

『……アイザワ少尉。隙が少しでもあれば、零式で踏み込めるな? 今の相手は焦っている。ゆえにこそ、この行動だ。もう我々全機を墜とせるだけの余力も残っていないのだ。せめて一機でも道連れにしようとする算段だろう。それに、君も見たはずだ。月面を覆う、銀色の光……』

 

 先ほどの瞬きは何であったのか。白銀の皮膜が月面を覆った瞬間、タカフミは一瞬、天啓でも受けたかのように誰かの思惟が脳内を突き抜けたのを実感していた。今は失せているが、あの何者かの意志がこちらまで突き動かす感覚の正体は不明のままだ。

 

「あれは、一体……」

 

『わたしは、分かったよ。死なずのこの身、何のためにあったのかを。あの光が教えてくれた。どうすれば、何が最善なのか。何をも守るために、ヒトは何に成れるのか……』

 

「少佐? 今は、そんな場合でもないはずです。瑞葉が……このままじゃ、チクショウ! 何だって、おれはいつもこんな……!」

 

 守れやしないのか。誓いも、守るべきと判断した誰かの命でさえも。

 

 いつだってそうだ。リックベイの期待を裏切り、アンヘルに所属を決めた時も。戦いの中で磨き上げられていく桐哉の背中に嫉妬した時も。

 

 いつだって正しい道は見えているのに、そちらに行く事が出来ない。いつだって、自分の人生は次点だ。最善で、そして唯一無二の道を進むのには、この身では敵わぬのか。

 

『……アイザワ少尉。君と桐哉には後悔させる道を強いたかもしれない。零式抜刀術……この身で終わらせるべきだったのかもな。後継者にこだわらずとも』

 

「いえ、少佐。少佐のお陰でおれは生きているんです。こうして、瑞葉とも分かり合えた。それは零式の……受け継いだ意志のお陰のはずなのに、何だっておれは! こういう時に決定的な事が出来やしないんだ!」

 

 苛立ちをコンソールにぶつける。瑞葉が嬲り殺しにされるのを黙って見ていろと言うのか。それとも、玉砕覚悟で立ち向かい、この折れそうな剣で相手の息の根を止めるとでも?

 

 ――不可能、そう、不可能なのだ。

 

 半端に剣の道を究めたわけではないからこそ分かる。生半可な覚悟の太刀は真剣勝負では邪魔なだけ。ここで用いるのは、まさしく決死の覚悟の刃。覚悟の切っ先だけが、この屹立する現実を貫き返せる。

 

 しかし、足りない。何もかもが足りていない。力も、覚悟も、何もかも。

 

 項垂れたタカフミはリックベイの言葉を聞いていた。

 

『……アイザワ少尉。君にはいつも、辛い選択肢を投げかける。今も、であろう。だからこそ、君らの前途に光あらん事を……』

 

「少佐? 何を――」

 

 そこから先の言葉は不意に跳ね上がった《ナナツーゼクウ》の挙動に止められていた。《ナナツーゼクウ》がRブリューナクの絶対の暴風へと飛び込んでいく。自殺行為だ、とタカフミは声を響かせていた。

 

「少佐! 何をやっているんです!」

 

『……彼奴の隙を突くのには、一機では不可能だ。わたしが道を作る』

 

「何を! 何をやって……そんなの! 望んじゃいませんよ!」

 

『……かもしれないな。だが、これがわたしなりの罪滅ぼしなのだ。アイザワ少尉。背負った罪は消えなくとも、償う道はある。それを今、わたしはこの刹那に見出した。瑞葉君を頼むぞ……』

 

 雄叫びが迸り、剣閃がRブリューナクを押し返してその絶対の防御を飛び越えていた。しかしながら、敵にはまだ余力がある。

 

『苦し紛れの特攻など! Rブリューナク!』

 

 上方より打ち下ろされた大型のRブリューナクが《ナナツーゼクウ》に突き刺さり、火花を散らせていた。炎が溢れ出し、無数の光条が《ナナツーゼクウ》の装甲を吹き飛ばす。

 

「少佐ァッ!」

 

 それでも、彼の機体は在り続けていた。Rブリューナクの高機動出力をそのマニピュレーターで押し切り、手にした刃で切り裂いている。

 

 決死の覚悟がなくては出来ない芸当だ。タカフミは相手もリックベイの背水の構えに絶句しているのが窺えた。

 

『……貴様、不死身か』

 

『不死身などいないさ。……いや、あってはならんのだ。だからこそ、歪んだ理はここで断ち切る! 零式抜刀術!』

 

『小賢しいッ!』

 

《イクシオンオメガ》が巨大な支持アームよりプレッシャーソードを打ち下ろしていた。その一撃を《ナナツーゼクウ》は受け止める。瞬間、関節部から青い血潮が噴き出し、その稼働限界を告げていた。

 

「少佐! 無理だ! そのままじゃ、人機が分解してしまう!」

 

『それでも……。押し通さなければならぬ意地。わたしは貫くとも。君達の師として、導かなければならぬ明日があると! そう、あの白銀の光が告げてくれた。お陰でわたしは! 迷わずに前に進めそうだ。アイザワ少尉。未来を掴むのは君達の役目だ。だから、わたしの事は……』

 

 実体剣が瞬き、高出力プレッシャーソードを押し返した。その膂力は通常人機のそれではない。零式抜刀術を完全に行使した時のみ、発生する奇跡の太刀である。

 

 斜に切り払った一閃が《イクシオンオメガ》のマニピュレーターを吹き飛ばしていた。瑞葉の《カエルムロンド》が解放される。その行動に《イクシオンオメガ》より無数の触手のようなアームが伸びていた。

 

《ナナツーゼクウ》を掴み、啄み、切り取り、そして、粉みじんに潰していく。

 

 前に出ようとしたタカフミを、リックベイの声が制していた。

 

 リックベイはなんとこの絶対の静謐である宇宙で、キャノピーを開き、身体を晒す。

 

 思わぬ行動に相手操主もうろたえた。

 

『何を……人間風情が、何をやっている!』

 

『そうだとも。わたしは所詮、人間だ。死なずとは言え、人間の領域に留まる。それが彼への答えだと、ようやく分かった。さぁ、大天使とやら。座興は――ここまでだ』

 

《ナナツーゼクウ》が刃を軋らせ、吼えながら《イクシオンオメガ》へと突っ込む。その構えにタカフミは流星を見ていた。

 

「流れる星の如く……命を燃やす最大の剣……その名は……」

 

 教えをそらんじたタカフミに、リックベイは安堵の声を出す。

 

『……感謝、すべきかもしれないな。この我流でしかないエゴの刃が、誰かに引き継がれるのを。さぁ、刻め、《イクシオンオメガ》。零式抜刀術、賽の陣! 落涙、一閃!』

 

 結ばれたその刃は落涙の輝きに似て、一筋の線を描き、そして《イクシオンオメガ》の巨躯を断ち割っていた。

 

 武装コンテナを盾にした形の《イクシオンオメガ》より爆発の光が無数に発生する。

 

『……これは! まさか、Rブリューナクの守りを貫通して……!』

 

『その見せかけの守り、見切ったと言わせてもらおう。数多の武装を弄して戦いを魅せるのではない。この世には、たった一振りの刀でも、全てを賭ける死狂いが存在する。それが我が身、零式の真骨頂』

 

『衆愚が!』

 

《イクシオンオメガ》より簡素なサブアームが伸び、《ナナツーゼクウ》の血塊炉をプレッシャーソードが貫いていた。それでも、《ナナツーゼクウ》は――リックベイは止まらない。

 

 獣のように剣を払い、サブアームをただのマニピュレーターが引き裂く。その一撃が《イクシオンオメガ》の装甲へと軋みをかけようとして、不意に放たれたRブリューナクが《ナナツーゼクウ》を粉砕する。

 

「少佐ァッ!」

 

 覚えず叫んだタカフミは灼熱の炎に染まる《ナナツーゼクウ》のキャノピーよりこちらを見据えたリックベイを視界に入れていた。

 

 彼はこの絶対の無音領域であるはずの真空の宇宙に、声を奔らせる。

 

 聞こえないはずなのに。タカフミにはその魂の声が届いていた。

 

「タカフミ・アイザワ! 行けェッ! 君は、これから先の未来を切り拓くのだ! それだけの力が、君達には――!」

 

『喧しいんだよ! 人間が吼えるなぁっ!』

 

 サブアームが《ナナツーゼクウ》を押え込み、その膂力で人機を圧迫する。リバウンドの皮膜が張られ、その向こう側へと旅立とうとするリックベイへと、タカフミは必死に手を伸ばしていた。

 

 己が師。永劫追いつく事はないと思っていた人が、彼岸へと行ってしまう。もう二度と再会出来ない。二度と分かり合えない。

 

 だからこの一瞬を永遠にしたいと。出来得る事ならばこの手で全てを守り通したいと、思うのは傲慢であろうか。

 

 それでも、タカフミはしゃにむに手を伸ばした。

 

 届かなくとも、届け――。

 

 無謀、無理でも、破れ――そのしがらみを。

 

「少佐ァッ! おれも行きます! だから!」

 

 その言葉にリックベイが煉獄の炎の先でサムズアップを寄越す。不意に無音が訪れた後、爆発の光輪が拡散する。

 

 マニピュレーターと装甲が一人の命と、そして伝説の人機の終焉を物語っていた。

 

 タカフミはコックピットで手を伸ばしたまま硬直する。

 

「……少、佐……」

 

『……アイザワ。少佐は……』

 

 濁した瑞葉にタカフミは面を上げる。哄笑が通信域を震わせていた。

 

『人間が生意気な真似をするから、こうなる! 伝説の操主が何だ! この程度か!』

 

「……違う」

 

『……何だと?』

 

 タカフミは操縦桿を引き、《ジーク》を疾駆させる。《イクシオンオメガ》の放つプレッシャーを引き剥がし、その背面へと回ろうとした。

 

 敵は反応が追いつかず、そのまま腹腔を割られる。

 

 電磁波が走り、装甲が砕けていた。

 

『貴様……ッ!』

 

「違うな。お前は、何も分かっちゃいねぇ。少佐が何を残してくれたのか。おれ達に何を見てくれていたのか。少佐は、未来を託してくれたんだ。おれみたいな……未熟者にだって、何か出来るんだって、言ってくれた」

 

『だから何だと言う! ヒトはヒトでしかない! 天使にはなれないんだよ!』

 

「――ああ、言ったな? ヒトは、そうだとも。ヒトでしかない。それはお前だって同じはずだ。ヒトは、ヒトでしかねぇ!」

 

『わたしを凡俗と……!』

 

《イクシオンオメガ》がサブアームで《ジーク》を捉えようとするが、《ジーク》は機体を反らせ瞬時に反対側の宙域へと飛び出していた。

 

『ファントムだと!』

 

「少佐は示してくれた。おれ達に、生きろと。なら、おれは全うしないとな。生きる……生きていくのに……未来は必要だからよ!」

 

 雷撃のファントムを用い、《ジーク》が直上に立ち現れる。大型プレッシャーソードが宙域を薙ぎ払うが、それを《ジーク》は実体剣で受け止める。

 

『何だと!』

 

「刻め――。戦いの先にある、おれ達の道を! 零式抜刀術! 居合の太刀!」

 

 構えた《ジーク》に《イクシオンオメガ》がプレッシャーソードを打ち下ろす。その一閃に返すように、《ジーク》は銀閃を払っていた。

 

 瞬時に抜かれた居合の太刀は、既に仕舞われている。

 

 直後、プレッシャーソード発振部が粉砕し、《イクシオンオメガ》の頭部コックピットまで亀裂が走った。

 

『まさか! 大天使だぞ、わたしは!』

 

「言ったろうが。ヒトは、ヒトでしかない。だから前を向けるんだ。天使だなんだって驕った結果、しっかり目ぇ焼き付けるんだな。最後の最後に!」

 

 猪突する《ジーク》に《イクシオンオメガ》が本体と基部をパージし、一機の通常人機となって《ジーク》へと抜刀する。

 

 プレッシャーソードが《ジーク》の血塊炉へと突き刺さった。

 

『勝った!』

 

 響き渡った高笑いに、タカフミは静かに応じる。

 

「いや……おれの勝ちだ」

 

 掲げた銀色の太刀を、《イクシオンオメガ》が仰ぐ。

 

『ここでわたしを討っても、世界は変わらん! そんなシンプルな事が、何故分からない!』

 

「……ああ。おれ馬鹿だからさ。難しい事は分からないんだ。だが一つだけハッキリしているのは――今のおれは、無敵だって事だ」

 

 打ち下ろされた一閃が《イクシオンオメガ》を両断する。電磁の波と青い血潮が舞い、《イクシオンオメガ》が爆発の光に抱かれていた。

 

 至近で咲いた爆発の余韻にタカフミは《ジーク》が流されていくのを自覚する。

 

 その機体を瑞葉の《カエルムロンド》が受け止めていた。

 

「ああ……おれってばカッコ悪ぃ……。彼女に、背中任せちまうなんて」

 

『……アイザワ。少佐が……』

 

 咽び泣く瑞葉に、タカフミももらい泣きしてしまう。参ったな、と彼は微笑んでいた。

 

「男泣きなんて、カッコ悪……。でも少佐、あなたが大切な事を教えてくれた。大切な人を守れって。だったら、貫きますよ、少佐。最後の最後、おれの身体が動かなくなるまで、その誓いを……」

 

 鋼鉄の腕が宇宙を掻く。その手が掴むものはきっと、もっと大きなものであるはずであった。

 

 白銀の銀河に、未来を描くのが、これから先を生きる己の役目だ。

 

 だから、今だけは――泣く理由を見つけさせてくれ。

 

 涙する理由に、唾を吐かないで欲しい。

 

 それだけであった。

 


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