剣劇が幾度となく交差され、《モリビトクォヴァディス》の率いるエホバ陣営と、アンヘル陣営が暗礁の常闇に光条を閃かせる。
月面戦線へと赴こうとする相手を必死に抑止するこちら側はほとんど総崩れに等しい。
防御陣さえも意味がないとでも言うように、アンヘルの《スロウストウジャ弐式》が組みついてくる。
それをナナツー搭乗の操主が叫んで霧散させていた。
振る上げたブレードが最新鋭の人機の血塊炉へと食い込み、そして青い血潮を噴き出して二機が沈黙する。
その繰り返し。
怨嗟のままに、人々が争う只中で、エホバ――ヒイラギは問い返していた。
「……本当に檻のない世界なんて、嘘だ。分かり切ったようで、人はこうも繰り返す。かくあるべしと、願っているのに……」
その願いさえも踏みしだいて、現実は前に進む。今、月面戦線へと赴かぬのはアンヘルとしても連邦戦力としても下策なのだろう。
如何にしても前に、という勢いの敵陣営には迷いなど既に振り切れていた。
その陣営の中に十字の輝きを誇る黄金が、跳躍し、そして《クォヴァディス》に飛びかかっていた。
フェイスカバーの外れた、剥き出しの夜叉の人機にヒイラギは問う。
「《ダグラーガ》! 檻のない世界の代表者よ。これが、君たちの答えか……」
『答えなど……拙僧は持ち合わせていない。ただ、彼らの行き場は月面にこそある。それを阻むもの、全てが敵と断じるまで!』
「分かり合えないだけだろう、僕らだって!」
『その恥の上塗りを! 我々だけで止められる領域は過ぎたのだ! 行くぞ、エホバ! この《モリビトダグラーガ》、命燃え尽きるまで戦おう!』
錫杖を振るい上げた《ダグラーガ》の圧を、払い上げたのは《フェネクス》である。黄金の装飾が施された機体同士がぶつかり合い、そして互いの装甲を削った。
『何奴!』
『分かり合えぬとは、こういう……。クロナ、という者はまだまともであった。そこに志を見たからだ! だが、我々人類は、いつまで経っても、あの熟れた星の呪縛から、逃れられないと言うのか!』
レジーナの咆哮と共に打ち下ろした剣筋を、《ダグラーガ》は錫杖で受け、そして切り返す。
『知れた事、既に決定した事だ! 我々は憎しみ合うだけが取り柄のけだもの! 星の罪を代弁したところで、その程度であった! 星を愛したところで、愛される保証なんてなかった!』
「だからさじを投げるって? それは分かりづらいな! 僕にはさぁ!」
《クォヴァディス》が攻勢に割って入ろうとしたのを高出力リバウンド兵装の砲撃が遮る。
大元の艦隊より放たれた赤い巨兵にヒイラギは奥歯を噛み締めていた。
それは最大の魔、それは災厄の純然たる憎しみ。
《キリビトイザナミ》が、眼窩をぎらつかせ、閃光の中に人々を葬る。そこに敵と味方の区別もなく、彼女は何もかもを破壊するために降臨するのみであった。
「……燐華……。僕は君を……」
『宙域の人機に通告ーッ! 《キリビトイザナミ》の射線から離れろォーッ! 高出力リバウンド兵装の巻き添えを食らいたいのかぁーッ!』
その言葉を聞き入れず、一個中隊が前に出る。
グリフィスより離反した 《ブラックロンド》隊であった。
彼らはプレッシャーライフルを携え、ここに偶像たる《ダグラーガ》と《クォヴァディス》に攻撃を浴びせかける。
「見境なしに……!」
『見境? ……そんなもん、あんたらがさじを投げたんやろ! この世界なんて生きている価値なんてないって、あんたらみたいなのがおるから……!』
一機の《ブラックロンド》が跳ね上がり、両刃の武装を跳ね上げる。それを受け止めた《クォヴァディス》は、舌打ちを滲ませていた。
「これも僕の生んだ魔か……」
『墜ちぃや! いい加減に偶像なんて!』
払い上げられた攻撃に、ヒイラギは十字剣で打ち下ろし、さらに連撃を見舞おうとして、相手の攻撃網に遮られていた。
《ブラックロンド》は通常性能上では、トウジャタイプに比肩する。ロンドの名前は、ほとんどラベルだけのものだ。
その一個中隊、ただでさえ厄介な相手にレジーナが《フェネクス》で斬り払う。
『エホバ! 時間をかけ過ぎると!』
「ああ。せっかく行かせたんだ。それならば、僕らには責任がある。ここで泥を被っても……責任が」
『墜ちろ!』
《ブラックロンド》が剣を振るい上げた刹那、ヒイラギはその名を紡ぎ出していた。
「ハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】……。僕に力を」
瞬間、《クォヴァディス》の機影が消失する。
どこへ、と首を巡らせた敵機の背後に回り込んだ《クォヴァディス》は十字剣の一閃を血塊炉に向けて薙ぎ払っていた。
その攻撃を相手は受け止め、剣を掴む。
『……もらった』
戦士としての第六感か。この時、ヒイラギに活路はなかった。
相手のほうが戦い慣れている。ここで墜ちるも、それも止む無し。そうとまで諦めた瞬間、高熱源警告が耳朶を劈いていた。
そのアラートに反応出来たヒイラギは再び、空間転移を用い、敵機から離れる。
次の瞬間、高出力リバウンド力場が宙域を掻っ切っていた。
その攻撃の瀑布に抱かれ、《ブラックロンド》隊が蒸発していく。
この世にあった証明すら残さず、彼らは消え失せていった。
『こんな……! こんなところで終わるのが……グリフィスの……。彩芽……』
最後に言い残した言葉は何であったのだろうか。
いずれにせよ、友軍機すらも巻き込んだ形の災厄――《キリビトイザナミ》が眼光を滾らせてこちらを見据える。
その眼差しには怨嗟と憎悪が見て取れた。
この世界、そして宇宙を恨む、絶対の暗黒。
『《キリビトイザナミ》に敵味方識別は通用しない! 死にたくなければ射線に入るな! 撃墜されるぞ!』
広域通信に人機編隊が《キリビトイザナミ》を通していく。まるで導かれるようにして、ヒイラギはその人機と対峙していた。
「……逃れられぬのなら。燐華。僕はせめて、一刀の下に!」
跳ね上がった《クォヴァディス》に、不意打ち気味に放たれた自律兵装が進路を塞いだ。
「Rブリューナク!」
『モリビトは……敵ィッ!』
放たれたのは幾億の殺意。膨れ上がった思惟そのものがRブリューナクの苗床となって速度を増し、瞬時に射線にいる人機を貫き、破砕していく。Rブリューナクの包囲陣に抱かれたエホバ陣営はすぐさま戦闘不能領域まで追い込まれていた。
『エホバ! これ以上の損耗は!』
爆発の光輪が周囲に咲く中でヒイラギは大剣を《クォヴァディス》に構えさせる。討つべきは、その怨嗟、憎悪の果てだ。
「行くぞ、《クォヴァディス》……。正しい事を成すために、この身は……」
推進剤を焚いてRブリューナクの暴風圏より突破口を見出す。敵陣に踏み込んだ時点で既に下策だ。それでも、前に進む事を止めなかった。
一基のRブリューナクが突き刺さり、《クォヴァディス》の脚部を粉砕する。それでも、不要になったパーツをパージし、分離した速度でさらに加速を増した。
「ファントム!」
空間を飛び越えた重加速に機体が軋みを上げる。悲鳴混じりの《クォヴァディス》を支えるのは稼働し続けているハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】の加護か。それとも、最後の最後まで、焼け落ちるその時まで苦しめとの命か。
いずれにせよ、この時、ヒイラギは特攻の構えであった。
無論、それを看過するほど携えた信念は容易くないのだろう。レジーナが通信に声を張り上げる。
『エホバ! 約束と違う! 最後の最後には、アンヘル艦隊を巻き添えにするのは、全員の総意で……』
「すまない……。僕は君達をそこまでさせられるほどの、人でなしではなかった。……いや、人でなしには違いないか。こうして君らから、戦う以外の選択肢を奪い、こうして宇宙まで上げた。それでも、宇宙はこうも茫漠と……僕らを押し包むのだな。そこに区別なんて存在せず……」
『自決するのならば全員で!』
「駄目だ。ハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】を起動させる。この宙域より!」
コックピット内部が赤く染まる。その視線の赴く先は連邦艦隊で手ぐすねを引く、自らの似姿へと向けられていた。
――白波瀬。君も巻き込んだ。やってはいけない事をやったんだ。
脳内ネットワークにそう結び、ヒイラギは宙域を位相空間へと跳躍させる。
既に半数の人機がこちらの指定座標に吸い込まれていた。《フェネクス》の機体が煽られるように飛び、その手を虚しく伸ばす。
『エホバ!』
《ダグラーガ》の機体が退き、そして静かなる面持ちでこちらを睨んでいた。
『……貴殿が断じた運命は、それでいいのか』
彼には分かるのかもしれない。自分の課した運命の枷が。何をしようとしているのかを。
「……それでも、たった一人の憎まれ役が必要だって言うんなら、僕は喜んで、その責を負う……」
《クォヴァディス》が大剣を掲げる。宙域に亀裂が走り、宇宙が別の領域へと転送されつつあった。
連邦艦隊のうち、《キリビトイザナミ》の整備に回っていた先行艦が引き込まれていく。
それを必死に留めようと、あらゆる人機、あらゆる叡智が結集されたであろう。
しかし、ここでは禁忌が一つ先を上回った。
《フェネクス》が次元の向こうへと消えていく。《クォヴァディス》はそのまま剣を打ち下ろしていた。
「……ごめんね。燐華。君をこんなにも、苦しい戦いに、巻き込んでしまった……。だから、これは贖罪だ。僕なりの、百五十年の……清算なんだ」
その切っ先が《キリビトイザナミ》の頭部コックピットへと突き刺さりかけて、横合いから割って入った人機がその刃を身に受けていた。
『……ヒイラギは……やらせ、ねぇ……』
スロウストウジャの改修機の血塊炉を打ち砕き、《クォヴァディス》が前に出ようとする。その通信域に、燐華の声が響き渡った。
『ヘイル……中尉……、いや……』
直後、劈いたのは叫びだ。燐華の悲痛な叫びが宇宙を震撼させる。別次元へと移りかけていた機体をも引き裂く無情なる殺気が四方八方より注がれ、その殺意に呼応したRブリューナクはこの時、正確無比に――《クォヴァディス》を射抜いていた。
破壊の感傷に抱かれ、ヒイラギは声にする。
肩口に深々と突き刺さったガラス片が、今は異様に遊離して思える。
そこから噴き出す、赤い血潮も。まるで自分のものではないような……。
ははっ、と直後に乾いた笑いを発していた。自分でも可笑しい。
「……何だ、まだ僕は人間未満じゃないか」
それなのに、神を気取っていた。その道化に笑えてしまう。だが、現実はそれを許可しないとでも言うように、降り注いでいた。
Rブリューナク――殺意の雨が《クォヴァディス》の装甲を融かし、その熱線の先にヒイラギを連れて行く。
ああ、と瞼を開いた時、ヒイラギの意識は赤く煙る宇宙を幻視していた。
どこかの宇宙、いずれかの概念の地平。それを目にして、ヒイラギはまたも笑う。
「だってこんなにもちっぽけで、そして……」
弱々しい。その言葉は灼熱の憤怒の果てへと消し飛ばされていた。