「ようやく会えた。ようやく会えたな、モリビトォ!」
戦闘昂揚剤が打ち込まれ、幾度目か分からない鎮静剤の作用で打ち消されていく。
瑞葉の視野は赤く染まっていた。それはモリビトへの憎悪だけではない。閾値を越えた脳髄からもたらされる興奮作用のせいで眼球の毛細血管が切れているのだ。
瑞葉は操縦桿を握る手に力を込める。相手はモリビト一機。雪辱を晴らすのには充分の舞台だ。
覚えず笑い出してしまう。
鎮静剤が脊髄に打ち込まれ、瑞葉は喜悦と悲哀のふり幅を揺れ動いた。
《ブルーロンド》の各所がレッドゾーンに達している。機体反映速度はもう限界だ。ここまでが所詮は《ブルーロンド》の性能。
だが自分は違う。
選ばれた強化兵が一人。さらに言えば、散っていった仲間達の魂が叫んでいる。自分を鼓舞している。
戦えと。モリビトと戦って華々しく勝ってくれと。その凱歌が絶えぬ限り、瑞葉は戦い続ける事を選んだ。
脳内麻薬はもう切れている。激痛が全身を駆け抜ける中、瑞葉は荒々しい呼吸をついて眼前のモリビトを見やった。
「お前さえ……お前さえいなければ!」
装備したのはプラズマソードである。前回、全く敵わなかった相手に接近戦は無謀に映ったのだろう。
後衛の三機から通信回線が飛んできた。
『瑞葉隊長! 今は撤退を! そうでなくとも、我々の極秘作戦は割れてはならないのです! 狙撃に失敗した時点で、後退するべきだと作戦指揮官は――』
「うるさいぞ! 今、わたしが戦っている!」
その一声で黙らせ、瑞葉はプラズマソードを《ブルーロンド》に構えさせた。あえての正眼。相手を殺すのに、奇をてらった構えは必要ない。
モリビトもこちらの殺気を汲んだのか、手にした大剣の出力が上がった事を《ブルーロンド》のモニターが告げる。
「わたしに合わせた? ……いいぞ、いい心地だ! モリビト!」
迸った叫びと共に《ブルーロンド》が疾走する。機体の各部が火花を散らしつつ瑞葉の命令に同調した。
摺り足の《ブルーロンド》が狙ったのはただ一つ。コックピットがあるはずの相手の胸元である。
当然の事ながら向こうも熟知しているだろう。こちらの太刀筋程度は読めて然るべき。
しかし、瑞葉は以前までの強化兵ではない。
ただ安穏と強化の日々を「最適」と判断していた瑞葉はあの時死んだのだ。
今は地力で「最善」を選び取る。
あの日、散っていった枯葉達のために。何よりも、芽生えたこの感情のために。
通常の強化兵ならば余分としか思えない胸に脈打つこの反逆の狼煙は、血潮と混在一体となって鋼鉄の巨躯を打ち鳴らす。
《ブルーロンド》が瑞葉の憎悪に反応してプラズマソードの軌跡を無理やり折れ曲がらせた。
ほとんど直角に近い軌道偏向。通常の人機ならば不可能であった。通常ならば、の話だが。
瑞葉の操る《ブルーロンド》には「第二の関節」が存在していた。それは瑞葉のためだけに、上官の用意した特注製である。
瑞葉の戦闘時の昂揚に呼応し、《ブルーロンド》の肘関節に微妙でありながら、もう一つの関節軸による全く違う動きを発生させる。
それは通常の人機との戦闘においてはほとんど役に立たない仕様であった。
相手の懐に飛び込み、同じ程度の戦力で斬り合うのならば、この「第二の関節」は必要ない。
相手が余りに常軌を逸した存在の場合のみ――つまり対モリビト戦でのみ意味を持つ兵装。
しかも近接戦闘用の青いモリビトの時でしかこの仕様は百パーセントの発揮さえも成されないであろう。
事実この時、瑞葉の駆る《ブルーロンド》のプラズマソードの軌跡は敵の読んだその軌道からは外れていた。
「第二の関節」が正常稼動し僅かな差でありながらモリビトの正確無比な斬撃を超えたのである。
勝利を、瑞葉は予感する。
相手の剣筋も無論、《ブルーロンド》に叩き込まれるであろう。その帰結する先がたとえコックピットへの直撃であっても、次の瞬間には自分の身体が膨大な熱量に押し潰されても、瑞葉は勝利を渇望した。
そして、その時は訪れたはずであった。
一発の銃撃が《ブルーロンド》の肩を打ち据えた事を認識するまでは。
銃弾に、《ブルーロンド》はよろめく。元々それほど耐久力に秀でていないロンド系列のフレームはこの時、微細な動きに全神経を集中させていた機体バランスに悪影響を及ぼした。
肩への強烈ではないが、確かな一撃。
それは《ブルーロンド》がフル稼働させていた「第二の関節」への機能を一時的であったが奪った。
そして――その一撃が明暗を分けた。
《ブルーロンド》がたたらを踏んだ瞬間、モリビトの大剣が機体の腹腔に直撃する。
狙っていたのは恐らく頭部であったのだろうが、今の一撃に対応した速度の差であった。
大剣が《ブルーロンド》を引き裂き、ダメージフィードバックが瑞葉の神経を掻き毟る。
激痛に瑞葉は意識を保っていられなかった。
元々、殺すためだけに来たようなもの。その殺意の一点を濁らされた瑞葉には、昏倒以外の選択肢は存在しなかった。
「モリビ、ト……おのれ……」
瑞葉はコックピットの中で音もなく意識を閉ざした。
突然に相手の狙いが逸れた。
その理由は《ブルーロンド》の肩に命中した弾丸だろう。鉄菜は振り返ると、一機の《ブルーロンド》が回り込んで狙撃銃を構えているのを目にしていた。その接近に気づけなかった自分も迂闊であったが、相手は確かに自分ではなく、味方であるはずの《ブルーロンド》を狙った。その一撃の奇妙さに気づいたのは《シルヴァリンク》の太刀筋が《ブルーロンド》の機体を両断してからであった。
胴体を断ち割られた《ブルーロンド》に反撃の術はない。倒れ伏した《ブルーロンド》に鉄菜は今までに感じた事のない、全身の毛が逆立つ感情を覚えた。ここでこの機体と操主を逃がしてはならない。警告の感情か、と一瞬思ったが違う。警告にしては、全身を奮い立たせるようなこの感覚は正体が掴めない。
ただ、この根源である《ブルーロンド》の操主を生かしてはおけない。Rソードを発振させた《シルヴァリンク》に割って入る形で狙撃した《ブルーロンド》が肉迫する。
「今度はこちらに?」
振るった刃を掻い潜り、《ブルーロンド》が果たしたのは今しがた自分の刃の前に倒れた味方機の回収であった。
人機のコックピットがある頭部を切り離し、《ブルーロンド》が狙撃銃を構える。
「逃がすわけ……」
殺意を振り向けようとして残る二機の《ブルーロンド》からの集中砲火が見舞われた。何があっても特攻してきた《ブルーロンド》と操主を逃がすというのか。
《シルヴァリンク》で突破出来ないほどではないが、無理をすればまたしてもブルブラッドの貧血に見舞われる。
《シルヴァリンク》の補給は充分ではないのだ。深追いすれば追い込まれるのはこちらのほう。
鉄菜は《シルヴァリンク》を後退させた。
相手方も纏ってコミューンの天蓋を打ち砕いて脱出しようとする。
《ナナツー》部隊がようやく我に帰ったように《ブルーロンド》に銃撃を見舞ったが全て遅い。
空を割って《ブルーロンド》は紺碧の大気へと姿を消していた。
そこいらで燻る炎がてらてらと《シルヴァリンク》の銀色の装甲に照り返る。
《ナナツー》部隊が息を呑んだのが伝わった。こちらに無用な攻撃はしてこないだろう。
「……《モリビトシルヴァリンク》。一時撤退する。《デミバーゴイル》は恐らく全滅した。生き残っていても戦力にはならないはず。報告を《インペルベイン》と《ノエルカルテット》に」
『受け取ったわ、鉄菜。散々だったみたいね』
モニターされているのか。鉄菜はさもありなんと突入経路を遡り、コミューンの出口を目指す。
やはり、というべきか出入り口の扉の前で重火器編成の《ナナツー》が陣取っていた。
両肩に四門のミサイルポッド。両腕には荷重耐久度を無視した遠距離射程の滑空砲。
逃がすつもりはないのか、と鉄菜は《シルヴァリンク》にRソードを構えさせる。
重装備の《ナナツー》が今にも砲撃を見舞おうとした瞬間、横合いから獣型の人機が《ナナツー》へと飛びかかった。ロデムの電磁牙が《ナナツー》の武装を噛み砕き、砲身を引き千切る。
その隙に《シルヴァリンク》は《ナナツー》を跳び越え、扉の自動認証に入った。既にロデムが手を回してくれていたのか、数秒程度で外気とコミューンを分ける隔壁が開かれていく。
逆巻いた大気に《ナナツー》の操主は後退を判断した。コミューンの中で生きる者達にとってしてみれば毒でしかない外気に触れるのも及び腰だ。
《シルヴァリンク》はロデムを引き連れコミューンから脱出を果たす。
追撃マーカーが完全に消え失せてから鉄菜はようやく息をついた。
あの《ブルーロンド》は何だったのか。答えは出ないままだ。
『鉄菜。《ブルーロンド》に関して報告をするマジか?』
「するしかないだろうな。向こうもモニターしている。こっちからしてみれば、全く身に覚えはないんだが……」
あの《ブルーロンド》の操主からは確かに殺気が感じ取れた。だがいちいち因縁を思い返していればキリがない。
自分達はこの惑星を敵に回したのだ。一個ずつの因縁など吐いて捨てるほどある。
距離が開いていく白亜のコミューンを後にして、鉄菜はここから先の事に思索を巡らせる。
これから先、オラクルはどう対応を取るつもりなのか。
国際社会の矢面に立った独立国家はモリビトの介入によって無事収束する形となるのだろうか。
否、そうはならないだろう。
バーゴイルの紛い物の事を思い返す。
あれを輸出したのがゾル国だとすれば、今度は独立などという生易しい現実ではない。
ゾル国がC連合の小国をけしかけて大国を揺さぶろうとした、という動かぬ証拠となる。
たとえゾル国の関知するところでないにせよ、スキャンダラスなニュースを演出するのには充分な起爆剤にはなったのだ。
この先世界がどう動くのか。鉄菜は《シルヴァリンク》のリニアシートに抱かれたまま、遠ざかるコミューンを一瞥するのみであった。