ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯340 最後の嘘に

「……《ナインライヴス》。シグナルダウン……。操主信号、途絶えました……」

 

 クルーの声にニナイは面を伏せる。ここまで来たのだ。犠牲はあるのだと、分かっていた。それは分かり切っていたはずなのに。

 

 それでもなお、色濃い喪失の悲しみが胸にぽっかりと穴を開ける。彩芽を失った時以上に、今は一人でも欠きたくはなかった。だが、現実はどうだ。

 

《トガビトコア》一機に、全ての状況は掻き乱されている。ここまで順風満帆にうまく行っていたわけではない。それでもどこかで楽観視していたのは否めないのだろう。

 

 勝ち抜けると、戦い抜く事が出来るのだと思い込んでいた。思いたかった。だからこそ、《ナインライヴス》のシグナルが完全にロストしたのを誰もが信じたくはなかったのだろう。

 

 声も出せないニナイに、茉莉花の叱責が飛ぶ。

 

「しっかりなさい、艦長。《イドラオルガノンジェミニ》がプラントに入ったわ。今からでも取り返せる戦局よ」

 

 背中を向けたままなのは彼女にも思うところがあるからだろうか。ニナイは、でも、と声を搾っていた。

 

「また……私は間違えたのね……」

 

「間違えてない。この戦いをうまく回している。《トガビトコア》がいい塩梅に敵の戦力を減らしてくれたお陰で《イドラオルガノンジェミニ》はプラントへと入れた。恐らく、敵からの逆探知もないでしょう。問題なのは、敵機からこちらまでの守りが手薄な事よ。《ゴフェル》へと、次は仕掛けるでしょうね」

 

 どこまでも冷徹な茉莉花の声音にニナイは覚えず反発していた。

 

「……どうして。どうしてそんなにいつも通りでいられるの! 桃が、死んでしまった……」

 

「まだ分からないでしょうに。シグナルが消えただけで生きている可能性もある」

 

 それは嘘だ。いや、慰めでもない。シグナルが宇宙で消える意味を分かっていないはずがないのに。

 

 拳をぎゅっと握り締めたニナイは言葉を吐いていた。

 

「分かっているんでしょう! 桃が、死んでしまえばこちらの陣形も――!」

 

「ニナイ! 泣き言を聞くためにここでクルー達が顔をつき合わせているわけじゃない! それはそのはずでしょう!」

 

 返ってきた怒声にニナイは絶句していた。茉莉花はあくまでこちらに顔は向けないまま、言葉を継ぐ。

 

「……もっと有意義に時間を使いなさい。そうでなくては本当に読み負ける。まだ、ミキタカ妹と、それに鉄菜がいる。希望は潰えていない」

 

 だが、その程度の戦力でどうなるというのだ。鉄菜は定期通信の時間を過ぎているのに、まだ連絡を寄越さない。それが全てではないのか。何よりも雄弁に、この絶望的状況を物語っているではないか。

 

 今まで、鉄菜ならば大丈夫だと……否、この執行者達ならばどのような船旅であれ、どうにかなるのだと希望を繋いでいた。

 

 しかし、鉄菜の連絡が途絶え、桃が目の前で散った今、何を信じればいいのか。ニナイは艦長としては失策だと分かっていながらも声を張り上げていた。

 

「でも……でも、今まではどうにか出来た……。でもこれはブルブラッドキャリア本隊との血で血を洗う最終決戦……。こんなどん詰まりで、希望なんて簡単に振り翳せないわよ! 違うの?」

 

 その言葉に暫時、沈黙が降り立つ。言ってはいけない事だと分かっていた。それでも問わずにはいられなかったのだ。

 

 茉莉花は振り向かない。そのまま、彼女はぽつりと口にする。

 

「……希望なんて振り翳せない、か。艦長の口からだけは、聞きたくなかったよ」

 

 向き直った茉莉花はつかつかと歩み寄り、その手を払っていた。乾いた音がブリッジに響き渡る。

 

 ニナイはその瞬間、茉莉花の瞳から浮かび上がった涙を目にしていた。

 

「希望なんてない? 絶望だけだって? ……そんなの、今さらだろうに! だがお前達は! そんな状況を覆してきた! そんなの知るものかって、いつもいつも……! いつもだったはずじゃないか……。なのに、古巣に刃を向けた途端、気弱になるだって? そんなの、願い下げだ! そんな安い覚悟で、今まで来たって言うのか? そんな脆い代物で、今まで戦い抜いてきたんだと……そう言いたいのか! 何とか言え! ニナイ!」

 

 ニナイは完全に返す言葉を失っていた。茉莉花のほうが戦力分析には長けている。ゆえに、この状況を一番に読んだのは彼女のはずであった。だから覚悟出来ていないはずがないのだ。自分は、いつの間にか茉莉花に甘えていた。このクルーならば出来る、と、漠然とながらも確信していたのは、何も目先の希望だけではない。

 

 六年前――あの日より鉄菜達が生き方を変えてくれたからだ。生き残った先にある未来を、掴もうとしてくれたからに他ならない。だというのに自分は、また手前勝手に絶望に逃げようとした。彩芽を失った時のように、自暴自棄になって。

 

《ゴフェル》それは希望を載せた舟。そう言ってのけただけの胆力はどこへ行った? アンヘル艦隊と一騎討ちをして見せたあの絶望を退ける勇気はどこへ行ったのか。

 

 自分は誰かに縋って勇気を振り絞っていた弱虫だったのか。

 

 ――否。断じて否のはず。

 

 今までも、これからも。世界を切り裂き、未来を掴むと決めた志は何者でもない、自分のものだと。そう言い切れなくて断言出来なくて、何が散ったものへの懺悔だろうか。

 

 どれだけ無様でも、不格好でも、生き抜くための方策を練る。そして実行するのが《ゴフェル》の……クルー達の命を預かる艦長の役目だ。決して弱音を吐く事ではない。

 

 むしろ、逆境ほど笑ってみせろ。それが、彼らを導く唯一の……。

 

 ニナイは背を向けた茉莉花に言葉を送ろうとして、遮られていた。

 

「言っておくが、余計な感傷は要らない。それくらいなら新たな作戦を指示しろ。まだ、終わっちゃいないんだ」

 

 そうだとも。まだ終わっていない。まだ、挽回の策は残されているはず。

 

 ニナイは甲板の守りについているタカフミと瑞葉へと通信を繋いでいた。

 

「アイザワ大尉、それに瑞葉さん。多分、敵は《ゴフェル》を真っ直ぐに狙ってくる。《カエルムロンドカーディガン》と、《ジーク》で押さえて欲しい。もちろん、逆転の目はある」

 

『そいつは心強いぜ。それに、こっちからも見えてるからよ』

 

「見えている……? 何が……」

 

 呆然と問い返したニナイにタカフミは自信満々に言い放つ。

 

『何って、逆転の目って奴だろ? 《トガビトコア》、だったか。あんの野郎、確かに火力は馬鹿違いだ。だが、何となくだが弱点は見えた。倒すのは難しいが、近づけないなら方策はある。な? 瑞葉』

 

 思わぬ返答に瑞葉からも声が上がる。

 

『ニナイ艦長。守りは任せて欲しい。時間は稼ぐ。しかし、撃墜となれば話は別だ。その前に、作戦は……』

 

「安心しろ、二人とも。作戦ならばある」

 

 遮って放った茉莉花の声に、ニナイは感極まりそうになりながらも、ぐっとそれを堪えた。

 

 そうだとも、艦長が打算のない言葉を吐くのは、それは全てが終わってからでいい。それまではせいぜい虚勢を張れ。そして、嘘でも冗長でもいい。勝てる、と言ってのけてみせろ。それが恐らく、彩芽とルイの託してくれた未来そのものなのだろう。

 

 まだ漠然としている。勝てると言う確証でもない。だが、ここで勝つと言わなければ、いつのたまうと言うのだ。そうだ、自分は勝利以外、口にしてはならない。

 

「……安心してちょうだい。二人の作戦成功は保証します」

 

『そいつはありがたいな。いい指揮官だ』

 

『クロナが帰ってくるまで諦めるつもりはない。あの人機、押さえてみせる』

 

 二人分の勇気をもらい、ニナイはクルー達に謝罪しかけて一人が手を払っていた。

 

「月面で……俺達の代わりにあのクソッタレな本隊に啖呵を吐いてくれた艦長を、裏切るわけがないでしょう」

 

「ええ、とことんまでお供しますよ」

 

 覚えず目頭が熱くなる。しかし、まだ泣いていい時ではない。泣いていいのは、今じゃないはずだ。

 

「……ありが……。いいえ、《ゴフェル》、全速前進! 月面のプラントまで押し切ります! そして私達は掴まなくてはいけない。まだ見ぬ未来を!」

 

 了解の復誦が返り、ブリッジを一体感が満たす。ニナイは月面からこちらを睥睨する《トガビトコア》を見つめていた。拡大モニターに映し出されたその姿へと宣戦布告する。

 

「……まだ、負けてない。私達は、絶対に負けない」

 

 


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