ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯337 歪みのカタチ

『……鉄菜……。……あり得ない……。あり得ちゃ、いけないんだ――!』

 

「目を逸らすな! 私はここにいる! ここに、お前の前に立っているのが、鉄菜・ノヴァリスなんだ! あの日々を、忘れたわけじゃない。あれも現実ならば、これも現実なんだ。だから……逃げるな! 燐華!」

 

『鉄菜は……でもだって……、鉄菜が、モリビト……? でも、あたし……。モリビトは……モリビトは……』

 

「燐華! 私はここにいる! お前から逃げたりはしない!」

 

『そこまでだ! 大仰なパフォーマンスなんてしたって! 所詮お前らは、テロリストだろうが!』

 

《ゼノスロウストウジャ》が割って入ろうとする。それを自動操縦の《モリビトシンス》が片腕で受け止めていた。機体の操縦系はゴロウが一任してくれている。鉄菜は一拍頷き、燐華へと言葉を振りかけた。

 

「燐華。私はかつて、……いや、今も、か。お前を裏切った。死を偽装し、世界をたばかってきた。だが、それはいずれ来る世界の変革のためなんだ。世界は、変えられる。変わらなくてはいけない。変わらなければ、いつまでも、だ。いつまでも合い争い続ける。そんな悲劇は、ここで打ち止めにしたい。それが私達の願いだ」

 

 そう、願い。この口をついて出る意志は願いそのもの。純粋な、祈りの果てのエネルギー。ゆえにこそ、今の自分の言葉ならば燐華に届くと信じていた。

 

 燐華はキリビトの向こう側で困惑する。

 

『……本当に、鉄菜、なの? ……でもモリビトが……。モリビトから、鉄菜が出てくるはずがない! モリビトは……だって……!』

 

「目を背けるな! 燐華! 不都合な現実から目を背けたって、それはいずれ来たるものを遠回しにしているだけだ。遠ざけたって、結果は変わらない。だったら、少しでもいい未来が欲しいはずだ! そのために、私は戦って……」

 

『……ふざけるなよ。モリビトが、だったら隊長が死んだのも! アイザワ大尉がいなくなったのも! よりよい未来のためだって言うのか! 未来という言葉だけで、お前は全ての犠牲を是とするのか!』

 

《ゼノスロウストウジャ》の操主からの怨嗟に、燐華の声音が変位する。

 

『……そう、そうだった。……隊長……にいにい様がいなくなったのは……モリビトのせい。モリビトが、あたしの目の前でにいにい様を殺した。殺し、……たんだ! だから! モリビトは……敵ィッ!』

 

「……言い逃れをするつもりはない。その隊長とやらを殺したのは私かもしれない。だが、燐華! 呑まれるな! ハイアルファーの濁流に! それは破滅の道だ!」

 

『鉄菜は……鉄菜はだって……優しかった。あたしの全てだったのに……っ! にいにい様がいなくなったのも、あたしを誰も必要としてくれなくなったのも、全部! モリビトが壊したからだ! 世界を破壊したからなんだ! だから、あたしが今度は壊し返す! そうしないと……何のために死んだって言うの……鉄菜は!』

 

「……燐華……」

 

 もう、分かり合えないのか。そう感じた瞬間、《モリビトシンス》を挟み上げるクローの力が増した。このまま挟み潰すつもりだろう。ここが分水嶺だ。読み間違えれば自分だけではない。ブルブラッドキャリアの……《ゴフェル》の未来が潰える。

 

『鉄菜! もう戻れ! ハイアルファーに呑まれた操主は普通ではない! それはお前が一番に知っているだろう! 正常な判断じゃない相手だ! 倒すしかない!』

 

「まだだ! まだ……まだあるはずなんだ。燐華! 私はお前に、まだ伝えなくてはいけない事がある!」

 

『何を……まやかしが何をぉ……っ!』

 

 鉄菜は操主服のヘルメットに手をやる。一瞬だ、そう分かっていても指先が硬直した。

 

 ――本当に、これでいいのか?

 

 一生後悔しても、否、死んでも後悔し切れないかもしれない。

 

 ――だが、友情を裏切るのは、もう嫌なんだ。

 

 答えを返した刹那、鉄菜はヘルメットのバイザーを上げていた。

 

 無音の世界に鉄菜の呼びかけが木霊する。それをモニターしていたゴロウが叫んでいた。

 

『何をしている! 鉄菜!』

 

『……嘘でしょう? ……鉄、菜……?』

 

 瞬きの一瞬であったかもしれない。それでも、燐華を納得させる術はこれしかなかった。バイザーを閉じ、鉄菜は生命維持装置が再稼動するまでの数分間、眩暈を覚えていた。

 

 さすがに造られた血続といえども宇宙空間で無酸素状態を数秒続ければどうなるのか。分からないわけではなかったはずなのに、これしかないのだと何かが告げていた。

 

 膝を折った鉄菜へと《ゼノスロウストウジャ》の操主が茫然自失に声にする。

 

『……こんな……こんな事をやるなんて……』

 

『本当に……鉄菜、なの?』

 

 燐華の声音に希望が宿る。そうだ、自分が、と言いたいところであったが、無酸素の影響で視界が暗転しかけていた。声を出そうにも、肺が通常の動作を回復するまでには時間がかかる。

 

 それでも、精一杯に頷いた。燐華は声を振り絞る。

 

『ああ……! 鉄菜……ぁっ! 生きて、生きていてくれたなんて……。夢みたい……また、あなたに会えた……。ねぇ、鉄菜。もう一度、あたしの名前を呼んで? 呼んでくれればきっと……。……あたしは、何でこんな場所にいるの? 確か教室で、授業を受けていたはずなのに……。変な夢。でも、鉄菜、そこにいるんでしょう? だったら、あたしの手を引いて! あの日みたいに、あたしの手を……』

 

 クローが緩んでいく。同期して稼動したもう一方のクローに燐華は本当に疑問のような声を出していた。

 

『……変な手。何で人機の腕なんだろ……。ねぇ! 鉄菜! 夢の中でもお話出来るなんて思わなかった! もう一度、ねぇ、もう一度よ! あたしを……大好きな鉄菜……あなたの声で導いてくれれば、きっと……』

 

『……ヒイラギ……お前……』

 

 分かっている。燐華はここで自分が救い出さなければ一生、過去の牢獄のままだ。今、立ち上がらなくて如何にする。今、燐華の名を呼ばなくていつ呼ぶのだ。

 

 今呼べば、まだ戻れる。まだ引き返せるはずなのだ。だが、身体が回復までにかかる時間はどう見積もっても二十秒以上。

 

 その間に、何とかして燐華をこちら側に呼び戻さなくては。萎えかけた肉体に熱を通し、鉄菜は立ち上がろうとする。

 

『……鉄菜! ステータスが蘇りつつある。今ならば離脱挙動に入れる。《キリビトイザナミ》と《ゼノスロウストウジャ》を振り切って、月面に行くしか……』

 

 その前に、燐華を呼び戻さなくてはならない。ここで、自分が踏ん張る以外に選択肢はないのだ。

 

 ――声よ、出ろ。

 

 ――身体よ、動いてくれ。

 

 願っても、どれだけ精神を強く持っても、それでも時間は無情であった。

 

『……鉄菜? ねぇ、本当に鉄菜なんでしょう? だったら、呼んで! あたしの名前! 仏頂面で、あなたの声で! 燐華・クサカベって! いつもみたいに!』

 

 そう、燐華からしてみれば、六年前も「いつも」の延長なのだ。

 

 あの日、日常が崩れ落ち、何もかもを失った少女は、今もまだ牢獄の中で喘いでいる。助けを乞うている。それなのに、自分は何なのだ。

 

 今、やらなければ、いつやると言う。

 

 満身から叫びを発しようとして、不意打ち気味の通信が遮っていた。

 

『――愚かだよ、鉄菜・ノヴァリス』

 

 その声の主を確かめる前に絶叫が迸っていた。燐華の悲鳴に鉄菜は覚えず目を見開く。

 

「……な、にを……」

 

『鉄菜・ノヴァリス。執行者だな。はじめまして、というべきか。同じような個体とは面識があるはずだが、わたしははじめましてのはずだ。我が名は人間型端末、調停者、白波瀬。君が六年前に行動を共にした水無瀬、そしてアムニスを牛耳る渡良瀬とは同型機となる。わたしの計画に、彼女……燐華・クサカベは必要不可欠でね。ここで欠くのは惜しいんだ。だから、ちょっと弄らせてもらった』

 

「なに、を……、貴様……」

 

『もう喋れるじゃないか。タッチの差だったな、まったく。この世は不条理で出来ている。それは君も理解しての事だろう。そして、これもよく身に沁みて分かっているはずだ。世界に蔓延する悪意。往々にして、それが勝利する。世の常だよ』

 

 燐華の涙声に鉄菜は必死に通信を繋ごうとする。

 

「燐華! 私だ! 鉄菜・ノヴァリスだ! どうして……」

 

『だから、タッチの差であった、と言っているだろう。わたしの脳内ネットワーク回線が繋がったのがつい一秒前。だが君はその運命の前に敗北した。そう……いい言葉だな、運命。ヒトはそれに翻弄され、そして時に道を踏み誤る。彼女の経歴を遡って調停者であるわたしでも驚いたよ。桐哉・クサカベの妹であり、そして元々は大きな疾病を抱えていたようだが、それは血続由来のものであった。必死にその診断書を隠し、偽装していたのが保険医として紛れ込んでいたヒイラギ……いや、エホバだ。エホバは全ての権限を使い、彼女を世界から守ろうとした。何故か。今ならばよく分かる。起爆剤だよ、彼女の存在はね。ハイアルファーの精神汚染を受けてもちょっとの幼児退行程度で済み、なおかつそれをほとんど使いこなす。先天的な操主センスと、血続としての高い適性。ここまで言えば、君なら分かるだろう?』

 

 鉄菜はその可能性の赴く先に目を慄かせた。

 

「……まさか。惑星においての……」

 

『純正血続! そうだとも、素晴らしいと思わないかね? 完璧な血続だ。ブルブラッドキャリアの造り上げた紛い物や、アンヘルに多く所属していた血続の成り損ない達とは違う! これこそ、人々を先導するに相応しい、本物の血続なのだよ! わたしの手に、今それはある。だからこそ、素晴らしい。この世界は、とてもいいギフトをわたしに与えてくれた……!』

 

 感じ入ったかのような白波瀬の言葉とは裏腹に燐華の苦痛の悲鳴が通信を劈く。

 

「何をした……。燐華に、何をしたんだ!」

 

『……意外だな。熱くなるのか、作り物風情が。まぁ、いい。わたしも広義には君と同じだからね。なに、ちょっとハイアルファーの深度を上げただけだ。今まででも五割の深度だったんだが、それを八割まで引き上げた。ハイアルファー【クオリアオブパープル】は凄まじいハイアルファーだ。考えるだけで、それを物質世界に反映させる事が出来る。これを利用すれば理想世界に辿り着くのはこのわたし! 調停者、白波瀬だろう。エホバでも、そして渡良瀬でも無理であった領域だ! 彼らは愚か者であった。片や、自分一人で百五十年の罪を背負い、自分だけで何もかも出来ると思い込んだ出来損ない。片や、自分の力を見誤り、自らこそが世界を導く絶対者だと勘違いをしたクズの果て。だがわたしは違う! 彼らの辿った愚は冒さない。エホバの理想は高過ぎる。あんなもの、今の人類では到達出来ない。無論、進化した血続でさえも。だが、燐華・クサカベ。彼女一人をここで人柱にすれば、大きく血続研究は飛躍する! それこそ、本物の血続の完成だ! 青い霧の中を闊歩出来る、純正血続をわたしが! この白波瀬が作り上げる! 新世界の幕開けに、わたしという絶対者が存在するのだ! それを、君は見届けるといい。最も近く、そして遠い場所で』

 

「ハイアルファーの深度を戻せ! 燐華! 私だ! 鉄菜……」

 

『――うるさい』

 

 拒絶の声に鉄菜は振るい上げられたクローを仰いでいた。

 

 常闇の中、赤い巨躯が身じろぎする。

 

『……分かっていた。分かっていたんだァッ! 鉄菜は死んじゃったんでしょ? にいにい様はあたしを置いて、死んじゃったんでしょ? 隊長も、アイザワ大尉も……みんな! みんな! あたしを置いて遠い場所に行っちゃったんだ! みんないなくなったのなら! ――お前も、いなくなれぇっ!』

 

 打ち下ろされたクローの一撃が《モリビトシンス》の肩へと食い込む。その衝撃で鉄菜は宇宙空間を漂った。《ゼノスロウストウジャ》の操主の声が響き渡る。

 

『ヒイラギ! ハイアルファーを切れ! 今のままじゃ、お前は……!』

 

『うるさい、うるさい、うるさい! うるさい! みんないなくなったんだ! だったらこんな世界、消えちゃったほうがいい!』

 

 クローが開き、その間を電磁が行き交う。光速の素粒子が破滅の稲光を刻み込んだ。

 

 鉄菜は堕ちていく世界の中で、ああ、を手を伸ばす。

 

 救えなかった。守れなかった。……傍に、居てやれなかった。

 

 その悔恨ばかりが脳裏を掠めていく。

 

 どれほど魂を削っても。どれほど想っていても伝わらない。何もかもが手遅れ。何もかもが……この世界には意味がなかった。

 

 ――だが。

 

 鉄菜は拳を握り締める。骨が浮くほどに握り締めた拳の向こう側で、紫色の雷が飽和して放たれた。

 

『リバウンド――ッ! ブラスター!』

 

 その一撃は流星の如く、無辺の闇を切り裂いていた。

 


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