『……鉄菜。君とあの操主は何を見た?』
システムであるゴロウには分からなかったのだろう。あるいは、分かっていても追及したいのだろうか。
自分でも明確な判別手段は持たない。ただ、あの場所で紡いだ言葉は真実なのは、この胸を伝う血脈と鼓動がはっきりさせていた。
「……分からない。だが、あそこに向かうべきなんだ。命は投げ出されたその瞬間から、あの場所に向かい、そしてまた新たなる命と繋がっていく。それが、きっと在り方として……」
否、正しいか正しくないかの議論ではない。これは、自分の中でも不明な何かが告げる、命の行方なのだろう。
それが何なのか、明確な術はこの物理宇宙では失われている。だが、いずれは、という思いはあった。いずれはあの暖かな宇宙で出会える。再会出来る命がある。だから、と鉄菜はアームレイカーを握り締める。
「……だから、私は、ここでは死ねない。死ねない理由が、出来た」
『……それは執行者として、か?』
ゴロウの問いにどうしてだろう。今までならば答えるのも難しかったが、この時だけは明瞭な言葉を結べた。
「それは、私もまた、命だからだろう。命だから、責務があるんだ。繋ぎ、紡いでいく責務が。それを私は、彩芽から……林檎から……そして《ゴフェル》のみんなから教わった。だから、進む。進まなくてはいけない」
一度投げられた命は、前に進む。そうでなければ命としての価値を放棄している事になる。死という闇がその先には広がっているのかもしれない。あるいはもっと残酷な、どうしようもない運命が。
だが、それを恐れて前に進まなければきっと命の灯火にはなれない。何よりも、紡がれていく命がこうも眩く宇宙を照らす事を、自分は知ったのだ。
ならば、命の明るさに対して報いなければいけないはずだ。
鉄菜はゴロウへと質問していた。
「……ゴロウ。元老院時代、お前達は……生きるために生きていたのか? それとも、惰性でああなっていたのか?」
どうして、そのような問いに意味があると感じたのだろう。ただ、今だけは、ここにあるもう一つの命に敬意を表したかったのかもしれない。
ゴロウは一拍の逡巡の後に答えていた。
『……分からない。本当に分からないんだ、鉄菜。我々は個体であった。レギオンはそれに比して総体であるがゆえに我らに打ち勝ったのだ。しかし……レギオンでさえも陥落し、そして何が正しいのか、全てがまた混迷の中に投げられたこの世界で……我々が生きていた、という証は恐らく存在しないのだろう。義体であった、という対外的な理由だけではない。きっと我々は、生きる証を刻むのに疲れ果てていたのだ。ヒトは、生きているだけで何かを刻む。それが大なり小なり世界に影響する。しかし、我ら元老院は、静謐を望んだ。百五十年の停滞はそのせいだ。我々の罪なんだ、鉄菜。星の人々を鎖に繋ぎ、支配しているつもりになっていた道化……。この六年間、君らと共に在った時間は百五十年の沈黙に比べれば遥かに短い。ほんの一刹那だ。だが、それが眩く、そして何よりも得がたいものに思えたのは、何故なのだろう……。鉄菜、それは分からないんだ。簡単に答えを出していいものじゃないのかもしれない。それとも、答えなど遥か昔に出ていたのかもしれないな。それこそ人間であった頃に。ただの……人間であった頃、に……か』
ゴロウがただの人間であった頃、それは星の人々が大罪を犯す前であろう。だが、その時を、このシステムAIであるはずの彼は懐かしむ事が出来る。どこかで羨み、そして正しかったのはどちらなのか、問い質す事が出来る。それだけでも充分に、彼には存在するのだろう。
――心、か。
分からない。まだ、答えは得ていない。
あの涅槃宇宙を目にしても、あるいは体感してもそれでも分からないのだ。
本当に、彩芽の言った通り、答えはこんなにも単純であったのだろうか。心は、この胸の中、脈打つ心の臓ではない。ましてや脳にあるのでもない。
茫漠とした、この身体。衝き動かす、力ある何か。
それを心と呼ぶのか。だがそれらは答えを得ようと手を伸ばしても、滑り落ちていく砂のよう。
「……お前達がそう思えるのならば、きっと未来があったのかもしれないな。星の未来、か」
『鉄菜、今、星の未来はほとんど暗闇の内だ。アムニスを倒さなければ星の未来は天使を名乗る者達に支配されるであろう。エホバも、彼の者の思想にも異を唱える。確かに、それは幸福かもしれない。だが、世界が切り拓いてきた今までを否定する行為だ。無論、君達ブルブラッドキャリアの道も、ね。報復作戦のために戦い抜き、世界を変えるとのたまった君達からしてみれば、エホバの示す道は安寧であろう。それも、思考を放棄した、惰弱の末にある代物だ。何かを信じればいい。それは勝手だ。だが、それを信じれば、では救われる、は違う。それは違うはずなんだ。救いを求める世界はあれど、救われるために惑う世界は違うはず。順序が逆だ。エホバは混乱を星にもたらした。だから、鉄菜。君の報復はまだ終わっていない』
「……お喋りだな。いつもと違う」
『そうかもしれない。いや、実際のところ、君達の見たであろう先ほどの何かは全く……モニターの意図から外れていたんだ。我らには見えない何かを、人間である君達は見られる。それが単純に……羨ましく、そして懐かしいのだろうな』
「人間である私達は、か。だが、ゴロウ。私は――」
『人造血続、か。そのような繰り言、最早一番に意味がないのだと自分で知っているのだろう? それに頓着する仲間もいなければ、今さら問い質したところで意味がないとも』
見透かされている。いや、これはもう、言い飽きた、振り翳しても仕方のないプライドの一つか。
傲慢に成り果てているのは自分も同じ。あの男だけではない。
人造血続だ、造られただけの存在だ――だから思考を放棄する。だから、何も考えないで戦えばいい。
それは違う、違っていいはずだ。
彩芽や林檎が繋いでくれたのはきっと、そんな冷たい答えではないはずだから。だから戦える。だから、明日を見据えられる。
「……すまないな、ゴロウ」
『いいさ。月面に向かうのだろう? それまでの戦力試算をしておこう。《モリビトシンス》一機でどこまでやれるか……。あの《トガビトコア》という人機も計算外だ。あれがどれほどの戦力で立ち向かってくるのか、データが乏しい』
梨朱・アイアス――。前回、月面で対峙した時、あの操主は剥き出しの戦闘本能を向けてきた。
あれは、何だったのか今も分からない。
分からないが、危険だという事だけは理解出来る。
軋らせた牙の行き着く先に、鮮血が待っているのも。
「……行かなくてはいけない。月面へ。そして、最後の……決着をつける」
その時、熱源警告が耳朶を打った。鉄菜は瞬時に思考を戦闘形態へと移行させる。
『……これは』
「ゴロウ、何が近づいてくる?」
『……鉄菜。二つの道がある。振り切るか、それともこの……因縁とも対峙するか』
接近する機体照合結果に鉄菜は絶句した。
――機体識別、《キリビトイザナミ》。
運命は簡単な因果をそそぐ事さえも許さないのか。それとも、全ての因縁を清算してから、最後の戦いに赴けと。そう、世界が告げるのならば。
「……間違っているぞ、ゴロウ。二者択一じゃない。私は、逃げない」
《モリビトシンス》を向かい合わせる。急速接近する《キリビトイザナミ》には増設ブースターが装備されていた。
それに振り落とされないように、随伴機である《ゼノスロウストウジャ》が加速する。
二つの因果。二つの敵意。それに対し、鉄菜は呼吸を深くつき、丹田で溜め込んだ。
「――燐華・クサカベ」
『……射程に入った! モリビトォッ!』
《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャー砲を一射する。それを上方に逃れて回避し、《モリビトシンス》のRシェルソードを奔らせていた。
《キリビトイザナミ》が巨大なクローを振るい一閃を防御し様にクローの内側から無数の自律兵器を射出する。
『行け! Rブリューナク!』
小型Rブリューナクの咲かせる火線が四方八方より《モリビトシンス》へと襲いかかった。鉄菜は推進剤を小刻みに焚いて回避機動を取らせつつ、《キリビトイザナミ》の頭部を見据えた。
赤い眼光が憎しみに滾っている。モリビトという自分を、許すつもりはないという、完全なる敵意だ。
伸長されたクローが払われ、大出力のRブレードが機体の装甲を叩き据える。熱に晒された《モリビトシンス》が盾を翳して防御しつつ、敵人機へと果敢に接近を試みた。
その進路を《ゼノスロウストウジャ》が阻む。
『モリビト! お前は俺達の人生に唾を吐いた! だから俺は許さない!』
「……今さら許しを乞うつもりもない。だからここで、真っ直ぐに突き進む!」
『させるかよ……。ヒイラギは、俺が守る!』
《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを発振させ《モリビトシンス》と切り結ぶ。しかし、その実力は先ほどの《イザナギ》と比すれば稚拙。太刀筋を読むまでもなく、払った蹴りで姿勢を崩し、即座に肩口を基点にして跳び越えた。
『……踏み台なんかに……』
怨嗟を含んだ声音を他所に、鉄菜は《キリビトイザナミ》を睨む。巨大人機は膨れ上がった憎悪そのもののように《モリビトシンス》を全方向より睥睨していた。
『……モリビト……! 鉄菜の真似事なんて!』
「違う、燐華・クサカベ! 聞け! 私が、鉄菜・ノヴァリスなんだ!」
『違う……ぅっ! 鉄菜は、モリビトに殺されたんだぞ!』
振るい落とされたクローの一撃には殺意がこもっている。しかし、鉄菜はあえて反撃には転じなかった。
「聞け! 目を背けるな! 目の前にいるのが、私だ! 燐華! お前は……」
『うるさい、うるさいぃ……っ! こんなに、うるさいの……ぉっ、消えてしまえ!』
《キリビトイザナミ》の後部格納部が開き、全方位に向けてミサイルが放たれる。青い軌跡を描くのはアンチブルブラッドミサイルであろう。
鉄菜はRシェルライフルを構え、それらを正確無比に銃撃する。青い霧の向こう側から赤い眼窩を滾らせた《キリビトイザナミ》が機体を開き、胸部装甲に位置するRブリューナクを放出した。
関知出来る範囲だけでも二十基を超える自律兵装の嵐に鉄菜は奥歯を噛み締め、機体へと過負荷をかけた。
「ファントム!」
上昇機動に移った《モリビトシンス》の機体各所が注意色に塗り固められる。分かっている。既に限界なんてとっくに超えているのだ。
それでも、戦い抜く。そうでなければ、命に報いる事は出来ないのだと分かったからだ。だからこそ、どれほど残酷な道であっても、自分は前に進もう。
銃撃網でRブリューナクを数基、撃墜したが残った何基かが《モリビトシンス》の機体を叩く。突撃兵器のRブリューナクにはリバウンドの刃が装備されており、こちらの装甲をじりじりと削り取る。
『お前は争いを生んだ! 生まなくてもいい争いでさえも! お前さえいなければ! にいにい様も、隊長も! 誰も死なずに済んだのにぃ! だから……鉄菜ぁ……傍にいてよぉ……っ』
今にも瓦解しそうな声に鉄菜はRシェルライフルの銃撃を渋る。その一瞬の隙を突き、《ゼノスロウストウジャ》が突進する。プレッシャーダガーを最大値に設定し、その太刀筋に覚悟が宿っていた。
『お前だけは、ここで……!』
「執念だけなら……。だが私とて止まるわけにはいかない。止まるわけには、いかなくなった!」
弾き返した瞬間、小型Rブリューナクが一斉に弾幕を張っていた。降り注いだ銃弾の嵐に《モリビトシンス》が動きを止めたのを《キリビトイザナミ》は決して見過ごさない。
クローが開き、こちらの胴体を引っ掴む。鉄菜は機能不全に陥っていく《モリビトシンス》のステータスに瞠目していた。
「触れられただけで……次々に機能が……」
『これがあたしの、《キリビトイザナミ》のハイアルファー! 名を【クオリアオブパープル】! あたしの認識に染まれぇーっ!』
《クリオネルディバイダー》側からの機能が閉ざされていく中でゴロウが呻いた。
『これは……信じ難いが精神世界の認識を物質領域に染み出しているのか……。否……ハイアルファーならばそれも可能というわけか。鉄菜、まずいぞ。このままでは、相手の思うつぼだ』
「どういう事だ?」
『接触が発動のキーなのか……《モリビトシンス》はこのままでは何も出来ぬまま破壊されるぞ。原因不明のエラーは今までの戦闘結果が祟ったんじゃない。《キリビトイザナミ》が……精神世界からこの状態を、引っ張って来ている!』
「いずれにせよ、ハイアルファーの虜というわけか……」
鉄菜は《モリビトシンス》の腕で《キリビトイザナミ》に触れ、叫ぶ。
「燐華・クサカベ! 私なんだ! 分かってくれ! これが、鉄菜・ノヴァリスという私だ!」
『惑わせて! 鉄菜はブルブラッドキャリアに殺されたのに……ぃ! お前なんかが、鉄菜の声であたしをどうにか出来るわけがない! だってそうでしょう? ……鉄菜ぁ……っ、だから行かないでぇ……っ。傍に居て、行っちゃやだよぉ……っ!』
接触回線で漏れ聞こえる限りでも燐華は限界に近い。恐らくはハイアルファーによる精神汚染も影響しているのだろう。
鉄菜はコックピットハッチの気密を確かめ、解除キーを押していた。
『何を! 鉄菜!』
頚部コックピットより這い出た鉄菜は暗礁の宙域で燐華の操る巨躯の人機を見据える。赤く染まった巨大人機の眼光が小さな存在の自分を睨んだ。
「私だ! 燐華!」