ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯334 因果の彼方へと

 無音の世界に、無音の骸が一つ。

 

 ただ宙域に漂っている。

 

《イザナギ》はその時を、今か今かと待ちわびているようであった。無論、それを稼動させる操主である自分も。

 

 失くしたはずの心音をどこかで感じ取る。永遠に失った鼓動と脈動が、今はハッキリと把握できた。

 

 これこそが自分の生きている証。生きるべき標。シビトの名に恥じない、真の死狂いである。

 

「待ちかねた。これが、俺の生きてきた理由。そして、生きるべき道標だ。俺は、この時のために刃を取っていた」

 

 拳をぎゅっと握り締める。操主服の気密の中で覇気が汗となって伝う。

 

 戦うためだけの修羅。それを間違っているのだと、リックベイに諭された。だがそれでも、である。今さら生きるべき指標を変えられるものか。何もかもを因果の向こうに置いてきたのだ。ならば、待ちわびるのは真の戦い。本当の血潮舞う戦場であろう。

 

「三時間……。間もなく、だ。間もなく悲願が達成される」

 

 今のところ援軍要請もない。否、どのような人間であれ自分とあの両盾のモリビトとの間に誰も立ち入らせはしない。

 

 これは、自分の戦いだ。その戦いの終着点なのだ。

 

 ならば、誰に咎められもしない。恩讐の討ち手として自分は屹立しよう。

 

 敵艦より一機の人機が射出される。両盾のモリビトは銀翼を得て青いその機体を常闇に映えさせる。

 

 六年前の因果と奇しくも同じ――真紅の《イザナギ》が刃を突きつけていた。

 

「別れは済んだか?」

 

『別れるつもりはない。お前を倒し、そして月へと向かう。それは決定事項だ』

 

 この声音の鋭さも六年前と同じか。UDはコックピットの気密を解除し、暗礁の宇宙空間に身を乗り出していた。モリビトの操主がうろたえたのが伝わる。UDは広域通信チャンネルに設定し、声を振る。

 

「モリビトの操主。俺の事を、覚えているか」

 

 その問いかけにようやく、相手は自分を認めたらしい。六年前に殺したはずの男が再び舞い戻ったのだ。驚かないほうがどうかしている。

 

『……確か、トウジャに乗っていた……キリヤとか言う……』

 

「最早、その名は捨てた。今はUDとして立っているつもりであったが……再びここで相対できる事、僥倖と言わず何と呼ぶ。俺は、UD――アンデッドとして、そして桐哉・クサカベとして、貴様に引導を渡そう」

 

 何に反応したのか、モリビトの操主が絶句したらしい。何か衝撃的な事実でも含まれていただろうか。

 

 だが、どうでもいい。そのような些事、如何にする。ここにいるのはただ、研ぎ澄まされた剣一振りのみ。

 

 UD――桐哉は言葉を継ぐ。

 

「俺と戦え。そしてその剣で、本当の決着を! それこそが我が宿願。六年前、俺の矜持を砕いた貴様に、果てない憎悪をぶつけてきた。だが、これはただの因果ではない。因縁の糸を紡ぎ、怨嗟の声を張り上げ、そしてその果てに待っていたのは、純粋なる闘志だ。モリビト! 俺はお前と、戦いたい。これのみに尽きる」

 

『闘志……!』

 

 相手も思うところがあったのか、何とモリビトのコックピットを開け放ち、こちらへと相対する。

 

 その身体がどう見ても少女操主のそれである事に桐哉はこれも因果か、と嘲笑する。

 

「俺とお前は、戦う事でしか分かり合えない! 行くぞ、モリビトよ! 俺から全てを奪ってみせたのだ。今度は俺が奪い返す! 奪還のための戦いだ!」

 

 コックピットへと入り、気密を確かめる。相手操主も心得たのか、モリビトの中へと戻っていった。

 

 桐哉は《イザナギ》へと得物を構えさせる。抜き身の刀身にリバウンドの白い電磁波が纏いついた。

 

「桐哉・クサカベ! 《イザナギ》!」

 

 流儀というわけではない。だが名乗らずしてこの戦いの幕切れなど出来ようか。相手もそれを倣ったのかどうかは分からない。しかし、モリビトも構え、そして声を放っていた。

 

『……鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシンスクリアディフェンダー》』

 

「……良い名だ。参る!」

 

《イザナギ》が四肢に付随した補助推進バーニアを焚かせる。その推進力で重力を振り切り、ここまで追いすがってきたのだ。並大抵の速度ではない。

 

《モリビトシンス》の背後へと回り込んだが、敵も天晴れと言うべきか。剣筋をこちらと合わせ、火花が暗礁に散る。

 

 左手に保持するのは盾を兼ねた扁平な銃剣。右手にはパイル型の形状をした特殊な刀剣を装備している。

 

 奇しくも《イザナギ》とは対照的な武装配置であった。

 

《イザナギ》は右手の刀を払い上げ《モリビトシンス》を打ちのめそうとする。それを読んだかのように相手は太刀筋でこちらの一手目を圧倒した。

 

 膂力では僅かに軍配が上がるのは向こう側。

 

「ならば……俺はスピードで勝負する!」

 

《イザナギ》が全身の循環パイプを軋ませ、大きく仰け反った。痩身の人機である《イザナギ》は少しの負荷でほぼ全身に巡らせた血潮であるブルブラッドが高圧になる。

 

 ゆえに、その尋常ならざる速度もまた、誰にも比肩出来ないはず。

 

 空間を跳び越えたとしか思えないはずの《イザナギ》の高機動に相手は一手遅れるかに思われた。

 

 だが、モリビトはこちらが現れる軌道へと正確無比な斬撃を見舞う。その刃に迷うところはない。

 

 六年前に相打った時よりもなお色濃い戦場の吐息に、桐哉は感じ入っていた。

 

「いい調子だ! モリビト! それでこそ、我が怨敵よ!」

 

『……お前は、この戦いに闘志を見出した、と言ったな。それは何のためだ』

 

「知れた事! 戦い、朽ち果てるその時まで、この身は煉獄の炎に抱かれると決めた! 俺の行く末は俺が決める! 他人に指図はされない!」

 

『だが、お前は世界が望んだ……悪意そのものだ!』

 

 返す刀を《イザナギ》が受け止め、カウンターの一閃を浴びせる。肩口から切り裂く軌道であったが、相手はそれさえも理解しているのか、飛び退ってパイルの剣を射出する。

 

 それと同期するかのように、こちらもパイル武装を撃ち込んだ。互いのパイルがぶつかり合い、粉砕された直後、煙幕が戦場を満たす。

 

「小手先など!」

 

《モリビトシンス》の次手を読み、桐哉は剣先を振るっていた。真横に現れた《モリビトシンス》が剣を打ち払うが、その一撃を返し、そのまま剣閃で打ち破ろうとする。

 

《モリビトシンス》は押されている。、今ならば取れる、という昂揚感が桐哉の精神を染め上げていた。

 

「悪意、と言ったな。だが世界は悪意で満ち満ちている。どこに行ったところで、それは変わらん! ならば悪意になったほうがいいに決まっているだろうに! 動かされる悪意ではない。動かす側の悪意だ!」

 

『それは……エゴそのものだ!』

 

 ゼロ距離でパイルを撃とうとしてその弾頭を《モリビトシンス》が掴み取る。敵方の武装が眼前に迫り、桐哉は《イザナギ》の上体を反らせていた。

 

 真上を行き過ぎる刃を見やる前に、機体を反り返らせた反動で加速度に入る。

 

「ファントム!」

 

 急加速に敵機体とて持たぬはず。そう読んだ桐哉は《モリビトシンス》が推進剤を全開にしたのを目にしていた。

 

『させない。ファントム!』

 

 高機動の領域に入った二機が干渉し、ぶつかり合って一時とて同じ空間には留まらない。

 

 無辺の闇に漂う火花と、無音の世界で衝突する鋼鉄の巨躯だけがその証明。

 

《モリビトシンス》は完全にファントムを会得しているらしい。《イザナギ》による高速戦闘でも振り切れないか、と桐哉は機体を反転させ、蹴りつけて離脱していた。

 

 同時に高機動から脱した《モリビトシンス》が実体空間に現れる。

 

「どうやら、ただのファントムでは埒が明かんな」

 

『……意見は同じだ』

 

「しかし、何故だ。何故、そこまでの力を持っているのに、下らない理想論にしがみつく? 今の世界は堕ちるところまで堕ちた……堕落した世界に何を見出すのだ! モリビトォッ!」

 

 機体が稲光を上げ、雷撃を纏いつかせて瞬間移動する。

 

 ――ライジングファントム。ファントムの更なる上の領域に対し、モリビトは機体を開いて応じていた。

 

 直後には相手も同じ速度に至っている。さすがだ、と笑みを漏らした桐哉は高機動の圧を全身に浴びながら恍惚に抱かれていた。

 

 刃を振るうのも全てが遅い。攻撃速度が遅れを取り、代わりに機動力が限界まで研ぎ澄まされている。

 

 先ほどのファントムの小競り合いでは決して見えなかった、雷の痕跡が常闇を引き裂いていた。

 

 この状態の人機を視認する事は実質不可能に近い。

 

 ゆえに見るのではなく「感じる」。

 

 相手が次にどこに移動しているのかを察知するだけの能力。操主としての熟練度だけではない。これは、人間をやめた存在にのみ許される力だ。

 

 稲光が連鎖する空間で《イザナギ》が刀を打ち下ろす。《モリビトシンス》がそれを薙ぎ払い、返す一撃を打とうとして、それを後退して回避していた。ならば足技で、と浴びせ蹴りを見舞った《イザナギ》の脚部を敵機が掴み、そのまま関節を極めようとするのを補助推進剤を焚いて逃れんとする。

 

 あまりの過負荷に耐えかねたのか、補助推進剤が爆発の炎に包まれた。

 

 ――この速さでは、何もかもが些事。何もかもが遅れている。

 

 爆破した部位をパージし、その勢いを借りてモリビトへと頭突きを浴びせかける。人機という機動兵器において頭突きはお互いに致命打になり得る攻撃であったが、この時、どちらにも退く様子はなかった。

 

 理解しているのだ。

 

 ここで退けば何もかもがお終い。何もかもが潰えるのだと。

 

 ならば、血潮を撒き散らしてでもぶつかり合うしかなかろう。たとえ直後には血反吐の中に骸があったとしても、それでも相手へと軋らせる刃を止める事は下策。

 

 剣筋は奔るのみ。

 

 速度を増した至近の近接が互いに咲いた。

 

 零式の名を紡ぐ間も惜しい。敵機はこちらと同精度かあるいはそれ以上を叩き出している。

 

 ならば、応じないのは愚の骨頂だ。

 

 パイルを射出し、一瞬の隙をわざと作らせる。

 

 横合いに斬りかかってきた《モリビトシンス》へと《イザナギ》は膝より出現させた隠し武装で手首へと刃を至らせていた。

 

 取った、と確信するも、敵はそう容易くはない。

 

 刃が入った刹那には逆方向へと腕を稼動させる事によって根元から刃を折っていた。

 

「……それでこそだ、モリビト!」

 

 しかし入った一撃は確かなもの。敵の太刀が僅かに遅れたのを《イザナギ》と桐哉は見逃さない。

 

 即座に払った刃を相手はパイルで受け止めるが、本懐はそれに非ず。フェイクの一閃を入れ、相手の防御が緩んだ箇所を突き、的確に血塊炉を狙い澄ました。

 

 入れば勝利――その愉悦へと冷水を浴びせたかのような殺気が怖気となって走る。

 

 習い性の身体が機体を後退させていた。《モリビトシンス》の袖口より出現した小型の刃が先ほどまでコックピットのあった箇所をワイヤーで締め上げんとしていた。

 

 気づかなければ、コックピットごと絞められていた――。その予感に唾を飲み下したのも一瞬、桐哉と《イザナギ》は実体空間へと再度戻っていた。

 

《モリビトシンス》も高速より舞い戻る。

 

 よくよく目を凝らせば今の《モリビトシンス》にはところどころ新規の武装が施されている。

 

 この三時間で策を凝らした軍師がいたか、と桐哉はフッと笑みを浮かべていた。

 

「……小賢しい真似に出るのだな」

 

『言われる義理はない。勝てば、いい』

 

「その通りだ。勝てば官軍、それはその通り。だが、だからこそゆえに! 俺は貪欲に勝利を掴む! たとえこの手が穢れようとも、どのような謗りを受けようともな! 行くぞ、奥義!」

 

《イザナギ》のシステムコンソールに刻み込まれた名前を桐哉は声に放っていた。

 

「エクステンド、チャージ!」

 

 黄金の力が血塊炉より染み出て《イザナギ》の装甲を補強する。モリビトはそれと相対するように構えていた。

 

『……エクステンドチャージ』

 

 瞬く間にモリビトも黄金に染まっていく。桐哉は満身より叫ぶ。

 

「ついて来られるか! 我が最大の力に!」

 

 掻き消えた、という言葉すら生ぬるい。

 

 まさしくこの実体宇宙より消失した《イザナギ》の速度は光を超越する。視認した次の瞬間には、瞬くより先に敵の喉笛を掻っ切っている。

 

 ――それが通常の人機戦ならば。

 

 確実に喉を掻っ切ったと思った直後には敵機の気配は背後にあった。

 

 残心の覚えがなくては関知出来ないであろう。

 

 最早動物的直感で振り返り様に放った刃で敵の必殺を受け止める。

 

 ここに至っては、理性などまやかし。全ては本能の先にこそ、存在する。

 

 桐哉は腹腔より叫びを迸らせる。モリビトからも声が相乗した。

 

 ――そう、死狂いだ。

 

 自分も相手も、同じ領域。同じ存在。

 

 ここに賭けるだけの死狂い。戦闘狂の人でなし。悪鬼の如く、モリビトの相貌が至近に迫る。それを通常の兵士ならば恐れて接近する事もないだろう。しかし桐哉は違った。

 

 あえてこそ、相手へと迫り、気迫だけで吼え立てた。

 

《イザナギ》が呼応し、刃を振り切る。

 

 その剣とモリビトの剣がぶつかり合い、融ける寸前まで湾曲する。

 

 しかし、直後に弾き合って後退した時には剣は元に戻っているのだ。

 

 物理法則は既に役立たずの代物。実体宇宙と、別の涅槃宇宙を介し、それぞれを行き来する事によって《モリビトシンス》と《イザナギ》は僅かながら特異点を見出し、その針の穴ほどの共通項で結ばれ、今も斬り合っているに等しい。

 

 ここで戦える、それそのものが奇跡の先にある真実。

 

 黄金の光を身に浴びた《イザナギ》が桐哉と渾然一体となって剣を打ち下ろす。それをモリビトと一体になった少女操主が剣を払い上げ、一閃を浴びせかける。

 

 お互いの傷より発した血が、空間を上下していた。

 

 無重力でも高重力でもない。1Gの楔からも解き放たれた別次元の重力が互いに惹き合い、結び合って戦闘を可能にしている。

 

 これを運命と呼ぶのだと、誰かの声が遠くで聞こえた。

 

 それが耳朶を打つ頃にはとっくに心臓の息の根は止まっているはずだ。

 

 運命になど、そのような言葉で軽々しく結ばれる領域は既に捨て去った。これは運命を超え、宿命を超え、怨念を超え、因果を超越し――ただ一つの答えを見出させる。

 

 この一瞬を永遠に。何百年であっても構わないほどの牢獄。

 

 そうだ、これこそが――。

 

「これが、零の真髄。此処に在るのだという、心の根が吼える!」

 

 何とも、簡単な事であったのだ。零式抜刀術でさえも、そしてこの狂気のマシーン、ハイアルファー【ライフ・エラーズ】に選ばれる事でさえも。

 

 宇宙の大きなうねり。大存在の決定からは覆せない。

 

 銀河を超え、黒点宇宙を超越し、太陽光線の当たらない無辺の闇を漂い、そして、そして……。

 


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