ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯332 胸の中にある

 

 どうしてあのような事を言ってしまったのか分からない。いずれにせよ、あの場で一番に取り乱してはいけない身分のはずなのに。

 

「……モモは、こんなにも弱い」

 

 どうして看過出来なかったのだろう。鉄菜は前を向こうとしている。今までより苛烈な道だと分かっていても、それでも歩みを止めない。

 

 彩芽が今度こそ間違いなく死んだのに、林檎が目の前で死んでしまったのに、自分が耐えられていないのだ。

 

 拳を握り締めて振り翳そうとして、桃はやりどころのない怒りに顔を伏せていた。

 

「……蜜柑があんなにも前を向こうとしているのに……モモは……」

 

 墜とせ、と命じた。唯一無二の姉を殺せと、この口が命じたのだ。それなのに、自分は汚い道を行きたくないなど身勝手が過ぎる。蜜柑は覚悟している。これから先に待ち受ける未来を。どれほど残酷でも見据えるだけの勇気を。

 

 自分には何もない。鉄菜のお下がりのような覚悟で、どうしたって前を向けない。上を向いて歩み出す事が、出来なかった。

 

「……桃お姉ちゃん」

 

 付いてきたのか、蜜柑の声が背中にかかる。しかし桃は振り返れなかった。

 

「……来ないで。もう、あなたの理想の指導官は気取れない。だって、何も覚悟出来ていなかったのは自分のほうだった! そんな、かっこ悪いだけの存在を……」

 

「桃お姉ちゃん。ミィは、お姉ちゃんが生きていてくれて、嬉しいの。……林檎は死んじゃった。でも、お姉ちゃんは生きていてくれる。なら、それが今は、少しは心の支えになる」

 

 蜜柑の口から出た言葉に桃は堰を切った言葉を吐いていた。

 

「モモはっ! あなたの理想のお姉ちゃんじゃないのよ! ……こんなにも弱い。指導官が聞いて呆れるわ。あなた達の絆を侮辱しただけじゃない。墜とせなんて命じておいて、いざ自分の番になると何も出来ない……でくの坊じゃないの……」

 

 蜜柑には今まで自分の脆い面を見せてこなかった。いつでも教官の面持ちで返せた自分はこの時、ただの「桃・リップバーン」として、蜜柑に弱さを覗かせていた。

 

 どうして今まで冷酷に、そしてあんなにも無情に言葉を紡げていたのか分からないほどだ。

 

 林檎が死んだ、彩芽が死んだ、他にもたくさんの人間が自分達を押し上げるための犠牲になった。

 

 だからなのだろうか。ゆえに、なのかもしれない。

 

 この場所にいるのが相応しくないのだと、どこかで思い知っている。ここまで来た自分が卑しく、どこまでも生き意地の汚いだけの、資格のない人間なのだと感じていた。

 

 林檎が生きているほうがよかった。彩芽が生きているほうがもっといい未来だった。

 

 どうして自分なのだ。どうして、自分はいつも生き永らえる。六年前もそうだ。鉄菜が死地へと向かうのに、自分だけが帰還した。それを未だに許す事がどうしても出来ない。

 

 震え始めた肩に、そっと手が置かれていた。蜜柑の小さな、紅葉のような手。引き金を引くとは思えない、小さな手の温もり。

 

「ごめんね……桃お姉ちゃん。ミィ、何も言えない。桃お姉ちゃんの苦しみに、何か気の利いた事なんて言えないよ。……でも、ミィは鉄菜さんの、明日を信じる眼だけはどうしても裏切りたくないの。……憎んだ事もあったよ。どうして林檎がおかしくなっちゃったのかって。林檎がおかしくなったのは、鉄菜さんのせいだって。そう思えたらきっと、楽だったんだろうね。でも、それじゃ駄目なんだと思う。鉄菜さんも、いくつも痛みを背負っている。それを肩代わりは出来ないかもだけれど、でもミィ達だって背負う事は出来るよ。鉄菜さんだけが執行者じゃない。桃お姉ちゃんは教えてくれたよね。何のために執行者が何人もいるのかって」

 

 ハッと面を上げる。自分は教官時代、何度も林檎と蜜柑に叱責した。

 

《イドラオルガノン》だけがモリビトじゃない。どうして三機のモリビトが存在するのか。

 

 それは、互いのサポートをするため。どうしても補えない互いの欠点を補い、時には助け時には道を諭すために。

 

 そんな基本中の基本を今、蜜柑から改めて教わるなんて思いもしない。

 

 桃は振り向いていた。蜜柑もまた、涙していた。

 

「蜜柑……、あなた……」

 

「ミィも、……弱いんだ。どうしたって強くなれないの。でも、ミィは鉄菜さんの言う、明日に何かを見出したい。だって鉄菜さんは今まで何でも、不可能を可能にしてきた。だったら、それに縋ったってきっと……いいはずだよね」

 

 脆く崩れ去りそうな笑い方をする。桃は蜜柑を抱き留めていた。途端、蜜柑が身体を震わせて泣き出す。

 

「……もっと、もっと林檎といたかった! 傍に、いたかったよぉ……っ! でも、もう叶わないの、どうしたって戻れないの……! ミィは……ミィは……」

 

「何も言わないで! ……何も、言う必要はないわ、蜜柑。あなたも背負ってきた。だったら、今さら、モモが逃げるわけにはいかない。あなた達の、教官だもの。逃げちゃ、絶対にいけないはずなのよ……」

 

 そう、それだけは信じられる。蜜柑から、何よりも現実から、逃れ逃れて何になるというのだ。

 

 逃げちゃいけない。絶対に、目を背けてはいけないのだ。

 

 お互いのくしゃくしゃな涙顔に、桃は苦笑する。

 

「不思議ね……。こんな風に泣き合える日が来るなんて」

 

 蜜柑の前では絶対に泣けないと、そう思っていた。彼女もそうだろう。迷いは封殺し、ただ執行者としての正しさを突き詰められてきたはずだ。それがここに来て「分からない」事が尊いのだと、分かり始めている。

 

 きっと茫漠とした未来に描けるだけの何かを持つ事、それそのものが何よりも得がたい代物なのだ。

 

「桃お姉ちゃん、そういう風に泣くんだね……」

 

 桃は精一杯微笑んでみせる。

 

「幻滅した?」

 

 蜜柑は首を横に振っていた。

 

「安心した。桃お姉ちゃんも、人間なんだって……」

 

 人間か。桃は脳裏に鉄菜の姿を描く。

 

 彼女は求め続けていた。モリビトと共に心の在り処を。そして彩芽という存在に助けられ、問いただしたはずだ。

 

 心は、その胸の中にあるのだと。

 

 だが本人はまだ分かっていないらしい。とっくの昔に、心は既に――。

 

 


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