♯328 終末を問う
街頭ビジョンにノイズが走る。
突然の事にコミューンの誰もが足を止めていた。現状、連邦政府からの正式発表もない。しかし、それでも人々には通常の営みが許されていたし、彼らもそれを甘受していた。
ブルブラッドキャリアとの最終決戦は確かに示唆されていたものの、一般市民には関知されるべきものではなかったのだ。
連邦による平和の制定、そして連邦コミューンに流れる堕落したかのような平和主義。それは牙を抜くかのように、市民から危機感を失わせていた。
そんな彼らでもオーロラビジョンの異変に気づき、ざわめきが広がっていく。
直後には、映像は黒塗りになり、音声のみが流された。
『地上に住まう、全ての市民に告げる。ワシの名前はタチバナ。貴君らが知っているか知らないかは分からないが、人機産業に関わらせてもらっている。タチバナだ。これを打診している今、宇宙では大きな戦いが巻き起ころうとしている』
思わぬ言葉と人物に誰もが端末を取り出してネットワークを見ていた。二時間前より復旧した民間のネットにはもちろん、そのような事実はどこにも載っていない。
『ブルブラッドキャリア対惑星、その報復作戦も含め全てが最終段階に入っている今こそ、ワシは問い質したい。貴君らは平和に生きているのか、と。全ての平和はただ安穏と口を開けて待つのではない、自分の手で掴み取るのだと。そのために、彼らは立った。全ての争いの矢面に。宇宙駐在軍において、この戦局は大きく変化する。それを目の当たりにして欲しい』
映し出されたのは常闇の暗礁宙域で繰り広げられる戦闘であった。
全翼機が軌道エレベーターに突っ込む最中で、十字に断ち割られ爆砕する。宙域に佇むのは数体の人機であった。
望遠レンズが青い船体の艦を映し出す。
闇の中を掻くように青い推進剤を焚かせ、幾つかの輝きが虹に膿んだような惑星の重力圏すれすれを突っ切っていく。
その光景に誰もが息を呑んでいた。呼吸も忘れ、彼らは見入る。
『責任がある。我々にも、この結末を見守るための責任が。今一度、言う。ワシの名はタチバナ。この戦いの終焉を、彼の場所にて見守る者である』
それがどれほどの罪悪。どれほどの傲慢に塗れていたとしても。
最後の最後まで、この戦いは克明に映し出される事だけは明白であった。
軌道エレベーターを背にして、三機のイクシオンフレームが阻むかのように屹立したのを、鉄菜は《モリビトシンス》のコックピットより睨んでいた。二機は既に登録済みの機体だが、最奥でこちらへと照準する一機だけはまだ不明人機のままである。
「……あの機体、イクシオンフレームの新型……!」
『《イクシオンオメガ》だ。これこそが、大天使、ミカエルが操る人機ッ!』
《イクシオンオメガ》と呼称された人機が真っ直ぐにこちらへと猪突する。残り二機も随伴し、《ゴフェル》へと向かおうとした。
「させるか!」
《モリビトシンス》はしかし、全ての武装を使い果たしている。この状態で何が出来る? と問い質したのも一瞬。鉄菜は、それでもと《イクシオンアルファ》へと拳を見舞っていた。組み付いた形の敵人機から怨嗟が放たれる。
『無駄ですよ! ここまで来たって、我が方の勝利は揺るぎない!』
「無駄かどうかは、戦いの後に決める!」
言葉尻が咲いた直後、習い性の身体がアームレイカーを引かせた。先ほどまで頭部があった空間を《イクシオンガンマ》の棍棒が打ち払う。
『ねぇ……痛いのぉ! 痛いって、聞こえないの? ……渡良瀬ぇッ!』
舌打ちを滲ませ、鉄菜は後ずさる。《ナインライヴスピューパ》と《カエルムロンドカーディガン》が牽制の銃撃を浴びせていた。
『クロ! こいつらを引き剥がさないと、月面軌道には!』
「ああ、行けない。だからこそ、ここで禍根は絶つ!」
『無茶だ、クロナ! 今の《モリビトシンス》は大気圏突破時にほとんどの機能が塞がれている。こんな状態で、立ち振る舞いは出来ない!』
瑞葉の言う通りだ。全てのステータスがレッドゾーンに達した《モリビトシンス》では、単騎戦力としても心許ない。だが、ここで踏ん張らなくては、月面まで到達出来ないのも明白。
歯噛みし、鉄菜はアームレイカーを握り締める。
「……それでも、もうここを踏ん張れば最後なんだ。だったら、私は戦い抜く! それでしか……散っていった魂に報いられないのならば!」
彩芽や林檎、それに自分を押し上げるために死んでいった者達。彼らの魂を侮辱しないために、自分達はブルブラッドキャリア本隊との決着をつけなければならない。そうでないのならば、何のためにここまで……。
そう判じた鉄菜は《ナインライヴス》へと《イクシオンアルファ》が銃撃したのを目にしていた。プレッシャー兵装をウイングスラスターで受け、《ナインライヴス》がその死角へと回ろうとするが、万全の敵機に対してあまりに疲弊している。
機動力で追いつかれた《ナインライヴス》が振り返ったその時にはプレッシャーソードが引き抜かれていた。
《カエルムロンド》も同様だ。《ジーク》と背中合わせになって攻撃網を張るが、《イクシオンガンマ》の連続使用のファントムに気圧され、そして援護射撃に翻弄されている。
《イクシオンオメガ》が両腕に保持した盾を放っていた。その形状に鉄菜は瞠目する。
「あれは……《クリオネルディバイダー》か」
『そうだとも。貴様らの呼ぶ《クリオネルディバイダー》とやらは解析済みだ! この武装は我が方の剣となり、そして盾にもなる。行け! Rブリューナクディバイダー!』
自律兵器、Rブリューナクと同等の動きを誇る《クリオネルディバイダー》のコピーに、鉄菜は《モリビトシンス》へと上昇機動をかけさせる。しかし敵攻撃網の速さが段違いだ。すぐさま追いつかれ、その刃が《モリビトシンス》の内蔵血塊炉へと突き刺さるかに思われた。
――ここまでなのか。
判じた神経が全ての事象を遅らせる。最後を感じ取った刹那、何もかもが鈍重になっていた。自分の動きも、敵の攻撃でさえも。
終わりとはこうも呆気ないのか。せっかく、決死の覚悟で宇宙に上がってきたというのに。
ユヤマの犠牲も、その志も赴くところも。全てが水泡に帰すのか。
《モリビトシンス》は応えない。このまま、敵の自律兵器が突き刺さり、自分は打ち止め。ここで、終わる。
その現実が食らいかかる瞬間であった。
パイルバンカーが敵自律兵器に突き刺さり、誘爆の輝きを見せる。《イクシオンオメガ》より困惑が迸った。
『何だと?』
『渡良瀬……、援護射撃が!』
《イクシオンアルファ》に収まる敵操主が急速接近した熱源に反応した、その時には軋った刃がその両腕を寸断していた。
《ナインライヴス》がRランチャーを新たなる敵影に据えたその時、現れた機敏なる影の切っ先は《モリビトシンス》へと真っ直ぐに向けられていた。
その迷いのない殺意に鉄菜は絶句する。
「……《イザナギ》、か」
地上で振り切ったはずの赤い疾駆の人機――《イザナギ》がこの宙域での戦闘を調停していた。思わぬ援軍であったのだろう。《イクシオンオメガ》が照準する。
『何のつもりだ……。アンヘルの権限持ちが、今さら……!』
『俺にはまだ、その権限が残っている。無論の事、それを遂行する責務も』
《イザナギ》が高出力推進剤を分離させる。まさか、単騎で大気圏を突破し、そしてここまで追いすがって来たというのか。
何という執念。否、最早それは妄執の一語に尽きる。
『もう終わっている! アンヘル艦隊は地上で待機命令が出ているはずだ!』
『追撃部隊に志願した。辞令が降りたその瞬間より、俺は追撃の任を帯びている。疑問ならば確認すればいい。俺の名前がある』
『……渡良瀬、どうします? こいつ、生半可には……』
濁したという事はイクシオンフレームでも対処は難しいのだろう。そんな相手が何故、自分と味方陣営であるはずのアムニスに刃を向けたのか。
鉄菜は切っ先に篭った決意と、赤い人機の相貌を眺めていた。
「……貴様は、何故……」
『ブルブラッドキャリア。その両盾のモリビトに告げる。俺の名前はUD。操る人機は《イザナギ》。そのモリビトと、最後の一騎討ちを所望する』
まさか、ここに来てそのような言葉が出るなど誰も想定していない。鉄菜を含め、全員が思わぬ一言に硬直する。
「何だと? 一騎討ち……」
『わけが分からぬ言葉でもないはずだ。俺は、そのために生き永らえてきたのだからな』
確かに、今までの戦闘局面、この《イザナギ》の操主は幾度となく自分に立ち塞がってきた。それが並々ならぬ執念であるのは疑いようもない。しかし、この自分達を追い込める千載一遇のチャンスをふいにしてまで、どうして自分にこだわると言うのか。
「……貴様は」
『これが呑まれぬ場合、俺は即座にブルブラッドキャリアへの対抗措置と、そして全てのモリビトを破壊する』
言葉に宿った信念は本物だ。うろたえたのは、アムニスの側である。
『何をやっているのか……分かっているのか、UD。背信行為だぞ』
『構わない。アンヘルでの権限はここで使い切る。全てを失った俺を後ろから撃つのは自由だ』
そこまでして、と全員が唾を飲み下す中、アムニス軍勢は決断を迫られていた。
イクシオンフレームが勝利出来る確定の瞬間は今だ。だというのにそれを阻む友軍、面白いはずもない。
だが、敵陣は一度の後退を是としていた。
『……大天使より告げる。一時撤退する』
『正気ですか、渡良瀬! ここまで追い込んだのに……』
『しかし、貴殿は、ここで我々がブルブラッドキャリアを追撃すれば……』
《イザナギ》の操主は迷わない。逡巡の間を一拍さえも浮かべない。
『容赦なく――斬り伏せる』
嘘はないのだと誰もが判じていた。《イクシオンオメガ》が後退する。それに応じて、宇宙駐在軍が下がっていくのが窺えた。確実に取れると断じていた《イクシオンアルファ》と《イクシオンガンマ》も、致し方なしと撤退機動に入る。
『……うまく生き永らえましたね、ブルブラッドキャリア』
苦し紛れの捨て台詞を残し、敵陣は完全に退いていた。
『……助かったの? モモ達は……』
「どうだかな。私にもこの状況、どうなのかは判断がつけかねる」
少なくとも絶対に退かぬ一機の人機と武士の操主。それが眼前に突きつけられたままだ。
『恩義を感じる必要はない。ただし、三時間だ。三時間以内での、我が《イザナギ》とその両盾のモリビトを万全な状態での一騎討ち。それだけは譲れない』
本当に、心底それしか考えていないような物言い。鉄菜は一つ頷き、《モリビトシンス》を《ゴフェル》へと退去させる。
「ニナイ。聞こえているな? 《モリビトシンス》の整備を頼む」
『鉄菜? でも、本当に敵は下がったのか……』
確証はない。それはその通りだろう。だが、その時は、と鉄菜は言い含めた。
「相手が約束を違えた時には……その時には私が全力で止める。それは保証する」
真紅の敵機は背中を向ける。勝負を預けた男の背中だ。
戦場で、何度もそういう背中は見てきた。ゆえに信頼は出来なくとも信用は出来る。
『……聞こえているわね、鉄菜。全力で整備するのは確定だとして、月航路を取るに当たっての作戦を練るわ。……グリフィスの犠牲に報いなければならない』
眼前で散ったユヤマの死に様だけは絶対に侮辱は出来ない。彼は信じるものは少なかったが、結果で自分達に示してくれた。
この先の未来、それを託すと。
『《ダグラーガ》と《カエルムロンド》、《ナインライヴス》も収容。後に月面へと向かうための万全の整備をする。でも、三時間、ね……。あるようでない時間だわ』
鉄菜は《イザナギ》へと一瞥を向ける。
彼の人機はその時を迎えるのを今か今かと待ち構えているようであった。