『彼奴ら、重力を超えたか』
月面のバベルがリアルタイムで送ってくる映像を同期しながら、ブルブラッドキャリアを束ねる者達は愚かなる離反者をその視界に入れていた。
しかし、ここまで無傷で訪れる事は出来ないだろう。
月面には未だに《モリビトルナティック》と銃座の護り、それに加えてこちらには鬼札がある。
『梨朱・アイアス。最強の血続が我らの側についている。ならば、勝利は必定』
「その通りです」
《トガビトコア》の最終点検を終えた梨朱が議席に降り立つ。その立ち振る舞いに賢者達は声にしていた。
『血続の完成形、そして人機の究極の形に辿り着けた。これに勝る喜びはない』
『リードマン、それにリップバーン博士も鼻高々だろう。彼らの研究成果が形となった。遂に、自らを滅ぼす毒が』
月面に辿り着く頃には、彼らは損耗し切っているかもしれない。否、そうなっていないほうがおかしいほどに戦力差は明らか。
「しかし、彼らは来ますよ。向かって来るでしょう」
『それは愚かしさかね?』
「いいえ。確信です。特に、鉄菜・ノヴァリス。あれがここまで来ないのは、おかしい」
その言葉に賢者は嘲笑する。
『最早、鉄菜・ノヴァリスにかけずらっていても仕方あるまい。あのような些末な代物、もう必要ないのだ。あれは血続の完成形ではない、出来損ない』
『左様。ここに、究極はある』
傅いた梨朱に賢者達は確信を新たにする。自分達は本物を育て上げた。真なる血続、真なる人類の進化系。
それがここにある。
『……しかし、いやに静かだな。月面にも離反兵はいるのだろう?』
『二十時間前から地上の者達を観るのに観測衛星を使っている。そのせいで奴らの動きを僅かに怠っていたが……』
再び観測レンズが捉えたのは、砂嵐であった。
何も映し取らない観測機に賢者が声を荒らげる。
『どうなっている。これでは、離反者達を見張るのにも――』
「その必要はございません」
遮った梨朱に、彼らは懐疑を浮かべる。
『……それはどういう意味か?』
「あなた方が地上の愚者達を見るのに躍起になってくださって、とても助かりました。お陰で私は、存分にやりやすかった」
梨朱が指を鳴らした直後、賢者の間を激震したのは人機による攻撃であった。
『攻撃? 攻撃だと? まさか、離反兵……』
「いいえ。私の意思による、私のための――反逆です」
賢者達が理解しようとバベルに接続しかけた時には既に遅い。壁を打ち砕いたのは白亜の機体であった。
『《トガビトコア》……、だと』
「真なる血続の機体です。お間違えなきよう」
『バベルのハッキングで!』
「いいえ。全て無意味です。バベルは私と、《トガビトコア》、それに《モリビトルナティック》が完全に掌握しました」
まさか、と脳内同期ネットワークに問いかけた賢者達は、その思考すら明け透けである事に驚愕する。
たった数時間だ。その数時間で、彼らは小さな造り物に反逆を許していた。
『……何を、何をやっているのか、分かって――』
「ええ、もちろん。私が究極の血続だというのならば、支配するのは私が相応しい。それだけのシンプルな答えです」
震撼した賢者達がバベルネットワークに接続し、《トガビトコア》の全システムを閉じようとしたが、それらの権限は何もかも失われていた。
「残念です。自らの死を、自らの過ちを理解も出来ず、あなた方は死んでいく」
《トガビトコア》がその手に梨朱を乗せる。賢者達へとリバウンドの砲身が向けられた。
『貴様……造られた分際で……!』
「私はあなた達よりも優れている。その理由で、支配被支配の構図を少しばかり弄ってやっただけです。何も、おかしな事はない」
『梨朱・アイアス! 自惚れるな! 恩を忘れたか!』
「恩? ええ、重々、理解しておりますよ。私に全ての試験血続の苦行、痛苦、拷問……、何もかもを叩き込んだあなた方への、この尽きぬ憎しみだけは。これをくださるために、私をここまでにしてくださったんですよね? 賢者様」
『貴様――!』
「ハイリバウンドプレッシャー」
終わりはあまりにも無情にであった。《トガビトコア》の放った赤黒いリバウンドの砲撃がブルブラッドキャリアの中枢を射抜く。
崩壊したシステムがバックアップを作るより早く、《トガビトコア》から放たれたRブリューナクがシステムバックアップ地点を打ち抜き、さらに電脳世界へと分け入った《トガビトコア》の因子がその末端まで焼き殺す。
全てのバックアップが破壊されたのを確認し、《トガビトコア》と共に梨朱は浮遊していた。
暗礁宙域の果て――虚空に浮かぶ虹の惑星より来る凶星。それを討つためだけに、自分はここにいる。ここに立っている。
「――鉄菜・ノヴァリス。決着をつけよう。私が、真の血続だ」
第十四章 了