「この状況下での第三勢力の合流……まさか企てていたのか」
リックベイの問いかけに、まさか、と司令官は読めない笑みを浮かべる。
「そんなわけがないでしょう。本国も混乱している。それなのに、こんな事態を」
「だが、あまりにもスムーズに事が進んだ。ある程度は察しがついていたのでは?」
「……先読みは伊達ではありませんね。少佐ならばお分かりでしょう? グリフィスという組織とアンヘルは、一時的な交渉状態にあった」
やはり、二枚舌、とリックベイは歯噛みする。
「そんな組織との共闘条件の締結、いい報せとは言えんな」
「そうでしょうか? 少佐、《ブラックロンド》はよい機体ですよ。《スロウストウジャ弐式》よりも汎用性が高く、性能面では比肩している。一部の技術はブルブラッドキャリアのものを使っている様子ですが」
「懸念事項はそれだけではあるまい。……バベル、と言ったか」
この星を長年掌握して来たという、謎のブラックボックス。その一部を手土産にしてみせたからこそ、アンヘルはすぐさま受け入れ態勢を整えたのだろう。
「……これも極秘だったのですが、バベルを解析する事によって、《イザナギ》の黄金の力を引き出せた。つまり、元々グリフィスは我らの解析班としての役割も果たしていたのです」
「……だが、一隻はブルブラッドキャリアへ」
「致し方ないでしょうね。長が道を見失ったとなれば、下々は新たな場所を開拓するしかない。彼らの受け入れ先として、大きな器を見せるべきなのですよ。我らアンヘルは」
何が器か。ただ単に戦力不足に喘いでいたのを解消するために、またしても一時的な同盟関係を結んだに過ぎない。
六年前の禍根を思い知って、リックベイは拳を握り締めた。
「……手痛いしっぺ返しを食らう可能性もある」
「ですが、《イザナギ》はもうすぐ出せます。それに、グリフィスの母艦は宇宙での航行能力を持っている。我々は地上に戦力を縫い付ける事しか出来ないかと思っていましたが、存外うまくいくものです」
アンヘルの戦力を相手方に発揮するためには宇宙への航行は必須。しかし、現状の地上勢力ではまず第一波は間に合うまい。しかしグリフィスの母艦を使えば、一部とは言え、ブルブラッドキャリア追撃に回せる。
「……そこまでして責められるべきであろうか。彼らは」
「少佐。お優しくなり過ぎですよ。銀狼はどこへ行ったのですか。敵を、その喉笛を掻っ切るまで追い詰める、あの銀狼の逸話は」
「……過ぎたる話だ。尾ひれもついている」
「しかしあなたのかつての武勲だ」
今はもうその証左もないとでもいうような言い草であった。その通りだと認めるのも癪で、リックベイは視線を逸らす。
「グリフィスなる組織との癒着は後々の重石になるぞ」
「警句はありがたく受け取っておきますよ。ですが少佐。もうあなたの戦場ではない」
そう、自分はもう侍たる資格を失った、ただの生き意地の汚い将校だろう。
「……それでも信じてはいけないのか」
「信じる? これを目にしてもそれが言えますか?」
司令官が投射画面に《キマイラ》より輸送される《ブラックロンド》を映し出す。格納庫に並んだその漆黒の人機は壮観であった。
黒き獣は放たれる準備がいつでも出来ている。後は指令を下す人間だけであった。
「……皮肉な。《キマイラ》……伝承の獣など」
「これで我が方は充分な戦力を得て飛び立てます。ブルブラッドキャリア追撃の大任と共に」
「《イザナギ》はいい。キリビトタイプがいたな?」
「あれも出しますよ。出し惜しみをする場合ではないでしょう」
「そうか。……そうと言われれば従うしかないのが彼らだ」
そうとしか生きる事を定義されていないのがアンヘルの兵士達。彼らは上官に歯向かう事さえも忘れたただの牙持つ獣。
リックベイは踵を返していた。ブリッジにこれ以上いても悪い影響を及ぼすだけだろう。
「……少佐。あなたを追撃部隊に任命してもいい」
「せっかくの申し出だが、断る。わたしにはその資格がない」
扉を抜け、廊下を行き過ぎるグリフィス兵が目に入った。彼らはのらりくらりと人機の整備を観察している。そこに軍務や、軍属としての悲哀はない。
「……世界の外側から覗き込んでいた者達、か。その瞳に……、信念は」
問い詰めたところで無駄だろうと、リックベイは頭を振った。
格納庫を埋める《ブラックロンド》に、ヘイルは毒づいていた。
「……今の今まで静観を貫いてきた連中のおこぼれに預かるのが、俺達アンヘルだって言うのかよ……」
相手はうまい汁だけ啜って永らえてきた組織。そんな相手に頭を下げるような作戦、と怒りを滲ませかけて、ヘイルは歩み寄ってきたグリフィス兵を目にしていた。
「アンヘルの兵士? 作戦、一緒にするねんな?」
「……女操主か」
「女やとか、男やとか関係ないやん。ブルブラッドキャリアを追い詰めるんやろ?」
差し出された手と、にやついた顔に、ヘイルは吐き捨てていた。
「せっかくだが、俺は飯事で戦争をしているつもりはないんだ。守らなくっちゃいけないものが、出来たんでな」
身を翻すとその背中にわざとらしい大声がかかる。
「そら! 大変やね! まぁ、大義やとか、どれだけ言うても、アンヘルが虐殺して来たのは変わらんやろ!」
足を止める。それだけは、言われてはならないものであった。確かに今まで血に塗れてきた過去は消えない。どれほど高尚な理想を掲げても同じ事だ。
しかし、それだけは――。
死んでいった隊長や他の構成員、それに……燐華を馬鹿にされているようで。
「……てめぇ」
「ええやん。来や。格の違いを見せてみぃな」
「後悔させてやる」
固めた拳を振るいかけて、ヘイルの視線は格納庫でよろめく燐華の姿へと注がれていた。
「……おい、ヒイラギ!」
グリフィス兵を無視し、慌ててタラップを駆け上がる。
顔面蒼白の燐華は、今にも意識を閉ざしそうであった。
「何が……、おい、ヒイラギ! しっかりしろよ!」
「……壊さなくちゃ……何もかも。だって……鉄菜ぁ……ぅ、あたし、もう駄目だよぉ……っ、にいにい様? 隊長? どこに行ったの?」
その瞳はここにない者達を探しているようであった。ヘイルは彼女を抱き留める。どうして、ここまで追い詰められなければならない。どうしてここまで残酷な世界が、彼女の前だけに広がっている。
自分は、まだひよっこもいいところだ。
彼女の暗黒面の一端さえも担う事が出来ない。
「おや、ヘイル中尉」
わざとらしくこちらに一瞥を向けた白波瀬が笑みを浮かべる。
「ヒイラギに何しやがった!」
吼え立てたヘイルに比して相手は冷静であった。
「なに、精神天敵というものをね。ああ、君達の言葉ではジュークボックスだったか。あれをちょっと過剰に飲んでいただいた。お陰で限界稼動域まで《キリビトイザナミ》は戦えそうだ」
「てめぇら……それでも人間かよ!」
その言葉に白波瀬は哄笑を浴びせる。
「君が言うとは……! 笑わせてくれる。虐殺天使の赤が泣くぞ?」
「ぶっ殺してやる!」
歩み出しかけたヘイルを燐華が押し留める。
「やめてください……。あたしが悪いんです。あたしが……弱いから」
「でもよ、こんなのってないはずだ! 誰も望んじゃいねぇ!」
「いいえ……あたしの意思なんです。だから、ヘイル中尉、怒らないで……。どうして、みんな近くにいないの……。隊長ぉ……、鉄菜ぁ……」
どこからどう見ても燐華はもう限界であった。それでも酷使するというのか。こんなにまでなった彼女を戦場に送り出せと言うのか。
「……おい、白波瀬。宇宙への追撃部隊、まだ空きがあったな」
「そうだが、どうするつもりかね?」
「志願する。アンヘルからの兵士ならその権限があるはずだ」
白波瀬はフッと嘲笑を浮かべた。
「まさか、彼女を守るつもりかね? 無理だよ。君の腕では墜とされる」
「やってみなけりゃ、分からないはずだ」
その言葉に白波瀬はふんと鼻を鳴らした。
「やってみるまでもないと思うが。まぁいいだろう。志願を受諾する。司令官に話は通しておこう」
いずれにせよ、燐華だけを宇宙に行かせるつもりはない。ヘイルは抱き留めた燐華に言いやっていた。
「心配すんな、ヒイラギ……。俺が、……お前を守ってやる。絶対に」
どうしてだろう。最初は邪魔なだけだと思っていた。しかし、彼女の覚悟を幾度となく戦場で目にしてきた。だからこそ分かる。燐華は半端な気持ちで戦ってきたわけではない。いつだって理性とのせめぎ合いを一番にしてきたのは彼女だ。
隊長が死んだ時も、自分は怒りと悲しみに暮れるしか出来なかった。だが燐華は前を向いた。《ラーストウジャカルマ》という呪いを一身に受けてまで、戦い抜こうとした戦友に、自分は静観を貫けるほど大人ではない。
「……飯事してるんは、あんたらちゃうん」
グリフィス構成員からの嘲笑が飛ぶ。それでも、ヘイルは燐華を離したくなかった。
「ヘイル、中尉……。大丈夫です。一人で、歩けます。……歩かなきゃ、だって、もっと遠いところに、行っちゃう……」
虚空へと手を彷徨わせた燐華に、ヘイルは誓っていた。
「約束する。俺は絶対、お前を見捨てない。お前より先には、死なないからよ。ヒイラギ! お前は生きろ! そうじゃないと、馬鹿にしてた俺も、嫌気が差すからな」
「生き、る……? でも、隊長と、にいにい様はあっちに行っちゃった……。遠くに行かないで」
燐華との会話はまるで平行線だ。ゆえにこそ、自分は背負う。背負わなければならない。
「最後の戦いは、宇宙……」