「鉄菜……」
ブリッジで鉄菜のオープン通信を聞いていたニナイは、拳を握り締めていた。
まさか生きているとは思ってもみなかった。しかし、それは敵としての再会。もう二度と会えないと分かっていただけに、このような形で自分と彩芽は会うべきではないと考えていたのだ。
だが、それは甘い考えであった。
鉄菜は、彩芽の提示する平和に異を唱えている。彩芽の事を、正しいとどこかで感じている自分とは違う。負い目だけで戦っているのではない。彼女は、本当に戦いの中から、大切なものを見出そうとしている。
自分は逃げに徹してきた。彩芽が死んだ事からも。ブルブラッドキャリアより離反したのも。
全て、自分の行動の先にあった未来であったのに、誰かの状況に流されているのだと。
『何の事を言っているの。鉄菜、貴女、意味を分かっている?』
『彩芽・サギサカ。お前の事を思い続け、……死んだと告げた時、一番に辛かった人間がいる』
『ニナイの事? 気にしていないわ。でもね、憎んでいないと言えば嘘になる。《アサルトハシャ》に少年兵、彼女がしてきた事、わたくしは絶対に許さない。許すつもりなんて、この先あり得ない』
やはり、自分は彩芽に憎まれている。彩芽は自分を心底嫌悪して、だから組織を去ったのだ。
面を伏せたニナイに、鉄菜の声が響き渡る。
『憎むのは勝手だ。許せないのも、仕方ないのかもしれない。だが、ニナイは彼女なりの贖罪をしてきた。それを、お前は全く無視して、それで間違った未来に進ませようと言うのか。罪を贖う道さえも、なかった事にするというのか。その未来では』
「鉄菜……」
「ニナイ。分かっていると思うけれど、鉄菜は問い返してくれている。あなたの罪は、そこまで重くはない。彩芽・サギサカが言うよりかは」
茉莉花の励ましに、ブリッジのクルーの声が相乗する。
「……艦長の立場じゃ、自由にいかないのは分かっています。その中で、あなたは最良を模索してくれた。月でだって、本隊に啖呵を切ってくれたのは、艦長です」
クルー全員が自分の罪を洗い流そうとしてくれている。しかし、彩芽の口調は厳しかった。
『……鉄菜。つまらない人間になったわね。あんな女を! 許せるようになったなんて! それこそ、貴女、お終いよ?』
『彩芽・サギサカ。再会出来たのは嬉しく思う。私は、未だに心の在り処を掴みかねているから。……だが、今、はっきりとしているのは、今のお前は敵だという事だ。未来を閉ざし、可能性をなかった事にして、自分の罪を棚上げする。そんな貴様を! この私と、モリビトが断罪する!』
《モリビトシンス》が構える。しかし、片腕がないのだ。先ほどだって彩芽がその気ならばコックピットを砕かれていた。
次々とスクリーンが閉じていく。茉莉花がリアルタイムで抗生防壁を張っているが、それでも間に合わないらしい。
どうやらルイの怨嗟は六年もの間で増幅した様子だ。マスターである彩芽の指示に全力で従おうとしている。
『やってみなさい! 貴女が出来る程度の戦いで、わたくしを止められるなんて思わない事ね!』
《インぺルべインアヴェンジャー》と《モリビトシンス》が向かい合う。このような悲しい対峙を、誰も望んでいないはずだ。かつての仲間同士が争い合うなど。
ニナイは身を翻していた。
「艦長が、どこへ行くの?」
「……ルイを止める」
「分かっていて言ってる? ルイは、この《ゴフェル》のメインコンソール。彼女を止める、という意味くらいは」
「……分かっている。もう《ゴフェル》に、未来はないかもしれない。それでも! 私は彩芽に、報いなければいけないのよ。私なりの答えで。だって、鉄菜はそうしている! 一番辛いはずなのに! 鉄菜は戦っているのよ!」
ならば自分が戦わなくってどうする。握り締めた決意に、茉莉花が嘆息をついた。
「……五分。作ったわ。今ならば、電算室まで直通が繋がっている」
茉莉花が作った、ギリギリの五分。その間に自分は決着をつけなければならない。過去との決着を。
「……ありがとう」
エアロックを解除し、ニナイは駆け出していた。
電算室まで以外の廊下はロックされている。隔壁が次々と閉じる音が耳朶を打つ中、ニナイは電算室の扉へと辿り着いていた。
エアロックを艦長の解除キーで開く。
見据えた先にいたルイは赤い光に包まれ、《ゴフェル》を完全に支配下に入れていた。
「ルイ。彩芽は生きていたのね」
『……ニナイ。マスターはあんたのせいで死んだ』
「分かっているわ。だから今、こうして来ているのだとも。でも、ルイ。もうこれ以上、無用な争いで死者は生みたくないの。お願い。もうやめて欲しい」
ルイがすっと手を掲げる。装備された防衛用タレットが一斉に照準を向けた。
こちらも覚悟を相手に向ける。銃口がルイを睨んだ。
『撃つの? 分かってる? 撃てば《ゴフェル》はメインコンソール、つまり制御を完全に失う。宇宙にも行けなくなる』
「そうね。そうかもしれない。でも、それ以上に! ここで退いたら駄目なんだって、私は分かっている。これは過去との決別なのよ! ルイ!」
『過去、ね。マスターが死んだのはあんたにとってはもう、過去なんだ? マスターは! あんたがそんなのだから、死んだのよ!』
タレットの銃弾が膝を撃ち抜く。迷いのない殺意に、ニナイは膝を折っていた。
『次はどこを撃って欲しい? お腹? 肩? どこだっていい、あんたに復讐出来るんなら! 一番後悔させて殺してやる!』
「ルイ……。あなた、憎み続けてきたのね、ブルブラッドキャリアを、私達を。……何よりも私を」
『当たり前じゃない! マスターは死なないで済んだのに!』
「じゃあどうして……っ! 今まで私達を支えてくれたの」
『……最高の時期を見計らっていた。あんた達が一番困窮した時に殺してやるって。それが今じゃなっていつなのよ! マスターは、だから蘇った! 《インぺルべインアヴェンジャー》! その名は復讐者として!』
「そう……、でもだからって、従わない道も……あったでしょうに。あなたにも、迷いはあったんじゃない、の……。私達を、ただ殺すだけじゃないっていう……心が……」
『システムに心なんてない!』
肩口を灼熱が射抜く。滴る鮮血に今にも意識を失いそうになる。
『次は頭! 脳しょうぶちまけて死んで! ニナイ艦長! それがあんたの責任でしょ!』
「そう……責任、なのかもね……。彩芽を、救えなかった。……違うか。彩芽だけじゃない。組織の大義名分で……命を粗末に扱ってきた。鉄菜は、それでも戦っている。それでも! 彩芽と戦う道を……選んでくれた!」
無理やり膝に力を通し、扉に寄りかかりながら身体を起こす。激痛と出血で、閉じそうな意識の中、ニナイはルイへと狙いをつけていた。
『撃てるの? 撃ったらお終いなのに!』
撃てば、ともすれば全て間違った方向に行ってしまうかも知れない。これが悪手になる可能性のほうが高い。
何よりも、ここで撃てば、自分に全ての責任が返ってくる。彩芽を死なせた罪だけじゃない。《ゴフェル》の道を閉ざした大きな罪を。
「……それ、でも……。鉄菜は行く、って言ってくれた。私に……やり直していいって、言ってくれたのよ! その期待を裏切れない! みんなが作ってくれた道なのよ、ルイ……!」
『綺麗事を!』
タレットの銃口が脳天を狙う。その刹那、ニナイは引き金を絞っていた。
投射映像のルイを突き抜け、銃弾は奥にあるメインコンソール中枢へと突き刺さる。火花が散り、ルイの映像に砂嵐が混じった。
タレットの銃弾は、すぐ脇の床を撃ち抜いていた。ルイの身体が景色に溶ける。その肉体の残滓が、粒子となって漂った。
「ルイ……、あなたは……」
『黙って……。マスターのために、出来る事をやっただけだから、憐れまれる義理じゃないのよ』
それでも、消えてゆくルイをただ眺め続ける事しか出来ないのか。手を伸ばしたニナイに、ルイは拒絶を示した。
『触らないで。……誰にも、触って欲しくない。彩芽……マスター、ようやく、やれたよ……。だから。褒めて……。でも、どうして? 何で、復讐を遂げたはずなのに、胸の奥が痛いんだろう。何なの、これ……』
「ルイ、それは心なのよ……」
鉄菜も求め続けているもの。ルイは既にそれを宿しているのだ。
その言葉に、彼女は頭を振った。
『システムに心なんて。でも、これが心だとすれば……、それほど悪いものでも、ないかな……』
中枢のメインコンソールがダウンし、ルイの姿は跡形もなく消え失せていた。彼女の真意は分からない。復讐を遂げたかった、という言葉も本物ならば、心の在り処に戸惑っているのも本物だったのだろう。
ニナイはまだスパークを弾けさせる中枢メインコンソールへと、最後の弾丸を引き絞った。
「これで……、彩芽、私は報いる事が出来た……?」