『薬物投与が必要か』
その通信を聞いたヘイルは、いや、と声を躊躇わせていた。
《キリビトイザナミ》、ハイアルファー人機を乗りこなした燐華が艦隊側面からようやく格納庫へと足を運ぶ。胃の中のものを吐き出した彼女へと、《ゼノスロウストウジャ》より飛び出した自分は駆け寄っていた。
「ヒイラギ! 大丈夫か……?」
「いやだ……ぁっ……、鉄菜……、傍にいてぇ……ぅ、あたしを、一人にしないで……」
ハイアルファーのフィードバックか、とヘイルは医務室へと促そうとする。それを阻んだのは、一人の男だった。怜悧な瞳を湛えた男は医務室へと運ぶべきではない、と進言する。
「ハイアルファーとの同調率がまだ弱い。運ぶべきはシミュレーションルームだ」
「正気か? この状態のヒイラギにまだ、戦闘訓練をさせろって?」
「無論、正気だとも。今の情勢を見ただろう? エホバ側は暫くこの空域から逃げられない。これは好機だと判断する。アンヘルはこのまま、エホバを迎撃し、その勢いを殺さず、ブルブラッドキャリアを殲滅する」
「現実的じゃないって言っているんだ! 《スロウストウジャ弐式》だってもうほとんど撃墜されて……!」
「数の有利は失われた。だが、あの割って入った不明人機……あれはブルブラッドキャリア本隊によるものだ。まだ宇宙にいる本隊は力を失っていない。ならば、ここで叩けるものは全て叩いておくべきだ。残りは暗礁宙域で陣取るブルブラッドキャリアだけになる」
ヘイルは覚えず胸倉を掴み上げていた。兵士の事をまるでただの数としてしか考えていないような言い草に苛立っていた。
「あんた……、それでも人か!」
「……そう言われれば、人ではない、と答えられる」
思わぬ返答にヘイルは絶句する。男はこちらの手を振り解いた。
「わたしの名前は白波瀬。この地に残る事を決めた最後の人間型端末であり、惑星の平定のため、アンヘルに味方する」
「どういう……人間型端末……?」
「分かりやすく言えば人造人間だ。ブルブラッドキャリアの用意した、ね」
思わぬ名前の因縁にヘイルは硬直していた。白波瀬はふんと鼻を鳴らす。
「聞いていなかったか。いや、所詮はアンヘルとは言え一構成員。権限はなかった、か」
「……おい、どういう事だ。人造人間? 人間型端末? ……馬鹿げている」
「馬鹿げているかどうかは、この人機を見ればいい。ようやく完成に漕ぎ付けた、最強の人機。《キリビトイザナミ》」
「あんたは! 人機さえ武勲を挙げれば、いいと思っているクチか!」
こちらの激昂に相手は首を傾げる。
「それ以外に何が必要か。人機が武勲を挙げれば、それだけ死ななくていい命がある。人を救えるのは、戦いの中だけだ。それ以外にない。わたしは、六年前、ブルブラッドキャリアの報復作戦の一助として、この惑星に放たれた。だが、我々人間型端末……調停者は特別な権限が与えられていた。ブルブラッドキャリアの命令から、ある種独自の行動へと移れるだけの権限。それが我々の存在意義だ。わたし達は人を、存続可能な種かどうかを見定める役割が課されていた。そして……三人の調停者はそれぞれに使命を帯びた。一人は、ある男に肩入れした。世界を掴むという野望を抱き……その野望の前に自滅したと言ってもいいだろう。もう一人は……単独で全てを手に入れるつもりであった。いや、今も継続しているからつもりであった、というのは不可解か。彼の戦いは自分を頂点とする新たなる勢力図の構築。そして、世界を自分の意のままに動かそうとしている。……わたしは二人の調停者の全く異なる行動規範を目にし、そして考えた。この星を最大限に導くのにはどうすればいいのか。ブルブラッドキャリアの命令に反しない最大の功績は何か、と……。考えた末が、これだ」
「……《キリビトイザナミ》」
「君は知らなかったかもしれないが、彼女はね。特別なんだ。血続とは言っても君らアンヘル構成員とは別種だよ。本物の、これから先の人類を導くに足る、最強の純粋血続」
歩みを進めた白波瀬はまだ呻く燐華を見下ろし、その肩に手を置く。
「やれるね?」
問いかけた言葉に、憔悴し切った面持ちの燐華は力なく頷いた。
「よし。シミュレーションルームに」
数人の連邦軍人を、ヘイルは殴りつけていた。その暴力に白波瀬が目を見開く。
「どうした? ヘイル中尉。君の職務は終了している」
「……納得出来ないからよ。何が、ブルブラッドキャリアの命令だ、何が、世界を導くだ! てめぇは結局、自分の自己満足のために、切り捨てるだけだろうが! ヒイラギの命でもさえも!」
「ふむ。君には難しかったかな。これは遠大なる、人類の生存圏の獲得に必要なのだよ。このまま行けば、人類は二分される。持つ者と持たざる者。血続と、ただの人間。しかしながら、その摩擦を、限りなくゼロに抑えるのが、彼女の役割だ。純粋血続が身を挺して惑星を守る。そのドラマは語り継がれるだろう」
「そんな大層な目的のために、俺もヒイラギも戦っているわけじゃねぇ!」
「では、何のためだ、ヘイル中尉。もうすぐ、C連邦とアンヘルは併合され、アンヘル側の発言権は消滅する。そうなれば、またしても混迷の時代へと逆戻り。支配と抑圧によって成り立っていた偽りの平和は暴かれ、六年前の繰り返しだ。また、冷戦状態になる。世界は、エホバと、それに与しない国家との間断のない争いの只中へと落とし込まれるのだ。それを防ぐのには、彼女の力しかない。《キリビトイザナミ》が、世界を導く。あるべき姿に、ね」
「ふざけんな!」
殴りかかったヘイルを白波瀬は涼しげに回避し、その姿へと疑問を挟む。
「どうしてだ? 君は、燐華・ヒイラギに何ら、関係がない。ただの同じ部隊に所属するだけの、関係性の希薄な存在のはずだ。肩入れする意味もない。君は他人だよ、ヘイル中尉。我々の赴く世界からして見れも、ましてや、ヒイラギ准尉からしてみても」
ヘイルは目を戦慄かせる。自分は、所詮は他人。
燐華の苦しみを肩代わりする事も出来なければ、この遠大なる野望を食い止めるだけの人間にもなれない。ちっぽけな存在。ただ、状況に翻弄されるだけの端役。
「……それでも」
ヘイルは拳を振るっていた。それを相手は身をかわし、襟元を整える。
「……君は何に対して怒っている? ブルブラッドキャリアを憎むのであればこれを邪魔する意味はない。それとも機体か? 《ゼノスロウストウジャ》は与えただろう? 何の不満がある?」
「……俺が、隊長と同じ《ゼノスロウストウジャ》が与えられたからって、はいそうですか、で引き下がる奴じゃないっていう、誤算だよ」
きっと隊長だってこうしたはずだ。燐華を、一人で苦しませるような真似は許さないはず。
しかし、白波瀬は心底理解出来ないとでも言うように頭を振った。
「肩代わり出来ない痛みが存在する。この世には、どれほど言い繕っても。君は、燐華・ヒイラギ准尉の、何者にもなれない」
「うるせぇな……。何者じゃなくたって、俺は! ヒイラギを守らなきゃいけないんだよ!」
振るった拳を白波瀬は受け切り、そのまま腕を基点として捩り上げた。身体が浮き、直後には背中を強く打ちつける。
「……大局で物を見られない人間は、時に度し難いほどの愚行を犯す。君もその典型だ。せっかくだから、ハッキリさせておこうか。――君はただの兵士。ヒーローじゃない」
言い捨てられ、ヘイルは連行されていく燐華の背中を眺めていた。
何か言わなくてはいけないのに、声が出ない。白波瀬の言葉が胸に突き刺さっている。
――ただの他人。ヒーローにはなれない端役。
胸を占める喪失感を噛み締め、ヘイルはエアロックに阻まれた通路の先を睨み続けていた。