ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯309 与えられた使命

「健康状態に問題はなし。それどころか、数値上はよくなっている。……何があったんだ?」

 

 リードマンの問診に鉄菜は特段、と応じかけて、軌道上で目にしたエホバの宣告を思い返す。

 

 かつての学園潜入の時の保険医、ヒイラギと同人物であるのは疑いようがない。ならば、彼が燐華を戦場に駆り立てたのか。

 

 だとすれば、と鉄菜は拳を骨が浮くほど握り締める。その手へとそっと、温かな体温が添えられた。

 

「クロナ……」

 

 瑞葉は責任を感じている。自分が《クリオネルディバイダー》に乗っていれば、と。だが、あの状態ならば誰が乗っていようと同じだ。

 

「……リードマン。聞いてもらっても意味はないかもしれない。それどころか、混乱させる事にも」

 

「いいさ。僕は君の担当官だ。何でも言ってくれ」

 

「エホバ……いいや、ヒイラギの事を私は知っている。奴は保険医という身分に紛れていた」

 

「ほう、それは……興味深い話だ。今、世界を敵に回している男が保険医、か」

 

「その時の生徒に燐華・クサカベという少女がいた。……皮肉な事に、潜入作戦時、ブルブラッド大気汚染テロが起き、私は燐華と離れ離れにならざるを得なかった。その後、何があったのか、それは分からない。だが今、燐華はアンヘルにいる。……兵士として」

 

 含むところのあった言葉に二人とも重く沈黙を返していた。

 

 鉄菜は自分の中でない交ぜになっている言葉を一つ一つ、丁寧に手繰り寄せる。

 

「……私は、燐華を助けたい。殺したくないんだ。たとえ敵になっても、一時の邂逅に過ぎなくとも、燐華は……私にとっては初めての、友達と呼べる存在であった」

 

「クロナ……、でも助けると言っても、その当人がアンヘルにいたのでは……」

 

「助けるよりも撃墜したほうが早いだろう」

 

「それでも、だ」

 

 結んだ決意に鉄菜は面を上げる。

 

「私は燐華を助けたい。たとえこの身がただの破壊者であっても、それは同時に、何かを生み出せるはずなんだ。破壊は、何もかもを壊してしまうだけではない。作り直す前にも、破壊は必要なんだ」

 

「……なるほど。今まで壊すだけに使っていた力を、今度は構築のために使いたい、というのか」

 

 首肯すると、リードマンはペンを手に取った。それを握って問いかけてみせる。

 

「鉄菜。このペンで君は何が出来る?」

 

「何が……、相手の頚動脈を裂き、心臓に突き立て、あるいは急所を貫く」

 

「それが今までの君であったのだろう。だが、ペンはこう使うものだ」

 

 リードマンがカルテに文字を書きつける。それは当たり前の事であったのかもしれない。だが自分には、今までそれが見えていなかった。

 

「ペンは剣よりも強し、という言葉がある。ある時には殺傷道具よりも、こうした文明の……利器のほうが強いという事だ。鉄菜、君は変わった。これは確かなものだ。僕は君を何年も見ている。黒羽博士の下から巣立った君を。もう、君にはこれがただの殺しの道具には見えないだろう?」

 

 ペンが手渡される。鉄菜はそれをじっと見据えていた。今までの自分は、ただ殺す、壊すしか出来なかった。だが、今の自分は綴る事が出来る。

 

 このペンで、如何様にも自分の物語を。

 

「……感謝する。リードマン」

 

「いいさ。君の面倒は彼女より頼まれている。死ぬまで君の姿勢は応援しよう」

 

「私は……もう誰も死なせない。この艦の誰も、悲しませないつもりだ」

 

「そう、か。だが戦いは苛烈な方向性に向かっている。君に芽生えたその優しさ、強さが、限りなく純粋なるものであるがゆえに、これからの戦いは厳しくなるかもしれない。あるいはこれまで以上に」

 

 自分は考えずに戦ってきた。否、考えないように目を背けてきたのだ。

 

 それが一概に強さなのだと言えない事を、もう自分は分かっている。

 

「リードマン。《モリビトシンス》で活路を開く。エホバ……ヒイラギが何を考えていても、それは変わらない。あいつがどのような崇高な理想を掲げても、私は否と言いたい。神を気取った戦いには終止符を打つつもりだ」

 

「……鉄菜、しかしこの《ゴフェル》には、君だけじゃない」

 

 瑞葉が手を添える。あたたかい、という感情に鉄菜は困惑した。

 

「クロナ。お前はもう、一人じゃないんだ」

 

「……分かっている。戦いを一人で進めるのには、もう私だけの力では足りない。ブリッジに赴く。付いて来てくれ、ミズハ」

 

 医務室からブリッジまでの廊下では誰もすれ違わなかった。以前なら突っかかってきたミキタカ姉妹も見かけない。

 

 事情は聞いた。だが、飲み込めない事もある。

 

「……鉄菜?」

 

 ブリッジでこちらへと振り返ったニナイに、鉄菜は歩み出た。

 

「艦内放送を、いいだろうか?」

 

「いいけれど……何のつもり?」

 

「達する。私はモリビトの執行者、鉄菜・ノヴァリスだ」

 

「何を……」

 

「今は……黙って見ていてもらえないだろうか」

 

 瑞葉の助けもあって鉄菜は言葉を継ぐ。

 

「私はずっと、六年間戦い続けてきた。モリビトの執行者として。ブルブラッドキャリアの変えた世界が正しいのかどうか。その是非を問うために。……だが、私にはもう、分からなくなってしまった。エホバなる存在が神を騙り、アンヘルとC連邦だけではない、敵が跳梁跋扈する。この戦いそのものに意義はあるのかどうか、それさえも掴みかねている。だが、私は……こんな戦いしか知らぬなりでも……未来を信じたい。まだ、人の世はそこまで堕ちたものではないのだと、そう思いたいんだ。それはいけない事なのかもしれない。執行者には邪魔な感情なのかとも思う。だが、これは私だ。鉄菜・ノヴァリスという、私が感じた事なんだ。ブルブラッドキャリアの総意でもない、世界の意思でもない。この……小さな身体に収まる私が……戦いから得たものだ。こういう言い方は不思議かもしれないが、壊すだけの戦いに、得るものなど、それは勝利以外にないのだと思っていた。でも、違ったんだ。戦いでは勝利以外の結末もあり得る。手にしたものが、偽りである事も、または手にしていないと思ったものが、いつの間にか手に入っている事も」

 

 鉄菜は瑞葉へと一瞥を流す。彼女も頷いた。この絆も、決して計算で得たわけではない。戦いの中で自然に生まれ出るもの。戦いが、破壊以外のものも生み出せるのだという証明。

 

「私は……最後まで戦い抜く。戦い抜かなければならない。《モリビトシンス》で、全ての答えを得るまで……心がどこに在るのかを知るために。だからお願いだ。《ゴフェル》のクルーのみんな……私に、戦えるだけの力を貸して欲しい。まだ抗えるのだと、言わせてくれ」

 

 頭を下げた自分にニナイは狼狽する。きっと今まで、このような姿を見せた事がないからだろう。だが、自分は、決して一人では何も出来ないのだと痛いほどに分かった。そして戦う事はただ虚無を生み出す事でも、ましてや憎しみの連鎖だけでもない。作り出せる、という事。何もない場所から、何かを生み出せる、明日への活力になる。

 

 だから、自分の戦いに意味を見出したい。この争いの果てに――「ミライ」があるのだと思いたいのだ。

 

「……もう、今さらよ。鉄菜」

 

 ニナイが肩に手を置く。瑞葉も微笑んでいた。

 

「わたし達はもう、それくらいの覚悟は持っている。それに、クロナ。お前だけが戦っているわけでもない」

 

「……執行者さんは前に出てくださっているのは分かっていますよ。我々だって、ブルブラッドキャリアなんです。変わったところなんて、一つもない。いつだって、ここは帰るべき場所なんですから」

 

「そうですって。我々にも頼ってください」

 

 ブリッジの構成員が上げる声に、鉄菜は、そうかと感じていた。

 

 これが、仲間、これが――家族。

 

 かつて黒羽博士が自分に与えようとしていたもの。もう、手に入れていたのだ。

 

 はは、と鉄菜は乾いた笑いを出してよろめく。

 

「大丈夫か?」

 

「ああ、大丈夫。……ミズハ、こんな、単純なものだったんだ。いや、分かっていなかったのは……。まだ」

 

 瑞葉が首を横に振った。

 

「まだ戦いは終わりじゃない」

 

「ああ。終わりじゃない。その通りだとも」

 

『いい演説だったわ』

 

 繋がれた無節操な通信の相手に鉄菜は目線を向ける。

 

「茉莉花……」

 

『格納庫に来なさい。あなたの《モリビトシンス》の、最後の使命を告げる』

 

「最後の……?」

 

『鉄菜。宇宙へと上がり、最終局面に向かうために、あなたには切り拓いてもらうわ。未来を』

 

 

 


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