「あり得へんって! あんな化け物!」
喚いた声に、《キマイラ》のブリッジは物々しい空気に包まれていた。
投射画面には完全に生命の途絶えた領域が映し出されている。エホバを捕らえようとして、自分達が罠にかかったのでは洒落にならない。彩芽も操主服のまま、腕を組む。
「エホバはあそこに、あんな……トウジャタイプがいるってのを読んでいた。奇襲を受けても逃げ切れると」
実際に相手は逃げおおせた。確認した画素の粗い映像には新たなシルエットを持つ人機が瞬時に空間から大部隊を掻き消したのが何度も再生されている。
「空間跳躍……まさか! ワープなんて出来るわけが……」
「出来るのよ。あの人機にはね。化け物じみたトウジャが眠っていたんだもの。それを知っているエホバは叡智を隠し持っていたっておかしくはないわ」
苦渋に滲んだ仲間達の顔には失った命の重さが垣間見える。しかし、自分達とてその命を弄ぶ商人。情報という武器で、どれだけでも命をやりくりする。それを今、まざまざと見せつけられて皆が被害者面をするのはどこかまかり間違っている気がした。
「試算してみましたが……あの人機はあれだけの部隊を抱えて、どこに跳躍したのかは全くと言っていいほど不明……。こちらがもらっているバベルのリソースでは追い切れませんよ」
「完全なるバベルがない、うちらなんて虫けらやって言いたいんか? あのエホバは……」
「完全なるバベルは今、どの陣営にもないわ。レギオンの持つバベルは沈黙し、エホバのものになった。……でも、あの柱はレギオンの遣いでしょうね。まさかリバウンドフィールドを構築する柱がそのまま人機になるなんて思いも寄らなかったけれど」
あるいは、それも計算ずくでの、惑星計画であったのか。元老院時代から仕組まれてきた事なのだとすれば頷けなくもない。
「あんなもん……反則やろ。何人死んだ思てるん……!」
「反則でも勝てば官軍、負ければその程度よ。今の情勢、最終的な勝ち星さえ拾えればどこの陣営にも軍配が上がる」
「最終的に勝つんは、うちらグリフィスやって……!」
「もちろん、そのつもりで動いているわ。そうよね? ボス」
問いかけた彩芽の声にボスが音声のみで応じる。
『その通り。我々の本懐は情報戦術。戦いは、あのコミューンに手数がないと判じてのものだった』
「でも……化け物出されて、負けたのはうちらやんか……!」
『それは認識の齟齬だろう。むしろ、ある意味では作戦成功と言えるだろうからね』
「作戦成功……? ボス、仲間の命を何やと――」
「あの場での最大功績は! エホバの炙り出し、その戦力を使い潰させる事。一発で消耗出来るのなら相手はそんな戦力で惑星を取りにかかっているわけない。わたくし達の戦いはエホバの弱点を露呈させる事にあった」
「弱点……、そんなもののために、みんな死んだんか。まだ入って間もない連中もいたんやぞ! 彩芽! あんた、鬼にでも……、悪魔にでもなったつもりか!」
「そうよ」
思わぬ返答だったのだろう。相手がうろたえたのが伝わった。
「何、を……」
「今さらじゃない。わたくしは戦局次第では鬼にも悪魔にもなる。あの戦いで一機、モリビトタイプを撃墜した。これは大きな戦果だと思うけれど。それに、トウジャ二機……いや、エホバの持つ鬼札、《グラトニートウジャフリークス》も含めれば三機、一気に削れた。これで残った戦力はもう少ないはず。あとは、詰みを相手に予感させる事」
「詰み……? 詰んどるんは、うちらのほうやろ! 《キマイラ》が一機、墜ちたんやぞ! 分かっとんの!」
「分かっているわ。でも相手は《キマイラ》を全て撃墜出来なかった。その時点で、優位に傾いている。わたくし達のデータベースは今、惑星全域を見張る眼に等しい。レギオンが使っているバベルは所詮、ブルブラッドキャリアの払い下げ。だったら、情報戦術で六年も沈黙を守ってきたわたくし達のほうが分はあると考えていいわ。敵にしたいのは何もエホバだけじゃない。レギオン、ブルブラッドキャリア本隊、離反兵……アンヘル。いいえ、もう連邦に併合されるでしょうね。アンヘルは先の戦闘で随分と戦力をすり減らした。このままブルブラッドキャリアに仕掛けるのにはあまりに力不足。何かしら手を打ってくるとすれば……」
コール音が響き渡る。ボスは繋がれたコールを全域に発布した。
『はい。こちらの首尾は上々に』
『本当に……秘匿回線なのだろうな? 我々の立ち位置が後で変わっていたでは遅いのだぞ……!』
『ご心配なく。して、用件は』
『……アンヘルはブルブラッドキャリアとの決戦、及びブルーガーデン跡地からの何らかの兵器による影響により、半数以上が負傷、それに出せる人機もない。畢竟、事実上の解散状態にまで追い込まれている。アンヘルが法であったのはもう夢幻だと、そういう事だよ。兵力はC連邦へと帰属し、このまま連邦艦隊と共に、海上のブルブラッドキャリア、それに味方するラヴァーズ艦を叩く。しかし……こういう事には大義名分が必要だ。今、議会は混迷していてね。議決承認を待っていれば、敵は逃げてしまう。それは避けたいのだよ。分かるね?』
『ええ、充分に。敵を縫い止め、ブルブラッドキャリアの艦をあわよくば轟沈、ですかな? オーダーは』
『……頼むよ。極秘に、ね。君達グリフィスに繋がっていたのだとばれれば失脚だ。わたしだけではないさ。他の議員も芋づる式に。連邦は速やかに事態を収束すべく動いた、という事実さえ残ればいい』
『ええ、ではそのように致しましょう。ブルブラッドキャリアへと鉄槌を』
『もう切るが……我が方としてはこれから先の十年、二十年を見据えての判断だ。エホバとの戦いは長丁場になるという見方もある。あれは世界そのものだからな。だがブルブラッドキャリアは、……膿は潰しておきたいのが人情だ。世界の悪意と向き合う前に、侵略者を放逐する』
通話が切られ、ブリッジ全員が呆然とする。
『これが、世界の有り様だ』
ボスの言葉に誰も声を振り絞る気概さえ湧かないようであった。世界そのものが、もう舵を取り違えている。誰が矯正するのか、それは自分達の双肩にかかっていた。
彩芽は歩み出て言いやる。
「ブルブラッドキャリアの艦を落とす。それに、争いが起こればエホバだって黙っていられないはず。焦りはあると思うわ。もうアジトも焼き払われた。逃げ場なんてどこにもないのよ。この惑星から出るとすれば、まだ望みはあるでしょうけれど、エホバの目的はあくまで、この星の意見を変える事。ブルブラッドキャリア殲滅は考えの外のはず」
「それも……希望的観測やん」
「そうよ。希望的観測。しちゃいけない? わたくし達はブルブラッドキャリアを何としても、阻まなければならない。エホバとの諍いは星の人々に任せても問題ないはず。これは、彼らの問題なのよ」
自分の因縁をそそぐためにも、ここは地上勢にエホバ討伐へと向かってもらわなければならない。その最中に、ラヴァーズとブルブラッドキャリアは潰しておきたい。
全員が鉛を呑んだように静まり返る。
その只中でボスが声にした。
『……宇宙駐在軍との連携が取れそうだ。彼らは形式上はアンヘルだがほとんどゾル国陣営で占められている。このC連邦瓦解のシナリオは彼らにとっての千載一遇のチャンスのはず。一強国家を薙ぎ払い、ゾル国復権をちらつかせれば食いつかないわけもないだろう』
「宇宙駐在軍……、宇宙の奴らなんて」
「信用出来ない? 案外、星の中で周りを見渡しているよりかはマシかもしれないわよ? いずれにせよ、エホバは追う。その情報をこちらは依然として協力関係にある人々へと発信。グリフィスのスタンスは変わらないわ。わたくし達はその眼で、全てを見通すのよ」
この発言に感銘を受ける人間はいるだろうか。彩芽はブリッジを見渡してから、レーダー班の声を聞いていた。
「《キマイラ》弐番機、信号を受信。エホバの使用したモリビトタイプの出現位置を特定しました」
その言葉に全員が色めき立つ。
「どこへ? どこへ出るんや! あいつは!」
「待ってくださいよ……。これ……嘘だろ、相手の出現位置は現状、アンヘル艦隊司令部、及びC連邦艦隊が集中する海域! ブルブラッドキャリアとの戦闘の真っ只中ですよ……」
まさか、と絶句した一同に比して彩芽はやはり、と考えていた。
エホバはそれほど長丁場にする気はない。世界との決着も、そしてブルブラッドキャリアとの因縁も早々につけるつもりだ。世界の思惑に比して、幾星霜の時を生きてきた人間はすぐにでも手を打ちたい様子。
彼からしてみれば、どれだけでも待ち続けてきたのに、絶望を突きつけられた、その一事なのだろう。禍根の芽は早くに摘みたいのは分からないでもない。
「……艦を海域方面へ」
彩芽の指令に針路を取る構成員が声を荒らげた。
「正気ですか? C連邦とアンヘル、それにブルブラッドキャリアとラヴァーズの戦闘のど真ん中に、突っ込むって……」
「わたくし達の目的はエホバの身柄。ならば、戦地にでも赴くのが当然の帰結じゃない? それとも、危うい場所には近づかないとでも? まさかそこまで及び腰じゃないわよね?」
挑発の言葉に胸倉を掴まれた。相手は目を戦慄かせている。
「彩芽! あんた、部外者やからって、いい気に……!」
「部外者? 心外ね。わたくしはもう、グリフィスの一員なのだと思っていたけれど?」
「《ブラックロンド》みたいな機体じゃ不安なんやって気持ち、分からんの!」
「じゃあ《インぺルべインアヴェンジャー》を貴女達がどうとでも動かしなさいな。わたくしは《ブラックロンド》でも構わない」
嘘偽りのない声音に相手がうろたえる。自分以外では《インぺルべインアヴェンジャー》の性能を一割も引き出せずに撃墜されるだろう。それだけ自分専用に造ってある。
「これ以上の議論は先延ばしになるだけよ。相手だって、すぐに出てくる」
「……彩芽さんの言う通りです。敵は待ってくれない。空間跳躍がどれほどの負荷なのかも分からない今、敵を打倒出来るチャンスは逃すべきじゃないでしょう」
『それにはこちらも賛成だ。彩芽君のスタンスは何も糾弾されるべきじゃない』
ボスの賛同を得てブリッジが重い空気で満たされる。その中を彩芽は行き過ぎた。
「《インぺルべインアヴェンジャー》の状態を見ておくわ。いつでも出せるように、ね。《キマイラ》弐番機と参番機はそれぞれ航路を戦場に取って。相手がどう対処するかは不明だけれど、その場にいないとどうにもならない」
エアロックの扉を潜ると、怒声が漏れ聞こえた。
ここでも軋轢はある。自分がうまく立ち回った事を気に食わない連中も多いだろう。
だが、グリフィスが今の今まで情報だけで勝利出来るとでも思っていたのだとすれば、それはおめでたいの一言に尽きる。
情報と言葉繰りだけで世界を生きていけるほど、この星は優しくはないのだ。
格納庫に横倒しになった《インぺルべインアヴェンジャー》は自分の復讐心を引き移した灰色の躯体であった。敵を討ち、そしていずれ、ブルブラッドキャリアを――。
「迷わないわ。わたくしは、もう決着をつける」