「何でだよ!」
振るった刃が虚空を裂く。対応した剣筋を直前で受け止めて、タカフミは吼えていた。
「どうしてだ! お前の願った零式は! 少佐はこんな結末なんて望んじゃいなかった!」
『それはお互い様だ。お前だって、少佐を裏切った。恩に仇を返したんだ!』
相手の呼気と共に一閃が払われる。薙ぎ払った刃が火花を散らせた。
「……そうかもな。でもよ、守るべきものは自分で決めろって、それは少佐の口癖だった。おれは! 守るべきものを見つけた! それだけだ!」
《ジーク》が実体剣で《イザナギ》の懐へと潜り込む。近接距離からの血塊炉を打ち砕く一撃は、しかし、直前に咲いた《イザナギ》の抜刀術に阻まれた。
『零式抜刀術……伍の陣』
「燕返し……、お前ぇっ!」
射程外からの反転した一撃を《ジーク》は後退用の推進剤を焚かせて逃れようとするも、《イザナギ》のほうが遥かに機動力では上を行っている。
上方を取られ、舌打ち混じりに軌道修正しようとしたが《イザナギ》は機体ごと蹴りを見舞ってきた。重さのかかった両足蹴りで《ジーク》が海面激突すれすれまで追い込まれる。
海面で波を蒸発させて滑りつつ、《ジーク》の刃を突き上げようとした。その突きを読んだ敵が軽業師めいた動きで間合いを回避した。
――やはり読まれている。
それも当然と言えば当然。同じ師より授かった戦闘術で雌雄を決する事は不可能だ。互いに力量はほぼ同じ。ならば、この戦いを左右する要因は大きく二つ。
一つは、機体性能。だが、相手もまだ《イザナギ》という新型機を使いこなせていない。その部分が優位に働いている。
もう一つは、外的要因。
既に十分間、互いに援護砲撃すらない。
両者共に様子見の状態が続いている以上、ここで発生する外的要因は、恐らく足枷になる。
それを待って、というほど悠長でもない。タカフミは《ジーク》の剣先を《イザナギ》へと向けていた。
「……極めるぞ。桐哉ァッ!」
『捨てた名で吼えるな! 今はUDだ!』
互いの声が相乗する。
「零式抜刀術!」
『奥義!』
敵の刃が銀閃を帯びた。この攻撃は相手の首を刈る一撃必殺の太刀。無論、自分の防御など度外視している。どちらかが決まれば、どちらかが倒れるのは必至。
互いに軋った剣術がとどめの一撃を打ち込もうと極まった。
その瞬間である。
二人の通信網を、声が震わせた。
『UD!』
『アイザワ!』
艦隊司令部より一機のバーゴイルがこちらへと急接近してくる。しかし、それよりもタカフミにはもう一つの声へと振り返っていた。
「嘘、だろ……瑞葉……?」
どうして。瑞葉の《カエルムロンド》が真っ直ぐにこちらへと向かってくるのだ。
疑問を挟むより先に動いたのはUDであった。相手は硬直した《ジーク》を押し退け、真っ直ぐに《カエルムロンド》へと駆け抜ける。
まさか、とタカフミが息を呑んだ。
「やめろ! 桐哉! そこには瑞葉が……!」
『ブルブラッドキャリア、世界の敵! 葬るは我に在り!』
《イザナギ》の剣術が《カエルムロンド》の片腕を引き裂いた。さらに一閃が走り、アサルトライフルを寸断する。
瑞葉が空を掻いた腕を払った剣筋が斬りさばいた。
どこまでも無慈悲に。どこまでも冷徹に。
零式抜刀術が、今、自分の大切な人を奪おうとしている。
受け継いだはずだ。志も、精神も、その全てを。
だというのに、こんな場所で。こんなところで潰えるというのか。
自分の戦う理由。自分の愛した人の命一つ守れずに。
「させるかァッ!」
《ジーク》がプレッシャーライフルを一射する。その攻撃が《イザナギ》の肩口に突き刺さった。よろめいたのも一瞬、《イザナギ》が最後の一閃を放とうとする。
「逃げろ! 瑞葉!」
《カエルムロンド》は完全に射程に入っている。相手方のバーゴイルから声が迸った。
『やめるんだ! UD! 戻れなくなるぞ!』
『俺は……もう戻れなくとも構わない。もう、その資格はない!』
刃が《カエルムロンド》を断つべく振るい上げられた。
《カエルムロンド》より、声が迸る。
『こんな……こんな奴が……。すまない、クロナ……!』
全ての決定は遅過ぎた。全ての行動は意味を成さなかった。全て、何もかも、狂ってしまった。誰が狂わせたのか、誰が掛け違えたのかそんな問題は分からない。
ただ、散っていくのはいつだって、気づいた時には大切だったものばかりで――。
《ジーク》が指を伸ばす。タカフミも手を伸ばしていた。
――届かない。それは分かっている。それでも……。
「守りたいじゃないか……。だって……」
ようやく、自分の心に従えたのに。
悔恨を噛み締めた、その刹那、銀色の稲光が戦場を引き裂いた。
何が起こったのか、まるで分からない。何もかも不明瞭な戦場で、最後の太刀筋が銀翼の機体に受け止められたのをタカフミは確かに目にしていた。
機体は焼け爛れ、空間が熱波に歪んでいる。その只中で、輝きを放つもの。銀翼を拡張し、その手が太刀を掴み上げる。
緑色の眼窩が光を宿した。決意の双眸が憎悪の眼差しと交錯する。
『……《モリビトシンス》……』
「……まさか、あれが」
『ようやく会えたな……、我が怨敵』
それぞれの思いが巡る中で、銀と青のモリビトが掴んだ太刀を灼熱の腕で握り潰していた。
『クロナっ!』
《カエルムロンド》が武器を放る。
即座にそれを掴み、刃を振るったモリビトの一撃を、《イザナギ》は腰より提げたもう一刀で遮っていた。
『……感謝すべきかな。ここで! 降りてきてくれた事を!』
『……黙っていろ。私は、破壊する。こんな世界を、破壊して――そうして、作り直せばいいっ!』
弾き返した一閃の鋭さにタカフミは絶句していた。UDの操る《イザナギ》が後退する。その速度に勝るとも劣らない勢いでモリビトが剣筋を打ち下ろした。
《イザナギ》が防御陣でその太刀へと返答する。モリビトの膂力があまりにも強大なためか、《カエルムロンド》の太刀が崩壊した。
『剣のない武士など!』
《イザナギ》の胴を割る一撃を、モリビトは砕けた刃の切っ先のみを掴んで受け止める。
一進一退の攻防、さらに言えばギリギリの一線で戦い抜いている。
これがモリビトか、とタカフミは圧倒されていた。
《カエルムロンド》へと寄り添い、接触回線を響かせる。
「無茶をして……」
『でも、……来てくれた。クロナが……』
「あれが、クロナ、とか言う……。あんなものが……」
『クロ! 武器をレールガンで射出する!』
《ゴフェル》甲板部より響いた声に、モリビトがきりもみながら《イザナギ》と超至近距離戦に持ち込んでいた。
鋼鉄同士がぶつかり合い、互いの頭部がかち合う。
『武器を失ってもまだやるか! モリビトよ!』
『うるさいぞ、お前。私は、……こんな感情久しぶりだな。そうだな、これを形容するのならば、機嫌が悪い、というべきか』
『今の鉄菜に障らないほうがいい。やらなくていい負傷をするぞ』
外部から聞こえてきた声に、何者かが同乗しているのだと悟る。レールガンで海面を突っ切ってきたのは一振りの剣であった。それを、モリビトは相対速度を合わせてその手に掴む。
『……止められたな。何故、何もしない』
『恥辱。武器も持たぬ相手とし合うほど、落ちぶれてはいない』
『……ゴロウから聞いた。たくさんの偶然が重なったお陰で、私は降りてこられた。だが、たくさんの命が散ったのだとも。私は、許さない。戦いのみで壊す事ばかり、そんなお前達を――真の破壊者である私が、断罪する!』
突きつけた刃にUDはせせら笑う。
『真の破壊者だと? 驕るのもよし! そうでなくては、我が宿敵の甲斐はないからな。だが、破壊者が何に成れる? 何にも成れまい、虚無を生み出し続けるだけの、破壊者は、俺と同じ。壊すしか道がないのだ!』
『違う! 私が壊すのはその因果、地上に人を縛り付けている、罪そのものだ。私が討つべきは、その罪にあった!』
『罪を憎んで何とやら、という奴か。だがモリビトよ。もう戻れぬ場所まで来ているのはお互い様よ。俺も、お前も! 戻る事は断じて許されない! 数多の魂が告げる。この行く末に待っているのは、真なる死地のみだと!』
『お前は破壊するだけだ。エホバも諦めた。だが、私は諦めない! エクステンド、チャージ!』
黄金に染まったモリビトが神速の太刀筋を払う。確実に《イザナギ》を叩き割ったかに思われたその一閃は何もない空を裂いたのみであった。
黄金のモリビトが一瞬、硬直する。
「……《イザナギ》が、消えた?」
『違う! 上だ!』
瑞葉の叫びにモリビトが反転して応戦する。一瞬にして直上を取った《イザナギ》は黄金の光を携えていた。
その輝き、見間違えようがない。
「……あのモリビトと、同じ光だって?」
『お前……まさか!』
『我々がいつまでも遅れを取ると思うな。もたらされたのだ、禁断の箱の底に眠る力が!』
燐光を棚引かせて、二機が重力下とは思えぬ挙動で瞬間的に加速し、それぞれの刃を交し合う。
一撃一撃が相手を葬る威力でありながら、どちらも打ち損ねているようであった。
「……まさか、連邦側に、ブルブラッドキャリアの技術が」
『……クロナ』
茫然自失のタカフミへと、バーゴイルが接近する。《ジーク》を前に出させ、《カエルムロンド》を下がらせた。
「何だって言うんだ……、来るなら来いってんだ!」
『違う……。いや、君は……その声、まさか、アイザワ少尉か』
繋がった回線越しの声音にタカフミは言葉を失った。
「まさか……少佐?」
だがどうしてリックベイが? 彼は自分達の責を負って処刑されたはずでは? 堂々巡りの思考の中、《イザナギ》がモリビトを叩き落した。
モリビトは随分と消耗しているらしい。煤けた機体に、焼け落ちた装甲。どれもこれも、新型機と打ち合えるようには出来ていない。
タカフミは決断を迫られていた。
ここでモリビトに味方すれば、まず間違いなく、連邦、ひいてはアンヘルより敵視される。
だが、ここで決意せねば男が廃る。
『……少佐。おれ、アンヘルに残れません。残れませんよ。だって、決めたんですから。どんな事があっても守り抜くって決めた人の前で、逃げたくないですもん』
『アイザワ少尉……』
「それにっ! おれは大尉です! まぁ、軍籍なんて今さら! 行くぜ、《ジーク》! 桐哉の野郎を止めるぞ!」
《ジーク》を飛翔させ《イザナギ》を追う。モリビトへととどめを刺そうとした一閃を、《ジーク》は受け止めていた。
しかし、その高推力と過負荷に間接が悲鳴を上げる。駆動系が瞬時に連鎖崩壊を起こした。
『……お前は』
「クロナなんだろ? 瑞葉をずっと、守ってくれたって言う。だったら! 借りは返すぜ! 使えぇっ!」
片腕の挙動系を全て解除し、《イザナギ》の太刀で右腕が四散する。それと共に解き放たれていた。
自分が使っていた実体剣。それを、モリビトが今――その手に掴む。
「預けるって言うのはよ、ガラじゃないんだがな」
『退けェッ!』
《イザナギ》の風圧が《ジーク》を吹き飛ばす。その時には、モリビトと《イザナギ》が再び刃を得てぶつかっていた。
モリビトは実体剣を両手で保持し、切っ先を上げる。黄金に染まった《イザナギ》がX字の眼窩で睨んだ。
『何だと言うのだ。剣が変わった程度で、その剣術まで変わるものか!』
奔った《イザナギ》の剣筋をモリビトは動作せず、そのまま受け止める。行き過ぎた《イザナギ》が一撃の確信に刃を払った。
その途端、モリビトの胴より青い血が迸る。
しかし、それは相手もであった。《イザナギ》の肩口が砕け、左腕が落ちていた。
『動かずして、我が奥義を砕く? しかしそれは……まさか、それは……!』
『無念無想、全てを断ち切る剣の極み』
実体剣を翳したモリビトに、UDが猛り狂う。
『あり得ない……否! あり得てはいけないのだ!』
辻風のように突撃した《イザナギ》をモリビトは刃で応戦する。
互いの機体から黄金の輝きが失せた。
《イザナギ》が即座に反転し、距離を取る。
『限界、か……。帰投用のエネルギーくらいは温存しよう。しかして、リックベイ少佐。まさかそちらに与するので?』
接触回線を繋いでいたバーゴイルが惜しむように離れていく。その姿に《ジーク》に手を伸ばさせた。
「待って! 待ってください! 少佐ぁっ!」
『アイザワ少尉。まだ、君らの味方は出来ん。それが、わたしの選んだ……贖罪の道なのだ』
「でも、来てくれるんでしょう! いつかは!」
『……分かり合えれば、いいな』
その言葉を潮にしてバーゴイルと《イザナギ》が反転する。こちらも損耗がきついのは分かり切っている。その背中に追いすがる愚は冒さなかった。
それでも、とタカフミはコンソールを殴りつける。
「どうしてっ! どうして、こんなに近くにいたのに……分かり合えないんだ! 人って奴は!」
叫びはそのまま、この状況への当て所ない苛立ちとなって、空間に霧散する。
先ほどまで戦闘していたモリビトが同じ高度に達した。
見れば見るほどに、その機体には戦闘継続などどだい絶望的なほどの消耗がある。
『茉莉花に繋いでくれ。タキザワにも。……状況を一旦、整理したい』
『よく帰ってきてくれたわね、鉄菜。私達も……今を一旦整理するのには情報交換が必要みたい』
『共に、か。……ミズハ、そいつは』
『アイザワだ。わたしの……特別な人間だ』
「恥じ入ってなくってもよ。タカフミ・アイザワ。アンヘルの仕官だった。何度も……戦ったクチさ」
『アンヘルの……』
直後、その機体が殺気を帯びた。凪いでいた敵意がまたしても生じる。
突きつけられた実体剣に、タカフミはうろたえた。
「おいおい! その剣を渡したのはおれだろ? 恩人を斬るのかよ!」
『……ミズハ。こいつは』
『信用してくれていい。わたしも信頼している』
『……ならば、ここでは斬らない』
「物分りよくなってくれよ、お前ら……」
呆れ返りつつ、仕舞われた殺気と剣筋にタカフミは《ゴフェル》へと振り返る。
この戦いを見守っていた舟は静かに接近していた。
『鉄菜? 聞こえているわね? 《モリビトシンス》、随分と派手に壊したじゃない。エクステンドディバイダーを限界まで使ったせいね。《クリオネルディバイダー》がほとんど意味ないわよ』
『作り直して欲しい。今のままでは、勝てない』
『簡単に言ってくれちゃって。いいわ。降りてらっしゃい。あ、それと』
付け加えられた文末に疑問符が宿る。
『何だ? 文句は後で聞く』
『いいえ。おかえりなさい。鉄菜』
思わぬ返しだったのだろう。暫時の沈黙を挟み、鉄菜は応じていた。
『……ただいま、というのか。そうか、これが……ただいま、か』
まるで、何もかもが欠如しているような言い草である。タカフミは《ゴフェル》の甲板部へと《ジーク》を落ち着けさせていた。
すぐに出払った整備班が怒声を飛ばす。
「まぁーた、こんなに壊して! 新型造ってもすぐにおじゃんだ!」
その声を聞きつつ、タカフミは手を引いていた《カエルムロンド》に視線をやっていた。
「……あんな真似すんなよ。死ぬところだった」
『すまない。だが、見ていられなかった。あのトウジャに乗っているのは……戦いの癖で分かる……ずっとこの舟を追い回していた操主だ。モリビトに恨みを持っている』
「恨み、ねぇ。恨みつらみはあるもんだ。戦場ならどこだって、な」
だが、それがこんなにも因果な戦いを生み出したなど信じたくはなかった。同じ零式抜刀術を継いだ者。いわばもう一人の自分――。
掌を眺めていたタカフミは、それを握り締めていた。
「……桐哉。お前はそうだって言うのかよ。だったら、おれは……」