ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯305 その背中に

「……どうした。茉莉花。手が止まっているけれど」

 

 タキザワの指摘に茉莉花は困惑した様子であった。その目から涙が伝い落ちたからだ。

 

「何かあったのか?」

 

 うろたえ気味に尋ねると、彼女は頭を振る。

 

「ううん……何でも。ただ、吾を含む人間型端末は同期されているから。……一人の感情が他の躯体に影響を及ぼす事もある」

 

 ならば誰の涙であったのか。問いかける術を持たず、タキザワは現状を眺めていた。

 

 否、見つめ続ける事しか出来ない。

 

 二機の人機。二人の操主の意地のぶつかり合いを。

 

 タカフミの《ジーク》が何度も剣を軋らせ、必殺の間合いを放つも相手も心得たように同じ剣筋で応じる。

 

 決着のつかない戦闘は、もう十分を超えようとしていた。

 

「対人機戦で、十分以上も戦って……」

 

「異常よね。あの人機も、タカフミとか言う、あの仕官も。《ジーク》だったかしら。ほとんど使いこなしている。そりゃ、《スロウストウジャ是式》と一部駆動系は同じよ? でも、ほとんどがこちらの既存パーツに置き換わっているのに、この実力は」

 

「相当なものだ。タカフミとかいう仕官はここで死なせるのには惜しい」

 

「同意だけれど、誰が踏み込める? あの戦場……、踏み込めばそれこそ決定的な間違いを犯す。どちらかの隙が突けるとすれば、その時ね」

 

「……援護も意味がないって言うのか」

 

 しかしこのままでは間断のない争いを繰り返すばかり。せめて艦砲射撃を、と思いかけたタキザワは整備班の諌める声を聞いていた。

 

「駄目だって! 《カエルムロンド》は……」

 

「出せないって? じゃあ何のために! わたしはアイザワを放っておけない!」

 

 出撃しようとする瑞葉を、タキザワが止めようと駆け抜けた。

 

「待ちなって! 今の二機は拮抗状態だ! どっちかの隙がそのまま勝ち負けに直結する! 分かるだろう? 操主なら」

 

「それでも……。クロナならばこんなの、見て見ぬ振りはしない」

 

「そりゃ、鉄菜なら、ね。でも、君は鉄菜じゃないだろう!」

 

 叫んだ我が身も大人気なかったが、彼女が行ったところで足枷になるのは目に見えている。だからこその言葉だったのだが、瑞葉は語気を強めた。

 

「だったら……、だったらわたしは! クロナに顔向け出来ない! 誓ったんだ。もう一人のわたし……同じ眼をしているのなら、助けたいって! ……クロナは心が分からないと言っていた。でも、もう彼女は持っている! それを……自分で分かっていないだけの話で……、わたしもかつてはそうだった。心なんて、そんな不確かなものはないんだって、言い聞かせていたんだ。でも! 知った。心は! そんな小難しい理屈じゃないんだって……。こうやって、アイザワを思うだけで胸が締め付けられる……、そういうシンプルなものなのだって!」

 

「落ち着けって! 心の在り処がどうだとか、そういう哲学、僕は専門じゃない。分からないさ。でもここで出れば、無用な死人が出るのは分かる。それだけは!」

 

 必死に止める言葉を見つけようとした。しかし、思わぬ言葉が茉莉花から出る。

 

「いいわ。出させなさい」

 

「茉莉花……彼女に死ねと……?」

 

『推奨出来ないな。それはこちらも同じだ。死にに行くようなもの』

 

「それでも行くんでしょ。そういう眼、ここに来てから何度見てきたか……。その眼になった奴に何を言っても無駄よ。出ずに後悔するよりかは、出させて後悔させたほうがいい」

 

「死ぬんだぞ! 分かっているのか!」

 

 声を荒らげたタキザワに瑞葉は首を横に振る。

 

「死ぬつもりはない。いつだって、クロナもそうだった。あいつは……死ぬつもりなんてない、生きて帰るって約束したんだ。今だって……」

 

 鉄菜の安否は不明。《モリビトルナティック》の落着を阻止した事だけしか分からない。宇宙と地上に隔てられた二人の心はしかし、繋がっている。

 

 どれほどの距離があっても、どれほどにお互いの状態が分からなくとも関係がない。彼女らの信頼は、彼女らだけのもの。

 

 だから、自分が口を挟むのも、本来どうかしている。

 

「……参ったな。鉄菜を止める言葉を、僕は多く持たないんだ」

 

「《カエルムロンド》で出る。タキザワ……ありがとう。止めてくれて」

 

「よせよ。僕は臆病者なんだ。だから死にに行く人間を見ると、……止めるくらいしか出来ない。張り手も、怒鳴る事も、全部怖いだけさ」

 

「それでも。わたしをこの艦のクルーとして見てくれている。それに感謝する」

 

《カエルムロンド》に向けて駆け出した瑞葉の背中に、タキザワは在りし日の鉄菜を幻視していた。

 

 彼女もいつだって振り返らなかった。走り出したら、ずっと猛進だ。

 

「……そういう背中を、送り出すしか出来ないって言うのは、辛いね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 司令官は感じ入ったようにUDの戦いぶりを眼にしているようであった。恐らくは彼の貫く武道の道に中てられた者の一人なのだろう。

 

「……リックベイ少佐。あの太刀筋……素晴らしいとは思わないですか。彼は成長した。見事なまでに結実したのです」

 

 しかし、リックベイの胸中は凪いだように静かであった。どうしてだか、教え子の刀を直視出来ない。それどころか、こんな戦い今すぐにやめるべきだと言いたかった。

 

 ――何故ならば相手は。

 

「……剣筋だけで分かってしまうのも、考えものだな」

 

「少佐? あれがUD……死なずの男ですよ! ああ、なんと……なんとその魂の燃え行く姿、煌びやかな炎のように……! 少佐、自分は彼の正体を知っております。知っていて、彼に投資したのです」

 

 思わぬ告白にリックベイは困惑した。ブリッジには自分と司令官しかいない。だからこそ、口火を切ったのかもしれなかったが。

 

「……知っていて、か。それはどういう酔狂で」

 

「酔狂? 少佐、あれを見てくださいよ。刃一つ一つに、彩が宿っている。あれそのものが! 精緻な芸術品なのですよ。まさか、芸術品に金を惜しまない人間の気心が知れないなど、そのような野暮は申しますまい。自分は、あれに魅せられた! 彼の苛烈なる生き方に! 彼の眼差しはいつもそうだ! 先ばかり見ている! 前しか見ていない。後ろには何もないのだと知っている瞳だ! 過去も、未来もない! 眼前の敵を屠る、それのみの純然たる兵士! 美しいとは、思いませんか! 少佐!」

 

 なるほど。敵を葬るだけの兵士。敵を殺すだけの、殺戮機械。それに美しさを見出す。分からない価値観でもない。だが――。

 

「……醜悪な」

 

 覚えず出ていたのはそのような侮蔑であった。まさか自分からそのような言葉が返ってくるとは思っていなかったのだろう。司令官は襟元を整える。

 

「……失礼。醜悪と、聞こえましたが」

 

「その通りに言ったんだ。わたしは、あれの今の在り方に、美しいなど微塵にも思えん。確かに、弱点は克服した、そのように見えるだろうが見せかけだ。UD……アンデッドなどという名前に胡坐を掻き、その命が尽きぬのを恥とも思わぬ無頼の輩。六年前の、後先を考えぬ危うさに、僅かに垣間見えた光とは違う。あれはただの怨念。ただの殺戮者だ。それを美しいなど、到底思えん」

 

「……少佐。美意識の違いでしたら、自分は飲み込みますよ。歴戦の猛者だ、あなたは。だから、見えているものが違っても構わない。ですが、彼は努力した。鍛え上げ、研がれ、極まってここにいるのです。それをどうして醜悪などとのたまえましょう。彼の鍛錬を、その血の滲むような今までの積み重ね、無駄だと断じれるので?」

 

「それは美しいだろうさ。だがな、それに美しさを見出すのは己だ。彼はもう、誰かのために戦っているわけでもなければ、本当にモリビトへの恩讐で戦っているわけでもない。彼を突き動かすのは純粋なる戦意……言ってしまえば殺意のみ。殺しを一と考え、生存を二と考えるものは兵士とは呼ばない。けだものだ」

 

 結んだリックベイに司令官はふんを鼻を鳴らす。

 

「……確かに、少佐は美しいものを見てきてこられたでしょう。ですが、ここは腐ってもアンヘル。そして彼は、そこに身を置く事を決めた猛者なのです。軽んじるような言葉は慎んでいただきたい」

 

「無論、誰の戦いも軽んじられるものではないさ。だがな、己の放った不実がこうしてぶつかり合う。それを醜悪と呼ばずして、何と呼ぶ?」

 

 零式抜刀術。自分が美しいのだと、極めたものはここに来て殺人剣術と化し、二人の愛弟子が殺し合うただの道具と成り下がった。

 

 今さら美しいだと、他の言葉で飾り立てても仕方ないのは分かっている。分かっているのだが、理性がそれを拒む。

 

 二人は全くの正反対というわけでもない。むしろ、道さえ違えば互いにそうなっていたであろう、似通った存在だ。

 

 だからこそ、今の相手の立ち位置が許せないはず。自分の鏡像を見ているようで。自分の成り損ないを見ているようで。

 

 彼らは互いに互いを否定する。

 

 否定しなければならないのだ。今の自分が間違っていないという証明には、相手の立ち位置をこれでもかというばかりに叩きのめすしかない。

 

 そこに、美学などあるものか。相手を許すまじとする争いの剣術は、もうそれは銃弾とさして変わりはしない。

 

 零式抜刀術などと格好つけたところで、戦地に持ち込まれれば一番に殺しの道具になる。

 

 彼らは自分よりそれを引き継いだ、忌むべき因子。

 

 零式同士の戦いなど、一番あってはならないはずなのに。それをアンヘルの士官達に見せつけているのも、自分には心苦しい。

 

《イザナギ》が下段の刃を弾き返し、振るい上げた一閃を敵人機が防御する。

 

 永遠に勝負がつかない打ち合いだ。相手の二手先まで読めるように零式は出来ている。それに、UDの乗り込んだ機体、あれは特別製と聞いた。

 

 その証拠のように彼の戦い振りに遥かに馴染んでいる。近接戦闘用人機を自分だけの時代だと感じていたのはやはり認識不足であったと思わざる得ない。

 

《イザナギ》が剣を払う。それを敵機は刀身で受け流し、一閃を浴びせかけた。しかし、《イザナギ》はそれすら読んで機体を仰け反らせ、無理な姿勢から刃を走らせる。

 

 下段よりの突き上げ。通常ならば避けようもないその一撃を、敵人機は予見し、応戦の剣閃を見舞う。

 

「惜しいっ!」

 

 司令官を名乗るこの男もとんだ食わせ者だ。恐らく彼はUDの戦いに敬意を表している。その武人としての在り方に憧れさえも。しかし、そんなものは見せかけ、こけおどし。彼が汚れ仕事を率先している現実を見ないようにしたいだけの仮初めに過ぎない。

 

 アンヘル連中はこの戦いをどう見るのだろう。自分以外、傍目には拮抗状態の人機戦に見えているのだろうか。それとも《イザナギ》の性能試験か。いずれにせよ、この戦い、外部要因がなければ決着もつくまい。リックベイは身を翻していた。

 

「待ってくださいよ、少佐。一体どこへ? この戦いを、見守るのが師の責務では?」

 

「残念だが、わたしと君の価値観はそこで食い違うらしいな。こんなもの……ただの喰い合いだ。人と人の戦いではない」

 

「サムライを! 期待しているのですか。……ここはただの戦場ですよ」

 

 そう、期待していた。どのような場所であれ、末端であれサムライはいるのだと。心の中に武士の志を持てば、サムライにはなれるのだと。

 

 だが、それが甘かった。自分は結果的に二人の憎しみ合いを増長させたのみ。

 

 ここは止めるのが筋であろう。

 

「待機している人機で出る。どのような機体でも構わない」

 

「……仰っている意味がお分かりで? UDは素晴らしい! 素晴らしい逸材だ。あれこそがモリビトを殺す……真のシビトですよ!」

 

「モリビトを殺す、か。皮肉なものだ。そう願った男の戦い振りにしては、あれはあまりにも……」

 

「あなたがどこまで戦いを崇高に飾ろうと勝手です。ですが《イザナギ》に、せめて傷をつけるような真似はやめてくださいよ、みっともない。あれは新型機なんですから」

 

 堕ちた指導者よりも今を切り拓く新型か。その在り方に間違いも挟めない。

 

 己が口惜しい。リックベイは踏み出してブリッジを出ていた。

 

 すぐ傍の壁を殴りつける。

 

「……UD、それにアイザワ少尉……君らを殺し合わせるのは忍びないのだ。わたしは……そんな事のために戦士を二人も野に放ったわけではない」

 

 ゆえにこそ、これは自分にしかそそげぬ罪悪。リックベイは格納庫へと急いでいた。

 

 


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