ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯296 決意と覚悟と

 ここまで相手が熱心だとは思いもしない。桃は、機体の名前を聞いて頬を綻ばせる敵兵にうろたえていた。

 

 どうして、彼はそこまで思い切れるのだろう。愛する人のため、という大義名分はそれほどまでに人を変えるのだろうか。

 

 桃はエレベーター口より流れ、愛機の状態を確かめる。

 

「《ナインライヴス》は?」

 

「ウイングスラスターのうち、二枚はもう使い物になりません。かといって、新規に造り直す時間もないでしょう。有り合わせですが、ないよりかはマシなサブモジュールとして、Rランチャーの実弾バージョンを据えておきました」

 

「助かる。……ねぇ、どう思う?」

 

「どうって……、あの敵兵ですか」

 

「もう、敵兵とかそうじゃないとか言っていられないんだってさ。その思い切りのよさはどこから……って」

 

 こちらの嘆息に整備士は観察の目を向ける。

 

「ブルブラッドキャリアは相当に追い詰められているのに、それでもあの人……あんな顔を出来るんですね」

 

 タカフミに浮かんだ表情には絶望の二文字はない。むしろ、彼はこれから先の戦いにこそ、希望があると説いた。それには理解しかねる。

 

「……希望なんて……あるのかしら。だって、林檎まで……」

 

「しっ。桃さん……」

 

 こぼした弱音に整備士が諌める声を出す。気づいた自分が振り返った先には、蜜柑が立ち竦んでいた。

 

 すぐに駆け寄ろうとして拒絶の声が迸る。

 

「来ないで! ……来ないで、桃お姉ちゃん……。ねぇ、どうすればいいの? 林檎がいなくっちゃ……何も出来ないじゃない、ミィなんて! ただの……足手纏いだよ」

 

「そんな事はないわ。蜜柑もブルブラッドキャリアの一員……」

 

「だったら! 林檎も一員じゃない! ねぇ、林檎を返して! 返してよぉっ!」

 

 彼女の行き場のない悲しみは内側で滞留し続けるのだろう。次に林檎が現れた時、その時は撃つのだと、言い聞かせるのが教官としての務め。

 

 だがそんな残酷な事が言えようか。桃は拳を固く握り締める。

 

 この世で唯一の血縁、唯一の姉妹なのだ。それを次に会えば撃てなど、それは酷が過ぎるというもの。

 

 だがこの役目は自分のものだ。誰かに肩代わりしてもらう事は出来ない。息苦しさを覚えつつ、桃は顔を上げていた。

 

「……蜜柑。次に……《イドラオルガノン》が出てくれば、迷わず撃ちなさい」

 

「何を……何を言っているの、桃お姉ちゃん……」

 

 ああ、分かっている。何を言っているのだ、自分は。こんな、まだか弱いだけの少女に何を背負わせようというのだ。

 

 姉殺しなど。血を分けた肉親を迷わず殺せなど。

 

「撃ちなさい。命令よ」

 

 だから、心を冷たく保とうとした。何も考えないように、感じないようにすれば、この命令は降ろせると。

 

 だが、蜜柑は抵抗する。

 

「分かんない、……分かんないよっ! どうして桃お姉ちゃんがそんな事言うのか、ミィ、全然分かんない!」

 

「これは命令なのよ。《イドラオルガノン》が敵になれば、どれほど脅威なのかは一番分かっているでしょう?」

 

「待って……、何で林檎が敵になるって思うの? そう……勘違いかもしれない。勘違いだったら、それでいいじゃない! 林檎はちょっと間違えた。だから、再会しても撃たなくって――」

 

「蜜柑! 現実を見なさい。《イドラオルガノン》の本体が分離し、《フェネクス》と共に離脱した。この状況で、まだ敵じゃないなんて生易しい事が言えるとでも?」

 

「でも……でも、でもっ! もしかしたら、敵に惑わされたのかも! そうじゃないと、おかしいじゃない! 《イドラオルガノン》と林檎が……敵になるなんて……」

 

「……そのおかしい事が起きているのよ。執行者なら、やるべき事は分かるわよね?」

 

 これはずるい言い草だ。モリビトの執行者としての判断を冷徹に告げている。蜜柑は耳を塞いで目を伏せた。

 

「どれだけ逃げたって……覆せないのよ。林檎は! 敵になった!」

 

「嘘だよ! 嘘、嘘なんだから! 林檎は敵じゃない! 間違ったのは、間違っただけの……お姉ちゃんを撃つなんて……ミィには出来ない……」

 

 苦痛の末に搾り出した声音に桃は言葉を重ねかけて、蜜柑が不意に駆け出していた。

 

 その背中に追いすがる事も出来ない。弱い自分は、保留の一事に留めるしかなかった。

 

「……いいんですか? 放っておいて」

 

「……あれ以上言えないわよ。林檎を撃てって言っているだけで、もう随分と……」

 

 酷い事をしている。自分の育てた二人なのに、殺し合えなんて無理なはずなのだ。それを、自分が口にしていると思うだけで吐き気がする。

 

「……ゴメン。気分が悪くって……」

 

「《ナインライヴス》は万全にしておきます。《イドラオルガノンジェミニ》は……あの状態で出せばいいのかの判断を艦長と茉莉花さんに仰いでおきますよ」

 

「……任せ切りに……」

 

「これくらい。執行者の皆さんの苦しみに比べたら」

 

 どこまでも自分は甘えてしまう。だが、これだけは誰かに肩代わりさせられないのだ。

 

 林檎を撃つ。もしもの時は、自分の手で。あれだけ愛して、あれだけ慈しんだ林檎を……殺す。

 

 酷い吐き気に襲われて桃は廊下を走り込んだ。壁に手をつき、何度も胃の中のものを吐き出す。

 

「どうして……どうしてモモは、また過ちを……! 何でうまくやれないの……」

 

 問い詰めても仕方ない。自分の責任は自分で取るしかないのだ。

 

 林檎が離反したのは自分のせいでもある。彼女に、今のブルブラッドキャリアを見離しても言いのだと、思い込ませてしまった。教育者としての責任が。

 

「……撃てるの? モモは」

 

 あれだけ蜜柑に言い尽くしたのに、自分の問いに答えが出せない。もどかしさに爪を立てようとして、ふと人の気配に振り向く。

 

 瑞葉がこちらをじっと見つめていた。

 

「……大丈夫、か」

 

「瑞葉さん。……何でもないわ」

 

「何でもないわけがないだろう。……クロナもいないんだ。次の戦闘はわたしも前に出る」

 

「余計な事はしないで欲しい。あなたの連れて来た……アイザワとか言うのだけでも面倒なんだから」

 

 どうして、刺々しい言い回ししか出来ないのだろう。自分に嫌気が差す。

 

「……すまなかった。了承も得ずに。だが……わたしはこの《ゴフェル》を、沈ませたくないんだ。もう、ここにいていいのだと、ここ以外に居場所はないのだと分かっているから」

 

「……クロが何か」

 

 吹き込んだのか、と言いかけて瑞葉の眼差しに気圧される。

 

 覚悟を決めた瞳は鉄菜そっくりであった。

 

「――わたしは、ここを守りたい。クロナが大事にしている場所だ。なら、わたしにとっても大事なんだ」

 

「……そんな薄っぺらい理論、あなたにとっての《ゴフェル》も……ブルブラッドキャリアも関係ないじゃない」

 

「わたしの問題を清算してくれた。それを許してくれたんだ。だから、報いる。それだけの話」

 

 瑞葉のほうが筋は通っている。それでも、と桃は骨が浮くまで拳を固める。

 

「どうしろって……、どうすればいいって言うのよ! クロもいない! 林檎も消えた! だって言うのに、どうしろって……、これ以上モモに、何をしろって言うの! あんなよく分からない奴に言いくるめられて、モモは……」

 

 情けない。自分の居場所のはずなのに、確固たる言葉を口に出来るのは相手のほうだなんて。

 

 自分はこの居場所で育った。この居場所で、今まで生きてきた。本来なら、自分のほうが言葉を持っているはずだ。いくらでも、理由は言えるはずなのに。

 

 いざとなれば何も言えない。気の利いた台詞も、出てこない。

 

 持て余すばかりの状況に、桃は呻く。

 

 ――何が正しい? 何が間違っている?

 

 何のために戦えばいい……?

 

 堂々巡りの思考に、瑞葉は言葉を発する。

 

「……抗え、とクロナは言った。わたしが、死んだほうがいいのだと言った時、彼女は。《クリオネルディバイダー》に乗ってお荷物になった時も、それでも彼女は見捨てなかった。わたしはクロナの強さはただの戦闘経験値だけではないと思っている。明瞭な言葉はないが……クロナはわたしにくれたんだ。きっと……人らしいというものを。その人らしさが、まだ分からない。クロナも、分かっていないのかもしれない。彼女自身の強さはもう、心に根ざしているのだと言う事を。……離れ小島で、クロナは言ったんだ。心が分からない、と」

 

 まだ鉄菜は苦しみ続けていたのか。顔を上げた桃に、瑞葉は頭を振る。

 

「……うまい言葉が見当たらなかった。わたしの知る限り、これ以上ないほどに、クロナは人らしいはずなのに、その彼女も迷っている。戸惑いながら一歩ずつ、前に進んでいる。なら……わたしが迷っている場合じゃない。わたしが……手探りしていいはずがない」

 

 鉄菜は六年間の隔絶の後、幾度となくブルブラッドキャリアを牽引してくれた。彼女がいなければ本隊からの離反も成功しなかっただろう。ここまで生き永らえたのは間違いようもない、鉄菜のお陰なのだ。

 

 だが、その鉄菜も迷いの只中にいる。自分達ばかりが恵まれていないわけではない。

 

 迷いを捨てた一振りの刃になったと思える鉄菜でも、まだ分からない事があるのか。まだ、あの瞳は見据えるべき道を見据えていないのか。

 

「……こんなところで足踏みしていたら、クロに怒られちゃうね」

 

 その言葉に瑞葉は僅かだが表情を和らげた。

 

「そう、だな。クロナが帰ってこられるように、わたし達も戦っていたい」

 

「そのために努力は惜しまない。そうでしょう?」

 

 きっと、今はそれが正しいはず。そう思って顔を上げた、その時であった。

 

 緊急警報が廊下を赤色光に塗り固める。不意打ち気味の砲撃による激震が、《ゴフェル》を襲った。

 


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