ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯295 勝利への眼差し

 勝算はないと判断されていた。だが、結果としてこうして生き延びるとは、とタカフミは敵艦だと断じていたブルブラッドキャリアの甲板で視野を巡らせる。

 

 ラヴァーズの艦には型落ち機が羽根を休めており、次なる戦闘に向けて緊張が張り巡らされていた。

 

「……こんなにも……惨い戦闘だったなんて」

 

 ブルブラッド大気濃度は八割以上。操主服を着込んでいなければまず活動不可の海域である。その絶海に浮かぶ二隻の艦は、それだけで世界と戦うにしては随分と手狭であった。

 

「タカフミ……、タカフミ・アイザワ大尉だったかしら」

 

 背後から振りかけられた声にタカフミは振り返る。操主服に身を包んだ女性が銃口を突きつけていた。

 

 表情は、ヘルメットのせいで窺えない。

 

「……おれは捕虜か」

 

「いいえ。そうもいかないのよ。世界は確実に転がり落ちている。悪いほうに、ね。ブルブラッドキャリアも一枚岩じゃないの。だからこそ、ここで問いかけたい。あなたはこの先、敵になるのか。それとも、我々のために命を張ってくれるのか」

 

 畢竟、戦いしか道はない。ここで敵対するのならば決断は早いほうがいいと言うだけの事。タカフミは空を仰いでいた。虹の皮膜で包まれた天空。この星はどこまで行っても檻がある。いや、檻しかないのだと思い込んでいた。そう、思わされていた。

 

「……正直なところ、おれも分からないんだ。でも、礼儀は通したい。一つの礼儀として、な。すまなかった。そして、ありがとう。瑞葉を……救ってくれて」

 

 その言葉に相手はうろたえたようであった。

 

「……救ったのは、クロよ。自分じゃ……」

 

「クロ、という人間がいるのか? 会わせて欲しい」

 

「会ってどうなるの」

 

 再び殺気立った相手にタカフミは説得を試みる。

 

「……礼を言いたいんだ。あのままなら、瑞葉は処刑されていた。いや、そうでなくっても、ともすればもっと悪い方向に。実験台にでもなっていたかもしれないんだ。それを、止めてくれたのは、素直に受け止めたい」

 

「憎んでいたんでしょう? ブルブラッドキャリアを」

 

「ああ、そうだとも……。おれは憎んでいた。お前らはいたずらに戦火を拡大させるだけの、悪魔だって。その考えの根本は変わらない。変わりようがない。でもよ! こう考えちゃいけないのか? 恩人だって! おれ達にもう一度、生きる意味を与えてくれたって……」

 

「……そこまで高尚じゃないわよ」

 

 だが、ブルブラッドキャリアの戦いがなければ自分もまた、何も疑わず、あの爆弾の栽培地の事も知らず、大量破壊兵器の製造に手を貸していただろう。間接的にせよ、それは変わらない。アンヘルに与していたのだ。戦いの責は負うべきである。

 

「恩返しじゃないけれどよ……、何かさせてくれ。瑞葉は……どうなったんだ?」

 

「……今は医務室で治療を受けているわ。あの《フェネクス》っていう人機と、《グラトニートウジャフリークス》と呼称される人機にやられたんだからね」

 

「《フェネクス》の情報ならおれも持っている。役に立てないだろうか」

 

 その様子に相手は怪訝そうにした。

 

「……分かっているの? 今まで世界の敵だった相手に、手を貸すって言ってるのよ? それはあなたのスタンスを、揺さぶるものじゃないの?」

 

 そうかもしれない。リックベイの犠牲、それに死んでいった数多の兵士達。モリビトの業火に焼かれた、無数の魂。それらは決してこの場でのやり取りを許しはしないだろう。

 

 彼らの抗い、彼らの犠牲、彼らの未来……。それを奪っていったモリビトを、すぐに許せるなんて出来ないと思っていた。

 

 だが実際にはどうだ。

 

 愛する人ともう一度傍に寄り添える環境を作ってくれたモリビトとブルブラッドキャリアに、感謝している。

 

 瑞葉と自分はもう二度と会えないと思っていた。だからこそ、どこまでも愚直に相手を恨めたのだ。

 

 しかし、ここに来て分かった。

 

 恨みなど、憎しみなど、それは所詮、この世を悪い方向に回すだけだ。

 

 後戻り出来ない場所まで行き着かせるだけの、悪循環なのだ。

 

 ならば、自分は変わりたい。自分一人では微力でも、それでも変わり続ける事が、瑞葉を受け入れる事になるのならば。

 

「……瑞葉は、昔言ってたんだ。機械天使から人に成るなんて考えられない。自分は人殺しのための道具だって。おれに、せめて一息に殺せとまで……。でも、おれは撃てなかった。瑞葉を、未来を信じたかったんだ。少しでもよくなる未来、少しでも前に進める明日を。そういうの、さ……願っちゃいけないのかな。考えちゃ……いけない代物なのか……?」

 

 歩み寄ろうとしたタカフミに相手が銃口を据える。

 

「来るな。来れば撃つ」

 

「そう、瑞葉にも言われた。でも、変われるんだ! 人間ってさ、もっとどうしようもないもんだと思っていたんだよ! こんな星にしちまって……たくさんの戦闘兵器を造り出して……それであまつさえ人類同士で殺し合うのが……。でも、そうじゃない世界ってあるんだろ? そうじゃない未来ってあるんだろ!」

 

「それは……」

 

「そうじゃない、もっとマシな世界を掴むための戦いならよ、おれも同行させてくれ。ただし、おれはあんたらが少しでも道を違えれば撃つぜ。迷いなく、それこそ、な」

 

「同行……、我々ブルブラッドキャリアと……?」

 

 これが正解なのかは分からない。誰も教えてはくれないのだ。だが、教えてもらえない道こそ、自分で切り拓く価値がある。

 

「どうすれば……だって憎しみは放たれた! 野に、もう放たれてしまった憎悪と悪意は、どうしろって……!」

 

「おれはそういうの、見ないようにするんじゃないと思う。直視するんだ。ヒトは、もっと罪を見なきゃいけない。もっと見つめ合わないといけない。そうじゃなきゃ、昨日に食い潰されちまう。でも、おれ達は明日に踏み出せるんだ。そうだって気づいた! だから、おれはお前らを単純に憎めない。憎んで殺してばかりが、戦いじゃないんだ! 分かり合うのも、戦いなんだ!」

 

 自分の口からついて出ているとは思えなかった。だが、瑞葉の事を、愛する人のためならばどれほどの理想論も吐ける。どれほどの綺麗事も、実行してみせようと思える。

 

 きっとこれが、リックベイの言いたかった事なのだろう。ただ憎しみをぶつけ合うのが、戦いではない。

 

 ――零の心。零式抜刀術の真髄はここに在る。

 

 相手を許し、その上で剣を極めさせる。

 

 ただ相手の肉体を断つのみが、武器の役割に非ず。

 

 認め合うのだ。そうしなければ、ただただ煉獄の炎に焼かれるのをよしとするだけの小さな、ほんの小さな人間に過ぎない。

 

 後ずさった相手はもう自分へと冷静な言葉を投げられないようであった。

 

「でも……だからって、だからってモモに、あんた達を許せって言うの! ふざけないで! あんた達はアヤ姉を殺した! それ以外にもたくさん……、数え切れないほどに。それでも、許せって? 何もかも、ここで手打ちにしろって? そんなの……判断出来ないよ。決められない……」

 

「それで構わないのよ、桃」

 

 歩み寄ってきたのは大気浄化スーツに身を包んだ数名であった。

 

「……聞いていたんなら、おれのスタンスはもう曲げない。嫌って言ってもおれはやる」

 

「いやはや、困ったね。まさかアンヘルの兵士が仲間になるとは」

 

 一人の男が肩を竦めるのを、隣にいた女性が諌める。

 

「そういう言い方も、もう正しくないんでしょうね。瑞葉さんを思うあなたの気持ち……充分に感じたわ。でも、今のブルブラッドキャリア……この《ゴフェル》は万全じゃないの。とても苦しい戦いを強いるかもしれない。それこそ、味方との戦いを」

 

 かつての友軍が敵になるか。タカフミは、それでもと前を向いていた。

 

「いいさ、やる。後ろを振り向かないのが、多分、おれの長所だからよ」

 

「機体を改修しておいた。《スロウストウジャ是式》、だったか。あれをちょっとばかし、こちら流に、アレンジさせてもらったよ」

 

「助かる。アンヘルで見てきたクチだ。相手は、すぐには攻めてこないだろう」

 

「その根拠は?」

 

 タカフミは顎をしゃくる。遥かなる地平線の向こうを煙らせていた青い霧が完全に消失していた。この紺碧の大地では珍しい、滅菌状態のような大気を誇るかつての大国の跡地。

 

「ブルーガーデン跡地で大層な爆弾を作っていた。そのデータもあれば、アンヘルを巻き添えにしてでも製造したいエゴがあった。アンヘル兵士も馬鹿じゃないさ。そろそろ自分達が何に利用され始めているのか分かっている。それに……」

 

「エホバ、だね」

 

 先んじた男の声にタカフミは首肯していた。

 

「あの二機はエホバの手先だと聞いた。この盤面を崩そうと考えているのは、何もおれ達だけじゃない。今度は、本当に総力戦の構えかもしれない」

 

「アンヘルの艦隊司令部と、ラヴァーズとの共同戦線を張っている我が方との殲滅戦……、正直、分は悪い。それに、相手の力量を決して軽んじちゃいけないだろうからね。アンヘルはこれまで以上の覚悟で向かってくるだろう」

 

「ブルブラッドキャリアとしては、どっちを倒したいんだ? エホバか、アンヘルか……」

 

 その問いに誰もすぐには答えを用意出来ないようであった。操主服の相手が頭を振る。

 

「分からない。分からないのよ、何も。エホバを倒せば世界は元に戻るわけじゃない。もう、転がり出した石。何もかも、元の調子には戻らないでしょう。世界は狂い始めた。狂気の虹が天を覆い、宇宙との交信も阻まれたこの大地で、どう生きればいいのか……」

 

 誰も教えてはくれない。ならば、とタカフミは言いやっていた。

 

「掴み取ろうぜ。誰も、気の利いた答えなんて分からないんだ。だったらさ! おれ達の力で、最高に気の利いた答えってのを! ……そうでもしないと、やるせないだろ?」

 

 自分の空元気に彼らもまた少しばかり考え直した様子であった。

 

「……ま、こういうタイプはいなかったからなぁ……。今まで深刻に考える連中ばかりで」

 

「タキザワ技術主任、あまり滅多な事は言わないように」

 

「そりゃ失敬。……でも真面目な話、どう相手が動くかは全くの未知数。それでも、やるのかい?」

 

 尋ねたタキザワなる男に、操主服の女が返した。

 

「……やる。やらないと、クロも安心して、戻って来られないよね……」

 

「おれの答えはさっきの通り」

 

 その結論に、女性は嘆息をついた。

 

「……兵力としては乏しい。さっきの戦闘でラヴァーズも深刻なダメージを受けた。出られる人機は少ないのよ。それに……宇宙にいる鉄菜との通信も阻害されている。これは恐らく、エホバが意図的に遮断しているのね」

 

「その、クロナって奴が希望の鍵なのか?」

 

「そう、ね……。クロさえいてくれれば……」

 

 タカフミは考慮の上で状況を整理する。

 

「宇宙に上がる術は今のところなし。物理的な手段じゃ、軌道エレベーターだがもちろん使えない。それに、眼前にはアンヘルの総力部隊、か。こいつは追い詰められた感じだな」

 

 しかし、とタカフミは笑った。それを操主服が銃口を向ける。

 

「……何が可笑しいの」

 

「おっと……銃はやめろって。いや、こういう土壇場っての、おれらしくってさ。ついつい笑っちまうんだよ。……少佐も、こういう時に絶対、後ろは向かなかった。ずっとおれに、前を見続けろって言ってくれるはずなんだ。だったら、おれは馬鹿正直に前を向くぜ。それがどれほど馬鹿っぽくてもな」

 

「……今はその考えがありがたい。そうだろ、ニナイ艦長」

 

「あんた、艦長だったのか。だったら頼みがある。いや……頼みって言うよりは、作戦の提案、かな」

 

「作戦の提案?」

 

 問い返されてタカフミは胸を張る。

 

「自慢じゃないが、これでも百戦錬磨のつもりだ。だから、アンヘルのやり口ってのは大抵、見え透いてくる。おかしくないか? 砲撃すれば届く距離だぜ? ここはまだ」

 

「……確かに。射線に入っているはずなのに牽制の砲撃もない」

 

「理由はピンと来たね。兵士の統率もそうだが、今一番怖いのは、上さ」

 

「上?」

 

 全員が天上を仰ぎ見る。タカフミは虹の空を睨んだ。

 

「爆弾があるって分かったんだ。だったら、それ相応にみんな警戒する。考えてもみろよ。もし、艦隊戦になって、両者もつれ込んだところに、ドカン、と来れば?」

 

 その想定にニナイと呼ばれた女性が声を震えさせる。

 

「……その可能性があると?」

 

「犬死になんて誰も望んでいないはずさ。だがその特攻のシナリオを、一番に描いているのは誰か? こう考えればそれなりに見えてくる」

 

「……エホバか、アンヘル上層部」

 

 得心した答えにタカフミは指差す。

 

「その上層部ってのも怪しい。どういう奴が頭にいるのか、まるで分からない秘密主義組織。それがアンヘルの強みであり、最大の弱点でもある」

 

「つけ入る隙はあると?」

 

「このこう着状態がどれくらい続くか、だな。それには相手の動きを見たい。何か、すげぇシステムがあるんだろ? 今まで世界を敵に回してきたんだからさ」

 

「……残念ながらそれは奪われてしまった。だから疲弊しているんだ」

 

 タキザワの返答にタカフミは頭を悩ませる。

 

「だったら、なおさらだろうな。敵の敵は味方理論じゃないが叩けば出る埃ってのは案外でかいもんだ。相手が仕掛けてくるまで、せいぜい整備を万全にしておくとしようぜ」

 

「……待っていれば勝算が見えるとでも?」

 

「待たなきゃ何も見えないだろ。そっちのほうが重要だっての」

 

 タカフミは手を振って格納庫へと足を進める。操主服の女が肩を並べた。

 

「……どうした? 何かまだ不満でも?」

 

「いや……地上の人間はみんな、あんたみたいなのかな、って。……クロがやってきた事を、あんたはやってのけている」

 

「そりゃ、誤解だろうな。おれみたいな能天気はそうそういないだろ。かといって今すぐ闇雲に仕掛けたって自滅するだけ。こっちは疲弊してるんだろ? だったら、何も前に進むだけが戦術じゃない」

 

「……それは、C連合の……リックベイ・サカグチの教えか」

 

「そうだろうな。あの人はでも、もっとドでかい事を考えるだろうし、おれなんてまだまだだよ。先読みのサカグチには負けるね」

 

「……それでも、引っ張ってくれている。何も分かっていないのは、こっちのほうだったのかもしれない」

 

「分かってくれたのなら結構。おれは出撃までちょっと休むわ。顔を出したのはどういう風に改造されるのか見てみたかったからなんだが……」

 

 タカフミが格納庫に足を踏み入れた途端、刺々しい視線が突き刺さった。当然と言えば当然だろう。敵の人機をメンテナンスしろなんてのはどだい理解出来ない話だ。

 

「……メンテナンス、どうなって……ます?」

 

 ついつい敬語になってしまった。整備士の中でも強面の男が歩み寄り、キッとこちらを睨んだ。

 

「……《スロウストウジャ是式》の操主だったか」

 

「ええ、まぁ。……タカフミ・アイザワ大尉。この場所で大尉って通用するのか分からないけれど」

 

「血塊炉に風穴空けられている。あんなもん、ガワだけ取っ払って、もう一度組み直したほうが早い」

 

「ああ、そりゃそうだろうな。キリビトタイプとやり合ったから。推進装置なんて馬鹿になってるだろうし」

 

 ギロリ、と整備士がこちらを見据える。萎縮したタカフミは視線を流した。

 

「そこの。あんたはどう思うんだ? おれの人機、直るかどうか……」

 

 女性操主は気密を確認し、ヘルメットを取り払う。桃色の髪を一つ結びにした相手は整備士に言葉を投げた。

 

「直りそう?」

 

「芳しくはありませんが、時間との勝負ですかね」

 

 自分との態度とは随分違う。それも当たり前か、とタカフミは諦めた。

 

「面影が残っているとありがたいんだが……」

 

「面影なんて残す余裕はないな。こっちだってモリビトの予備パーツを使っているんだ。格納庫のスペース食いをしているって自覚はあるのかねぇ、この操主は」

 

「じゃあせめて、名前くらいは教えてくれよ。どういう機体名になるんだ? モリビトなんとかー、とか?」

 

 笑って誤魔化そうとしたこちらに比して整備士は不機嫌に応じる。

 

「……こいつ、本当に状況を分かっているんですかね?」

 

「モモ達よりかは冷静よ。それは分かっている」

 

「……酔狂としか言いようがないですが。敵兵なんでしょう?」

 

「瑞葉さんを迎え入れたなら、素直になるしかないでしょうし……」

 

 整備士は盛大にため息をつき、言い放った。

 

「大層な名前をつけるセンスはなくってね! 混同しない単純なコードにさせてもらった。《スロウストウジャ是式》改修機、コード名称は《ジーク》。それがこれから先のこいつの名前だ」

 

「《ジーク》……、意味とかあるのか?」

 

「昔の言葉で勝利、とかだったかな。そこまで深くは考えてねぇ、さぁ! さっさと退いてくれ。仕事の邪魔だよ!」

 

 追い返されつつも、タカフミは胸に湧いた鼓動を確かめる。

 

「《ジーク》……勝利か。いいぜ。戦って勝ち抜いてみせる。未来のために、な」

 

 


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