ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯293 怨念の刃

『接触は危険であったのでは?』

 

 レギオンの一部の抗弁に、中枢に近い陣営は、大した事ではない、と言ってのける。

 

『彼女は血続として稀有な実力を発揮している。このまま腐らせるのは惜しい』

 

『しかし、《キリビトイザナミ》……これは最終手段だぞ。もし撃墜されれば……』

 

『その心配はないだろう。《キリビトイザナミ》はエホバにとっても鬼札。彼奴の造り上げた最大級の人機であり、なおかつ一番の毒となるはずだ』

 

『キリビトタイプを量産に着手するのは不可能だ。アムニスがそれを実証している』

 

 撃墜された《キリビトアカシャ》のデータを参照し、レギオンは全員に同期処置を施した。

 

『……やったのは《スロウストウジャ是式》か。皮肉なものだ』

 

『これも、あの青い地獄で観測された、なかった事にしても構わない事象だ。一般からの接続は全て拒絶せよ』

 

『しかし、やはりバベルは有能だ。ブルブラッドキャリアの月面都市の力を一部借り受けるだけで、一兵士の脳内に切り込める』

 

『それもこれも、お膳立てが整っていたお陰でもある。エホバはあの燐華なる操主を特別視していた。あの神を気取る男が残した最大にして、最後の汚点だ。ならば、こちらで有意義に利用させてもらうとしよう。ハイアルファー人機に耐え得る性能と、操主としての能力の高さは保証されているのだから』

 

『血続性能判定が改悪されていたようだな。C判定以下になっているが、実際には燐華・クサカベの能力はSプラス判定だ。……第三小隊の隊長とエホバが共謀して彼女を隠し立てしたか』

 

『だが、揺籃の時は過ぎた。今、世界に旅立とうとしている翼まで封じる事はない。燐華・クサカベは我々のものだ。誰にも邪魔はさせない。《キリビトイザナミ》と共に、扉を開いてもらう。新世界の扉を』

 

『全ては我らレギオンのため。世界平和のために』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界を平定する一派が存在する、と口火を切って信じてもらえたかどうかは分からない。

 

 だが、目の前を行く司令官が生存していたのは僥倖であった。

 

「まさか、生きているなんて……」

 

「それを言わせるな。そちらだってよく生きていたな。《コボルト》は大破していたが……」

 

 司令官の目線はそのまま、自分の後ろを行く人物へと注がれていた。

 

 伝説の操主――リックベイ・サカグチ。まさか、その大人物と自分が合流しているなど思いも寄らなかったのだろう。

 

「……君はいつでも驚かせてくれる」

 

「あの大決戦の中、我々を収容してくれた事、感謝する」

 

「よせよ。君に救われた命だ。《コボルト》がいなければブルブラッドキャリアに轟沈させられていただろうさ」

 

 先ほどから言葉を発しないリックベイに、司令官は胡乱そうな眼差しを向けた。偽物の可能性を浮かべたのだろう。

 

 しかし、それでもリックベイは喋ろうとしない。最早、死者。喋る口も持たないというわけか。

 

「……UD。君がいつ帰ってきてもいいように、我が方は準備してきた。《コボルト》に代わる新たな刃。これが、その代物だ」

 

 パスコードを入力し、静脈認証で鋼鉄の扉が開かれていく。

 

 全身を隈なく精査されている人機は真紅の輝きを帯びていた。細身のシルエットは《コボルト》よりの高機動に適している事が窺える。

 

「《コボルト》は所詮、これのコピーであった。まぁ、ハイアルファーは移植されていたがね。そのハイアルファーも《コボルト》から再移植し、コックピットに積み込んである。真の意味で、これは君の機体だ。間違えようもなく、ね」

 

「遂に完成したか。……俺の剣」

 

「――《プライドトウジャスカーレット零式》。機体参照コード、《イザナギ》。君の新しい人機だ」

 

「《イザナギ》……。これが君の人機か。桐……UD」

 

 ようやく言葉を発したリックベイに司令官は驚愕を浮かべる。

 

「サカグチ少佐。あなたの身分をどうするかは彼にかかっています。如何に伝説の操主と言っても、今はアンヘルの発言権が強い。それに、前回の大決戦で我が方は相当な打撃を受けた。最早、消耗戦、という見方も間違いではない。ブルブラッドキャリア、ラヴァーズ、それら双方を相手取って、勝てるかと言えば……」

 

 濁した司令官にUDは口にする。

 

「勝ってみせるさ。そのための《イザナギ》だ」

 

 その強気な声音に司令官は満足そうな笑みを浮かべる。

 

「期待しているとも。君は、いつだって不可能を可能にする男だ。して……リックベイ少佐、あなたはこの艦での発言権はないに等しい。どれほどにC連合での武勲が高かろうとそも、もう死んだ扱いだ。だからこそ、あなたの存在は極秘にしたい」

 

 リックベイが自分へと視線を向ける。

 

「……わたしはアンヘルに処刑された、という体は崩さない形か」

 

「それが望ましいかと。死者が闊歩するとなれば兵士の中で余計な心労を招く。今は、一つでも不確定要素は惜しい」

 

「……UD、君はこれからどうする?」

 

「知れた事。俺はモリビトを倒すためだけにいる。アンヘルでの発言権がまだ生きているというのならば、《イザナギ》を使い、現状のブルブラッドキャリアに攻め入ろう」

 

「その手はずだが……何かと妙な情報が入ってきていてね」

 

「妙? この戦局でか」

 

「この戦局だからこそ、かもしれない。先の大決戦で生き延びたのはごく僅か。その中でも精鋭と呼ばれる者達は、ほんの一握りだ。彼らに充てる人機も用意せねばならない。次こそは、ブルブラッドキャリアとラヴァーズに、真の敗北を突きつける」

 

 それが軍の決定なのだろう。エホバなる男がどれほど神を気取ろうとも、目先の敵を葬れずして、何が軍属か。

 

「エホバ……という未確認情報に関しては? 誰も調査しないのか」

 

「出来ない、と言ったほうが正しい。アンヘルを巡っていた情報ネットワークが遮断されて、もう三十時間が経つ。宣告通りならば、あの男の仕業だろうな」

 

「バベルネットワーク。それを掌握したと」

 

 一人の人間が出来る領分を超えている。彼はまさしく神であるとでも言うのか。

 

「だが、神ならば、どうして今まで静観を貫いてきた。神を名乗りたいのなら、六年前に名乗って欲しかったものだ。ブルブラッドキャリアによる混迷期。あの時にいなかった神が、今は出てきたなんて言う冗談はない。都合のいい時だけ神を気取るのならば、それはペテン師という。我々アンヘルの決定としては、エホバに対抗する」

 

「だが、相手はアンヘルの情報ネットワークを掌握した。この会話ももしかしたら……」

 

「聞かれているかもな。だが、好都合だとも。宣戦布告せずに済む。そもそも、ナンセンスだろう? 神に宣戦するなんて」

 

 まったく、馬鹿げている、とでも言うように司令官は肩を竦めた。それにはUDも同意である。

 

 あの男は何のために、今さら出てきたのか。神だというのなら、もっと早くに出てくれば無用な死人を出さずに済んだのに。

 

 世界の見方は、あの男を特一級の犯罪者と見たほうがまだ現実的、という方針らしい。

 

「……しかし、UD。アンヘルの情報ネットワークが遮断されたとなると」

 

 リックベイの懸念に司令官は応じてみせた。

 

「ところが、だ。約二時間前から復旧が始まっていましてね。一部機能は復元されている。これをどう見るか……」

 

「アンヘル上層部が権限を取り戻すために奔走した……というのは、穿ち過ぎか」

 

「そこまで決断力のある上なら、重い腰を今まで据えていまい。何か、交渉が成されたのだと推測するが、まぁ邪推だろう。我々は兵士だからね」

 

 兵士にとって上がどう動いたかなど些事。問題は自分達がどう動くのか、それのみに尽きる。

 

「この戦い、単純な図式では収まりそうにもない。ブルブラッドキャリアとラヴァーズ、その両者を潰せばこの戦いは終わりかと言えばそうでもないだろう。問題は、もっと根深いところにある」

 

「だとすれば、俺が斬るべきは……」

 

「いや、君は難しく考えるな。《イザナギ》はもう少しで完成を見る。その時まで刃は温存しておいたほうがいい」

 

 司令官にも当てがあるという事か。UDは首肯して愛機を眺めた。

 

 真紅の装甲。二対の眼を持つ特徴的な眼窩。そして突出しているのは、《コボルト》のデータを反映させて構築された、多面装甲板と、推進バーニアであろう。

 

 六年前の戦いで失った《プライドトウジャスカーレット》よりもなお高機動の機体。果たして乗りこなせるか、という疑念が鎌首をもたげたが、UDは言い切った。

 

「……俺以外にこれは乗れまい」

 

「その自信も含めて、買っているとも。さて、リックベイ少佐。あなたには、出来るだけ人目を避けるようにしていただきたい」

 

 公には死んだ事になっているのだ。当たり前と言えば当たり前。だが、リックベイは歩み出ていた。

 

「失礼ながら、アンヘルの艦隊司令。わたしは逃げたくはない。彼は、わたしに逃げない道を作った。もう、逃げ場のない道を」

 

「……UD、まさか……」

 

 司令官の予見にUDは素直に口にしていた。

 

「ハイアルファーを……使った」

 

 なんて事だ、と司令官は額に手をやる。

 

「まさか……死なずの身になっていらっしゃったとは。だが……余計に、だろう。死なないなんてもし露見すれば……」

 

「勢力争いに巻き込まれるのは必至。しかしわたしは、責任があると感じている」

 

「責任、ですか……。確かに重責であったとは窺いましたが、それもほとんど消え失せているのです。今のアンヘルには、自浄作用など皆無。もう、内々での痛み分けなんてどうだっていい。今ならば、無罪放免にも出来ます」

 

 司令官の心情としても、リックベイは生かしたいのだろう。だが、その提案を彼は鋭い眼光で返していた。

 

「……死なないのならば、いくらでも矢面に立ちましょう」

 

「それは困るのです……。処刑されたと言ってもあなたを慕う兵士は多い、この艦にももちろん……。だからこそ、あなたは秘中の秘の存在でなくてはならない」

 

「失礼ながら、秘するのには、この身、あり余っている」

 

 リックベイは戦うつもりだ。きっと彼なりの葛藤があったに違いない。何に責任を覚えているのかまでは不明であったが、その責任の所在を、彼は死ぬまで追い続ける事だろう。ゆえにこそ……、放ってはおけなかった。

 

「リックベイ少佐。あなたは俺が助けた。拾った命だ。今度は俺の番だと、言わせてくれ。だからこそ、ここで死んでもらいたくない。あなたは希望、眩い星なんだ。もし、この戦いで多くの命が没し、多くの希望が絶望に塗り変わっても、あなたがいれば持ち堪えられる。惑星の人々は、まだ希望を捨てずに済むんだ」

 

「……大義のためにここで静観するをよしとする、か」

 

「そうだ。あなたが教えてくれた、これは大義。俺だって生きて帰るかどうかは分からない。だから、あなたには明日を」

 

「明日……」

 

「そうだ。明日を約束して欲しい。この罪深い星の、明日を」

 

 どれほどに罪に塗れた道であっても、それでもやり直せる。作り直せるのだという証明には確固たる存在が必要だ。それはリックベイ以外にはあり得ないだろう。

 

「……だが、UD。君はそんな事のためにわたしを生かしたわけではないだろう」

 

 絶句する。意外であったのもある。リックベイは、どのような境遇でも、自分の生には意味を見出すのだと思い込んでいたからだ。そんな彼が命を投げ出そうとしている。

 

 そのような侮蔑に近い事を、自分はやってしまったのだ。

 

 潰えたはずの命、その理を捩じ曲げて復活させる。それはどれほどに罪深いか、やってはいけない事であったのか。

 

 自分の眼前でそれが実証されている。自分が何をしたのか。どういう意味を持つのかをまざまざと突きつけられている。

 

「……俺は怖かっただけだ」

 

「UD? 何を言って……」

 

「あなたに……死んで欲しくなかっただけなんだ。あんなところで死んじゃいけなかった! あなたは死すべき人ではなかったんだ!」

 

 堰を切った感情に司令官が沈黙する。リックベイはこちらの眼を真っ直ぐに見据えた。

 

「人は、いずれ死ぬ。その理を曲げてはならない」

 

 あれが運命だったとでも言いたいのか。あの時、モリビトの攻撃を庇って死んだのが、自分の運命の終着点であり、そこから先は間違った生であると。

 

 ――否。断じて否である。

 

 リックベイはまだ死んではいけなかった。これだけは譲れない。

 

「……分かるはずだ。あなたは、この先何度も。あそこで死ぬ事が、間違いそのものであったと」

 

「ならば、UD。わたしも言っておこう。間違いの上に成り立った生など、それは最早、ヒトではないのだ。死地を決めたのならば、それに従うべきである」

 

 UDは拳をぎゅっと握り締める。声を震わせ、頭を振った。

 

「……それをあなたが言うのはずるい」

 

 かつて拾われた命であった。元々、《プライドトウジャ》に乗った時点で死んでいたも同義。それを捩じ曲げ、自分に零式抜刀術と生きる価値を与えてくれたのはリックベイのはず。

 

 その人が、どうしてそんな事を言うのか。それではまるで、自分がこうしてモリビトに執着して生きているのも、間違いだと言うようなものだ。

 

「ずるいのは分かっている。だが、UD。これだけは言わせて欲しい。復讐の終着点は、存外に虚しい。それがどれほどの大義の上に成り立つものであっても」

 

「……もう待機に戻る。《イザナギ》が完成したら呼んでくれ」

 

 司令官に言い置いて、UDは踵を返す。その背中に司令官が声を投げた。

 

「リックベイ少佐は……」

 

「わたしはここで、《イザナギ》とやらを見ておこう。どうせ、外に無闇に出てはいけないのだろう」

 

「それは……そうですが……」

 

 見つけ続ける存在と、歩みを進める存在と。どうして、こうも差が生まれてしまったのか。同じハイアルファーで復活したのに、それなのに自分はどうして、戦いの中でしか意味を見出せない? どうしてリックベイはこの境遇でも達観していられる?

 

 自分とリックベイ、何が違うというのだ。

 

「……同じ境遇の仲間を探していたのは、俺だったというわけか。皮肉な……」

 

 UDは悔恨を噛み締めて踏み出していた。

 

 恩讐への道を辿るために。この刃が止まるのは、モリビトの鼓動を射抜いた時でいい。それまでは、決して止まる事のない刃であろう。

 

 戦いの怨嗟の中でしか生き抜けない男は、こうして歩む事でのみ、自身の証明を作り続ける。

 

 それを間違っているのだと、誰が指摘出来よう。

 

 誰にも自分の道に文句はつけさせないつもりだったのに……。

 

 ここに来て立ち止まって如何にする? ここに来て、歩みを止めて、それで自分はどう生きるというのだ。

 

「そうだ。俺はシビト……。永遠に敵へと刃を向け続ける、シビトだ」

 

 自分へと言い聞かせる言葉はこの時ほど虚しいものはなかった。

 

 


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